最近、NHK大河ドラマ「龍馬伝」が人気を博している為か、
やたらと、龍馬関連の文献が世に出て来る。
先日も、龍馬が海援隊を率いて乗船していた蒸気船「いろは丸」の絵図の発見を、
長崎市歴史民俗資料館が発表した。
蒸気船「いろは丸」と言えば、その沈没事件が有名。
慶応三年に瀬戸内海で、紀州藩船の明光丸と衝突して、沈没。
その後、龍馬の周旋によって、土佐藩の後藤象二郎の交渉による結果、
土佐藩側は紀州藩から多額の賠償金を獲得した。
と言う、日本初の「蒸気船による衝突事故」を作った船なのである。
そして今朝も、朝刊をめくっていたら、また「龍馬」の文字を発見。
安政三年の頃。
と言えば龍馬は未だ脱藩前で、武市半平太たちと共に、江戸に居た頃。
土佐の商家宛の書簡が、京都市内の個人宅で発見されたと、今度は、
京都国立博物館と高知県立坂本龍馬記念館が発表した。
なんでも、龍馬の脱藩前の資料ってのは、数が少なく、貴重なのだと言う。
ドラマ人気で、方々の博物館や資料館が、血眼になって探しているのか。
はたまた、所有者が気付くのだか、未だ、どこかの蔵の奥底から出てきそうな感がある。
歴史に「if」は無いが、その「if」を想像するのが、楽しい。
もし、坂本龍馬が生きていたら。
などは、酒の肴にはうってつけなのではなかろうか。
もっと言うなら、中岡慎太郎も生きていて、つまり慶応3年の11月15日に、
二人ともあの場所に居なかった。
でも良いし、幕末趣味な人が考えるなら、井上聞多の例で言う所郁太郎の様な人物が、
二人を治療してでも良いが、兎も角、二人が一命を取り留める。
そうしたら、日本の骨格は変わっていただろう。
日本の骨格は変われど、こと、群馬県に至ってはあまり変わらなそうな気がする。
その辺りが、上州人のはしくれとしては、歯がゆい気持である。
せめて、権田村で小栗さんが助かっていたら、骨格の肉づきは変わっていただろう。

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