日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

5233声 映える花火

2022年09月06日

今年の夏は、起業したのでいつもとは違う夏になるかな・・なとどは思っていなかったのだが、案の定それに伴うことは幾つもやったものの、自分の気持ちとしては思ったよりも特別感はなく、いつも通りあっという間に夏が終わった。

 

最後に何か夏の終わりのようなことがしたくて、スーパーで500円程度の「花火セット」を買って、いい大人2人で花火をした。事前にテレビで見ていたのだが、今は「煙の少ない花火」なるものが開発され、それ、目にも染みないしなかなか画期的ながらあまり売れずに、名前ひとつ変えただけで売れるようになったらしい。さあ、何でしょう?

 

正解は「スマホできれいに映せる花火」である。時代だなぁ。そういう用途でやりたかったわけじゃないけど、売っていたからそれを買った。結果として、その煙が少ない花火というのは似た火花が出る花火だった。線香花火のように円状に飛び散る火花だ。大半がそれなのでなんか昔と違うなと思っていて、わずかだけ前方にシュシューっと火花が出る花火があったので少し安心したら、それは煙が出るタイプの花火だった。これで良いじゃん、と思った。

 

最後に線香花火を残しておいたら、それは4本ともに赤い玉になった、これから小さく火花が散るぞ、というところでポテッと玉が落ちてしまった。4本あって4本とも。なんだかがっかりでもあったが、それはそれでなかなかに楽しい夜だった。

5232声 祭りの外

2022年09月05日

昨日は、高崎まつりと同時に、僕が住む中之条町でも2年の中止を経ての「伊勢町祇園祭」が開催された。中之条では大きな祭りとして8月の「中之条町祇園祭」と9月の「伊勢町祇園祭」があって、それはかねんての坂を下りた先の橋を境に開催される地域が2つに分かれている、ということなのだが、前者は今年も中止になったのに対し、後者は開催となった。詳しい理由は知らないが、僕は個人的に「中之条町(町名ではなく地域名の方)より、伊勢町の方が祭り好きが多い」ことなんだろうなと解釈している。実際、他の祭りもそんなものだが、参加する人の祭りに対する情熱は計り知れないものがある。

 

僕が生まれた西中之条は、そのどちらの祭り地域にも属さない。だから物心ついたころから祭りは僕の外で起きていることで、山車に乗って太鼓を叩くことはもちろん、はっぴやはかまで祭りの恰好をしたこともない。小学校の時などは、そうした格好で喜々としながら汗を流して太鼓を叩いている同級生が眩しくすらあった。が、根暗であったので、そういったものに参加する必要がないことは、ほっとする事でもあった。今でも、そんなちょっとの寂しさと関わらなくて良い変な安堵が心のどこかにある。

 

今年は、2年ぶりだというのに「伊勢町祇園祭」にはちょっとも顔を出さなかった。来年はきっと中之条町の方も行われると思うから、両まつりを歩いてみたいな(撮影もするかな)と思っている。

5231声 たこを抜いたたこ焼き

2022年09月04日

高崎まつり真っ最中であったが、高崎でひとつ用事があり、そのついでに高崎市内を歩いた。ふと調べたら高崎電器館で是枝裕和監督『ベイビーブローカー』上映最終日で、是枝作品はほとんど見てきたので観に行ってみた。この映画は韓国で撮影されておりキャストもオール韓国キャスト、主演のソン・ガンホがカンヌ男優賞を受賞したニュースを覚えている人もいるのではないか。捨てられた子どもを、子どもを欲する家族に高額で売る男たちが、捨てた女と共に旅をするロードムービーであり、結果として是枝作品っぽい「一般的には底辺と言われる人たちが、社会や現実と格闘しながらも、人生における大切なものに気付く」作品だった。個人的には、これをオール韓国作品と見ていたらただ良い映画だったと思ったかもしれないが、わかりやすい形での是枝作品として進んでいく事が気になってしまった。

 

映画の前には少し腹ごしらえと、昼を過ぎているのにまだ始まらない祭り屋台やイベントの脇を通り抜け、スズラン地下街へ行った。最近、体に良い弁当や総菜を売っている「だるまだるま」の話を知人としたばかりだったので、そこでイワシ煮が乗った弁当を買って、そばの立食黙食コーナーで肩を狭くして食べた。周囲には祭り特有の高揚した家族連れなどが多く、僕の隣では小学3年生くらいの男の子とその子の母親的な女性が立食で、総菜や弁当を食べていた。「スズラン来るのは初めて?」「うん」というやりとりをしているので、母子ではないのだろうなと思った。「私ちょっとあっち見てくるから」的なことを言って女性が離れる。僕は、なんとなくその男の子を見た。すると彼は【たこ焼きの長い楊枝を使って、少し不器用にたこ焼きからたこを抜き、たこが抜かれたたこ焼きだけを食べていた】。僕も彼くらい小さい時は固いたこが嫌いだった気もするし、特別な事ではないのだが、母親ではないっぽい人とデパ地下にいる子がそのようなことをしている様子が、記憶に残った。

 

今日を振り返るに、案外、そういう記憶から映画は作られるのかもしれない、と思った。乱暴な言い方だけど。

5230声 高校生が町をゆく

2022年09月03日

今日は、吾妻中央高校の撮影に向かった。この撮影も先々月からかな、はじまってもう6回目くらいになる。これは、中之条町伊勢町にある「睦会(むつみかい)」という商業者組合が、同町の高校とコラボして何かを作り出す、というプロジェクトである。それは単に、商品開発とか、店の広報のために学生がポスターを作る、といったものではない。キーパーソンとしてその間に、町内在住のアーティスト西岳拡貴くんが入ることにより、予想がつかない展開が続いている(僕の役割は、睦会と西岳くんを会わせたことと、来年まで続くこのプロジェクトの動画記録である)。

 

吾妻中央高校というと、前身となる中之条高校から続くあの恒例の活動を思い出す人もいるかもしれない。生物生産化(前・農業科)による、学生たちが作った野菜の学生自身による売り歩きと、環境工学科(前・土木科)による、町内の測量である。今日も、西岳くんと学生たちを乗せたバスは中之条駅前に停車。睦会の会員である「ほづみ」や「はやし屋」などの店 <<のある場所を測量>> した。GPSも使う最新の測量計を使い、経度や緯度、標高を計る。続いて教室に戻ると、それら測量値を自作の大きな地図に落とす。睦会の加盟店を通して、中之条町伊勢町の、ただ生活しているだけでは見えない形が見えてくる。そしてその形から <<型をとり>> まるで型紙を作り布にあててワンピースでも作るかのように、布にその型を置いていく・・・ね、予想がつかないでしょ。

 

今時の高校生は良くも悪くも良い子が多い。ヤンキーはどこか彼方へ消えてしまったらしい。学校帰りには、飲食店に立ち寄っての買い食いなどもほぼほぼしないそうだ。そんな中では当然、昔ながらの商店街は彼らにとってはただ通り道にあるものに過ぎず名前すら憶えていないものなんだと思う。今回のプロジェクトで、高校生たちが町の商店を歩き、なかには「こんにちは」と言い合う顔見知りもできているところにも、このプロジェクトの目的がある。どう展開していくか・・楽しみである。

5229声 蘇る勤労

2022年09月02日

先月から数回、県内の飲料工場の撮影をしている。広告代理店を通してそういう依頼があった時に、「僕実は群馬帰りたての時に別の飲料工場でバイトをしていて、それもあって興味あります」と答えていた。それは僕がまだ20代前半の頃のことであった。

 

不思議なことに、目にも止まらぬ速さで流れていく缶飲料やペットボトル、粉ミルクの香りが充満した配管ばかりの工場を歩くと、当時の記憶が蘇ってくる。当時はまだその先の人生に不安ばかりで、日勤夜勤が入れ替わる不規則なそのバイトの中で、僕はずっとこんな感じで働いて年老いていくんだろうな、と思っていた。そんな不安から逃げるために、1年くらいは続けたと思うが、僕はそのバイトを辞めた。

 

今撮影している工場は、働いている社員の平均年齢が若くて驚いた。僕が当時勤めていた工場のように威圧的な先輩もいないし、ルーティーンが多い工場だからこそ、みなが明るい雰囲気で働いている。高学歴の社員も多い。工場が違うからなのか、時代が変わったからなのか、働いている人たちの中に当時の僕のような顔をした人はいない。

 

夜勤、夜が明けて(僕が働いていた方の工場は窓があった)光が射す工場内で、まるで産湯を浴びた後のように湯気をまといながらわらわらと出てくるボトル飲料の光景を、今もなんとなく思い出すことができる。あと数時間で仕事が終わる、という気分もあったと思うが、その光景はなんだか美しくて、部分的に、良い思い出として残っている。

5228声 社名に名前を入れちゃう人

2022年09月01日

この夏から、長年お世話になった株式会社あがつま御縁屋を独立し、経理担当の竹内茂夫と共に「合同会社岡安映像デザイン」を立ち上げました。

 

事務所は、実家兼自宅のある群馬県中之条町の駅南から橋を一つ渡った東吾妻町植栗の、三件並んだ庶民的な平屋の一番奥。デスクの窓からは、中之条町のシンボルである嵩山(たけやま)がとても良く見えます。

 

何をする会社であるかは社名に入っています。自作のシンボルマークは、楕円の内に「必」の字。僕は、日本映画学校在学時に知った「内的必然性」という言葉を20年経った今も大事に思っているのですが、岡安映像デザインは、表立って見えるものを流行りに乗って誇張して見せる仕事ではなく、人の・物事の・集団の内側にある必然的なもの(本質的なもの)を、共に考え、映像とデザインと文章で見せていく仕事をしていきます。

 

まだ直接ご挨拶できていない方や、仕事案件で待たせてしまっている方には申し訳ないですが、環境は整ってきました。今までもこれからも、よろしくお願いします!

 

===

 

という文章をFBに投稿した。とうとう、社名に名前を入れちゃう人になった。責任だけが人を大きくする。

5227声 まだ

2022年08月31日

南大東島付近に迫っている台風十一号の影響で、終日ぐずついた空模様であった。まだ猛威を振るっているコロナの影響で、九月の予定がひとつ中止になった。週末の高崎まつりは大丈夫だろうか。今月はまだコロナに罹らずに済んだ。そうなのだ、「まだ」という気がしており、いつか罹るものを先延ばしにしているような心持さえする。山間の町は秋が深まっているだろうか、九月からは岡安さんです。

5226声 不安定

2022年08月30日

小雨がち曇りで、秋のはじめらしい空模様。小中高生たちはおおむね明日が夏休み最終日であろう。何かと不安定な時期である。慎重に進みたいが、そわそわとあたふたとしている。

5225声 蟻の句

2022年08月29日

晴れ。三十度前後で暑さ和らぐ。発送したり、発送されたものを受け取れなかったり。昨日、ポストに句を寄稿した掲載誌が届いていた。十二句、全て蟻の句。どうかしている。

5224声 その日の出会い

2022年08月28日

降ったり止んだりの一日。このところ、夜は虫の音が高くなってきて、ぐっと秋めいてきた。一献傾ければ、牧水の白玉の一首のような風情であるが、目の前にある缶麦酒とパック寿司では大分風情に欠ける。日本酒なども分かるようになりたい。それはまず、良い店に出会わなければならない。堀澤さんのように、カウンター越しに厳選の一杯をさっと出せるようなことは重要なのだ。私で言えば、句会で厳選の一句をさっと紹介できるかどうか、といったところか。その人のその日の出会いとして、それが心に刺さるものであるか。

5223声 神鳴

2022年08月27日

飲み疲れているものの、まだまだ飲み、したたかに疲れる。夕立があり雷鳴とどろく。

5222声 山霧

2022年08月26日

続いて遅い盆休み。山に来て霧の句など作るが、ふとした時に昨日の訃報がチラつく。

5221声 寝耳に

2022年08月25日

遅い盆休み。心身を休めようと思うが、知人の訃報を耳にして、悲しむ。

5220声 一寸先

2022年08月24日

ちょっとした怪我で病院に行くことになってしまった。人間万事塞翁が馬になればよいが、そう思っているときは難しいだろう。一寸先は闇。心せねば。

5219声 鋭利

2022年08月23日

曇りで暑さ和らいだ一日。コロナ第七波ということであるが、ぽつぽつリアル句会に参加している。やはり、実際に会話できる句会は臨場感があっていいと思う反面、ときおり言葉が鋭利なことにも驚いたりする。投句して時間になったら結果が表示されるネット句会に、慣れてしまったからであろう。だからこその真剣勝負ということを、改めて。

5218声 外せない

2022年08月22日

先週末は久しぶりに外で飲んだ。食事中は当然マスクは外すのだが、こころのマスクは外せないというか、席を立つときにはマスク、飲んでも大声にならないようにとか、どこかそんな緊張を保っているところがある。そのおかげで、乗り換えを間違えないで帰ってこれるのだが。

5217声 ひぐらし

2022年08月21日

曇りがちな一日。どことなくやる気が出ず、くだらない映画など観ていた。夕方、ぼーっとしていたらと、窓の外からひぐらしの声が聞こえた。窓を開けると、みんみんや他の蝉がかまびすしい夕靄の中に、また聞こえた。ちょっとした感動であった。ひぐらしは、それきり鳴かなかった。

5216声 ばったそれぞれ

2022年08月20日

月例句会の日。朝からの吟行で大汗をかきつつ、句会を終えて帰ってきた。いつもの吟行地の境内はやはりそこはかとなく秋の様相で、蜻蛉や飛蝗がにぎやかであった。ひと月前に落としたハンカチが手水舎にかかっていた。「飛蝗」といっても、精霊飛蝗や蝗など、それぞれ飛び方とか、飛ぶ際のフォームなどが違うのだと気が付いた。