本日の東京は新規感染者が三万人超とのこと。第7波のようで、わさわさしはじめましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?
わたしは、第7といわれると、金沢の第七ギョーザを懐かしく思い出してしまい、あぁ、第七ギョーザを食べて体力をつけ、第7派を無事に乗り切りたい、などと思考してしまう。なので、あまり「第7」と騒がないでほしい。第七ギョーザが食べたくなってしまうので。
さて、昨日の盆栽の話の続きです。
盆栽美術館に行ったのは、2017年だから平成29年の11月のことだった。
Googleフォトで、検索したら出てきた。すごいというか、すこし恐ろしい気もするが、まめに日記をつけるような人間ではないので、自分の行動記録を振り返るときには欠かせないツールになっている。
さて、当時の写真と記憶から、これは大宮において開かれた『東日本 美食が集う ガラディナー』にお誘いいただき大宮を訪ねた折のことだと判明した。
(ガラディナーには2度ほど出席させていただいたが、チャンスがあればまた参加したい。というか高崎でもガラディナーを開催したい。ガラディナーについてはまた機会があれば書きたい。)
大宮になぜ盆栽美術館ができたのか。それは、大宮盆栽村があるからで、一時期は30を超える盆栽園が存在していたらしい。
関東大震災において、東京で被災した盆栽業者が移住したのが、盆栽村の始まり。
1925年のこと。もうすぐ100年だ。
開村当時の盆栽村に住む者の規約というのがあって、それは、
一、盆栽を10鉢以上持つこと、
ニ、門戸を開放すること、
三、二階建ては建てないこと
四、垣は生け垣とすること
の4つ。この規約は、盆栽村の落ち着いた景観に生きているという。
社会人になりたてのころ、先輩の助言を聞いていたなら、今ごろ大宮盆栽村に住んでいたかもしれない。