948声 沼田御馳走譚

2010年08月05日

昨夜訪れた沼田の町は、祭りだった。
丁度、3日に渡って開催されている沼田祇園祭の中日。
独りでふらりと訪れたのではなく、私たちは総勢4名だった。
今回の道中記を、私が添乗員として語るには、いささか心許ないので、
総勢の中一人である、ほのじ氏を引っ張り出して来よう。
ほのじ氏を筆頭に、酷暑極まる沼田の町へ訪れたのは、
市内に在るYさんのお宅にお邪魔する為であった。
Yさんのお宅に着くと、挨拶と共に缶麦酒が空いて、
挨拶が終わると日本酒の一升瓶が空いて。
その間に、机を埋め尽くさんばかりに料理が出てきて。
そうこうしている間に、知人も多数訪れて。
日が暮れる頃には、盆と正月が一緒に来た様な、飲めや歌えの立派な酒宴であった。
食の通人であるYさんの趣向を反映して、皿の上の料理は、
日本各地の逸品揃いである。
私に至っては、今年で一番豪奢な御馳走だと思った。
百けん先生ではないが、机の上の品々を、自らの御馳走帖に、
書き留めておきたいくらいであった。
Yさんのお宅は、沼田の中心市街にあり、往来に面しているので、
軒先から手の届く距離を、神輿が渡御して行く。
極上の日本酒と極上の料理、そして、軒を通る神輿の演出は、
私の、否、私たちの胃の腑まで溶かした。
竜宮城の浦島さんの如く、帰路の事はすっかり忘れて、特にほのじ氏と私が、
杯をどんどん進めた。
途中、Yさんにかの有名な鮒寿司(それも貴重な子持ちの鮒の)を頂いて、
一切れ食べたが、どうにも修行が足りない為か、馴染めなかった。
鮒寿司は御馳走の土俵の中でも、番付が別格なようである。
ほのじ氏は、涼しい顔して、何切れも食っては、美味い美味いと日本酒を煽った。
その時に、氏が料理人である事を思い出した。
祭りが終わる事に、泣く泣く、Yさんのお宅を辞した。
Yさん、そしてYさんの御家族御友人たちが、私たちを歓待してくれた、
それも全力で、である。
それを思うと、お猪口を一口飲む毎に、酒が胸に染みて、心を打った。
そこには、全力で歓待し得るだけの故郷、沼田の町があるからだと思った。