969声 生活の中の習慣

2010年08月26日

毎日、書いている。
そして最近は、一日一句を自らに課して、下手な俳句を詠んでいる。
この日本人特有の、勤勉であり、ビジネス的な感覚。
を、ある種の創作人は軽侮するだろう。
「書きたい時に書きたい事を書く」
それが、文章創作における、「本当」の形。
習慣的に書いている文章など、愚の骨頂である。
と、ある種の創作人は軽侮するだろう。
しかし、習慣化の中で気付く事もある。
例えば、朝飯。
学生時分の頃は、朝飯抜きの生活をしていた。
それが社会人になると共に、朝飯を食べながら朝刊を読む。
と言う事を、自らに無理やり習慣化させた。
意欲的な行動ではないので、当然、朝飯など喉を通らない。
所謂、「口が不味い」と言う状態なのだが、それでも、
トーストなどを珈琲で流し込む。
朝。気持ち良く起きて
ほんとうに気持ちのよい一日を過ごす。
そのためにすべてはあるのだ。
気持ちのよい食事
気持ちのよい活動
気持ちのよい愛
気持ちのよい眠り
なんのいや気のない生活
そのためにすべてはあるのだ
と言う、山田かまちの詩を思い出して、頷きながらも、
ここ最近は、暑さの為に不快な寝起きの朝を迎えている。
従って、気持の良い食事、などは実現し得ないのだが、今朝の事である。
朝から陽射しは濃く照っているのだが、風にはもう秋の涼しさを感じた。
台所の窓を開けて、裏の田圃を眺むれば、蜻蛉が二、三匹、軽やかに飛翔している。
ふと思い立って、トーストではなく、昨晩の冷や飯に納豆をかけて、食べてみた。
これが習慣化している朝食の味に反して、意外に、美味い。
緑茶を啜りながら、秋を見つけた。