1581声 本がない

2012年05月01日

酔っぱらって、大抵、物をなくす。
翌朝起きて気付く場合もあるし、大部時間を経てから、「そう言えば」と言う場合もある。
つい先ごろ、桜の咲いていた時分などは、ほぼ毎週、花見句会に出掛けていた。
酒が入っての句会なので、まず、物が良く無くなること。
ペンの一二本ならば悔恨の念も抑えられるのだが、
俳句帖や俳句ノートを酒場に置いて来てしまった時には、二三日悔んでいた。

そして先日、東京へ句会に出掛けた際、行きの電車で読む為、
自分には珍しく駅の書店で新刊の文庫本を一冊買った。
奮発してグリーン席へ座り、「さて」、と言うところで、
いささかこの日の句会に出す句が不安になってきて、句帖を見返した。
句をボツにしたり、推敲を加えたりしている間に上野駅へ到着し、
結局、買った本は読まずじまいになってしまった。
しかし、これで帰りの車内の楽しみが残ったと、意気揚々として山手線へ乗り換えた。

はしご酒が祟ってこの日には帰れず、翌日、ぐったりとして高崎行きの列車へ乗っていた。
疲労感の中にも、私にはまだ楽しみがひとつ温存されているのだと言う、安心感めいたものがあった。
列車が発車して、缶コーヒーを開けて、さて、とバッグの中から本を取り出す。
取り出す、はずがない、のである。
どこをどうひっくり返しても、あの新刊で買った文庫本がない。
朧な記憶を引っ張り出すと、どうやら昨夜のあの得体の知れぬカプセルホテルでなくしたらしい。
寝る前に本を読む習慣があるので、まず、間違いないだろう。
悔しさを噛み殺して、不貞寝を決め込んだ。
翌朝起きて、憂さを晴らすべく浅草の寄席を観てから、帰路に就いた。
終点の高崎駅へ着く頃には、一口しか口をつけていない缶コーヒーが、すっかり冷めていた。

【天候】
曇りのち雨