日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

2329声 ジェイソン

2014年08月08日

無意味に血が飛ぶようなホラー映画は嫌いです。でも

心理的に怖い『セブン』『羊たちの沈黙』『ミスティックリバー』とかサスペンスは好き。

日本には黒沢清という監督がいて、学生時この監督の講演を3時間くらいかな、

録音は駄目だったので、速記でノートにびっしり延々と書いた位好きな

監督なのだが、『CURE』『カリスマ』『ドッペルゲンガー』『贖罪』など

この監督の「わけのわからないものの怖さ」を描く手腕はすごい。

 

ホラーにしろ、サスペンスにしろ、結局は

「怖いものの正体がわかるまでが、怖い」のだと思う。

何者かによって殺される、何かによって不穏になる。

その正体がわかった途端、たいがいの映画の怖さは半減する。

 

これ実は、実生活でも同じと気付いた。

不安なことで弱ったとき、その原因がわからなかったり、

相手の反応を待つ必要があり、どう進展するかわからない場合、

その不安はどんどん大きくなる。

けれど、「怖いものの正体がわかったとき」

不安は、課題に変わる。あとは対処方法を探るのみ。

 

心の中のジェイソンにおびえないこと、なのだと思う。

マスクを取り上げたら、それは泣き虫の子供かもしれない。

2328声 盆おどり

2014年08月07日

8/14(木)-15(金)東吾妻町・群馬原町駅北の広場で開催される
「第4回納涼盆おどり」のチラシとポスターのデザインを担当した。

 

東吾妻町は、僕が住む中之条町の隣なのだが、
中之条町ではすでに盆おどり大会は行われていない(と思った)。

 

小学校くらいの夏休み。夕方になる。
盆おどり特有の湿っぽい歌に誘われ、夜道を歩く。
灯りの灯った提灯が連なる。紅白幕がかけられた、やぐら。

 

子どもながらに踊るのは恥ずかしくて、
それは僕だけではないらしく、輪の中には年配の人が多かった。
浴衣を着てキリッと踊るおばちゃん。
短パンTシャツでほろ酔い加減のおじさん。

 

「中之条音頭」という曲があった。
歌詞に「酒のつまみにこんにゃく刺身~」という一節があり、
こんにゃく刺身なんてまずくて食えないよ、
と茶化したものだが、今ならその良さもわかる気がする。
youtubeにあったので久々に聞いたら、名曲だった。

 

盆おどりは、ほんのり温かくて、切ない。

2327声 見ている世界

2014年08月06日

僕も利用する牛丼チェーンの過酷だという雇用形態が問題になっている。

そういう話題にはいつも触れないのだけれど、

経営者の「今回は経営としても遺憾で・・」という言葉がひっかかった。

何かに対して憤っているということである。

従業員は経営側に憤り、経営側はこの状況に憤っている。

そのズレ。

 

僕も飲食店での実体験がある分、従業員の側に加勢したくなる。

けれど、見ている世界が違うからなぁ、とも思う。良し悪しではない話で。

 

従業員は、仕事が無事に終わるか、目の前のお客さんの動向、を見ている。

店長は、従業員のシフトを考え、一日の売上を考え、上からの指示を聞く。

経営者は、グループの拡大を考え、他者との競争を打ち勝つことを考える。

同じ「会社」にいても、見ているものが違う。

それ以上は、誰が悪い、社会が悪いetc…という話になるので、

この話はこれくらいにする。

 

人に会うと、

「この人が見ている世界はどんなだろうか」と思う。

それは性格というよりは、立場だったり、環境だったり。

これぞ経営者だ、という人にもたまに会う。すごいと思う。

でもやはり、いくら立派な人でも、

「弱さ」がわかる人、見せられる人でないと、

親しくはなれない気がする。

2326声 襟裏返ってます

2014年08月05日

「襟裏返ってますよ」と注意されたわけではない。

サラリーマンの方や、主婦の方はご存じと思うが、

Yシャツは、だいたいが襟の部分から駄目になる。

皮脂や摩擦で、切れてしまうのだ。

 

そうなったYシャツは、普通は捨てますよね。

着ないだけで、ただとっておいた。

すると母が、

「襟とって裏返して付け直した」

と言うではないか。多分やっかいな手仕事だ。

 

親孝行しないとね。

連日猛暑。親父が死んで4回目の盆が来る。

2325声 ロールキャベツ

2014年08月04日

金がないと、人は弱る。

今でもないので困りものなのだが、

一番のピンチは22、3のあの時か。

預金もなく、財布には、帰りの電車賃がない。

・・・でも大丈夫、と自分に言い聞かせる。

新宿にいた。日雇いバイトの給料を受け取りに行く。

 

「認印が必要です」と受付の兄ちゃんに言われる。

取りには戻れない。目の前が暗くなるのがわかる。

・・・でも大丈夫、と自分に言い聞かせる。

新宿西口界隈の100円ショップを巡る。

3件目にして「岡安」の判子をゲット。

 

もらったのは数万円程度。

口座に入れる・・ではなく、最初の使い方は決めていた。

100円ショップを回っているうちに、

ちょっと老舗っぽい洋食屋の看板、

ロールキャベツの文字が目に留まった。

10月頃だった。

 

めったに食べないし、食べようとも思わないロールキャベツだが、

その時食べたものは、ちょっと泣くくらい美味しかった。

金はない。先も見えない22、3歳である。

ロールキャベツをハフハフ食べながら、

・・・でも大丈夫、と自分に言い聞かせた。

2324声 写真でもなく絵画でもなく

2014年08月03日

群馬県立美術館にて、

「開館40周年記念第1部 1974年に生まれて」

という展示が8/24(日)まで行われている。

これは、県立美術館が出来た1974年に、

同じく産声を上げた美術作家6人による展覧会。

ずいぶんとオツな企画展である。

 

その作家の中に、ジャンルで分けたら

写実的絵画を描く水野暁さんがいる。

「他は現代美術だからね、浮かないかな俺・・」

と若干気弱に話す彼の画は、一度見たら心臓に焼き付く。

水野暁サイト

 

彼が林檎の樹を描くところを、何度か見に行った。

彼は1枚の画を、4年かかって描き上げた。

芽が膨らみ、花が咲き、花が落ち、実が膨らみ、実が落ち、繰り返す。

その「時間」を、画として記録していく。

これはもう、彼しか表現できない世界だ。

 

今回の県立美術館「1974年に生まれて」。

そんな彼が3年かけて描き続けている、浅間山の画が、

・・尋常じゃない。

写真ではない。へたすりゃ絵画でもないんじゃないかなぁ。

その画は、写真に撮られ、印刷やネットを通して見たんじゃ、駄目。

・・それは、生き物である。

そして僕は知っている。彼は、田中邦衛のモノマネがうまい。

 

最終日24(日)には水野さん本人によるレクチャーも行われるそうなので、

ぜひ、足を運んでいただきたい。

 

2323声 役割

2014年08月02日

「ちぎりいち」の家の軒先で梅を干していたので

「僕だったらコップに入れて焼酎ですねー」と話しかけたら、

「もってくかい?」とくれた。確信犯である。

 

中之条の町は明日の本祭りを控え祭りムード。

僕の住む地域には山車がなく、とても近くなのに昔から関わっていない。

祭りに参加する子供たちは、溢れんばかりのエネルギー。

面倒だな、と思ったりもするのだろうが、与えられた役割をギュッと噛みしめている。

 

役割がない、のは気楽な反面、つらい。

田舎では、祭りだけではなく日常生活でも、仕事レベルにいかずとも、

家族の輪の中で、地域の輪の中で、

物をあげたりもらったり、話をしたり、生活を共にしたり、

自分は誰かに必要とされているんだろうか?とは悩まなかったのではないか。

 

自分が参加しない祭りを見て、子供の頃に覚えた、寂しさ。

自分の役割について考える時、その寂しさを思い出す。

・・・けれど、忙しいを口実に祭りには参加しない。これから、遊びには行く。

2322声 弱さ

2014年08月01日

こちら中之条は、女の子だったら半月は惚れ込んで、あとは急速に身を引くような天気でした。

つまりは、焼けるような日差しの後に黒雲登場で雹だ豪雨だと、振り回されまくり。

・・たいして例えうまくない!

ということで八月。夏がほとほと似合わない岡安にバトンタッチです。

でも今夜はソーメンを食べました。

今夜の榛名湖の花火大会は雷鳴った後開催されたそうで、

明日8月2日には高崎祭りの花火大会もあります。

 

せっかくまた1か月書かせていただく機会となったので、何かひとつテーマ的なものを上げてみようかと。

夏らしいのは無理です。ふと浮かんだのは「弱さ」でした。齢34歳にして弱さ。これでいいのだろうか?

 

ソーメンにマヨネーズを入れると、胡麻ダレみたいになります。

抜井さんの出汁の効いた言葉の後には、だいたい脂っこい僕の言葉にお付き合いください。

2321声 一色

2014年07月31日

八月第一週の今週末は、どこの町も祭り一色であろう。
こちらでは江戸川花火大会が予定されているし、 郷里高崎市では高崎祭りと花火大会。
ここのところ毎年訪れている八木節祭りが、桐生市で開催される。
この祭りの時期を過ぎれば、そろそろ野の畦道に彼岸花が咲き出す。

彼岸花咲いて故郷らしくなり 諒一

さて、そちら中之条はどうですか、岡安さん。

2320声 担当

2014年07月30日

明日で私の担当も一区切り。
次の担当は岡安さんである。
梅雨の最中に始めて、いまはもう盛夏になってしまった。
書き始めてからメールを頂いた中に、俳句など連載してみてはどうか。
と言うものもあったが、粗製乱造の懸念があったので、ご意見に答えられず居た。
明日にはひとつくらい載せようと思う。

2319声 鰻丼

2014年07月29日

暑気にあたって腹具合がどうにも芳しくないので、このところ麦酒を控えていた。
今日は土用の丑の日なので、夕食を鰻重、とまではいかないにしろ鰻丼にした。
そこで辛抱たまらず、麦酒に手を出してしまったが、味は格別だった。
美味しく飲むための禁酒と言うのも、ひとつの手であると感じた。
鰻と麦酒なので、腹具合の悪化を懸念していたが、調子がよかった。

2318声 複雑

2014年07月28日

最近、「モルツザドラフト」なる銘柄の生麦酒を、酒場でよく見かける。
まだ飲んだことはないのだが、プレミアムモルツももちろんだが、
なにより 従来の「モルツ」フリークとしては、飲みたいような飲みたくないような。
複雑な思いを、その「ドラフト」と言う文言から喚起される。

2317声 廊下

2014年07月27日

今日も炎天。
朝から濃く霞んでいて、山並みはまったく見えなかった。
お昼ごろから強烈なる風雨があり、
きれいな夕映えの山並みを見ることが出来た。
猫は一日中、廊下にぐったりと腹ばいになっていた。
赤城山の麓をぐるりと回り、館林方面から川口を通って帰ってきた。
家の前の桜並木の蝉時雨が、出かけた日よりも厚く高くなっていた。

2316声 竈馬

2014年07月26日

吟行地である群馬県桐生市の山奥に着いたときには、
森の中のあちらこちらにそれと分かるいでたちの人たちが見えた。
今日は群馬県内は最高気温37度を観測する、とてつもない暑さであった。
そのためか、昆虫やら小動物の活動が活発で、隠沼の周辺には、
青蜥蜴やら糸蜻蛉やら玉虫やらナナフシやら、
都会ではあまり見かけない様々な生き物が跋扈していた。
当然、虫など怖がっている人など一人も居らず、やぶ蚊を叩きながら、
みな句作に熱中していた。

日射病、熱中症の人など出ず、句会は無事に済んだ。
参加者の大半がご高齢の方々だったが、むしろ町の若者よりも頑丈である。
私は全然集中できず、句の出来栄えも惨憺たるものだったが、
他の作品から学ぶところが多かった。
薄暗い厠の中で用を足していて、ふと大きな竈馬に足を這われた時には、
流石に背中に寒気が走り抜けた。
いささか取り乱して、慌ててそいつを振り払ったが、
町へ降りて来てみればなんとも笑える光景であった。

2315声 蝸牛

2014年07月25日

芭蕉は桜を眺めていると、思い出すことがさまざまあると詠んだが、
この石にしみいるような蝉時雨を聞いても、思い出すことがさまざまある。

そう言えば、去年の夏は堀澤さんと一度、都内で会った。
もちろん、麦酒から麦酒を求めてはしご酒となり、
千鳥足でなんとか東京駅前までたどり着いた。

その時に、ざぶんの移転計画を聞き、一年たった今では、
無事に店舗移転を済ませ、お店は活況を呈している。
私はと言えば、去年の夏から一応、物事への取り組みは、
蝸牛くらいの速度で進んではいると思う。
ただ単に、馬齢を重ねているだけとも思うが。

2314声 夏鍋

2014年07月24日

連日、麦酒を飲むことによって体が冷えるのが、
毎日のこの倦怠感に繋がっているのではなかろうかと思い、
昨日は鍋を食べながら麦酒を飲んでみた。
鍋が熱いので、麦酒は普段より進んでしまうし、
部屋の冷房は効かせてしまうしで、かえって体に悪く、
体調をさらに崩した。

2313声 畏敬

2014年07月23日

連日の猛暑である。
今週末も群馬に行く予定なので、今から熱さがおそろしい。
土曜日には吟行があるが、高齢の俳人が多いので、心配でもある。
私など、すでに夏バテ気味と言うか、完全に体調が悪い。
極寒と酷暑なら、後者の方が生命の危険がありそうに感じる。
しかし、熱くとも、老練な俳人たちの衰えざる詩魂には、
毎回、畏敬の念を抱かされる。

2312声 平静

2014年07月22日

世間は夏休みに入ったので、通勤の電車などは空いている。
と言うのも、路線によりけりで、観光地など停車駅に有している路線では、
朝から子供たちでごった返している。
この時期は、週末ともなれば祭囃子や花火の音が聞こえるので、
なんだか心がを保てず、そわそわしきりである。