「最近さぁ、句が変わったよね」
斜向かいに座っているYさんから、そう言われた。
差し込む夕日が話声と飽和している、ファミリーレストラン店内。
句会の後に、時間の空いている数人で出掛け、既に小一時間は腰を置いている。
私は曖昧に頷きながら、この前の俳句ingの際に、ほのじ氏から言われた、
「わるのり俳句が詠めない体になってるね」と言う旨を、思い返していた。
Yさんは、俳句の仲間である。
特に親しくはない。
随分と年齢が違うし、俳句の大先輩なので、親しく、と言うのは難しい。
以前、初めて参加した句会で、Yさんを紹介して頂いた。
その時から、姉御肌なYさんは、私に会う毎に、
「がんばりなよ」と、口癖の様に言ってくれる。
「ストイック」
その言葉がまず思い浮かぶ。
いつも、Yさんは吟行へ来る際には、肩から小さな折り畳み椅子をかついでいる。
そして、気に言った場所を見つけると、その椅子に座り、
何分でも、時に何時間でも目の前の景を眺めている。
先日も、公園の池の畔に椅子を出し、木陰から水面をじっと見つめていた。
句会場で、写生の利いた佳句が詠みあげられ、Yさんが名乗ると、
私はいつも、あの椅子の、ストイックな背中が甦る。
「変わった」
と言うのは、幾らか「見れる」様になってきたからだと、
自分ではそう解釈している。
翻せば、今までは「見れていなかった」と言う事になる。
それは、自らの過去の作品を見れば、一目瞭然である。
対象に対して、如何に曖昧な観察眼を向けていたかが、分かる。
しっかりと写生などせず、拵えた空想の世界に目を向けていた。
それがまた、私の空想世界とは、何と面白味の無い世界であるか。
「Yさんはしっかりと見ようとしている」
そう思う様になったのは、何度目かの句会から。
「実景を素直に写生する」
もし、芝生にヨットが走っていたり、雲の中から天使が出て来ても、
その景を素直に写生すればよい。
蛙の声が、笑い声に聞こえるのか泣き声に聞こえるのか、
はたまた、自分を罵る声に聞こえるのか。
感じるままに、写生すればよい。
まずは、見ること。
そして、感じるとこと。
句作の際にに顔を出すのが、自らの「わるのり」な心。
わるのりから滑稽に転化できれば良いのだが、大抵、失敗に終わる。
しかし、そう言う面白味も必要だろうと、強く感じているし、
実際、そう言う句が好きである。
俳句の作り方など、百人百通りであろう。
百人百通りであるが、そこには良し悪しがある。
まだまだ、あの落ち着きの無い雲の様に、自分の句は変わって行くだろう。
私の中の羅針盤が、良し、の方向をさしているかどうか、不安であるが、進む。
【天候】
台風6号の影響で、終日、大荒れ。
雨、断続的に降り続き、暑さ和らぐ。