787声 明治から平成へ伝える昭和の文化

2010年02月25日

銭湯に関する原稿や、銭湯に関する質問に答える機会が、ここ最近増えた。
その作業の中で、自分でも発見させられる事が、多々ある。
今日、ふと発見したのが、県内には、昭和一桁に開業した銭湯が、
未だ多く残っていると言う事。
昭和元年だったり2年だったり。
と言う事は、勿論、戦前。
太平洋戦争の前であるが、遡れば、満州事変が勃発したのが、
1931年(昭和6年)なので、15年戦争よりも前、と言う事になる。
戦争末期の本土空襲の時分には、県内の主要都市も、随分と犠牲になった。
と言う資料を読んだり、確か、学校の授業でも習った事を憶えている。
運よく戦災を免れ、その後の市街地復興の一翼を担った銭湯が、
現在でも、元気に営業しているのだ。
芸者さんに兵隊さん、明治生まれの人から平成生まれの人まで、皆、
銭湯へ通った事がある。
そう考えると、やはり、銭湯は文化であり、今までより一層、
「伝統的」って言葉の重みを感じざるを得ない。
街では伝統的な銭湯が、今日も湯を沸かしている。