1297声 羅針盤

2011年07月20日

「最近さぁ、句が変わったよね」
斜向かいに座っているYさんから、そう言われた。
差し込む夕日が話声と飽和している、ファミリーレストラン店内。
句会の後に、時間の空いている数人で出掛け、既に小一時間は腰を置いている。
私は曖昧に頷きながら、この前の俳句ingの際に、ほのじ氏から言われた、
「わるのり俳句が詠めない体になってるね」と言う旨を、思い返していた。

Yさんは、俳句の仲間である。
特に親しくはない。
随分と年齢が違うし、俳句の大先輩なので、親しく、と言うのは難しい。
以前、初めて参加した句会で、Yさんを紹介して頂いた。
その時から、姉御肌なYさんは、私に会う毎に、
「がんばりなよ」と、口癖の様に言ってくれる。

「ストイック」
その言葉がまず思い浮かぶ。
いつも、Yさんは吟行へ来る際には、肩から小さな折り畳み椅子をかついでいる。
そして、気に言った場所を見つけると、その椅子に座り、
何分でも、時に何時間でも目の前の景を眺めている。
先日も、公園の池の畔に椅子を出し、木陰から水面をじっと見つめていた。
句会場で、写生の利いた佳句が詠みあげられ、Yさんが名乗ると、
私はいつも、あの椅子の、ストイックな背中が甦る。

「変わった」
と言うのは、幾らか「見れる」様になってきたからだと、
自分ではそう解釈している。
翻せば、今までは「見れていなかった」と言う事になる。
それは、自らの過去の作品を見れば、一目瞭然である。
対象に対して、如何に曖昧な観察眼を向けていたかが、分かる。
しっかりと写生などせず、拵えた空想の世界に目を向けていた。
それがまた、私の空想世界とは、何と面白味の無い世界であるか。

「Yさんはしっかりと見ようとしている」
そう思う様になったのは、何度目かの句会から。
「実景を素直に写生する」
もし、芝生にヨットが走っていたり、雲の中から天使が出て来ても、
その景を素直に写生すればよい。
蛙の声が、笑い声に聞こえるのか泣き声に聞こえるのか、
はたまた、自分を罵る声に聞こえるのか。
感じるままに、写生すればよい。
まずは、見ること。
そして、感じるとこと。

句作の際にに顔を出すのが、自らの「わるのり」な心。
わるのりから滑稽に転化できれば良いのだが、大抵、失敗に終わる。
しかし、そう言う面白味も必要だろうと、強く感じているし、
実際、そう言う句が好きである。
俳句の作り方など、百人百通りであろう。
百人百通りであるが、そこには良し悪しがある。
まだまだ、あの落ち着きの無い雲の様に、自分の句は変わって行くだろう。
私の中の羅針盤が、良し、の方向をさしているかどうか、不安であるが、進む。

【天候】
台風6号の影響で、終日、大荒れ。
雨、断続的に降り続き、暑さ和らぐ。