543声 街中における情状酌量の余地

2009年06月26日

「兄ちゃん、こっち来て、うめて入りな」
70年配、人の良さ様なカマキリみたいに痩せた御爺さんに、声を掛けられた。
私が、湯船で中腰のまま、苦悶の表情を浮かべていたから、気を使ってくれたのだ。
「ありがとうございます」
私は、御爺さんと場所を換えてもらい、蛇口から水を出して湯をうめながら、体を沈める。
浴室には、カマキリ爺さんと私の二人だけ、一緒の湯船で壁に背を向け、
ジェット噴射に当たっている。

「余所者」に対し、親切に接する心は、素晴らしい。
銭湯の湯客には、対人関係に情状酌量の余地を残している人たちがいる。
灯りの消えた桐生本町通りを下りつつ、そんな事を思い巡らす。
往来沿い、一軒の古民家風の建物に薄明りを見た。
中には、和服の女性が3名。
その光景は、私の脳裏にある空想の桐生と、近い様な気がした。
車は一路、煌びやかな街へと走る。
情状酌量の余地が残っていない街は、あるいは、残っていなそうな街は、空しい。