占い。
と言うものが、社会生活を送る上で、意外と重要な位置を占めている。
そう感じたのは、社会人になってからである。
社会人。
と言うのは、概ね、労働時間帯が決まっている。
一日、24時間の中、20時間働いている人もなかろうと思う。
勤め人なら、出勤は朝。
と言う人が多かろう。
テレビ番組で各局が、朝刊紙面解説と天気予報の他に、
こぞって組んでくるのが占い、である。
血液型の局もあれば、星座占いの局もある。
テレビを付けていると、否が応でも、何らかの占いを見なければならない。
朝、テレビを見ない人でも、ラジオがある。
通勤途中の車の中で、あるいは、職場で、ラジオが流れている環境も多かろう。
ラジオ各局でも、朝の番組での占いは必須のようで、チャンネルを合わせると、
「今日の運勢は」
なんて事も、しばしば。
この占いが、どうしても、嫌いなのである。
極力、それが目に入らないように、毎日生活している。
テレビだったら、番組進行が占いになった途端に、チャンネルを一時換える。
ラジオでも然り。
とにかく、自分の今日の運勢なるものを、何ものにも決定づけて欲しくない。
嫌いな理由は明白で、当たらないから。
油断して、今朝は偶然、テレビ番組とラジオの占いを、聞いてしまった。
その結果は、私の星座であるおひつじ座は、今日の最高の運勢らしかった。
解説を聞けば、概ね、非の打ちどころが無く、特に恋愛運が良いらしい。
聞いてしまったからには、捨て置く事も出来ず、喉に骨がつかえているような心持で、
一日を過した。
過して見て、やはり、当たっていない。
どころか、今日ほど運勢のつき、が無い日もなかろうと言うくらい、おぼろげな一日だった。
朝から、体調は悪いは、忘れ物はするは。
用事を忘れるは、慌てて車は擦るはで、良い事なんか皆無である。
予定の句会には遅刻し、投句までの時間が無くなってしまい、
取り乱しつつ、曖昧模糊とした句を出す羽目になった。
蝉など鳴いていないのに、蝉時雨の句を出したって、句会で誰も採る訳きゃない。
句帳の端から引っ張り出した、以前作り溜めてあった句に、推敲を加えて出したものが、
幾つか、特選に入ったようだった。
しかし、それでは一向に句業の鍛錬にならない。
もう、ぼろぼろになって帰宅し、いま、自棄酒をやっている。
それにしても、腑に落ちないのが、特に最高得点の恋愛運、である。
我が人生の恋愛事情について、今日の出来事が何の作用をもたらすのか。
まさか、句会で句を採ってもらった、女性陣の方々と何か、であろうか。
とすると、あの方が私の母くらいで、あの方が私の母より少し上で。
だから、占いはヤダ。
【天候】
朝より、曇りがちなる晴れ。
蒸し暑く、夜半になってから、通り雨。