1386声 リズムと中毒

2011年10月17日

「中毒者」
文字で書くとなんだか怖いが、そう言えばそうかも知れない。
珈琲が、である。

昼間は珈琲を、相変わらず飲んでいる。
主にコンビニで買って飲んでいるのだが、最近は所謂、「缶珈琲」でなくて、
少し大きめなボトル缶の珈琲を売っているので、ついついそちらに手が出る。
因みに、通常の缶珈琲が190mlなのに対し、ボトル缶は概ね300mlと、
110mlも多く入っている。
それを、一日二、三本飲んで、自宅に帰ってからも、また別の珈琲を飲んで入れば、
否が応でも中毒してくる。

珈琲を飲む。
その動機は、はっきりしている。
「手持無沙汰」、なのである。
私は煙草を吸わないので、運転をしている時などは手持無沙汰解消のため、
珈琲を飲みつつ運転している。
長い距離を運転する際は、眠気覚ましの為、尚更、コンビニで買いたくなってしまう。
今となっては、信号で止まるごとに珈琲を一口、と言うのが一つの運転のリズムになっている。
それに伴って、生活全般にも珈琲とリズムが密接に関係しているようである。

朝起きて、新聞を読みながら一杯。
食事の後に一杯。
人と話をする際に一杯。
知人宅で長居をして、「もうお引き取り下さい」の合図で一杯。
それでも、珈琲を止めようとは思わない。
それがもう中毒かもしれないが、動機はどうあれ、
珈琲を飲みたいのだから仕方ない。
珈琲を飲みたくて飲んでいるのだが、安物の珈琲ばかり飲んでいるので、
美味い珈琲が飲めないのには、辟易としている。
「不味いなぁ」と思いつつ、日々、飲んでいる。
それがもう、立派なカフェイン中毒者かも知れない。
では、書き終えたので一杯。

【天候】
終日、麗らかな秋晴れ。