5242声 青春だ、は必要か

2022年09月15日

幾度か、映画撮影の終わりの瞬間に立ち会ってきた。昨日も、撮影は2日きりであったがドラマの撮影の終わりにいちスタッフとして立ち会った。どんなに大変な撮影であっても、いや、大変であれば大変であるほど、終わった時の高揚感は高い。それは1人1人の自主的な働きと連携が必要とされる撮影ならではの一体感とも言えるのだろう。

 

その高揚感が何かに似ているなと思ったら、それは「青春」だった。僕が20代の頃にそんな映画の現場を体験していたからかもしれないが、幾つになっても映画撮影の終わりには青春ぽい何かを感じる。基本、撮影ごとに集まるキャストやスタッフなので、高揚感だけではなく別れの寂しさもあるのかもしれないが、そのあたりも実に青春ぽい。

 

が、その一方でもはやそんな共有感の中にはいられない自分もいる。

 

映画をやっている人に言ったら怒られるかもしれないが、案外実際に行ったこと、完成した作品の出来、よりもそのようなスタッフワークによる充実が良くて映画の現場にいつづける人はいるのではないかと思う。それが悪いとも思わないし、仮に僕が映画学校を出て映画の現場にいる生活をしていたら、旅のように出会って仕事をして別れを続ける暮らしに居心地の良さを感じ、その仕事をつづけたかもしれない。

 

撮影の現場には幾つになっても参加できる青春がある。それは映画に限らず、例えば映画祭や芸術祭にスタッフとして参加し本番を終えた直後などにも同様の共有感がある。やはり、幾つになってもある程度は青春が必要だと思う。