574声 夏の句読点

2009年07月27日

今週末、高崎市では第35回目の「高崎まつり」が開催される。
その為か、何だか、街中で感じるのは、見え隠れする、浮足立つ様な気配。
目抜き通りで揺れる、祭提灯の演出も、多分に影響している。
高崎まつりの見所は、何と言っても、山車と花火だと思う。
高崎市は、山車の保有台数が日本一である。
白状すると、私、高崎市在住のくせに、この情報は今日知った。
知って、驚いた。
古くから高崎市街地に住んでいる方から聞いたのだが、
昭和中期、祭りの華やかなりし時代、祭りの日には、
現在の倍以上も、各地域の山車が出揃った。
山車の絢爛具合が、各地域の自慢だったらしい。
今年の祭りでは、総勢19台出ると言う、この数年で激減した様である。
確かに、祭りで見る山車はどれも絢爛な装飾が施されており、
一見、夜を疾走するデコトラの如き、煌びやかな迫力がある。
そして、花火。
毎年、烏川和田橋上流河川敷で行われる、大花火大会。
今年は、約15,000発を打ち上げ、その規模は北関東最大級だと言う。
私は、花火の日は、尋常で無い交通渋滞と言う印象がある。
渋滞と人波、児の泣き叫ぶ声と散乱するファーストフードのゴミ。
市街あるいは郊外の、建物の上から、左団扇右扇風機で眺めるのが、
祭りの「通」かも知れない。
今年は県内でも、世情が地域の祭りに影響している様で、
東毛地域では花火大会の取り止めが、相次いでいる。
過去と未来、現実と非現実、社会と文化、夏と秋。
祭りは、地域に生きる人々の生活の流れに、一つの句読点を打つ行事。
つまりは、それを境にして、新しい文脈が始まる。
街に新鮮な活力を生む筈の祭りが、世情の為に衰退して行くのは、寂しく感じる。