中之条町でなぜ「中之条ビエンナーレ」のような芸術祭が続いているか?という問いに対して、僕はたまに持論として「四万温泉があったから」という話も持ち出すことがある。一見無関係のようにも思えるが、簡単に(乱暴に)言うと、昭和かそれ以前から四万という温泉地をもっていた中之条町には「外から町にやってきた人を労う気持ち」が潜在的にあるのではないか、という思いがある。それが、町外からやってきたアーティストや、ビエンナーレ目当てで来る観光客に対しての人当たりに関係しているのではないか・・
はともかく、僕の母親は昔、祖母と共に四万温泉の積善館に努めていて、亡き父は渋川から四万へ魚を運ぶ魚屋であったから、四万温泉がなければ僕も生まれておらず、四万温泉は幼い頃から不思議な愛着を感じている場所でもある。
その四万温泉も、近年大きく変わりつつある。昭和の面影残す落合通りの商店はずいぶん前から閉店も目立つが、館林から四万へきたイタリアン「ランゴリーノ」や東吾妻町から出店した「ジュピターズバーガー」、柏屋カフェの2号店的なピザの店「シマテラス」など新しい店がいくつかオープンし、コロナ過をきっかけにリニューアルした店や宿もある。こと、積善館も薬膳粥に続き日帰りで釜揚げうどんが食べられる店舗を館内にオープンさせ、映画『千と千尋の神隠し』のモチーフの1つになったという赤い橋は連日写真を撮る観光客で賑わっている。
ただし、母が務めていた少し後くらいまで続いていた関家(社長は代々、関善平と名乗っていた)の経営は終わり、現在は新たな経営会社が積善館の経営を行っている。コロナ過の影響以前に「団体旅行での宴会」というスタイルがなくなっていった近年において(今はカップル旅、一人旅を想定したプランを立てる宿が多い)、宿の経営は難しさの局面に立たされているのだろう。
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父が昔、四万温泉について話していたことの中で、こんな話がやけに記憶に残っている。それは、そんな時代があったのかという驚きというよりは、直接的な金の話ではなく、人情や精神的な豊かさも感じる話だからかもしれない。こんな時代は、もう来ないだろう。
「昔はな、名だたる旅館の女将がバスに乗ってくると、乗車している地元の従業員に気前よくチップを配って回るんだ。どこの旅館てのは関係なくな。」