日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

5257声 実を以て

2022年09月30日

独立して2か月が過ぎた。早い。仕事が遅いこともあるが途切れず、まだあれこれ納めなくてはいけないのでとても有難い状態なのだろう。けれどなんとなくやる気が立ち上がらない。明日は早起きして太田での撮影があり、ふと前橋シネマハウスを調べたら、アフガニスタンで活躍した故・中村哲さんのドキュメンタリーを上映している。観て、泊まって、即明日現場に行けば良いじゃないかとこじつけた(こういうことも自営ならではなのだろうな)。

 

テレビの報道などを通して中村さんのことを知っている方は多いと思う。映画はテレビ的な作りであったが、中村さんがもともとは中東の山に惹かれて現地を訪れ、医療を求める人たちを振り切って帰国したことを悔いていたこと、テレビでも印象が大きかった、見渡す限りの荒野を水路開拓によって緑地に変え、けれど2022年の今激しい干ばつで緑地が元に戻っていっていること(中村さんなき後も、技術を継いだ現地人が作業にあたっていること)など、はじめて知る事もあった。欲を言えば、「カメラ回っています、中村さんお願いします」という撮影ではない、自然体の中村さんが見てみたかった。

 

僕は、中村さんに纏わることを見る時にもう1つフィルターが入る。それは、群馬高専時代に同じ学年で寮生だった鈴木学くんの存在だ。彼は高専卒業後、進学を経て、中村さんを支援するペシャワール会に参加。バングラディッシュで現地語も駆使しながら学んだ土木工学と現地応用とで水路事業の大事な部分に加担した。その後帰国した際にたまたま会う機会があり、彼の人生の選択と逞しさに驚いた。一緒に露天風呂に入り、彼が両手で湯をすくって「この湯が汚れているとするだろう、ろ過したり薬剤加えたりしてきれいにしようとするけど、そうじゃない、この湯の源泉まで辿ってそこからきれいにしたいんだよ俺は」と話した光景は25年くらい過ぎた今もなんとなく思い出すことができる。彼はもうずっと前に四国に家を構え、家族で農業を営んでいるという話を聞いた。

 

さて、中村さんのドキュメンタリーを見て「俺もやるぞ!」と士気が上がったかと言えばそうでもない。若ければ違ったかな、嫌な感じに年をとってしまった。けれどなんとなくぼくは「発奮しながら0から1を立ち上げる」性格ではなく、「何かやらなければいけない状況下に置かれると、やる」性格なんだということが再認識できた。さすがにバングラディッシュに投げ込まれたら生きていく自信はないが、今接点があるあの人やこの人が何かやろうとしている時に、寄り添える仕事をしたい。ぼちぼちやっていく。そしてなんとなく、映画の最後で語られた中村さんの言葉を置くと終わった感じになるので、今月の投稿をこの一言にて終えたい。

 

絶望的な状況にあってこそ、実を以て報いたいと思います。(中村哲)

5256声 この道何十年かのビーフシチュー

2022年09月29日

中之条町観光協会制作による温泉×地元俳優のドラマシリーズ「中之条ぽわぽわ」。そのドラマパートは今月撮影が終わっていたのだが、ドラマの後に流れる情報映像の撮影を行うために再び四万温泉を回った(ドラマパートの撮影は映画カメラマンの角洋介くんが行うが、情報パートは毎回僕が撮影を担当させてもらっている)。

 

甌穴や、奥四万湖などの名所を1つ1つ撮影していく。今日は絵に描いたような秋日和で、四万ブルーもいつも以上に蒼く見えた。途中、観光協会の原澤さんらと昼飯はどうしようという話になり僕ははじめて伺ったのだが、日向見にある洋食屋「摩耶」の戸を開いた(店の入り口とトイレの入り口がいわゆるウエスタンドア?的な中央から左右に開くドアで、店内も昭和レトロな感じであった)。

 

こういう時に来たら、出し惜しみしちゃいかんよね、と看板メニューであるというビーフシチューのセットを注文。カウンターの奥では、この道何十年と思われる高齢のシェフと、その奥さんかな、とても息の合った様子でマイペースに仕事をこなしていく(時々シェフが奥さんかなにダメ出しのようなことを言っているが、それも日常なのだろう)。コーンスープ、サラダ、ビーフシチューと順に運ばれ、仕事途中の昼食はぐんと華やかなランチになった。ビーフシチューのビーフはスプーンで切れる柔らかさ。なによりシチューが、深い。いろんな野菜とかワインとか入っているのだろうが、その深さはこの道何十年が出す味のような気がした。

 

ふとした話で、来年2月頃にはもう店を閉めるつもりである事を伺った。ふと、絶メシ、なる言葉が頭に浮かんだが、不謹慎な気がして頭から追いやった。初めて足を運ぶ身、こんなに美味しくて雰囲気があるのにもったいないですね、という言葉も不謹慎。店に思いを感じたのなら黙って足を運ぶだけで良いのだから。けれど、新しい店が次々にオープンしていく四万温泉にあって、辞めていく店もある、という当たり前のことに時間の流れを感じた。

 

おなかいっぱいで店を出たのに、摩耶と同等かそれ以上にこの道何十年感のある四万温泉の名店「一力鮨」が食べたくなった。

5255声 Spotify

2022年09月28日

音楽は人並みに好きだが、音楽配信にはあまり興味がなかった。とはいえCD派というわけでもなく、好きなアーティストの曲を車やyoutubeで繰り返し聞く程度。そういう同年代はわりと多い気がする。

 

他にもあるのかもしれないがSpotifyは無料でも色々と音楽が聴けるということを1年前くらいかな、知った。ただ、無料だと「聞くアーティストは選べても、この曲という指定ができない」「途中にラジオCMのようなCMが入る」という決まりがある。それが不自由で、高額ではない有料ユーザーになる人も多いのだと思う。

 

だがしかし。僕はお金をケチっているわけでは・・あまりなく、その「100%自分の思うままにできない」事こそが好きだったりする。いい曲だなーと思った曲はいつも聴けなくても良いし、むしろたまたま聴けるくらいの方が嬉しい。CMも、ふと現実との接点ができるようで、僕は不快じゃない。

 

・・ということで、無料で聞き続けている。それでも「このアーティストが好きならこのアーティスト好きかも」というRADIO機能により、聞く音楽の幅もちょっとだけ拡張した。近頃はそれで知った「優河」ばかり聞いている。

 

ミュージシャンにとっては数年先も読めない状況と思うが、リスナーにとってはいい時代になったなぁと思う。

 

Ryu Matsuyama / kid feat. 優河【MUSIC VIDEO】(ソロが良いけど、フューチャリングも良い)

5254声 紫色した凍った棒

2022年09月27日

太田市で撮影がありそのまま、今日は休みという彼女と合流。大泉町へ向かった。彼女は先日、yamanofoodlaboが行う料理教室に行っており

 

yamanofoodlaboについては以前noteに書きました。近年まれに見る超個性的なアーティスト・料理人です

 

彼らに教えてもらった大泉の店でスパイスを買うのだという。なるほど、その店にはその手の店で見る冷凍肉やインスタント麺、菓子や缶詰の間を埋めるように、クミン・カルダモン・コリアンダーなどのスパイスがホールでも販売されていた。僕もずっと以前にMatkaで教えてもらったシナモン水(筒状のシナモンスティックを水に入れるだけ、自然な甘さと香り)を再現すべくシナモンを購入。安かった。

 

なんとなくもうちょっと異国感が味わいたいと思い、以前気になっていたブラジル系スーパー・・はお休みだったが、その向かいもそんなスーパーだったので(大泉すごいな)入店。一通り見て、細長いビニールに詰められた紫色した凍った棒も購入した。商品にシールも原料表記もないところからみて、店による自家製なのだろうか。そしてそれは、ブルーベリーとチョコレートを使った濃厚なアイスバーだった。カロリー高そうだ。美味しかった。

 

僕個人はどっぷり日本に、ほとんど群馬に浸かってきた人間なので、こういう場所に行くと未だにウキウキする。また1人になり、甘い炭酸のガラナを飲みながら中之条町へ帰ってきた。

5253声 バックプロジェクト

2022年09月26日

「伊勢町睦会」は、中之条町伊勢町の商店経営者有志で作る団体。割烹の金幸や駅前の食堂ほづみ、眼鏡のはまやや僕が広告の仕事で関わっているアマダ補聴倶楽部など、中之条町における昔ながらの顔ぶれで構成されている。

 

以前は紙物の商店街マップを作ったこともあったが、何か新しいことをしたいという話があり、移住作家である西岳拡貴くんをぐいっと巻き込んだ。彼は彫刻家であり、カカオの焙煎から行う「Nakanojo Kraft Project」のチョコレート作りの発起人でもある。物体としての作品を作る、というよりは、人との関わりの中で作品を生み出している稀なアーティストだ。

 

今年、彼の発案で、「伊勢町睦会」と地元の「吾妻中央高校」をつないでの「バックプロジェクト」が発足した。中央高校は元中之条高校、中之条高校といえば、学生が自分で育てた野菜を直接リアカーで売り歩く光景と、測量を学ぶ学生が町内の道端に出て棒を立てての測量を行う光景を覚えている町民が多いのだが、その後者、測量を部活動としても学ぶ学生たちとの協働が続いている(僕は主に映像記録係)。

 

今はハイテクで衛星を経由して緯度や軽度、標高が図れる機械があり、学生たちが器用に伊勢町を計測していく。そこから出た数値や、場所と場所を繋ぐ線によってデザインを立ち上げ、それをバックにしてしまおうというのがこのプロジェクトの現段階での目標である。

 

こういう話は、顔ぶれが揃い、行動をしていくとぐんぐんと話が進んでいくもので・・なんと来年の「中之条ビエンナーレ」への出展も決まった。高齢化が進む地元商店と、学区内にある店なんて知りもしなかった高校生たち、そして間をつなぐアーティスト。今年の11月には途中発表会も予定。楽しい方向へ進んでほしい。

 

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追記。今月の投稿をざっと見たら、9/3に似た投稿をしていて、まったく忘れていた。やれやれ。大丈夫だろうか。けれど「冒険家の星野道夫は大切なことは何度でも同じことを話した」と言うから、良しとしよう!(都合の良い解釈)

5252声 章三さん

2022年09月25日

北軽井沢へ休みに来た。昨年1年以上かけて撮影してきた「きたもっく」が経営する「ルオムの森」で小さなマルシェがあり、飲食で参加してくれる人を探していて僕が中之条町の「ニューサイトウ」を紹介した手前、もし雨だったりしたらたくさん買い込んで家族親戚に配らねばと(案外、ぼくそういう事に対しては真面目なんです)そういう意図もあった。

 

野菜たっぷりのタコライス弁当等はそこそこ順調に売れているようで、ちょっと安心はしつつ、僕も野菜たっぷりの鳥照り焼き弁当を買って、ルオムの森のイートインコーナーからは離れたベンチでむしゃむしゃと食べてみた。ルオムの森と称された建物は築100年を越える洋館、周囲は木々だらけ、日差しは優しい、天国みたいな時間であった。

 

弁当を1つ余分に買い、「きたもっく」の撮影でもお世話になった北軽在住、「森の写真館」の田渕章三さんの家を訪ねた。田渕さんはお兄さんと共に広告制作会社「エジソン」を立ち上げ、商業写真でその腕一本で東京の80年代あたりをぐいぐい攻めていた写真家だ(なにこのいい加減な説明)。今日聞いた昔話では、クライアントに対して完璧なラフを提出して契約。その後に電通などの広告代理店が決まり加わる案件もあったというから、じつにぐいぐいしていたのだろう。

 

現在は、自身のパーキンソン病と向き合いながら北軽の山小屋で暮らしている。僕とはたまたま知り合っただけだけど、仕事や遊びで何度も泊めてもらったし、手のかかるおじさ・・いや、表現の大先輩として非常に尊敬している。いやこれマジで。

 

今日は、娘の写真家・田渕三菜さんが昔撮った森の写真を、章三さんが時間をかけて選別、トリミング、加工をした写真カレンダーを見ながら色々話を伺った。「岡安、いいか、接点ってのが大事なんだ、人が写真を見たときにそんなに時間をかけて丁寧に見てはくれない、だから、一瞥した時にはっと目に留まる、その接点で勝負しなきゃいけない」というような話。

 

訪ねる機会は多くないが、まだまだ章三さんから学びたいことは多い。

5251声 秋晴れ

2022年09月24日

今日予定されていた、奥四万にあるダムの階段を駆け上がろうイベント(参加費を払ってまでそんなことをしたいという人たちがいるのは僕にとっては驚き)は台風を見越して昨日のうちに中止が決定した。

 

実際当日を迎えてみれば、朝こそ天気が悪かったもののその後はピーカン的な快晴。関係者の皆さんはムズムズした気持ちも抱えたかもしれないが、県外からの参加者もいたイベントだったので英断だったと思う。

 

ということで、撮影予定だったのになしになってしまった。ふと、めっちゃ行きたかった「山形ビエンナーレ」に行くかとも数秒考えたが、往復8時間の道のりを考え、やるべき仕事も出来てしまったので大人しく仕事をすることにした。

 

しかし、すごい秋晴れ。

 

季節に対してすごく鈍感な方なので、ついさっきまで夏だった気がしたが、今日こんな過ごしやすい晴天を見てしまうと、いくらなんでも秋が来たことを認めざるを得ない。

 

8月からの独立は、やっている仕事が今までとほぼ変わりないということからも「生活が激変した!」というわけではないのだが(でも新しい仕事もしてみたいので、映像作りたいなーという稀な読者さんがいたら okayasu.eizo@gmail.com までご連絡ください/めっかった群馬で仕事の宣伝して良いのかな・・似たことは投稿してきたしまあいいか)、それでも季節まで変わってしまうといよいよ「人生が次の場面に移ったな」とも思わざるを得ない。がんばろ。

5250声 You are my hope, you are your hope

2022年09月23日

アーツ前橋の動画撮影を今も担当させていただいている。今現在展示されているのは中堅作家を紹介するシリーズ「Art Meets」の7回目。後藤朋美さんと田村尚子さんの作品を入場無料で観ることができる。

 

後藤朋美さんは、アーツ前橋が初期から続けていた「表現の森」プロジェクトで、のぞみの家という母子支援施設(夫からDVを受けた等の)と協働してのプロジェクトにも関わってきたアーティスト。自然に存在する氷や塩、植物なども使って作る作品はどれも「自然体の愛」に溢れていて、僕もとても好きなアーティストである。

 

田村尚子さんは、主に写真を使って人や場所、事象の存在を自身というフィルターを通して定着させるアーティスト。その作家活動の中ではドキュメンタリー界隈との接点も多く、たまたまお話した時に僕も関わった山形ドキュメンタリー映画祭や、映像作家のペドロ・コスタの名前が出てきてとても嬉しくなった。

 

そんな2人が8月に行った「あーつひろば」(アーティストが、子どもとともに何かを行う企画)の編集を続けている。田村さんは、子どもたちにポラロイドカメラを持たせ街歩き。撮った写真を並び替え言葉を添えることによって子どもたち自らに物語を作らせようという企画。スマホとは違い、自分が切り取った景色が物体として現れるポラロイドカメラ。子どもたちは興味津々で、文章で作るものとは違う物語作りの面白さに触れている気がした。

 

そして、後藤さんは自身の作品である球体型の、大人でも4~5人は入れる大きなドームを館内に組み立て、そのドームの中に親子を招き入れ作品を駆動させていた。金色にぴかぴか光る丸やハート形の紙。お父さんやお母さんがそれを頑張って集めて、ドーム内の機械の穴に入れる。すると、そのぴかぴか光る紙は筒内を風に押されてどんどん上昇。ドーム内に、まるでスノードームのおもちゃのように紙吹雪を降らせるという作品だ。一緒になって紙をかき集めていた子どもが上を見上げた時の顔、床に寝そべって降ってくるぴかぴかを眺めている顔。参加した子どもたちは(大人たちは)みないい顔をしていた。

 

その作品の名前は「You are my hope, you are your hope(あなたは私の希望、あなたはあなたの希望)」。良い。とても良い。動画は近いうちにアーツ前橋youtubeアカウントで公開予定。見てね。

5249声 赤飯の焼いたやつ

2022年09月22日

「秋、酒蔵にて」の展示に向けて、沼田市の大利根酒造さんに撮影に行った。撮影といっても、大利根酒造の宣伝を撮るわけではなく、どこかの広告媒体に出すわけでもなく、「日本酒をテーマに、展示に使用する映像を撮らせていただきたい」という非常にぼんやりした依頼。にも関わらず、阿部社長はいつもの外向きユニフォームでもある着物に着替えて、丁寧に話をしてくださった(阿部さんは、県内の有志酒蔵が集まって酒のPRをする「群馬SAKETSUGU」の主要メンバーであり、zoom越しに着物で日本酒を語る姿を僕も拝見していた))。

 

いろいろな話をお伺いしたのだが、1つだけおすそ分け。大利根酒造の「左大臣」は燗付けに向いた酒とのことで、それをぬる燗にした時に一番合うつまみは「赤飯を、油をひかない熱したフライパンに平たく伸ばし、両面をこんがり焼いて、それに粗塩を振ったやつ」なんだそうだ。うわーーものすごく合いそうじゃないか。みなさん、今月の鶴のひとこえは「ぬる燗+赤飯の焼いたやつ」だけ覚えていただけば、あとは忘れて大丈夫です!

 

(これを書いているのは数日後なのだが、この日に当然左大臣の燗のお勧めを1本購入し、中之条の「おてのくのぼ」で赤飯を購入、燗付けして赤飯を焼いて一緒に合わせたら、べらぼうに良かったです)

5248声 KNOCK KNOCK

2022年09月21日

中之条町で10/28から開催となる「秋、酒蔵にて」の広告を今年も担当させていただいた(このイベントの説明は毎回悩むのだが、陶芸やガラスなどの県内のものづくり作家たちが、ただものを売るのではなく、料理人たちも巻き込んで「場」を作り、顔を知った関係を築いていこうというイベントである)。

 

今年のテーマは「KNOCK KNOCK」。新しい扉を開ける意味で、アキサカ式3ピースセッション、参加作家が3人1組となって何かを作る。僕もちゃっかり、同展示で毎回日本酒の販売をしている井川さん、今回初参加で日本の生産品や酒などの海外流通を仕事としてきた西原さんと、3人1組で映像を作る事になっている(全員ものづくりじゃないけど、それでも良いのがアキサカ式)。

 

イベント、にもいろいろな種類があって、ただものを売るために用意も簡単にドーンとやってしまうイベントもあるし、著名人が宣伝に立って多額の資金を集めその後から内容が明らかになり?マークが浮かぶイベントもある(それは意図的な?とも思うけど)。「秋、酒蔵にて」は、規模こそ小さめでも作家主体で彼らの熱が非常に高い。前回か今回からは、代表に渋川市の若き陶芸家・閑野淳(deracine factory)、副代表に若きガラス作家・佐藤遥果(六箇山工房) が就いて、良い循環を促している。

 

めっかった群馬読者ともとても相性が良いイベントだと思うので、ぜひ中之条・旧廣盛酒造まで来ていただきたい。

 

○酒蔵展は今年から特にインスタを頑張っています。フォローよろしくね。

5247声 東京ひとりぼっち

2022年09月20日

早朝に新宿駅バスタに到着し、今日はのんびり電車で帰ることにした。そもそも中之条町から京都市だって6時間くらい車を走らせれば行くことができ(機材も積めるしさ)、バスを予約した後にちょっと後悔をしたが、台風下で自分で高速を運転するのも嫌だったし、結果としてこの時間をかけた移動は普段思わないことを色々思わせてくれた。

 

新宿まわりは昔から度々来て知ってはいるが、知り合いの店がある等はない。駅南も変わる部分はばっさりと変っていてちょっと不思議な気持ちになるが、「これだけたくさんの人がいるのに、知り合いがいない」という状況は地元ではあまり味わえず、僕はそのひとりぼっち感が寂しくもあり、嬉しくもある。誰もいないところに1人でいることの感覚とも違う、大勢の中にいる無名性というか。

 

この行き来最後の飯くらい店で食べるかと、新規開店したばかりっぽいらーめん屋に入る(未だになかなか、らーめん屋を選ぶ病が抜けません)。韓国の火鍋をらーめんで味わえるがコンセプトらしく、米粉のつるっとした麺に、超あっさりして辛いスープの組み合わせであった。店は若い女性でけっこう埋まっていたが、僕の口には合わなかった。食べ物や、買い物においても、「東京じゃなきゃダメ」ってことはどんどん少なくなってきているんじゃないかな、なんとなくだけど。そして群馬へ帰った。

5246声 点景

2022年09月19日

午前5時に京都駅に着いてしまったので、西島さんが車で駅周辺で時間をつぶす。台風による雨はなかったが、朝焼けの上空を流れる雲が早い。着いて早々に「なか卯」を発見し、カメラや三脚をカウンター下に押し込んで親子丼と小うどんのセットを食べる。長距離バスに乗っていたからか、食道を通っていくご飯や汁の温かさが心地よかった。

 

出て時間があるので、地下へ降りる幅広い階段の中央の座れるスペースに座っていた。本を1冊持参してきたが今は読む気にもなれずぼーっと空を見る。ふと、近くの歩道に1人、20代らしき若い女性がぺたんと座り込んでいる。徹夜で酒でも飲んでいたのだろうか。すぐに彼氏なのか友達なのかわからない同年代の男性が来て、彼女の両手をつかむと、ぐいと起こそうとする。女性はその手を払うようにして自分で立ち上がるとたたーっと駆けていった。が、僕が座る幅広い階段は若干遠くまで見渡せる場所だったので、駆けていった女性が先の通路でまた同じように座り込む様子が視界に入ってきた。しばらくして、また同じ男性がやれやれというような歩き方で女性に近寄っていき・・しばらくそのような追いかけっこを繰り返して、見えなくなった。

 

京都での撮影が無事終わり。予定通り今日のうちに深夜バスで帰ることにした。年がいもなく、深夜バス2連泊である。

 

帰りのバスを待つころには、台風は中国地方にいたのかな、雨風も強くなってきて、駅からバス停まではビニール傘をさして歩く必要があった。やや遅い昼食に豪華な中華料理をごちそうになってしまったので、夕食はごく簡単に済ませていた。ふと、バス停の正面に美味しそうな焼き肉屋がある。値段も良心的で外から見える店内の奥行のあるカウンターでは、美味しそうに一人焼肉を食べる人たちが見える。ちぇっ、どうせならここで食べても良かったかななどと思っていると、その焼き肉屋から髭面のアラブ系の男たちが3人、強い雨から逃れるように、バス停の軒下まで駆けて出てきた。3人で何語かわからない会話を機関銃のように続けている。とはいえにこやかな感じで話していたから、ここの焼肉は思ったより美味かったな、みたいなことを話していたのかもしれない。やや離れた距離からじっと3人を見ていたら、そのうちの1人が西を指さし、着ていた上着を頭にほっかむりにするような体制で、駆けて行ってしまった。残った2人は何か少し話した後で、東の方に同じような恰好で駆けて行ってしまった。観光ではなく、このあたりに住んでいる3人なのだろうか。

 

しばらくして、台風の影響もなく、深夜バスが到着した。

5245声 南南東へ、西へ

2022年09月18日

京都市で行われている「プレBIWAKOビエンナーレ」に出展している彫刻家・西島雄志さんの作品撮影のために、電車で新宿、夜行バスで京都へ向かう。まるではかったかのタイミングで大型台風が九州に上陸していた。西島さんと「こういうことはその時だけというタイミングもあるから、交通が動く限りは撮影を決行しましょう」というメッセージのやり取りをして、どしっとした機材を肩に担いで吾妻線に乗った。

 

電車に乗ったのはいつぶりだろうか・・思い出せない。遠くへ行くにも近くに行くにも車を使ってしまう。車内は、台風であることはそれほど関係ないようで、日曜日らしいのんびりとした雰囲気だった。こと、新宿駅から京都駅へ向かうバスについては満員。台風だから辞めておくか、が一人もいないというのは不思議な気持ちだった(ぼくもその一人であるが)。カーテンも基本閉めてくれという社内からは外の様子も見られず、度々「けつが痛い」と目が覚めたが、そのまま西へ向かった。

5244声 枝豆みるくジェラート

2022年09月17日

高山村に「たかやま未來センターさとのわ」がオープンした。場所は、道の駅中山盆地のすぐ隣。ここは、村の野菜などを使ったピザやジェラートが食べられるカフェのほか、WIFIをつないで作業ができるコワーキングスペースもある(有料の場所もあるが無料の場所もある)。料理教室や商品開発で使える調理ブースもあり、中央の階段を下るとその幅広い階段自体が絵本を読めるスペースになっており、階段を座席とする形でトークショーなども行うことができる。つまりは、ただの観光施設ではなく、人が集って学ぶ場、何かを造り出すコミュニティスペースとなっているのだ。人口3,500人ほどの小さな村にこのような施設が出来たのは、時代といったら時代だが、大きな挑戦でもある。

 

高山村との関わり、というか高山村で移住定住コーディネーターをしている木暮咲季さんとの関わりから、2年続けて村のポスターの制作に関わった。初年度は、高山きゅうりと農家、村の木であるナラの葉と林業、の2種のポスター、翌年は春夏秋冬様々な写真をコラージュし、聞いたり考えたりした言葉もちりばめたポスターを作成した。それらを通して感じたことは、「何もない村」の何もない部分の豊かさだった。それら豊かさはインスタグラム #たからのやまたかやま で検索してほしい。

 

オープンに合わせたトークで、村に移住してまこもだけ栽培をしている方が「この村の良さは小ささです。誰に話せば良いかがわかり、早く話が進む。」ということを話していた。それはとても同感する。顔が見えることと、実行できる環境は、今後ますます必要になることだと思う。

 

さとのわで買える枝豆みるくジェラートが美味だった。甘すぎない、小さくクラッシュされた枝豆の食感が良くきちんと枝豆の味がする。中之条町の「ふるさと交流センターつむじ」が立ち上がった後の大変さ(建物が今っぽいから地元の人が寄り付かないなど)を僕はある程度見てきたから、建物ができた後のこの場所の使われ方に勝手な心配もある。村一丸となってがんばってほしい。

5243声 草花を愛でる

2022年09月16日

人はなぜ年をとると草花を愛でるようになるのか。永遠の謎である。とある日本画家は「年老いて花鳥風月を描くようになったら終わりだ」と言った。なるほどと思う。若い時は自分や他人に目がいく。その頃から、自然豊かな地域に暮らしていた、人間が嫌いだった、親の影響等で草花を愛でる若者もいるとは思う。ただ僕は、僕の父親こそ山野草を愛しうちの庭も草花がいろいろあるが、まったく関心をもたずに今に至った。

 

「人間だけじゃないんだな」

 

ある程度年をとると、そう思う日が来る。それは、心の余裕ができてきたのかもしれないし、人とだけ付き合うことに疲れたのかもしれない。人によっては、子どもが成人を迎え家を出ていき、子育ての終わりを迎えた頃のことかもしれない。ふと目を落とすと、そこにけなげに草花がある。

 

多少は手がかかった方が良い。AIが入っていれば違うが、静物は反応を返さない。そこで犬や猫に向かうかもしれないが、水やりや日照程度を気にすれば良くて、それなりの愛情を注げばそれなりに元気な様子を見せてくれる草花に、人は関心を持つようになる。あとはある程度その関心を続ければ、やがて関心は愛に変わる。

 

・・そんな単純な話でもないと思うが、事務所開きでいくつかの鑑賞植物をいただき、実家に持ち帰るよりはここに置きたいなと、学生時に一人暮らしでほぼ枯れないであろう鉢植えを枯らして以来に、水やりをしている。今日は風がなく秋の日がよく射していたので事務所の玄関先に植物らを並べて水やりをした。それなりに、かわいい。

5242声 青春だ、は必要か

2022年09月15日

幾度か、映画撮影の終わりの瞬間に立ち会ってきた。昨日も、撮影は2日きりであったがドラマの撮影の終わりにいちスタッフとして立ち会った。どんなに大変な撮影であっても、いや、大変であれば大変であるほど、終わった時の高揚感は高い。それは1人1人の自主的な働きと連携が必要とされる撮影ならではの一体感とも言えるのだろう。

 

その高揚感が何かに似ているなと思ったら、それは「青春」だった。僕が20代の頃にそんな映画の現場を体験していたからかもしれないが、幾つになっても映画撮影の終わりには青春ぽい何かを感じる。基本、撮影ごとに集まるキャストやスタッフなので、高揚感だけではなく別れの寂しさもあるのかもしれないが、そのあたりも実に青春ぽい。

 

が、その一方でもはやそんな共有感の中にはいられない自分もいる。

 

映画をやっている人に言ったら怒られるかもしれないが、案外実際に行ったこと、完成した作品の出来、よりもそのようなスタッフワークによる充実が良くて映画の現場にいつづける人はいるのではないかと思う。それが悪いとも思わないし、仮に僕が映画学校を出て映画の現場にいる生活をしていたら、旅のように出会って仕事をして別れを続ける暮らしに居心地の良さを感じ、その仕事をつづけたかもしれない。

 

撮影の現場には幾つになっても参加できる青春がある。それは映画に限らず、例えば映画祭や芸術祭にスタッフとして参加し本番を終えた直後などにも同様の共有感がある。やはり、幾つになってもある程度は青春が必要だと思う。

5241声 変わりゆく温泉

2022年09月14日

中之条町でなぜ「中之条ビエンナーレ」のような芸術祭が続いているか?という問いに対して、僕はたまに持論として「四万温泉があったから」という話も持ち出すことがある。一見無関係のようにも思えるが、簡単に(乱暴に)言うと、昭和かそれ以前から四万という温泉地をもっていた中之条町には「外から町にやってきた人を労う気持ち」が潜在的にあるのではないか、という思いがある。それが、町外からやってきたアーティストや、ビエンナーレ目当てで来る観光客に対しての人当たりに関係しているのではないか・・

 

はともかく、僕の母親は昔、祖母と共に四万温泉の積善館に努めていて、亡き父は渋川から四万へ魚を運ぶ魚屋であったから、四万温泉がなければ僕も生まれておらず、四万温泉は幼い頃から不思議な愛着を感じている場所でもある。

 

その四万温泉も、近年大きく変わりつつある。昭和の面影残す落合通りの商店はずいぶん前から閉店も目立つが、館林から四万へきたイタリアン「ランゴリーノ」や東吾妻町から出店した「ジュピターズバーガー」、柏屋カフェの2号店的なピザの店「シマテラス」など新しい店がいくつかオープンし、コロナ過をきっかけにリニューアルした店や宿もある。こと、積善館も薬膳粥に続き日帰りで釜揚げうどんが食べられる店舗を館内にオープンさせ、映画『千と千尋の神隠し』のモチーフの1つになったという赤い橋は連日写真を撮る観光客で賑わっている。

 

ただし、母が務めていた少し後くらいまで続いていた関家(社長は代々、関善平と名乗っていた)の経営は終わり、現在は新たな経営会社が積善館の経営を行っている。コロナ過の影響以前に「団体旅行での宴会」というスタイルがなくなっていった近年において(今はカップル旅、一人旅を想定したプランを立てる宿が多い)、宿の経営は難しさの局面に立たされているのだろう。

 

 

父が昔、四万温泉について話していたことの中で、こんな話がやけに記憶に残っている。それは、そんな時代があったのかという驚きというよりは、直接的な金の話ではなく、人情や精神的な豊かさも感じる話だからかもしれない。こんな時代は、もう来ないだろう。

 

「昔はな、名だたる旅館の女将がバスに乗ってくると、乗車している地元の従業員に気前よくチップを配って回るんだ。どこの旅館てのは関係なくな。」

5240声 演技とは

2022年09月13日

近年では舞台の撮影をやらせてもらったり、映画祭やそれに関する映画撮影にも関わっているので、役者の演技はそれなりには見ているつもりだが、今回はまじまじとそれを考える機会となった。

 

いい役者の条件、は幾つか上げることができるだろうが、その中には「演技の許容範囲が広い」という事は大事な条件だと思う。

 

例えば、演技が出来ない僕は、「42歳の中年が酒場でちびちび酒を飲んでいる」という演技であれば、多少の実感くらいは込めて演じることはできそうだ。だが「42歳の中年が年がいもなくパーリーピーポー気分でアゲアゲに酒を飲んでいる」となると、まず、えーっと思い、それでも変わりがいないのであれば、どこかで見たアゲアゲなパーリーピーポーを雑にイメージしながら無理やりにテンションを上げてそれを演じることになる。そうした「無理をした演技」は現場でもお寒いが、映像に残しても見れたものではないだろう。

 

今回のドラマ撮影では、熟練の俳優たちが、無理やりテンションを上げるのではなく、自分のテリトリー内(それは、体の動きの許容量内であり、演じる気持ちの許容用内である)において、トーンと抜き出た演技をする様を何度も見た。それが現場でテスト段階から出来るということは、今まで演じてきた数限りない演技の中で(練習の中で)自分の演技の許容範囲を広げてきたからに違いない。それは、プロの役者として当たり前、とは片付けられない感動を覚えるものであった。

 

近年は、演劇を手法としたワークショップがここ群馬でもぽつぽつ行われている。演技の、というか自分の体や心の許容範囲を広げる努力は、役者に限らず必要なものなのだと思う。