会社のHPを持たない代わりに、名刺にはnoteのURLを載せている。文章中心のSNSで、書いたものを有料記事にできたりもする。それはしていないが、他のSNSでは流れてしまうような、それでは惜しいような文章を時々上げている。それを見てねと言うだけでも良いのだが、それで見に行ってくれる人は2~3人くらいだと思うので、最近(といっても6月に)書いた一編をここにも載せさせていただく。それは今も思い出して大事にしたいことであり、忙殺の中ですでに忘れかけていることでもある。noteは https://note.com/oka ちょっと気になった方は覗いていただきたい。
「明日死ぬかもと思った時には、チキン南蛮タルタル弁当ではなく幕の内弁当を選ぶ、という話。」
死ぬかと思う出来事があった。
今年のゴールデンウィーク序盤は、音楽コンサートと演劇を合わせたイベントの撮影があり、スタッフ少数ながらうまい事やり遂げた。
その数日後、胸が痛い。恋焦がれたわけではない、文字通り胸が締め付けられるように痛いのだ。僕は今でこそ45歳のまっとうな中年男性だが、遡ること15年くらい前にも胸に違和感を感じたことから、親父が診てもらっていた循環器病院でしっかり調べてもらったことがあった。
造影剤を飲み、CTスキャナーで心臓の断面図を撮る。造影剤というものは、反応は人それぞれということだが僕の場合は体中がグッと熱くなったことを覚えている。何も食べてないのに、口の中に苦味が広がる不思議。熱は瞬く間に体を下り、キャン玉も熱くなる。血管から入った造影剤が心臓を経由して体中に回っていくのが体感的にわかるなんて・・怖い。
結果医師から言われたのは「普通の年齢より10歳くらい早いけど、心臓回りの血管に脂肪がついてますね、もっといくとカテーテル手術(血管を広げる手術)です」という検査結果。親父が同手術をしていたこともあり、遺伝の可能性も含めて怖え・・と思ったの・・だが。人間とはいいかげんなもので。その怖さは一時期のものとなり、普段通りこってりらーめんを食べて、深夜寝落ちするまで仕事をする生活をその後もずっと続けていた。
あれから年をとり、さすがにこってりらーめんや徹夜とは体が距離を置くようになったが、今回の不調でその医師の言葉を思い出した。年齢的にも適齢期に入った頃だ。そして何よりあの時よりも胸が痛いのだ(体を動かすと痛いとかではなくて、ずっと痛い)。すぐに病院に・・と思ったが数日後に東京で仕事があり、それはなかなか代役を立てにくい仕事だったので、迷った結果その仕事が終わったらすぐに病院へ行こう、という自己決断をした。思えばその決断が・・
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ショーペンハウアー著、鈴木芳子訳の「幸福について」(光文社古典新訳文庫)という本がある。人生ってなんなんだろうな、とyoutubeの本要約チャンネルみたいなのを見てしまった時期があり、このショーペンハウアーって人、ほんとみたいなことを言うじゃんと購入した本だ。
その冒頭、ショーペンハウアーが幸福について説く上での根本規定として、アリストテレスが人生の財宝を3つに分けたという話が出てくる。ちょっと自己啓発的なノリではあるが短く紹介したい。
一、その人は何者であるか。人間性、ここには健康も含まれる。
二、その人は何を持っているか。所有物や財産。
三、その人はいかなる印象を与えるか。他者評価(本にはその単語で書かれていないが、承認欲求もこれに含まれるだろう)。
ショーペンハウアーは、その3つの中で一番大事なのは一やで、と説いている。幸せになりたいなら、所有や他者評価じゃない、自分やで、自分の人間性を磨くことやで、と。
話が健康から逸れるので少し書くに留めるが、先日テレビで氷河期世代の生きずらさについて当事者インタビューを交えた番組が放送されていて、僕はその世代よりちょっと下ではあるが、当時は働き手の過多で(今では考えられないね)正規雇用してもらえず、所得も低く、自己評価が低いというその世代の方たち共通だという嘆きが綴られていた。それは確かに大変だなと思いつつ、氷河期世代に限らない今の人は、自分も含めて、二、三に囚われがちだよなと思った。あれがない、認められたい。それらは自分の人間性を高めることとイコールではないのに、自分以外のものに幸福を求めがち。
とはいえ、自分を大切にする、という言葉には自分勝手や自己完結、スピリチュアルっぽいみたいなネガティブなものが含まれている気がするので(スピリチュアルを否定したいわけではないです)、じゃあどうすれば良いの?という疑問は残る。SNSで簡単に他者評価らしきものを得られる分、自分で自分を褒めるのが難しい時代なのだ。
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東京での仕事を無事に終えた。夜の有楽町を歩いて駅に向かう。その頃は、胸の痛みはピークに達していた。一緒に仕事をした人には「もしかしたら途中抜けるかもしれません」と事前に伝えていたが、親も含めて他の人には相談をしていなかった。しても「病院行け!」としか言えないと思うので。
あーなんかもしかしたら俺ヤバいかもな、と思いながら歩く夜の東京は違って見えた。綺麗な服を纏った都会的な人には目が向かない。交通整理や、夜であってもゴミ清掃をしている人に目がいった。毎日おつかれさまです。ショーウィンドウにはモノ、モノ、モノ。そもそも金持ちではないけれど、お金があってもあんま意味ねーなとも思った。明日死ぬかもと思っていればね。でも、恨み節がこみ上げる・・ということはなく、煌びやかな町を歩いていてなんとなくではあるが、世の中は優しいな、とも思った。なんとなくではあるが。
新幹線で群馬まで戻るのに、何時間もご飯を食べていないことに気付いた。駅のホームに弁当屋がある。まだ幾つかが売れ残っていた。その時の弁当の中で、普段であればチキン南蛮タルタル弁当一択であるが・・体は、地味めな幕の内弁当を指さしていた。
新幹線の座席のテーブルを広げて食べた幕の内弁当の味は、ちょっと忘れられない。鮭よりは、こんにゃくやしいたけの煮たやつが旨い。ご飯もいつもの倍の時間をかけてよく噛んだ。
高崎へ着き、そのまま車で病院に・・とも考えたが、明日きちんと予約をしてあるのだ。まさか死ぬことはないだろうと家まで帰った。着いたのは深夜だったが、あっと言う間に眠りに落ちた。
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翌日、パジャマも持って、やれる仕事のデータを数日前に全て移しておいたノートパソコンも持って、いざという気持ちで循環器病院へ行った。
簡易的な検査を経て、先生は「問題ないですね」と言う。「へ?」と僕。「心臓のことで常時胸が痛いなんてことは普通ないんです。検査でも異常は見つからないので、逆に何か心当たりありませんか」と先生。拍子抜けだった。念のため、造影剤を使ったCTスキャナーの予約を入れて、病院を去る。
その翌日だったか、ふと気づいたのだ! ゴールデンウィーク序盤のコンサートで、PAの超重い機材を「大丈夫っすよ」と一人で運んだことがあった。短い距離だったし、その数日後からの痛みだったのでわからなかったが、どうやら 筋肉痛 のたぐいだったのではないかと。年寄りの筋肉痛は数日後から。ずっこーん。大騒がせなやつだ。そうなのだ、あの時新幹線でチキン南蛮タルタル弁当を食べても大丈夫だったのだ。
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というオチでちゃんちゃん、と終えても良いのだが、今回の一連で僕は僕なりに「幸福について」考えた。
幕の内弁当を食べ終えた新幹線内。客はまばら。弁当を包んでいた紙を畳み蓋をして輪ゴムで止めて。その後、高崎へ着くまでの残り30分にも満たない車内で僕は、死ぬまでに買いたいものを探してアマゾンをディグるのでもなく、承認欲求を得るためにいつものようにSNSを流し見るのでもなく、ただ、自分の頭を撫でていた。
よくやった。今日の仕事も無事やり遂げたし、この年になるまでよくやってきたと思うぞ。ダメな部分も一番良く知ってるけど、その割にはよくやってきた。と。
明日死ぬかもと思った時、はじめて自分自身と向き合うことができる。それは、自分を大切にしよう、みたいなふわふわした格言ではなく、そうせざるを得ない必然性に駆られるのだ。それは、この年にして初めて体験したと言ってもいい特別な体験だった。
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今日、検査の結果が出た。医師から言われたのは15年くらい前と同じ「心臓回りの血管に脂肪がついてますね、もっといくとカテーテル手術(血管を広げる手術)です」という一言。まだ若いけど、という言葉はなかった。そして、今回の胸がずっと痛い、以外で実はたまに胸に違和感があって、その相談をすると「動いた時に症状が出ずに、就寝時などにその症状が出るということなので、動脈硬化の気があります。頻繁に起こるようならカテーテルを入れた検査をしましょう」という具体的なアドバイスもいただいた。
今回僕に起きた一連は、そのほとんどがうっかり話ではあるが、ショーペンハウアーも言っているように、やっぱり健康って大事。少しでも他人事ではない、と思った方は、それに沿った検査を受けることを激推しする。
最後の晩餐かも、と幕の内弁当を嚙み締めなくてもすむ、健康な暮らしを送ろう。

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