4309声 トンチンカン

2019年09月02日

なんで生きているのか?と聞かれたら、なんて答えますかね?なんでという言葉はなんのために、ともとれるし、どういう経緯で、とも取れるから、答えにくいかもしれません。生まれちゃったから、なんて、面倒くさがりは答えるかもしれない。なんのために、と聞くべきかもしれませんね。あるいは、もう一個突っ込んで、何を人生の目標として、でもいいかもしれない。そもそもこういう問い自体を野暮と思う人もそこそこいるかもしれないし、ただ面倒くさい、とだけ思う人もいるかもしれない。こういう問いにとにかく興味があって仕方のない人、というのもいるかもしれないが、そういう人は厄介な気がする、というのも、ある程度合っている気がする。どれでもいいのだが、そんなこととは関係ないところで、居丈高というか気持ちが入ってないというか、横柄な態度が平気、あるいは横柄な態度がどういうものかわかってない態度に出くわすたびに、その、わりと根源的なことを考える。つまり私は、そういうことに興味のある厄介さを持つわけ。その横柄な態度の出どころはきっと、こういうことに興味がないところな気がするから。もちろん私が横柄ではない、というわけではない。たとえば、付き合いが長くなり、ああ、この人はいいやつだな、という基本的な思いを変わらずに持っていたとしても、その基本的にはいいやつが平気で横柄な態度、になる場面を繰り返す。何度も繰り返すと、ああ、この人は根源的なことをあまり考えないんだな、と思ってしまう。興味がなくても、考えなくても、どうでもかまわない。ただ、どうでも構わないからその態度はやめてくれ、とだけ思う。その言葉の選択は、あなたは横柄とは感じていないようだけど実はそれは相当横柄なんだよと。若さもあるかもしれない。横柄な態度を、ファッションと捉えてしまったタイミングがあったのかもしれない。若ければまだいいのかもしれない。ある程度年をとっていると、もうそういう問題ではないなと、暗い気持ちになる。なかったんだ、指摘される場面が。恥ずかしさを学ぶ時間が。先生、と呼ばれる人に少なからずいるなあ、と気づくと、先生と呼んでいい人にも定期検診を設けるべきだよと考えてしまう。年に一度、恥ずかしさについての試験をするだとか。先生をした時間と同じだけ、教わる側をするとか。まあこういう話はいろいろなところに通じちゃう。ランチの十六穀米を食べ残すのも横柄かもしれないし、食べきれないから予め半分にしてほしいと申し出たら白米は半分でできるが十六穀米の量は変えられないとお客さんに伝える店も横柄かもしれない。これは横柄じゃなくて、トンチンカンなだけか。もう横柄=トンチンカンでいいな。お前横柄だよ、と言うより、お前トンチンカンだよ、と言ったほうが言われた方も傷つかないだろうし。