お昼に、悠貴さんが線香を上げに寄ってくれた。お寺や友引の関係で葬儀は明日となる。おかげでいくらか長い間、亡き姿の姉は実家にいることができている。たまに、棺桶を空けて顔を見る。病院で色々があった時は涙も出たし、いろいろな事を考えたが、今は静かな気持ちでいる。諸々を考え終えた・・というよりは、こんなに直面しつつも未だ実感が持てないのかもしれない。親父が亡くなった時も、実感を持つまでに数か月かかった気がする。そんな自分を否定もせず、そういうものかと淡々と過ごしている。
北軽から来てくれた彼女のために、酒徒著「あたらしい家中華」を読んで、客家式・蒸し豚と白菜の黒酢炒めを作った。急遽こしらえている別室のこたつに母と3人、飯を食べた。我ながら上手に作れた。食べ物の話や猫の話などをしながらばくばくと平らげて、親戚からもらった長ネギを悠貴さんの軽トラに乗せ、彼女は帰って行った。
先月は家族に限らず色々なことがあり、過去例にないくらい辛い1か月だった。渦中考えたことは「本当に大事なことは何か」ということだ。そしてその一番に「大事な人との生活」が浮かんだ。何を当たり前のことを、と思う人もいるかもしれないが、当たり前だと思って常に蔑ろにしてきたことだった。いつまで続くかはわからないが、なにげない生活を大切に暮らしていきたいと思っている。