メリークリスマス。今年の12月はハードだ。
2024年12月23日
今月は繰り返し来てくださるお客様が多い。気に入るとどっぷりハマるのは私がそうである。今日は30代後半くらいのお客様が4名でご来店。うちの雰囲気を気に入ってくださったようだ。「噛んでると味が変わっていくんだよ。飲み込むかどうか迷う」身振りを交えながら面白おかしく説明してくれた。楽しそうに過ごしてくださるのを見ているだけで癒される。
2024年12月21日
女性4名のお客様。鮨が好きでお酒も好きで毎年忘年会をしているとのこと。「今年もがんばった」「がんばったよね〜」お客様同士そんな会話に場が和んでゆく。「ずっと噛んでいたくなるシャリですね」お褒めの言葉までいただいた。噛むことの大切さをどうやったら押し付けがましくなく伝えられるかということに料理人人生を捧げてきたのだから嬉しい。どうして噛むことが大切なのかというと体に良いとかそういうことではなくて、ジャッジを遅らせることができるからである。ジャッジを遅らせることができたら、今まで気づけなかった小さな物事を気づけるチャンスが増えると思っている。小さな物事の中にこそ愛しさも切なさも温かさも宿ると思っている。それに気づけたら争いは減ると思っている。
2024年12月18日
夜中久しぶりに熱を出す。身体中が長時間痛かったので体温は高かったかもしれない。昨日薬屋に寄って言われるがままに購入したプラセンタというドリンク剤が効いたように思う。朝には熱は下がった。今日はビールの仕込みをするつもりで迷ったが無理してやった。まだ咳が少し出る。今日も早く寝る。
2024年12月16日
今日から新米。昨年の米より粒立ちが良く食味にメリハリがある。握った感じもいい。日本料理屋の基本が出汁ならば鮨屋の基本はシャリである。シャリの出来いかんでお客様の評価も仕事の満足度も変わる。年の瀬になって嬉しい出来事である。
2024年12月15日
紹興酒の勉強をしに赤坂へ。最近紹興酒に興味がある。あるところで飲んだ紹興酒がおいしくて、握りに合わせてみたら合うし燗酒やナチュラルワインにも通じると思ったのがきっかけ。そもそも紹興酒の成り立ちがよく分かっていないから基本的なことを知りたかった。紹興酒とは黄酒の中の産地名称で紹興で作っている黄酒のこと。黄酒と書いてファンジョウと読む。20種類近く飲ませてもらい、お酒を燗酒やナチュラルワインの視点で見るクセがついているからそれで余計におもしろかった。日本酒との発酵度の違い、麹の違いによる香味の違い、酸化熟成ワインとの共通点、ビールにも共通する苦みなど。新たな楽しみができたかもしれない。
2024年12月13日
橋本屋でギィ・ブルトンの試飲会。ギィ・ブルトンは故マルセル・ラピエールと並ぶヴァンナチュールの先駆的存在である。年齢はいま還暦くらいか。フランスボジョレー地区の生産者でボジョレー内に細かく区切られる地域別に畑を持ちワインを造っている。今回はその試飲会。シルーブル、レニエ、フルーリー、モルゴン、ボジョレーヴィラージュ。これらすべて地域名産地名。モルゴンはバランスよくいつものチャーミングなガメイの味で、今回よかったのはレニエ。苦みも渋みも少なく粘度のある重心の低い果実味が感じられた。世界中に赤ワインはたくさんあれど寿司に合うのはボジョレーのガメイだと思っている。
2024年12月12日
動物にとって食べることは一大事である。寒くとも川の中で虫や魚が流れてくるのをじっと待つ白鷺を見るたびに思う。食べることが一大事ならば「飲み込む」ことも一大事である。ようやくありついた獲物が万が一にも有毒だったら元も子もない。食べることに付随する「飲み込む」とは、「飛び降りる」と似ている。食べ物というのは基本的に噛み続けていればなくなるようにできている。それでも飲み込みたいのは意思的でありたいということか、あるいはどうしようもなく気短かか。どうしてお酒を温めるのか?それは温かいことが細胞レベルの親和性を高めるからだとふと思った。喉は皮膚から遠い。その上意思的である。「食べる」ことを「飲み込む」ことではなく、「染み入る」ことに近づけたいのだと思う。おいしいということの中には「否応なく染み込んでゆく」という要素、感覚があるはずである。それが大事だと思えたら飲み込むことを遅らせることができる。
2024年12月11日
予約のある時は営業前に必ずお酒の味見をする。その日の料理と日本酒、ワインを合わせて提供の順番などを話し合う。日本酒は抜栓後も味の変化が少ないがワインは刻々と変化してゆく。酸化防止剤を使わないワインであればなおさらである。魚でもワインでもいいものは緩やかに変化する。しかしながらそういうものばかりを扱えるわけではない。予測不能な味の下降線を目の当たりにして一喜一憂する日々。食材もお酒も変化する醍醐味と安定している確かさとのせめぎ合いである。人生そのものである。
2024年12月10日
あん肝は味をつけて炊いている。梅干を加えて甘く炊く紅梅煮というクラシックな料理である。梅干とあん肝の相性はよくそのままでもおいしいがそれを裏ごした焼き芋と重ねて上から柚子の香る黄身酢をかける。こうするとワインにぐっと寄っていく。合うお酒の幅が広がる。「このさつま芋がいい仕事してるのかもしれない」赤ワインを召し上がっていたお客様がつぶやいた。
2024年12月09日
年末調整の話を聞きに実家へ。白のバンが3台止まっていて職人が何人もいた。奥から元気のない様子でお袋が出てきて会うなり、「正直もう疲れちゃったよ」と言っている。家を改装するとは聞いていたがひと月以上も職人が出入りする生活は堪えるようだ。家では話をできそうにないので喫茶店へ移動する。改装工事もさることながら日々の親父の癇癪もストレスらしい。「話ができて少し楽になった」と帰り際。弱音をあまり言わない人の弱音はこちらまで苦しくなる。
2024年12月08日
スタッフと忘年会。現在うちには40代前半が3人いて彼らと小籠包を食べに行った。このくらいの年になると顔つきは社会性を纏う。大人の顔になるとはそういうことだと思うが同時にそれぞれに生きてきた年輪から出るアクが全体から滲み出てしまいもする。アクにも色々ある。大事なのは社会生活を経てきたこと、そこに他者がいた時間があったという事実で、だからもし40代の人間に対する安心感というものがあるとすれば、それは「もう子供じゃない」という事実なんだと思う。紹興酒を飲みながらそんなことを考えていた。現在うちにいるスタッフに共通するのは、痛みをわかることができるアクを持っていることだと思う。
2024年12月07日
夏みかんのビール瓶詰め。一次発酵終盤に果汁を加えて様子を見る。糖と酵母があれば再発酵が始まるのは当たり前で調整が必要である。タンクの移動と火入れの必要性というまた手間の増えることを感じた。夜はお一人のお客様と若い男女の二組。お一人で来られた方が追加で鮪のご注文。追加に鮪をおかわりされるお客様は少ない。お目が高い。