9月も、もう半ばだと言うのに、日中から寝る寸前まで、
まだ冷房の厄介になっている。
「冷房がなきゃ暮らせねぇなんてのは、駄目なんだよ」
私の俳句の先生が、良く言っていた。
子持山の麓にある先生の自宅は、なるほど、冷房など無く扇風機で夏を過ごしている。
ひと夏を冷房と共に過ごしてきた私は、暑さをやり過ごす工夫も忘れて、
残暑になっても、安直に冷房のリモコンに手を伸ばしている。
その差が、句風に表れるのは当然かも知れぬ。
少しくらい暑くても、窓を開け、吹き来る秋の夜風と虫の音で、涼を感じることにしよう。
そうすれば、いくらかでも、マシな俳句が詠めるかもしれない。
先日、電話があった。
桐生で懇意させて頂いている、銭湯の親父さんから、である。
先日発刊した「群馬伝統銭湯地図」を、桐生地域の関係諸団体に配布して下さる。
と言う旨だったので、翌日には、数百部郵送しておいた。
各銭湯全てに配布はさせて頂いたが、設置場所や配布地域などは、
まだことごとく手薄である。
とても計画性の無い事業だが、計画を綿密に練っていたら、おそらく発刊していないだろう。
それでも、銭湯で手にした人が、別の地域の銭湯へ足を運ぶきっかけとなれば、
と言う、当初から考えていた本筋は、今のところ曲がっていない。
「我慢して入ってみろ、騙されたと思って」
その言葉をかけてくれたのは、見知らぬおやっさんである。
街の銭湯に行き始めた頃の私は、あの熱い湯に、どうしても涼しい顔して浸かれなかった。
「熱い熱い」と、苦悶表情を浮かべ、湯船の中で握り拳を作って中腰になるのが精一杯。
蛇口まで逃げて行き、水で埋めて、部分的に温度の低くなった湯に浸かっていた。
そんな折にこの言葉を受け、清水の舞台から、と言うほどでもないが、「えいっ」と、
やけっぱちになって肩まで浸かってみた。
案の定、ものの数十秒でギブアップ、逃げるように浴室から出て、体を拭いた。
すると、どうであろう。
風も心地好く、汗も直ぐに引いて、肌触りもよろしい。
温い湯に長時間浸かるよりも、熱い湯に短時間浸かったほうが、爽快な場合がある。
特に夏場は、と言う事を身を持って体感できた。
これもまた、暑い時期を涼しく過ごす、工夫である。
今日の様な残暑の夜は、銭湯の熱い湯に、サッと入って出たら、さぞや爽快だろうと思う。
その方が、蒸し暑い様な私の句風も、いくらか爽快になるやも知れぬ。
【天候】
終日、秋晴れ。
残暑厳しい日が続く。