日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

2424声 美味い酒不味い酒

2015年05月29日

早くも梅雨を思わせる、陰鬱な曇天の一日であった。

梅雨に吹く南風のことで、「黒南風(くろはえ)」と言う季題がある。

今日はまさに黒南風らしい、湿った風が路地をのっそりと吹き抜けていた。

梅雨は何が嫌って、麦酒がうまくないのが、嫌である。

湿度と麦酒の味との関係を明確に説明し得ないが、

とにかく、美味くないのである。

では、どんな状況下で飲む麦酒が美味いのか。

「朝イチ、歯を磨く前に飲む麦酒が美味い」

と言っていたのは、タモリである。

「歯磨き前」と言うところに、ただならぬ説得力がある。

中島らも作品の中にも、いくつか美味しそうな麦酒の描写がある。

エッセイの中にある、無職時代、朝起きてカーテンの隙間から、

通勤するサラリーマンの列を眺めつつ飲む麦酒。

小説の中にある、依存症治療で入院中、

病院を抜け出して行った蕎麦屋で飲む瓶麦酒。

中島らも作品の麦酒は状況がいささか過激であるが、

この二つの例を見ると、やはり不道徳な環境下で飲む。

と言うことが、美味しい麦酒へありつくキーポイントのようである。

しかし、こうなるともう麦酒に限らぬが、

一般的によく言う「昼の麦酒は美味い」 と言うのも、同じことであろう。

それが酒と言うのものの、真理のひとつかどうかは分からぬが、

前述の中島らもの小説の中、アルコール依存症治療のため、 これから入院しようと言う直前。

もうこれで飲み納めと言うことで、自動販売機でワンカップを買って飲む描写がある。

しかも、2本。

この描写は、悲しいくらい、切実に、不味そうな酒である。

2423声 野生の蛍

2015年05月28日

ほたる句会の日程が、今日のメールに書いてあった。
送り主はすでに一匹、近所の小川で確認したとの由。
前橋市で例年、おおよそ6月中ごろが最盛である。
前橋市田口町などもそうだが、
ほたるの生息できる環境を守っている地域有志が、
各地にいる。
野生のほたるが減少した今では、
そう言う人たちのおかげで、簡単にほたる鑑賞ができる。
以前、あれは東吾妻町であったが、野生のほたるを見た。
野生と判断した理由は、光である。
その光は、ゲンジ、ヘイケの差、以前に大きかった。
たくましい、と言った方が適当かもしれない。
流れの速い清流を、一匹、ゆらりゆらりと上っていった。

2422声 蚕豆

2015年05月27日

今日は都内でも真夏日を観測。

今、目の前に、蚕豆と瓶麦酒がある。
外は暑くとも、これだけで、人生が穏やかになる。
久保田万太郎に「そら豆やまだ割りばしのわられずに」の句がある。
卓の上に割りばしが置かれているので、小料理屋だとか居酒屋など、
店であることが分かる。
麦酒などで一杯やりつつ、お通しのそら豆を、
つまんでいるのであろうか。
ゆったりとした詠みぶりが良い。

 

2421声 成長

2015年05月26日

しばらく合わないうちに、などと言うのは年寄りくさくて嫌だが、
それが実感なのだから仕方ない。
先日参加した吟行会で、しばらく合わないうちに、
俳句関係の知人が随分と成長していたので驚いた。
詰襟を着て、いつも盛大な寝癖をつけていた高校生は、
颯爽とした風貌の大学生になっているし、
リュックになぞのゆるキャラのキーホルダーを付けていた大学生は、
無事に就職し社会人になっていた。
どちらも精悍な顔つきになっており、才気煥発と言った具合であった。
私は老ける一方であるし、俳句の方も成長などしていない。
ただ、俳句の場合はある意味においては、むしろ成長したくないと思う。

 

2420声 あるいは

2015年05月25日

勝つことよりも負けないことのほうが尊い。

2419声 河鹿宿其の二

2015年05月24日

宿の入り口に「杖洗い場」なる小さな水場を見ると、
秩父は巡礼の地なのだと言う実感が湧いた。
宿自体はかなり古く、蛾や蜘蛛と一緒に寝るような形にはなるが、
こう言う宿だからこそ、窓を開けっ放していられるし、
防音も無い代わりに、瀬音や囀りなど自然の音に触れられる。
句ができるかどうかは別であるが、句材には事欠かぬ一晩であった。
この日は、横瀬川にそって野辺を歩き、公民館で句会をして解散となった。
参加の平均年齢がだいぶ若く、私などは高齢の部であったので、
ずいぶんと老けた思いがした。
これから俳句の世界に漕ぎ出そうとする人と、
悠々と櫓を漕いでいる人と、転覆しかかっている私と。
今回でもまた、自分の非力が露呈する結果であったが、
それによってどうのこうのと考えることは、とうの昔に止めた。
触れている自然の中に、ゆるがぬ「真」があるのだから。

2418声 河鹿宿其の一

2015年05月23日

俳句同人誌の合宿で秩父へ出かけた。
箱根方面もそうだが、東京以西へは列車のアクセスが良い。
それに伴ってかどうか、特急における社内飲酒率も非常に高い気がする。
この日も、朝から麦酒と烏賊の燻製のにおいが充満する社内で、
五七五をつぶやきつつ、まずは長瀞を目指した。
好天も相まって、長瀞のラインくだりは盛況であった。
土産物屋で、解禁にはなっていない鮎の定食を食べ、
小一時間ほど、岩場から船の往来を眺め、すぐ宿へ向かった。
ひとっ風呂浴び、部屋の窓辺で夕風に当たりながら、
河鹿の鳴き声など聞いていると、このまま瓶麦酒でもとって、
ゆっくりしていたいと切に思った。
しかしながらその後はすぐ、句会に継ぐ句会となった。

2417声 サリヴァンさん

2015年05月22日

「痛風になるぞ、絶対に」
先日の宴席の際、俳句の先生にそう言われた。
倒置法の効果もあって、その言葉はグサリと胸に刺さった。
酒席での私がほぼ麦酒しか飲まず、いつもガブガブ飲んでいたので、
そう思われたのであろう。
言っている本人だって、大酒飲みであるが、麦酒は控えているらしい。
麦酒ならまだしも、痛風の諸悪の根源のような存在として
巷に喧伝されている、プリン体を多く含むつまみが、大好きである。
焼鳥ならレバー、甲殻類やめざしを齧らなくて、どうして麦酒が飲めようか。
リスのようにカリカリとナッツを齧りながら、飲めと言うのか。
そもそもが、大衆酒場のつまみはプリン体のオンパレードではないか。
ついつい、興奮してまくし立ててしまったが、今は、
テキサスのエリザベスさんのようなことになればと、
おぼろげなる一縷の希望にしがみついている。
テキサス州に住むエリザベス・サリヴァンさんは、
2015年の3月18日に104歳を迎えた。
彼女の長寿の秘訣の一つはなんと、1日に3本、40年以上も飲み続けている、
炭酸飲料「ドクターペッパー」だと言うのである。
サリヴァンさんは地元紙のインタビューに、
「医者はみんな(ドクターペッパーが)健康に悪いと言いました。
しかし、忠告した彼らの方が先に亡くなって、私は生きています。
どこかで間違いがあったのでしょうね」と語ったとの由。
ネットのニュース記事なので、鵜呑みにせず流し見ていたが、
好感が、なんだか尊敬めいた気持ちに変わってきた。
なりふり構わず、一つのことに没頭できる人は輝いて見える。
とは言え、痛風になるのは御免だが。

2416声 女性の活躍

2015年05月21日

昨年閣議決定もしたが、女性の活躍を推進する社会を目指しているらしい。
酔街で、たとえば有楽町のガード下など、たしかに女性が増えたと、
実感している。
増えただけではなく、よく飲みかつ食べかつ騒がしく元気なのもまた、
女性なのである。
男はと言うと、二三人で固まり、焼き鳥の煙に隠れながら、ひそひそ上役の
悪口を言っていると言う具合である。
平日夜の千ベロ(千円でベロベロに酔える店)系統の立ち飲み屋など、
男連中で混み合っているけれど静かなもので、みな備え付けのテレビを眺め
ているか、壁のメニューを見つめつつ、ぶつぶつ独り言を呟いている。
若者はスマートフォンで呟いているので、もっと静である。
女性の活躍を尻目に、男は静に酒を飲む、それで良いではないか。

白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり

若山牧水もその一首を残しているではないか。
肝硬変を患い43才で逝ってしまったけれど。

2415声 大きな声

2015年05月20日

住んでいるアパートの脇に、中学校がある。
「エイッ、エイッ、エイッ」
地鳴りのような、低い掛け声が、
朝、玄関を出るといつも聞こえてくる。
校庭のほうを覗くと、丸坊主の男子生徒が、
一列になってスクワットなどしている。
元気な若々しい掛け声を背に、葉桜の並木道を行く。
左手に持っている大きなゴミ袋を、木洩れ日が透く。
道路に落ちる影で、髪に盛大な寝癖が付いていることに気付く。
そう言えば最近、否、もう何年も、腹から大きな声を出していない。
そんなことを考えつつ、ごみ置き場に袋を叩き込んだ。

2414声 相撲王

2015年05月19日

先週、群馬へ帰省したときのこと。
この日は、朝から吟行の予定があった。
夏の日差しが強かろうと思い、集合場所へ着く前に、
小さな雑貨店で麦藁帽子を購入した。
会計を済ませて、トイレへ入り、便座へ腰掛けた。
ひと心地ついたところで、眼前の壁に貼ってある、
張り紙が目に付いた。
煙草のマークに斜線、その下に文字。
「No sumoking」
角界に対し、物申すことがあるらしい。

2413声 つまりは

2015年05月18日

自分の身の丈で句を作る。

2412声 野辺

2015年05月17日

句会のため、田口町へ行ってきた。
田口町は、前橋市の中でも最北部に位置しており、
西に利根川を置く、名前の通り牧歌的な町である。
県下では蛍の里としても有名で、県内文学偏愛者の間では、
萩原朔太郎の墓所である政淳寺があることでも知られている。
何の変哲もない野辺を歩き回り、何の変哲もない蕎麦屋で昼食を取り、
句会を終えて帰ってきた。
旧知の人とも再開できたことで心がさざめいていたせいか、
句の出来はいまひとつだった。
しかし、ふとした瞬間、例えば雲が晴れて山の色が鮮やかに現れたときなど、
何の変哲もない野辺こそ、とたんに精彩を帯びて見える。

2411声 平目の刺身

2015年05月16日

しみじみと良いビアパブであった。
「ざぶん」が、である。
午後九時の高崎市街は連休明けの週末のためか、
往来の人影はまばらで、その路肩には出動を待つ代行車が列をなしていた。
入口の賑わいをくぐり、ドブネズミのように店内の隅の席へ行こうと
目論んでいたのだが、一瞬で堀澤さんに見つけられてしまい、
カウンター真中の席へ案内された。
店内のしつらえから、料理に一杯の麦酒まで、隙が無かった。
路地裏の赤提灯では隙だらけの堀澤さんの店は、いつも隙が無い。
「そこは特等席なんですよぉ」
私のためにカウンターの席をひとつ横に移動する羽目になり、
その特等席を横取りされた、酔っぱらいの姉さんが、怪しい呂律で私に言った。
この人もまた、隙だらけである。
お品書きの麦酒を、上から順に頼んでは、飲む。
そのうちに、酔っぱらいの姉さんは結局、特等席に戻り、
私はその姉さんの席へ着くことになっていた。
席を移動すると、姉さんが平目の刺身を一枚くれた。
すべての種類の麦酒を堪能し、店を出た。
出際に、丁度いまから入店するすーさんとも会え、
往来を吹く夜風が、一層心地よくなった。

2410声 群馬と麦酒

2015年05月15日

今週末は、日曜日に前橋市の田口で開催される句会へ参加するため、
群馬へ帰省する予定である。
この機にまだ一度も立ち寄ったことがない、
ざぶんへ寄ってみたいが、叶うであろうか。
ともあれ、昨日の前橋市は31度を越えて、全国で一番の暑さ。
群馬と麦酒の関係が、ますます密になっていることは確かである。

2409声 堰

2015年05月14日

先月の堀澤さん記事に「コーヒー」と言うのがあった。
体質的に珈琲が飲めない堀澤さんが、
仕事の都合でコーヒーを淹れることになったと言うもので、
「引き立ての豆に向かって、口の長いやかんでちょろちょろとお湯を注ぐ。
そうするとなんとも言えず深く甘い香りが立ち上ってくる。」
と言うくだりがあり、珈琲好きの私は、その香ばしさを思い浮かべ、
のどが鳴るような思いであった。
「飲んだらとたんに頭痛が始まる。」と言う堀澤さんには酷な香りと言えよう。
昔、仕事の関係で一日中車を運転していた。
私は煙草を飲まぬので、運転中は手持ち無沙汰で缶珈琲をよく飲んでいた。
よく飲んでいた、程度ならば良いのだが、日に四、五缶は飲んでおり、
無糖のみならず砂糖入りのものもお構いなし、さらに客先へ行くと珈琲がでる。
多量の摂取が原因で、夕方には軽く胸焼けしていることが常であった。
仕事上で一切運転することがなくなったことも相まって、
今ではその週間もすっかりなくなり、日に二缶くらいになった。
その二缶も、「お構いなし」と言うのは止めて、
好きな銘柄の無糖のみ飲むようにした。
珈琲胸焼けから開放された今、そうやって欲求に堰を作り、
自分を戒めることも必要だと感じている。
しかし、こと酒欲川の堰に関しては作っても作っても簡単に倒壊。
川が氾濫し、酒に溺れることしばしばである。
そのため、二日酔いの胸焼けから開放される日は、まだ遠い。

2408声 小さい風

2015年05月13日

昨晩、四国沖で温帯低気圧に変わった台風の影響で、
今日は都内でも気温30度を越えた。
夕方の路地は湿った匂いに包まれ、
天麩羅屋の前には打ち水の跡があった。
行き交う人はみな、服のどこかしらが、
小さい風にはためいていた。

2407声 消息

2015年05月12日

千葉県に来て三年が経つ。
都内の地理には詳しくなったが、住んでいる近所の地理がおぼろげである。
今でも近所で道に迷うことが良くあるし、都内の地理に明るくなったとは言え、
鉄道の路線図が多少頭に入ったくらいで、ビル街の路地へ入ると途端に迷う。
普段歩く道から一本逸れると、そこはもう知らない街の様で、
スマートフォン片手に「あわわわ」となりながら、右往左往する日々である。
これで猫人間が出てきたら、萩原朔太郎の「猫町」状態なのである。
引越しの途中で自己顕示欲を含めた向上心をごっそり落としてきてしまったようで、
今まで使用していたブログやらフェイスブックといった、SNSの類を一切やめてしまった。
その為、知人からはこの日刊「鶴のひとこえ」にて、消息を確認されている。
そんな調子で、猫人間の幻影を見ることもなく、ほろと酔いながら、
時折、酩酊しつつ、日々、コンクリートの上を千鳥足で進んでいる。