120声 四角な見方が死角だった視覚的文章構成 後編

2008年04月29日

昨日の続き。

しかし時を経て、「まず視覚」と考える様になった。
それはWebに限らず雑誌などでも、ページを開いた瞬間、「読みづらい」と感じたら内容までは読み進めない。
かくいう私がそうだ。
いくら内容的に読みやすくても、視覚的に読みづらかったら元も子もない。

そして、整然と配列された文章には、そこはかとない雰囲気がある。
そう感じたのは、CDを買って歌詞カードを開いた時。
一曲ごとに、段落で分けられ綺麗に配列された歌詞。
その歌詞の内容はもとより、行間から漂う雰囲気が好きなのである。
私の知識が足りなくてうまい事説明出来ないが、「詩」の視覚的な技法に近い。

ただでさえ文字が読みづらいPCモニターである。
視覚的な読み易さを意思する事は必須。

そんな事は何も意識せず、自分の文章を「読ませよう」としていた青二才。
根本的センスが無いので、未だに「読みづらい」文章を載せている青二才。
毎日休まず書いてるけど、誰か「読んでんのかなぁ」と疑心暗鬼な青二才。
青二才のクセに偉そうな、この内容に言われる文句「いい加減にしなさい」