5186声 盆栽と人生2

2022年07月21日

本日の東京は新規感染者が三万人超とのこと。第7波のようで、わさわさしはじめましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?

 

 

わたしは、第7といわれると、金沢の第七ギョーザを懐かしく思い出してしまい、あぁ、第七ギョーザを食べて体力をつけ、第7派を無事に乗り切りたい、などと思考してしまう。なので、あまり「第7」と騒がないでほしい。第七ギョーザが食べたくなってしまうので。

 

 

さて、昨日の盆栽の話の続きです。

盆栽美術館に行ったのは、2017年だから平成29年の11月のことだった。

Googleフォトで、検索したら出てきた。すごいというか、すこし恐ろしい気もするが、まめに日記をつけるような人間ではないので、自分の行動記録を振り返るときには欠かせないツールになっている。

さて、当時の写真と記憶から、これは大宮において開かれた『東日本 美食が集う ガラディナー』にお誘いいただき大宮を訪ねた折のことだと判明した。

 

(ガラディナーには2度ほど出席させていただいたが、チャンスがあればまた参加したい。というか高崎でもガラディナーを開催したい。ガラディナーについてはまた機会があれば書きたい。)

 

 

大宮になぜ盆栽美術館ができたのか。それは、大宮盆栽村があるからで、一時期は30を超える盆栽園が存在していたらしい。

関東大震災において、東京で被災した盆栽業者が移住したのが、盆栽村の始まり。

1925年のこと。もうすぐ100年だ。

開村当時の盆栽村に住む者の規約というのがあって、それは、

一、盆栽を10鉢以上持つこと、

ニ、門戸を開放すること、

三、二階建ては建てないこと

四、垣は生け垣とすること

の4つ。この規約は、盆栽村の落ち着いた景観に生きているという。

 

社会人になりたてのころ、先輩の助言を聞いていたなら、今ごろ大宮盆栽村に住んでいたかもしれない。