1402声 俳句あるある

2011年11月02日

「俳句の世界で」
などと、俳句初学の私が言うのも筋違いな気がするが、
私の見る俳句の世界で、60歳くらいまでは若い部類に入ると思う。
子育てに手の掛からなくなった、40代のお母さん。
定年を迎え、ぼちぼちセミリタイヤしようかと言う60代のお父さん。
そう言う世代の人が、俳句人口の中の大半を占めているのだろう。

それとは別に、何の因果か、青春時代を俳句に費やしている人たちがいる。
娯楽や趣味を選ぶには、この時代では苦労しない筈、なのに、である。
そう言う、俳句少女や俳句青年が、頭に白い物が混じる齢になると、
「先生」なんて呼ばれていたりする。
そうなった時に、その人が「何の為に」俳句を作って来たかが、問われると思う。
何の為にもでもなくただ愉しくて作って来た人もあろうし、
何かを実現する為に、俳句を作って来た人もいる。
その良し悪しは単純には分からないが、好き嫌いは直感的に分かる。

先日、自分よりも大分若い俳人の方と、歓談する機会があった。
「あるある」
と、思わず共感してしまった話が、「句集」の話。
古本屋で、目当ての俳人の句集を買って来て、頁を開いた瞬間に良くある事態。
それが、「書き込み」である。
つまり、句が印刷されている頁に、ペンで鑑賞が書いてあったり、中には◎や〇を付けて、
御丁寧に「選」がなされている場合がある。
そう言う事態に遭遇しても、一応、読み進め、「この人の鑑賞は自分と合わないな」とか、
「なんでこんなつまらない句に◎をつけたのだろうか」などと、
その書き込み自体をも、楽しんでしまう。
そしていつしか、「この句に◎をつけるとは、なかなかやるな」と、
書き込み主に好感を覚えてしまったりする。
自分よりも若い世代の俳人と、少しでも話が合った事で、その時、妙な安堵感を覚えた。

【天候】
終日、冬が戻ってしまったかのような、秋晴れで暖かな一日。