942声 上州人の幕末

2010年07月30日

最近、NHK大河ドラマ「龍馬伝」が人気を博している為か、
やたらと、龍馬関連の文献が世に出て来る。
先日も、龍馬が海援隊を率いて乗船していた蒸気船「いろは丸」の絵図の発見を、
長崎市歴史民俗資料館が発表した。
蒸気船「いろは丸」と言えば、その沈没事件が有名。
慶応三年に瀬戸内海で、紀州藩船の明光丸と衝突して、沈没。
その後、龍馬の周旋によって、土佐藩の後藤象二郎の交渉による結果、
土佐藩側は紀州藩から多額の賠償金を獲得した。
と言う、日本初の「蒸気船による衝突事故」を作った船なのである。
そして今朝も、朝刊をめくっていたら、また「龍馬」の文字を発見。
安政三年の頃。
と言えば龍馬は未だ脱藩前で、武市半平太たちと共に、江戸に居た頃。
土佐の商家宛の書簡が、京都市内の個人宅で発見されたと、今度は、
京都国立博物館と高知県立坂本龍馬記念館が発表した。
なんでも、龍馬の脱藩前の資料ってのは、数が少なく、貴重なのだと言う。
ドラマ人気で、方々の博物館や資料館が、血眼になって探しているのか。
はたまた、所有者が気付くのだか、未だ、どこかの蔵の奥底から出てきそうな感がある。
歴史に「if」は無いが、その「if」を想像するのが、楽しい。
もし、坂本龍馬が生きていたら。
などは、酒の肴にはうってつけなのではなかろうか。
もっと言うなら、中岡慎太郎も生きていて、つまり慶応3年の11月15日に、
二人ともあの場所に居なかった。
でも良いし、幕末趣味な人が考えるなら、井上聞多の例で言う所郁太郎の様な人物が、
二人を治療してでも良いが、兎も角、二人が一命を取り留める。
そうしたら、日本の骨格は変わっていただろう。
日本の骨格は変われど、こと、群馬県に至ってはあまり変わらなそうな気がする。
その辺りが、上州人のはしくれとしては、歯がゆい気持である。
せめて、権田村で小栗さんが助かっていたら、骨格の肉づきは変わっていただろう。