984声 生活の確信

2010年09月10日

終日、快晴。
であるが、猛烈なる残暑。
と言う感じではなく、湿度が低く空が高い、気持の良い秋晴れであった。
今日、富岡市の食堂へ入ったら、冷蔵庫。
並んでいる瓶麦酒が全て、キリンの「秋味」に入れ代っているではないか。
坂口安吾著の『いづこへ』に出て来る一節ではないが、
二十九日の貧乏に対する一日の復讐とばかりに、一月の生活費を一日で浪費する。
私の場合は、一月に亘って苦しめられた猛暑への一日の復讐。
有り金はたいて、秋味を片っ端から飲み干して行く。
しかしそんな事が出来る訳もなく、唾を飲み込んで自制心を保ち、
カツ丼を注文した。
『いづこへ』では主人公、浪費のあげく、三日間ぐらい水飲んで暮らし、
下宿や食堂の借金から夜逃げする羽目になる。
しかし安吾はこう書いている、『細々と毎日欠かさず食ふよりは、
一日で使ひ果して水を飲み夜逃げに及ぶ生活の方を私は確信をもつて支持してゐた。
私は市井の屑のやうな飲んだくれだが後悔だけはしなかつた。』
そんな事を考えながら、夜半。
焼き鳥の隅で、財布の小銭を勘定しながら低級酒を煽っている私は、
一向に自らの生活に確信を持てない。
それを革新してみんとする気力もまた、持ち得ないようである。