3656声 一枚硝子

2017年11月15日

映像の面白さとは何だろうか。

実体験に基づき、変な角度から少し書いてみる。

 

主観と客観がどんなものか、実はよくわからないけど、物事を客観的に見ている方だと思う。心の底からどっぷり楽しんだり悲しんだりは苦手で、ここであの人はこう動いたから僕はこう動けばああなる、ということを無意識のうちに意識している事が多い。

 

これはどうやら、小学校低学年くらいからそうなったということに一昨年くらいに気付いた。ぼくんちは田舎町のよくある家庭だと思っていたけれど(いるけれど)真ん中の姉が不登校になり親と言い合いする機会がよくあった。長女が数年前に「あの頃わたしは構ってもらえなかった。嫌だった」と親に向かって話していて、なるほど長女は嫌なことを嫌とはっきり言う性格に育っている。では僕はその頃何をしていたのか、言い合いをする両親や姉二人をするりと抜けて、争いに加わらず一人外でぼんやり妄想していた気がする。

 

いかにすれば争いにならないか。その間違った対処法として、先に自分が謝ったり、場の空気を読む、いわゆる良い人、つまらない人になってしまったのだと思う。

 

そんな自分がひょんなことから映画学校へ行き、妄想する物語が陳腐で、ドキュメンタリーに興味を持つ様になったのは自然なことだったのかもしれない。人間を描くんだ、と意気込む人々の中にいると、それまでの曖昧な自分があたかも人間的になれるような気がしていた。

 

今でも思い出すのは、はじめて全力で取り組んだ卒業制作。宮崎県綾町で自然農を実践しているいわゆる人間味溢れた同世代の若者たちを滞在取材していて、場の空気を読むだけの僕は最初こそいい印象で撮影をしていたがすぐに行き詰まった。ありきたりの質問ばかりの僕に対して「私の何をとりたいの?」とすごんだみどりちゃんの雰囲気は今もなんとなく覚えている。

 

それでも渦の中にしばらく身を置けば一皮二皮はむけるもので、滞在終盤では「僕は撮りたいから撮る。それだけです」と開き直り、それは一部の対象には受け入れられうようになっていた。そして撮影スタッフや滞在する若者で囲むテーブルの上で、23歳の僕はとつとつとこう話していた。

 

「僕は今まで目の前にずっと硝子が一枚あるようなかたちで、目の前にいる人の輪郭がわからなかった。でもこの場所に来て、ここにいるみんなの輪郭がはっきりわかる気がする」

 

話しながら泣いていた。数ヶ月に渡り滞在撮影したくせに、完成した映像作品は散々たる出来だったけれど、僕にとってその数ヶ月間は必要なものだったのだと思う。