ツイッター。
なるものをやり始めてから、丁度二ヵ月くらい経つ。
ツイッターを始めるのは、ごく簡単で、アカウントを取ってつぶやけば、よい。
入口としては、ブログなどより、単純明快である。
そのアカウントは、この「めっかった群馬」として取ってある。
即ち、つぶやいている人間は、二人。
堀澤の時は(ほ)、抜井の時は(ぬ)、と言う事で、やっている。
見ている方が楽しい。
と感じている様では、まだまだ、
ツイッターを使いこなせていないのだろうが、
自分がつぶやくよりも、他人のつぶやきを見ている方が楽しい。
楽しいし、楽しくない場合も、ある。
こと、震災下からの、この二ヵ月。
様々な情報が、ツイッター上に錯綜していた。
まさに、つぶやきの坩堝である。
いや、坩堝ならば、溶けて混ざららなくてはならないが、
つぶやきひとつひとつが、溶け、混ざりあう事はないので、
正確には坩堝と言えない。
しかし、ひとつのつぶやきが、溶け、混ざり合う事もしばしばある。
どっかの誰かが、「月が出ている」とつぶやいた。
それを見て、別の場所にいる誰かが、「月が赤い」とつぶやいた。
赤い、とつぶやいた人は、おそらく、外に出て、または既にいる状態で、
ツイッター画面でつぶやきを発見し、夜空を見上げたのであろう。
そして、あの、熟れた様な夏の月を見て、感じた事を、つぶやいた。
その後も、ツイッター上では、「月」に関するつぶやきが、
連鎖するように多数あった。
そこが、ネオンきらめく都会なのか、街灯もないような田舎、
なのかは分からないが、皆、夜空を見上げていた事は確か、である。
かく言う私も、そのツイートを見て、カーテンを開けて、窓を覗きこんだ。
そこには、確かに、少し赤みを帯びた、夏の月。
思わず、一句ひねって、句帳に書き留めた。
坩堝の中で、溶けて混ざり合わぬつぶやきは、
人を不安にさせたり、陥れたり、中傷したりするものも、ある。
そう言うのは見ていて、嫌。
しかし、それも含め、この坩堝の中を、もう少し見ていたい。
と言う心持で、いる。
俳句をひねったり、何か、着想を得るきっかけとなる事もある。
感心したり、感動したり、することも、ある
月が出ている事をつぶやく。
なんてさ、ちょっと、良いじゃないか。
【天候】
終日、快晴。
晴れて、蒸し暑し。