瓜小屋に伊勢物語哀れかな 鬼城
一昨日から、村上鬼城の俳句を紹介している。
この「日刊鶴のひとこえ」は、めっかった群馬というサイトにあって、群馬にまつわるあらゆる物事を紹介してゆく、とあるので、群馬が誇る俳人である村上鬼城の俳句を紹介しようとおもった次第だ。
じつは、もうひとつ動機がある。
2月のここで、『365日入門シリーズ 万太郎の一句』から久保田万太郎の句を紹介したことがあるが、『鬼城の一句』が読みたくて探したけど見つからない。だれも書いていないのだ。
ならば、自分でつくるしかない、となった。
まず、365句選ばなくてはならない。
鬼城には佳句が多いので数のうえでは困ることはないのだが、一年365日のその日にふさわしい句を当てはめるとなると、結構しんどい。
例えば、元日。例えば立秋。
特定の日に佳句が、重なると、選に迷う。
さらに、その一句一句に、評をつけなくてはいけない。ちゃんと俳句をはじめて3年にならない身では、たいしたことが書けない。
ということで、少しずつ書きためようとおもい、機会があれば、ここでも紹介して、推敲をしていこうとおもいたった。
そして、7月17日に選んだ一句が、冒頭の句だ。
この句は、ホトトギスの巻頭を飾った中の一句なのだが、どのように解釈してよいものか。
まずは、哀れについて。
鬼城は、「哀れ」を含めて、「あはれ」を多用した。
〈美しきほど哀れなり離れ鴛〉
〈鷹のつらきびしく老いて哀れなり〉
〈痩馬のあはれ機嫌や秋高し〉
鬼城が、何にあわれを感じるか、どういったことにしみじみとした趣を感じるかは、この三句から伺えそうなのだが、冒頭の句からは難しい。
次は、瓜小屋。
瓜小屋は、瓜を見張る瓜番が使う小屋。
瓜は、今のようにスイーツの豊富ではなかった時代には、夏の人気の甘味であり、水分の補給源として貴重だった。スイカの祖先のようなものだ。
豊臣秀吉は、名護屋において開催した瓜畑遊びで、自ら瓜売に扮した。瓜は瓜売が活躍できるほど一般的な甘味、夏の味覚だった。
なので、瓜畑には、見張りが必要である。瓜盗人から瓜を守るために番をするのが、瓜番で、瓜番が詰めるのが、瓜小屋だ。
その瓜小屋に、伊勢物語の取り合わせが、難しい。
伊勢物語は、「むかし、をとこありけり」の伊勢物語だ。在原業平がモデルというくらいの情報しかない。
瓜番が、見張りの合間に読む伊勢物語が、瓜小屋にあったのだろうか。もう少し深読みが必要である。