日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

5985声 取材は続く

2024年10月26日

この日は、先日の相田さんに続き、中之条町に移住したアーティスト・佐藤令奈さんの取材日だった。中之条ビエンナーレにも何度か出展をし、油彩を使った細やかな色合いの幼子の絵は、中之条ビエンナーレファンの方ならばすぐにピンとくるかもしれない。

話を伺っていて面白いなと思ったのは、中之条町への移住前にもすでに自分のスタイルをある程度確立しアーティストとしても認められていた佐藤さんが(その話は持ち出さなかったがテレビ番組でも取り上げられている)、中之条ビエンナーレで偶然耳にした「疎開」というキーワードをきっかけにそれをリサーチして作品にも取り入れている、ということだった。毎作品ごとに社会的なテーマやリサーチをして作品を作る現代アートの作家は多いと思うが、確立した(ように僕などからは見える)絵描きがテーマを持つということは勇気のある行為であるように思えた(もちろん、それは彼女の中では必然な行為だったわけだが)。

今回は、佐藤さんが取材をするところを取材する、という体験もさせていただいた。さて、いちライターとしてそれら一連をどう書ききるか。

5984声 人がものを作る

2024年10月25日

器にしてもアートにしても、ものそのものの価値に関して、作り手の存在は関係ないという話はある。

性格がめっちゃ良い人が作ったイマイチな茶碗と、性格がめっちゃ悪い人が作った素晴らしい茶碗。人を知らず茶碗だけ見れば、支持されるのは、後世に残るかもしれないのは明らかに後者である。

であるから、ものは作者不詳であっても、不詳であるからこそ流通する。であれば、人を含めてのものの評価は間違っているかと言えばそんな事はない。

今日は「秋、酒蔵にて」の三輪途道ブースにわりと一日立っていた。三輪さんがチームで作った立体かるたは、僕が撮影し会場で流している映像でも紹介しているが、じっと映像を見てくれる人は稀で、見て回る人に「このかるたは••」と声かけした方が伝わる。

いつもは広告と、ちょっと映像を流す程度で会期中はほぼいなかったアキサカであるが、今回に限っては会場にいる機会を増やしてみた(三輪さんサイドで毎日出られないという理由もあるが)。たった一日でも、いてみると見え方が少し違う。

初日の今日は、ガラスの六箇山工房なら六箇山工房のファンが、陶芸のderacine factoryであればderacine factoryのファンが、真っ先に来てお気に入りを買う様子が見られた。

ものは必ず人によって作られるのだから、人を含めてそのものが好き、という事はあって良い。むしろ現存する作家であればたまに会って変わる年月と作品を見続けることもできる。

そんな事をぼんやり考えた一日だった。

5983声 けんちん汁には何を入れる

2024年10月24日

今年、母が白内障の手術を受けた。数年前から見えにくいという話はしていて、昨年メガネを新しくしようとメガネ屋に連れて行ったら、白内障でメガネは作れないと店の人に教えてもらった。

白内障手術を受けた経験者の話を聞いたり、ネットでも調べたりして結果、前橋駅前の「羽生田眼科」を選んだ。そこの医院は片目ずつの手術で、事前本番事後含めて何度も前橋へ母を連れて行くのは手間こそかかったが、親に対して今までした事はわずかなので、全く苦とは思わなかった。車中、あまり話はしなかったのだけれど。

今日は、術後の経過も良く、吾妻の病院の紹介状を書いてもらえるということで羽生田眼科へは最後の通院となった。家に帰る途中、吉岡町の食の駅ぐんまに寄る。すぐ近くにツルヤも角上もビバホームの肉屋もあるが、いい地物野菜を買おうと思ったらここが良い。

母は、手術により視力はメガネが不用なくらい回復したが歩みはちょっと遅い。人参、里芋、こんにゃく、と「けんちん汁を作ろうと思って」と母。一緒にゆっくり買い物を済ませた。

5982声 光をあてる

2024年10月23日

いよいよ、「秋酒蔵にて2024」が始まる(11/4(月)まで)。この日は設営日初日。今では「中之条ビエンナーレ」や「なかっ蔵マルシェ」などのイベントでよく使われるようになった旧廣盛酒造に県内ものづくり作家たちが集まる。

例年は、広報のためのチラシやポスターを作り、映像もどこかで小さく流す、という関わりで会期中はそれほど行けはしなかったのだが、今回は僕からの提案で下仁田町の彫刻家・三輪途道さんに声掛けをして三輪さんの作品や三輪さんが(一社)メノキとして取り組んでいる立体かるたの展示を行う。であれば、改めて僕もきちんとこのイベントに参加せねばならない。会場設営から加わった。

三輪さんやサポートメンバーも早々に酒蔵入りし、二階の和室の手前、倉にもともと設備されていた棚にきれいにかるたが収まった。その場所であればあまり物を持ち込まずに展示ができると思っていたので、収まりを見て安心した。三輪さんたちが帰られた後に、かるたがより立体的に見えるように左右から照明を当てた。数えきれないくらい展示の撮影をしてきたが、こういった「作品の展示」そのものの行為は僕にとっては初チャレンジである。

スポットライトを当てると、お蚕さんを頭に乗せた猫、三輪さんの脱乾漆作品「蚕神猫様」が絶妙な面持ちになった。

5981声 山の子の歌

2024年10月22日

この日は、伊参スタジオ映画祭スタッフの諸角さんの提案で前橋市の生涯学習センターをはじめて訪れ、8ミリフィルムで「山の子の歌」という映画を鑑賞した。なぜ前橋まで行ってこの映画を見たかというと、この作品が1960年代に製作された中之条町六合で撮影された映画だから、という理由からだった。驚くべきことに準主役的な役回りで六合在住の関さん(六合は関さんばかりだが、今はその程度の情報に留めておく)が出演しているという。

諸角さん以外のスタッフも数人加わり、白黒フィルムの中に映される雄大な自然を見て「あれはあそこかね」みたいな話でも盛り上がった。今回はフィルム上映ということでセンターの担当者の方が映写機で映写もしてくださったのだが、普段でもライブラリーでは群馬県で過去撮影された映画やドキュメンタリーや情報番組などをビデオ、DVD、フィルムで鑑賞できるとのこと。奥のフィルム保管庫も見せていただいたのだが、その数の多さに驚いた。関心のある方はぜひ訪ねていただきたい。

来年は、旧六合村と旧中之条町の合併から15年の節目。伊参スタジオ映画祭でもそれにちなんだ何かをしたい、と、今からゆっくりと動いている。

5980声 ちいちゃんのかげおくり

2024年10月21日

この日は、会社に行き玄関前に置いたクーラーボックスを開いた。そこには手書きのメモで感謝の言葉が綴られていた。前日八ッ場ダムへ行ったので会社にいることができず、クーラーボックス経由でDVDをお渡ししたのだが、そのお礼が書かれたメモだった。

DVDの内容は、先日撮影し編集した吉岡中学校文芸部の発表の様子を収めたもの。昨年に続き今年も、顔見知りとなった先生から学校の文化祭で流す映像の制作を頼まれた。仕事の大小かまわず引き受けてそれでずるずる色々な仕事が終わらないのは悪い癖と思いつつも、先生のハートが熱く生徒たちのやる気もあるこの撮影は今年も引き受けた。

発表のメインは、中学生7人ほどによる「ちいちゃんのかげおくり」(あまんきみこ著)であった。僕も小学生の時に教科書で読んだ話で、これを読んでくれているあなたもきっと記憶にあるであろう有名は話。空襲により家族を失うちいちゃんが、過去家族でやったかげおくり(よく晴れた日に地面に映る影をまばたきせずにじっと見て、そのまま青空をみると影のシルエットが空に浮かぶ、という人体の不思議を使った遊び)を思い出すという悲しい話である。朗読のための練習時間はそれほどなかったかもしれないが、熱演だった。

それを撮影した後日、自分でも覚えていないぶりくらいにかげおくりをやってみた。両手を頭上で合わせ、「白鶴、まる」みたいなわっかを作る(それがわかる人は昭和を生きた人)。この話を読んだ小学生の頃も、同じポーズのかげを空に送った気がする。この男、成長がない。

5979声 八ッ場ダムを背景に、ヤギが草をはむ

2024年10月20日

この日は、先月長期に渡って撮影した「山形ビエンナーレ2024」で知り合った詩人の菅啓次郎さんとの約束の日。菅さんが活動を共にしている台湾のアーティスト・王虹凱さんが台湾や日本のダムをリサーチしており、その一環として長野原町の八ッ場ダムを菅さん、山形ビエン講座の受講生でもあった林さんと共に訪れるというので、その案内役をかって出た。

八ッ場ダムは、その完成時の4年前に長野原町の仕事として「ふるさと、八ッ場」という映像を作るために何度も通った場所である。今回、ダムを見るだけではなくそこに住む方たちの話を聞くのが良いだろうなと思い、過去の取材でお話を伺った大黒屋酒店の篠原ヒサさんと、川原湯温泉でやまた旅館を営む豊田拓司さんを事前に訪ね、話をしていただく手筈を整えていた。

ダム湖は、近年めっきり四万ブルーに近いような濃い青色になった。ダム内のエレベーターを下り、僕としてもはじめてダム南側の吾妻渓谷方面も見てみた(正直、完成したダムにはあまり興味が持てない)。ヒサさんは90歳も越えているのに記憶力がものすごくて、菅さんたちにダムによって移転する前の川原湯温泉のことを話してくれた。過去には芸者の駐在所もあったという話。僕は旧川原湯温泉が好きで人気がなくなった最後の頃によく露天風呂に入りに行っていたので、人の出入りも多く豊かだったころの旧川原湯温泉もなんとなくイメージできた。

拓司さんは、昔を語るではなく、宿の周囲を案内してくれた(ちなみに、風情がなく集客に苦労しているであろう現在の川原湯温泉地域において、拓司さんのやまた旅館は先まで予約が埋まっているそうだ。比較的安価な料金設定と、拓司さん自らが山に入り採ってくるきのこなどの料理が固定客を作るのだと推測できる)。お客さんが体験もできるという陶芸工房も良かったが、僕が強く印象に残ったのは、宿とそのちょっと先のダム湖(の先には八ッ場ダムも見える)の間にある草木の斜面で拓司さんが飼っているヤギが草をはむ光景であった。

聞けば、その斜面にある比較的若木は旧川原湯地区にあった木を移植したものだという。予定ではもっとたくさん移植するはずだったが政権が変わった際にそれも中断してしまったのだという。それでも、場所を移し成長していく木々はまぶしいものに思えた。何より、様々なことがあった巨大な人工物を前にして、ただヤギが生きている、その光景がとても良かった。

王さんは音を作るアーティストとのことで、その場においては映像ではなく、音声レコーダーでメエメエと鳴くヤギの声を録音していた。遠目にその様子を見ていて、そこからどう作品として立ち上がるのか、台湾まで見に行くのは大変だけど、見てみたいと思った。

5978声 コチュジャン

2024年10月19日

この日は、アーツ前橋「表現の森」(アーティストが前橋市内の各地へ赴きその場の人たちと協働する活動)からの流れである、中島佑太のWS撮影(現在はアーツ主催ではなく、企業からの協賛により活動をしている)。もう何度通ったか覚えていないくらいになった群馬朝鮮初中級学校を訪れた。

ハロウィンが近いということで、それにちなんだような絵本の読み聞かせが行われていた。ハングル語は未だに読み聞き全くわからないが小さな子どもたちは聞いたり聞かないではしゃいだりしていた。WSの内容は、段ボールを使って公園を作ってみようという提案。提案、と書いたのは必ずしもそうしなさいね、各自作ったものは展示してなぜ作ったか発表もしてみましょうね、というような押しつけが一切ないからだ。それはずっと変わらない中島佑太の作家性でもある。

傑作だったのは、段ボールを組み合わせて、Uの字の便座も貼り付けて、トイレを作った子がいた。それに向かって、青いテープ紐のようなものをズボンに押し当てた子がいた。公開疑似立ちションである。その発想の連鎖と自由性。素晴らしい。

学校の窓口になってくれている里香さんから、お昼に出されためちゃくちゃ美味いスープと、特製のコチュジャン、婦人会で作っているオンマの味という甘じょっぱい調味料をいただいた。そのコチュジャン、人生が変わってしまうようなコチュジャンであった。辛さではなく、うま味の玉手箱。つまようじでそれだけをちびちびつまみながらずっと酒が飲める。

以前、日本にある朝鮮学校が、その経営をすべて自分で行っていると聞き、よく考えると国や県はそういう態度かもなと思う一方で、ひどい話だとも思った。けれど、関係してみて感じるのは悲感ではなく、この学校やそれを支える家族の方たちの強さ、豊かさである。

WSで使われた段ボールは、そのまま校舎裏の置き場に貯められ、その回収資金が学校の運営に回される。そこまで計算しての中島佑太のWSなのだが、緩く、でも確かな関係性がここにはある。

5977声 審査会

2024年10月18日

この日は「伊参スタジオ映画祭」の柱である第20回シナリオ大賞の審査会。役場のスーパー公務員唐沢くんの運転で東京へ向かった。全国から中編、短編の映画シナリオを公募し映画化させるこの取り組みも20回目。最終審査員は、篠原哲雄監督(『月とキャベツ』『影踏み』等)、松岡周作プロデューサー(『眠る男』『月とキャベツ』等)、シナリオセンター講師である坂井昌三氏という初期メンバーに加えて、今回より新たに群馬在住の小説家・絲山秋子氏(「沖で待つ」「まっとうな人生」等)、脚本家の菅野友恵氏(『浅田家!』『影踏み』等)の2人が新たに加わった。

絲山さんに関しては、何度かお会いもしていたので直接審査員になっていただけないかという声かけを僕がした。小説と映画シナリオは別物であるが、映画関係者のみではない新たな視線が入ることは必要なことに思えた。初参加となった審査会で、絲山さんがシナリオを熟読してくださったことはすぐにわかったし、菅野さんと共に実際新たな風を吹き込んでいただいたと思う。

シナリオ審査会は、審査員多数の自宅に近いと思われる東京のどこかで行うのが通例で、映画祭スタッフはあまり参加ができないのだが、個人的には映画祭本番に次いで一番面白い。次回は四万温泉の宿にでも皆さんお越しいただいて、スタッフも見学させていただきながら審査会ができたら最高だな・・などとも妄想している。審査の結果はぜひとも、11/17(日)の映画祭で目撃していただきたい。

5976声 根を張る

2024年10月17日

この日は、以前ここにもちょっと書いた中之条町六合に移住した相田永美さんの取材日だった。映像記録ではなくライターとして六合の奥まで車を走らせる。入山銀座(旧国村唯一となった(多分)ガソリンスタンドや人気の蕎麦屋「野のや」がある一体)を左折し京塚温泉方面へ、そのちょっと先に相田さんのアトリエであり予約制で公開もされている「あるところにないところ」はある。

中に入ってまず目につくのは大量におかれた観葉植物。コレクターと言っても過言ではないがその鉢植えなどは自作の陶器が使われている。葉がとげとげしていたり、変に丸みを帯びていたり。建物の周囲にある六合の山奥に自生する大きな自然と、内省的とも言える(というのは彼女の言葉ではなくて僕の勝手な印象だが)異質な観葉植物、そのどちらもが彼女の制作に欠かせないもののように思えた。

六合に根を張る、というと数年前に六合から長野に移ったアーティストの古川葉子さんを思い出すのだが、彼女もまた六合の自然や風土に感化されすばらしい作品を作り(中之条ビエンナーレにも多数参加)、今は結婚を機に長野へ移ったが、それは六合で生やした根を断ち切って離れた、という印象ではなく、長野と六合とで彼女の中では地中深く根っこがつながっているのではないか、と思ったりする(というのは彼女の言葉ではなくて僕の勝手な印象だが)。

さすが六合、同じ町内でも僕んちよりも冬が近いな、とも思った。

5975声 鶴のひとこえの秘密

2024年10月16日

鶴のひとこえの秘密、というかある意味時間の秘密だと思うのだが、実は今11月3日の午前4時漫画喫茶のPCでこれを書いている。10月中に各日31本の短文を書くことができず今日は「前橋映像祭」に参加して元気が残っているうちに漫画喫茶へ。3日分ほど書いて眠くてシートを倒して寝て今起きた。

ほとんどの執筆陣は、きちんと毎日更新をしている。うち一人は、その日のうちには書かずに翌朝に前日あったことを思い出して書くのがルーティンという話も聞いたことがある。僕もそのように毎日書けた月も4回に1度くらいはあった。今回はあまり書かずに日々を過ごしてしまった。

秘密、というほどでもないなと今頃思いながらも、書きたかったことは単純なことで「毎日書いている方が苦ではなく1ヵ月分も無事書き終わり、書かずにためて一気に書くとしんどい」ただそれだけである。夏休みの宿題のそれである。けれどこれは毎日執筆に対することだけではなく、筋トレもそうであり、大切な人との時間についても同様のことが言える。毎日の積み重ねに勝るものはない。

とここまで書き、ドリンクバーのコーンポタージュスープを飲み終わったので、コーヒーのボタンをぽちっとしてきて、残りを書き切ろうと思う。

5974声 ボラ活

2024年10月15日

今夜はいよいよ近づいてきた(近づいてきたの?まじで?)「第23回伊参スタジオ映画祭」のスタッフ会議だった。ひと昔前は、入場の印としてチケットの半券替わりに渡す木札を1枚1枚プリントごっこで手刷りしたり、準備が今まで以上に大変だったのだが、それでも全国からシナリオを募集し映画化させる「シナリオ大賞」のスタッフ賞を決めるためのシナリオ読みだったり、受賞盾は今も1枚1枚手書きで書いているし、スタッフとしてやること、やってもらうことは多い。

ボランティアに頼らない映画祭なんてものは日本中にあまりない気がするが、中之条町のこの伊参に関しては、中之条町共催のため役場内に常時担当者がおり(現在は、ロケ同行も映画祭準備もきちんとこなしてくれるスーパー公務員唐沢くんが担当)そこだけは仕事の一環ではあるが、ほかは実行委員長の僕を含めてすべてボランティアにより実行委員会を組織している。映画祭は例年11月頃だが、一年を通じてわりとやることは多い。

ひと時は僕含めベテランスタッフばかりになりどうしようなどとも話していたが、ここ数年は若い人を中心にスタッフもちびちびと増え、映画祭会議でも和気あいあい感を感じる。スタッフ募集のための動画も映画祭スタッフの長塚さんが編集してくれたりして、あと5人くらいはよく会議にも参加してくれるスタッフを増やしたいと思っている。遠くはや嬬恋から来ているスタッフも。これを読んでくださった近場の方もぜひご参加いただきたい。

スタッフ募集動画

仕事組織をまとめるのも大変と思うが、ボラ活もボラ活で仕事と違い参加厳守とは言い難いことが多く、スタッフのモチベーションを上げるにはどうしたら良いかみたいなことは時々一応は考えてみるのだけれど、「自分が誰よりも楽しんでいればそれで伝わるか」みたいに楽に考えてきた。

先ほど、参加厳守とは言い難いと書いたが、そうではあっても「何かしらの役をしてもらうこと」それが大切な気もしている。スタッフとして初参加だから授賞式の手書きの楯を書いてほしい、音楽が好きそうだから映画祭当日の休憩時間に音楽をかける役をしてほしい、など。それは仕事と同じ原理かもしれないが、僕が実行委員長のうちは、そういうのを緩く、楽しくやっていきたいと思っている。

5973声 六箇山工房

2024年10月14日

六箇山公房は赤城山の麓にあるガラス工房。庭には木々にガラス玉のモビールが垂れ下がりテラス席もあり、渋川市の向こうの榛名山もよく見える。

六箇は3人のガラス職人と1人の帽子職人から成り、ガラスの佐藤遥果さんと小野口カナメさんは中之条町で行われているものづくりイベント「秋、酒蔵にて」のメンバーであるから、結構前から顔なじみである。この度、海外で工芸品の展示をする機会があり、そこで見せるための映像を作りたいとのことで撮影目的で工房に伺った。

ガラス工芸、と言えば、熱したガラスを棒の先につけてぷーっと膨らます、程度の知識しかなかったが、本体とは別に溶かしたガラスを細く巻いたり、実際の石を押し当てて岩肌のゴツゴツをガラスの模様にしたり、何事もそうだが熟練した職人技というのは難なくやっているように見えるので勘違いしそうだが、実に奥深い。お客さんによるガラス加工体験も撮りたかったので、そこは映画祭つながりの長塚さん夫婦に中之条まで来ていただいた。よい撮影ができたと思う。

撮影合間、ご自宅兼帽子工房の小野口家にも入らせていただいた。入ってすぐには縦何段もあるガラスケース2台(もっとあったかな)にずらーっと並んだスノーボール。カナメさんはこれのコレクターらしい。1つ触らせてもらって天地を逆にして戻すと、はらはらとガラスのボールの中に白い雪(に似せたもの)が舞い降りた。ここから榛名を一望する景色が雪で覆われたら、それはまたきれいだろうな。

六箇山公房

5972声 私は音楽だから

2024年10月13日

「大丈夫、私は音楽だから」というセリフはさそうあきらによる名作漫画「神童」で、野球に熱中するやんちゃ少女ながらまさに神童ばりの神がかったピアノを弾く主人公、成瀬うたが、突然世界的なオーケストラの楽団のピアノ演奏を代役することになり、そのプレッシャーを微塵も感じさせず言い放つセリフである。

それと同じセリフが言える選ばれし音楽家はきっと世界には何人もいるのだろうが、中村佳穂の音楽を聞いた時に、本人は言わないまでも、ああこの人は音楽だな、と思った。

中之条町で小さな書店「フクロコウジ」を営む原沢さんから、2年越しの中村佳穂コンサートのお誘いを受けた。昨年も誘っていただきタイミングが合わず、今年は高崎音楽祭で演奏するとのことで2つ返事で行きましょうと伝えた。

実際ホールに入ってみて、今夜の演奏はトウフビーツがメインで、それとコラボしていた中村佳穂や、DJ繋がりでテイトウワが来ていた事を知り(遅い)演奏の8割はズンドコDJサウンドで場違い感もあったのだが、冒頭の中村佳穂ピアノソロを存分に聴き入った。

わりと初期から聞いていた身として、バンド編成も変わり、自分の音楽を求めるがゆえに他メンバーとの確執もあるのかななどといらない心配もしていたが(初期の曲を聴くと、今はいないメンバーのギターが聴こえて来る気がする、など)、たった一人のピアノソロでも寂しくはない、ピアノとボーカル以上の沢山の音が降り注いだような瞬間があった。やはり、中村佳穂は音楽なのだろう。

5971声 普通に生きるってすごい

2024年10月12日

この日は、年に1度~2度お手伝いしている前橋市の映像制作会社「フレームアート」からの頼まれ撮影だった。撮影に来るのは多分2度目だが、高崎の川原の広い広場で、近くの保育園の運動会を撮影した。機材も全てフレームアート持ち、現場に着くと先に社員のSくんがいて、カメラもすぐ撮れる状態にセッティングしていてくれた。

さて、唐突ではあるが、この年になっても「普通に生きるってすごい」と思う時がいくつかある。会社勤めの時も合同会社を作った今も、主にはお金に関してなのだが「お金を稼ぐってあんなに大変なのに、普通に生活して、なんなら家建てて色々買って、それで生活してる人がこんなにいるなんて」と思わざるを得ない。それが各個人の努力だけではなく、世のシステムにもある、普通に生活できない人も多い・・などという話は置いておいて。自分が勝ち組だと思ったことは一度もない(人との巡りあわせにおいては勝ち組だけどな)。

撮影に話を戻して。Sくんは心身の不調なのか詳しくはわからないが、しばらく仕事に出られない時期があったように思う。映像を学校で学んだわけでもないようで、最初に会った頃は今のように「撮影現場に1人で行って、僕のようが外部カメラマンに指示を出す」なんて考えられなかった。だから今日は、何目線なのかわからないがニコニコとSくんの頑張りを見ていた(いやいや、カメラの先の園児を見ろよって話しだけど)。周囲の良い人間関係も必要だけど、人は変われるんだな。自分自身はどうだろうか。

5970声 と言いつつ濃厚カレーうどん

2024年10月11日

昨日、健康のために食事大事と言っておきながら、この日は沼田市の「みのや」で濃厚なカレーうどんを食べた。いや、野菜も入ってたし、健康にも良いに違いない。粘度の高いカレースープにコシのある太麺のうどんが合う。卓上のフライドガーリックをバサバサかけていただいた。

沼田へ行ったのは、今月行われる「秋、酒蔵にて」というイベントの元代表である吉澤良一さんに連絡をもらい、吉澤さんの知人がこれから売り出すはちみつのパッケージ用シールを作るための打ち合わせのためだった。養蜂メーカーから独立し一人養蜂を始めた康次さんは見るからに「山男」でタフな印象。であっても作るはちみつは(特にアカシアの純はちみつは)とてもきれいな味だった。

カレーうどん、小ライスをつけることもできたのだが(うどんを食べて残った汁にライスを入れるスタイル)、それは辞めておいた。人間、この年になっても成長できるものである。

5969声 食は命

2024年10月10日

高崎市のショッピングモールそばにある「スーパーまるおか」は、近年はテレビ取材も多く(「マツコの知らない世界」でも取材されたそうだ)より広く知られる存在となった。高級スーパーの括りで語られることが多いが、日本全国から良い生産品や加工品を集め、店内の惣菜や弁当にも良い食材を使い、それを生産者や加工業者が損をしない額で出しているお店である。

現在の場所ではなく、箕郷町にあった頃に、高崎にあった「BIOSK」という店を通じてまるおかさんのチラシやパンフレットを担当するようになった。その頃はすでに「良い商品を売っている店」という認知はされており、こんな山間のスーパーに人が来るってすごいなと思っていた。現会長が掲げる「食は命」というテーマは今も貫かれている。

数年ぶりに、パンフレットを刷新した。撮影は自身もまるおかで買い物をするフォトグラファー土屋ミワさんにお願いした。ドレッシング1本1本にしても、それぞれ作り手の想いが強い。リニューアルの話をもらってから納品までに長い時間がかかってしまったが、良いものができたと思う。

食は命。に感化されてというわけではないが、インスタント麺や体に悪そうなものを採る機会がかなり減った。それは健康を気にしてという自主的な行為ではなく、そういうものを食べると翌日調子が悪い、という体の変化に合わせてのものだった。ほんと大事、食べ物って。

5968声 地元マウント失敗

2024年10月09日

来月から2年ぶりの猟友会撮影が始まる。3年前は吉井町で猟銃による狩猟を、2年前は片品村で罠猟の様子を撮影した。県の仕事である。今回は、より高レベルの狩猟を行いたい経験者が見る、教材的な映像を制作する。そういった映像は他にほとんどないと思うので、やりがいを感じている。そしてそれ以上に・・猟友会の皆さんの足についていけるのか、という不安が大きい。3年前はやっとだった。年齢・・というよりは、日頃体を動かさず不摂生をしているがゆえの自業自得である。

と、弱音を吐いていても変わらないので、多少は準備を始めた。今日は、実際の撮影で使うアクションカムを頭につけて東吾妻町の岩櫃山を登る。岩櫃と言えば、2016年の大河ドラマ「真田丸」で注目された真田氏の岩城があった場所。小学生の足でも頂上付近まで行けるが、鎖を使う場所や沢の石の上をぽんぽん渡る場所もあるのでなかなか登りがいがある。今日は初めて「尾根通り」コースを登ってみたのだが急こう配がきつい。はあはあという息切れも、アクションカムにきちんと録音されていく。

頂上付近まで登ると、チェックシャツを着てリュックを背負った先約がいた。「頂上は何も印がないんですね」と聞かれたので「岩櫃山の頂上はあそこ(頂上付近から見上げることができる、鎖を使った岩場の上)なんです。無理に行く場所じゃないと思いますよ」と答えた。でもせっかくだからと、チェックシャツのおじさんは荷物を置いて一人、頂上の岩場へ向かっていった。

先に下山しても良かったのだが、僕はわりの地元の岩櫃経験者であるし、おじさんの荷物もそばにあるし、彼が鎖を登って万が一の事があればと思い、じっと見届けていた(僕が立つ場所から頂上は丸見えなのだ)。ゆっくり、けれど確かな足で彼は頂上に立った。

おじさんが戻ってきた。「まあ、一度行けばいいよね」と彼。「色々な山を登っているんですか?」と聞くと「はい。100名山は98つ登りました」と。ぽかーん。僕の地元マウントなんて全く意味をなさず、おじさんは山の達人だったのだ。下山道はおじさんの後について降りていったが、無駄なく軽妙に歩くおじさんは、すぐに見えなくなってしまった。

うだうだ言わずに、行動する、継続する。それしかないよと、誰かに言われた気がした。