1423声 土の中の無名

2011年11月24日

「天明の浅間山噴火」
と言えば、群馬県で義務教育を受けた人ならば、知っている人も多い。
天明三(1783)年、浅間山が大噴火し、火砕流などの火山災害によって、
多くの人が命を落とした史実。
群馬学リサーチフェローの中には、この事を研究している方が居り、
先日、その中間報告を聞く機会があった。
その中で、当時の資料として、地中に埋まっていた石垣の写真があった。
場所は、現在の長野原町役場付近。
道路工事の為に掘り返していたら、地中から、石塔やら石垣やらが出て来た。
直ぐリサーチフェローの方に連絡が入り、現地へ行って調べて見ると、
どうやら、天明の噴火で流れて来た火砕流で埋まったしまったものらしい。
その写真をみるに、地中にある石垣などは、およそ二百年以上も火砕流に飲まれ、
地中に埋まっていたにも関わらず、堅牢な姿を留めていた。

国内の旧所名跡に現存している、城壁や石垣など、時代を経てもびくともしない。
その堅牢な造りがほぼ、無名の石工たちの仕事である事が、すごい。
この長野原の地中から出て来た石垣を築いたのも、おそらくそうであろう。
「秀作」と「名前」
と言うものを、もう一度、天秤にかけてみよう。
写真の中の、あの泥だらけになりながらも、しっかりと、
そして二百年以上も地中に建っていた、あの石垣を見て、ふとそう感じた。

【天候】
終日、穏やかな冬晴れ。