884声 言うなれば、美学 後編

2010年06月02日

昨日の続き。
「廃業した所も載せているんですね」
ぽつりと呟いたのは、先日この本の頁を捲っていた、
出版業界に生きる百戦錬磨の業界人。
その言葉の裏にあるのは、実用的かつ商業的な本に仕上げるのなら、
その頁は不要と言う意味だろう。
「そう言う事はさておき」
と言う事を前提に、私はこの本を製作して来た。
だからこそあえて、「群馬伝統銭湯大全」などと言う、
戒名の如く発音しづらい、ややこしい名前を付けたのだ。
「群馬県銭湯MAP」だとか「ぐんま銭湯ガイド」なんて類の名前は、
端から付ける気はなかった。
それは言うなれば、恥を忍んでこっそりと言うが、私の美学である。
それを活動の根幹に置かなければ、こんな、毎回請求書が来る毎に、
自分の預金残高が請求額に近づいて行く様な、ある種自滅的な、事はできない。
しかし今回は、請求額と預金残高が拮抗していたので、額面の数字を何度も確認し、
いささか冷汗三斗の思いがした。
そして、銭湯にもやはり、美学を感じる。
銭湯にもと言うよりは、銭湯経営者に、と言った方が的確かもしれない。
社会の仕組みは変われど、街の容貌は変われど、銭湯文化の伝統を、頑なに守る。
その心意気こそが、日本人が古来から持つ、美学ではないか。
昭和と言う時代を生き抜いて来た世代、あるいは、
これから平成と言う時代を生き抜いて行く世代に、それを伝えたい。
銭湯を訪ねて独り、薄暗い路地裏をほっつき歩いている時は、そんな事を考えていた。
さて、昨日から6月、巷では衣替えの季節である。
私も心機一転して、出来上がった第二刷の本を売って行こうと思う。
正確に言うと、第二版での第一刷、と言う事になるらしい。
それにしても、この山と積まれた在庫本…。