3892声 全身映画監督

2018年07月11日

日本映画学校(現在は大学)では、1年次に脚本撮影録音ドキュメンタリー・・諸々を体験し、2・3学年で専攻を選択し学ぶ。僕はドキュメンタリーゼミを選んだ。3年の担任は、原一男監督だった。

 

当時の僕は、公開当時事件的に扱われた『ゆきゆきて、神軍』も一度見て「なんかよくわからない」と思った程度。そもそも戦争も知らず、「貴様は戦地で若い兵士の肉を食っただろう」と元上官を攻め立てる奥崎謙三氏は、違和感でしかなかった。原さんは、すでにある程度の年齢であったが一言で言えばエネルギッシュ。「ドキュメンタリーは、劇映画の数倍の要素を入れ込まないといけない」と、独自のドキュメンタリー論を展開した。

 

その年の夏、ドキュメンタリー合宿を行った。行き先は確か長崎。原さんの知人が経営する老人ホームに僕らが学生が滞在し、そこで生活する老人たちのショートドキュメンタリーを製作した。僕は、序盤の企画書提出だけで苦戦した。原さんからOKをもらえないと寝れない。午前0時は過ぎたと思う。その合宿で僕は、「人にカメラを向けることの難しさ」をより実感した。濃密な時間だった。

 

忘れられないのは、合宿の工程が終わった後、長崎へ来たのだからとゼミのみんなでちゃんぽんを食べて、温泉に入った。そこで、丸裸で、背中をまるめて体を洗う原監督は、どうみても年相応の疲れたおじさんだった。それであっても彼は、自分を奮いたたせ、「ドキュメンタリー監督は天国へは行けない」と公言し、あの合宿から15年近くが過ぎた今こうして撮影期間8年を費やして『ニッポン国vs泉南石綿村』を完成させた。

 

原一男、は全身映画監督である。僕の中に3%でもいいから、原イズムが残っていることを願う。