1304声 占い嫌い

2011年07月27日

占い。
と言うものが、社会生活を送る上で、意外と重要な位置を占めている。
そう感じたのは、社会人になってからである。

社会人。
と言うのは、概ね、労働時間帯が決まっている。
一日、24時間の中、20時間働いている人もなかろうと思う。
勤め人なら、出勤は朝。
と言う人が多かろう。
テレビ番組で各局が、朝刊紙面解説と天気予報の他に、
こぞって組んでくるのが占い、である。
血液型の局もあれば、星座占いの局もある。
テレビを付けていると、否が応でも、何らかの占いを見なければならない。

朝、テレビを見ない人でも、ラジオがある。
通勤途中の車の中で、あるいは、職場で、ラジオが流れている環境も多かろう。
ラジオ各局でも、朝の番組での占いは必須のようで、チャンネルを合わせると、
「今日の運勢は」
なんて事も、しばしば。

この占いが、どうしても、嫌いなのである。
極力、それが目に入らないように、毎日生活している。
テレビだったら、番組進行が占いになった途端に、チャンネルを一時換える。
ラジオでも然り。
とにかく、自分の今日の運勢なるものを、何ものにも決定づけて欲しくない。
嫌いな理由は明白で、当たらないから。

油断して、今朝は偶然、テレビ番組とラジオの占いを、聞いてしまった。
その結果は、私の星座であるおひつじ座は、今日の最高の運勢らしかった。
解説を聞けば、概ね、非の打ちどころが無く、特に恋愛運が良いらしい。
聞いてしまったからには、捨て置く事も出来ず、喉に骨がつかえているような心持で、
一日を過した。
過して見て、やはり、当たっていない。
どころか、今日ほど運勢のつき、が無い日もなかろうと言うくらい、おぼろげな一日だった。

朝から、体調は悪いは、忘れ物はするは。
用事を忘れるは、慌てて車は擦るはで、良い事なんか皆無である。
予定の句会には遅刻し、投句までの時間が無くなってしまい、
取り乱しつつ、曖昧模糊とした句を出す羽目になった。
蝉など鳴いていないのに、蝉時雨の句を出したって、句会で誰も採る訳きゃない。
句帳の端から引っ張り出した、以前作り溜めてあった句に、推敲を加えて出したものが、
幾つか、特選に入ったようだった。
しかし、それでは一向に句業の鍛錬にならない。

もう、ぼろぼろになって帰宅し、いま、自棄酒をやっている。
それにしても、腑に落ちないのが、特に最高得点の恋愛運、である。
我が人生の恋愛事情について、今日の出来事が何の作用をもたらすのか。
まさか、句会で句を採ってもらった、女性陣の方々と何か、であろうか。
とすると、あの方が私の母くらいで、あの方が私の母より少し上で。
だから、占いはヤダ。

【天候】
朝より、曇りがちなる晴れ。
蒸し暑く、夜半になってから、通り雨。