昨夜訪れた沼田の町は、祭りだった。
丁度、3日に渡って開催されている沼田祇園祭の中日。
独りでふらりと訪れたのではなく、私たちは総勢4名だった。
今回の道中記を、私が添乗員として語るには、いささか心許ないので、
総勢の中一人である、ほのじ氏を引っ張り出して来よう。
ほのじ氏を筆頭に、酷暑極まる沼田の町へ訪れたのは、
市内に在るYさんのお宅にお邪魔する為であった。
Yさんのお宅に着くと、挨拶と共に缶麦酒が空いて、
挨拶が終わると日本酒の一升瓶が空いて。
その間に、机を埋め尽くさんばかりに料理が出てきて。
そうこうしている間に、知人も多数訪れて。
日が暮れる頃には、盆と正月が一緒に来た様な、飲めや歌えの立派な酒宴であった。
食の通人であるYさんの趣向を反映して、皿の上の料理は、
日本各地の逸品揃いである。
私に至っては、今年で一番豪奢な御馳走だと思った。
百けん先生ではないが、机の上の品々を、自らの御馳走帖に、
書き留めておきたいくらいであった。
Yさんのお宅は、沼田の中心市街にあり、往来に面しているので、
軒先から手の届く距離を、神輿が渡御して行く。
極上の日本酒と極上の料理、そして、軒を通る神輿の演出は、
私の、否、私たちの胃の腑まで溶かした。
竜宮城の浦島さんの如く、帰路の事はすっかり忘れて、特にほのじ氏と私が、
杯をどんどん進めた。
途中、Yさんにかの有名な鮒寿司(それも貴重な子持ちの鮒の)を頂いて、
一切れ食べたが、どうにも修行が足りない為か、馴染めなかった。
鮒寿司は御馳走の土俵の中でも、番付が別格なようである。
ほのじ氏は、涼しい顔して、何切れも食っては、美味い美味いと日本酒を煽った。
その時に、氏が料理人である事を思い出した。
祭りが終わる事に、泣く泣く、Yさんのお宅を辞した。
Yさん、そしてYさんの御家族御友人たちが、私たちを歓待してくれた、
それも全力で、である。
それを思うと、お猪口を一口飲む毎に、酒が胸に染みて、心を打った。
そこには、全力で歓待し得るだけの故郷、沼田の町があるからだと思った。