132声 不感症だよアーバンシティは 後編

2008年05月11日

続きがはじまる

例えば、若者に人気の古着。
古着屋の軒先で見かける「全品980円」なんて書いてあるラック。
その中には、着古されてヨレヨレになったTシャツなんかが大量に入っている。
「古着感覚」の無い人から見れば、「ただの汚い中古衣類を何でお金出して買うの」だろう。
しかし「古着感覚」のある人から言わせれば、「モノによっては宝の山」。
後者は、古着に価値を見出しているのである。
「この年代のナイキのTシャツはたまらない」とか、「この首の所のくたびれ加減が絶妙」など。

もっと言うと、「ヴィンテージ」と呼ばれる世界ではそれが顕著である。
「ヴィンテージジーンズ」なんて、6,70年前に製造されたボロきれみたいなリーバイスが、
一本なんと6,70万円で売買されるのだ。
まぁこの場合、「古着感覚」もさる事ながら「金銭感覚」寄りの問題になってくる。

この様に、都市計画における中古民家も、
「中民感覚」(中古民家に価値を見出す感覚ですね)のある人とない人では大きな溝が生じる。
それがゴミに見えるか宝に見えるか、都市にとって必要で残すべきか不必要で壊すべきか。
生かすも殺すも「中民感覚」しだいである。

文化財指定のやんごとなき建物だけが保護されて、庶民の文化は次々に雲散霧消。
そこに垣間見える「大人の事情」。
そんな事情もあるのは分かるが、もっと都市に在る息吹を感じるべきである。
ビルディングの上にいる人達が。
っな事を、日頃「感覚がヘンだよね」と言われている私が言ってるしだいでございます。