5660声 収まること

2023年12月06日

友引の関係などで、亡くなった後、次姉は6日間を家で過ごした。お別れを惜しむ時間が長くあることは良い事だったように思う。

葬儀の一連を通して、清見寺の長田住職が、亡くなった方が成仏するためのあれこれを教えてくれた。なむあみだぶつの南無は「仏様に帰依します」という意味だと言う。僕と同じで全く信心がなかったように思う姉も、その決まりに従って旅に出たのだろうか。

拾骨の時間となり、2人1組で骨を拾う。係の人が手際よく、骨壺の中にすべての骨を収めていく。毎回、すごいものを見せるなと思うのは、そのままでは入りきらない骨をすりこぎのようなものでゴリゴリ潰す工程だ。それを経て、小さな骨壺の中に収まっていく。

ふと、亡くなることとは、それぞれの信仰の中に、骨壺の中に、きれいに収まっていくことなのかな、と思った。そしてその事に対して、自分の中に小さな怒りのようなものがあるのを感じた。人間がそう簡単に収まってたまるか、というような。

暖かい日だった。信心はないが、これは姉がそうしてくれたのかな、と思った。