日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

5995声 羊羹から駒

2024年11月05日

親戚から寅屋の羊羹をいただいたが、我が家族はあまりお菓子を食べないので、職場の上司や係員に配る。昔同僚だった臨月の奥さんが居る係員には、奥さんの分も渡した。その日は
たまたま奥さんが産休中ではあるが職場に来ていたらしく、元同僚だった奥さんが、大きなお腹を抱えて挨拶に来てくれた。産休に入る際に挨拶ができてなかったので、実際に会えて励ましを伝えられて良かった。普段はクールな係員が、奥さんの登場に照れている表情が良い。この二入なら良き家庭を築いてくれると思う。

5994声 足利美術館

2024年11月04日

妻の実家の父が入院したということで伊香保から桐生に向かう。面会時間まで時間があり、足利美術館のザ・キャビンカンパニーの展示会に。娘も大機好きな絵本の原画や、強大な工作物もあり怖がりつつも楽しんでいた。今回も最終日に滑り込み。お昼はモスバーガーで済ませお義父さんのお見舞いに。病院食のためか、少しすっきりして血色も良い。後、数日で退院とのこと。妻の実家でお義母さんのお見舞いに。こちらは心労か食欲がないとのこと。こちらの方が心配である。夕食は、義弟の一家と孫が賑やかだったためか、少し食べられていたので一安心。飲酒のため、妻の運転で帰宅。

5993声 伊香保

2024年11月03日

県外にいる叔父夫婦がきて、両親と家族で伊香保に宿泊。今回のテーマは鈴木家のルーツについて調べた叔父が、その調査結果を共有したいとのこと。齢も70過ぎると自分のルーツが気になるのであろうか。我が親族特有の絡みつくような深酒で夜が更けていく。黄金の湯も一度しか入れず。

5992声 雨のピクニック

2024年11月02日

朝から雨の休日。こんな日のために仕込んでおいたカラー粘土で娘と遊んでいたが、お昼前に、お弁当もってピクニックに行こうと娘。雨が降ってるよと行っても聞かない。仕方なくおにぎりを作って近所の公園に。運良く雨も止んできたので、お昼だけ食べて帰ろうとしたら、「ねぇねぇ裸足になって良い?」「…ずっと雨降ってたから水たまりだらけだよ。帰ろう」「ちょっと裸足になりたいだけ。お願い。」「…じゃちょっとだけね。」ここで裸足を許可したのが大間違いに。初めは大人しく散歩をしていたが、次第にエスカレートし、水たまりに入るは、跳ねるは、次第には腰まで浸かるの大どろんこ祭り。目を輝かせてキャツキャツと騒いでいる。ま、汚れた服は洗濯すれば良いか…好きなことはなるべく自由にさせたいが。子育てはとかく自分の忍耐力を試される。

5991声 霜月

2024年11月01日

早いもので今年も残すところ2ヶ月。来年早々には娘も4才になる。生意気や我が儘を言うようになっているが、これも成長の一環と微笑ましく感じる。相変わらず、早出出勤し、毎日、保育園に迎えに行っている。妻の休日出勤も多く、休みの日は娘と二入で過ごすことも多い。子どもは3才までの可愛さで一生分の親孝行をしているという事を聞くが、だとすればなるべく一緒の時間を共有して親孝行して貰おうと思っている。今日も保育園に向かう道すがら。あたりはもう薄暗い。

5990声 玄風

2024年10月31日

「秋、酒蔵にて2024」にて、出展している書家の宮森庸子さんの2025カレンダーを買った。1枚の板紙に12か月の日付が小さく書かれたそれには、大ぶりな書で「玄風」と書いてある。その意味も詳しく聞かずに買ってしまった。また、その意味をgoogleで調べることもしていない。まだ来年まで2か月あるのだから、その間に知れれば良いかなと思っている。

最後駆け足になりましたが、11月はすーさんです。たまたま会えなかったけど「秋、酒蔵にて2024」にも来ていただいてうれしかったです。

5989声 白髪

2024年10月30日

鼻毛はずいぶん前から白く、ひげも数年前から白が混じるようになったのだが、髪もついに生え際に白髪が混じるようになった。嬉しい。完全に禿る前に白髪になりたい。

5988声 などと書いている間に

2024年10月29日

半月くらい前の投稿に、この投稿はまとめて漫画喫茶で書いていると書いたが、そろそろ時間が来てしまった。ので簡潔に(などといい加減でよいのかと自分でも思うが、それこそ鶴のひとこえ!違うか)

漫画喫茶のモーニングで注文したカレーの味が濃すぎた。メニューを見ればかつ丼にしろうなぎ丼にしろパスタにしろハンバーグにしろ、全てではないだろうが「レンジでチン」で出来上がるメニューばかりでタイパ感をひしひしと感じる。以上。

5987声 目が見えないことで

2024年10月28日

中之条町・旧廣盛酒造で行われている「秋、酒蔵にても4日目。今日は今回のために特設された長いバーカウンターの一角で、「三輪途道と触れる、みんなとつながる上毛かるた」というワークショップを開催した。

上毛かるたの絵札を手彫りで立体化させたみんなとつながる上毛かるた。目が見えない人でも理解できることを一つの目標とし、例えば「草津温泉日本の名湯」であれば、本来の絵札は湯畑の灯篭が描かれているのだが、灯篭を立体にしても触って他の札と違いがわかりにくいということで、湯もみの木板と湯船が彫られているなど、札によっては触ることを優先に三輪さんならではの改変がされている札もある(県の許可はもらっている)。

まずは三輪さんがかるたについて制作の意図などを話し、続いて参加者は目隠しをする。このかるたの普及についてはアイウェアブランドのJINSの地域共生部が多大にバックアップしており、今日もJINSの秋本さんたちがこのかるたを使った神経衰弱などで楽しい時間を作ってくれた。

ワークショップ後半は、僕が考案させてもらった「見えないこと×アキサカ」ならではの企画ということで、「目隠しをした状態で様々な作家が作った酒器を触り、視覚に頼らず手触りだけでその形を楽しみ、一番気に入ったもので酒(運転する人は水)を飲む」ということをやってみた。綿貫哲雄さんの小さな貝殻のような白磁の酒器、三時くんの一枚の鉄板を打って作った酒器、小野口カナメさんの丸みを帯びたガラスにたくさんのぽつぽつがついた小さなグラスなど。手で触り、これは何の材料でできているか、形はどうか、と参加者とコミュニケーションをとった。

参加者にもなってくれた綿貫哲雄さんが、最後、水(北軽井沢の狩宿で汲んできた湧き水を使用)を飲んで「見えないことで、味覚にも集中するね、面白い」と話していて、なるほどと。確かに、ほんとうに美味しいものを食べると、惜しむようによく咀嚼しその時に目をつむることがある。目が見えないことで感じることは、不安や不便だけではなく、良いものもあるのだと思う。

5986声 意識が高い

2024年10月27日

この日は、とある取材でJINS PARKへ。県内で事業を立ち上げたグループが来場者にワークショップを行うというので、その撮影だった。取材グループは旧知のライターやフォトグラファーやディレクターから成っていて、さらに会場には三輪途道さんと立体かるた推進をしているJINSの地域共生部の方や以前取材した共愛短大の先生もワークショップのサポートメンバーに加わっていて、この撮影自体が僕にとってはプロジェクトの初めの撮影だったのだが、見知った顔ばかりで不思議な感じがした。

事業を立ち上げた若者も、ワークショップ後のインタビューが「インタビューの返答とはこうあるべき」と模範になるような明瞭さで、その意識の高さにしばしぽかんとした。が、見渡せば取材グループもサポートグループも皆意識が高い人ばかり(あ、フォトグラファーのNくんだけは、らーめん好きだしおおざっぱに言うとこっち側かも)。そういう人たちの中にいれば、僕も意識が高い人に見られるのかしらん(意識が高い人はこんなことは絶対言わない)。

5985声 取材は続く

2024年10月26日

この日は、先日の相田さんに続き、中之条町に移住したアーティスト・佐藤令奈さんの取材日だった。中之条ビエンナーレにも何度か出展をし、油彩を使った細やかな色合いの幼子の絵は、中之条ビエンナーレファンの方ならばすぐにピンとくるかもしれない。

話を伺っていて面白いなと思ったのは、中之条町への移住前にもすでに自分のスタイルをある程度確立しアーティストとしても認められていた佐藤さんが(その話は持ち出さなかったがテレビ番組でも取り上げられている)、中之条ビエンナーレで偶然耳にした「疎開」というキーワードをきっかけにそれをリサーチして作品にも取り入れている、ということだった。毎作品ごとに社会的なテーマやリサーチをして作品を作る現代アートの作家は多いと思うが、確立した(ように僕などからは見える)絵描きがテーマを持つということは勇気のある行為であるように思えた(もちろん、それは彼女の中では必然な行為だったわけだが)。

今回は、佐藤さんが取材をするところを取材する、という体験もさせていただいた。さて、いちライターとしてそれら一連をどう書ききるか。

5984声 人がものを作る

2024年10月25日

器にしてもアートにしても、ものそのものの価値に関して、作り手の存在は関係ないという話はある。

性格がめっちゃ良い人が作ったイマイチな茶碗と、性格がめっちゃ悪い人が作った素晴らしい茶碗。人を知らず茶碗だけ見れば、支持されるのは、後世に残るかもしれないのは明らかに後者である。

であるから、ものは作者不詳であっても、不詳であるからこそ流通する。であれば、人を含めてのものの評価は間違っているかと言えばそんな事はない。

今日は「秋、酒蔵にて」の三輪途道ブースにわりと一日立っていた。三輪さんがチームで作った立体かるたは、僕が撮影し会場で流している映像でも紹介しているが、じっと映像を見てくれる人は稀で、見て回る人に「このかるたは••」と声かけした方が伝わる。

いつもは広告と、ちょっと映像を流す程度で会期中はほぼいなかったアキサカであるが、今回に限っては会場にいる機会を増やしてみた(三輪さんサイドで毎日出られないという理由もあるが)。たった一日でも、いてみると見え方が少し違う。

初日の今日は、ガラスの六箇山工房なら六箇山工房のファンが、陶芸のderacine factoryであればderacine factoryのファンが、真っ先に来てお気に入りを買う様子が見られた。

ものは必ず人によって作られるのだから、人を含めてそのものが好き、という事はあって良い。むしろ現存する作家であればたまに会って変わる年月と作品を見続けることもできる。

そんな事をぼんやり考えた一日だった。

5983声 けんちん汁には何を入れる

2024年10月24日

今年、母が白内障の手術を受けた。数年前から見えにくいという話はしていて、昨年メガネを新しくしようとメガネ屋に連れて行ったら、白内障でメガネは作れないと店の人に教えてもらった。

白内障手術を受けた経験者の話を聞いたり、ネットでも調べたりして結果、前橋駅前の「羽生田眼科」を選んだ。そこの医院は片目ずつの手術で、事前本番事後含めて何度も前橋へ母を連れて行くのは手間こそかかったが、親に対して今までした事はわずかなので、全く苦とは思わなかった。車中、あまり話はしなかったのだけれど。

今日は、術後の経過も良く、吾妻の病院の紹介状を書いてもらえるということで羽生田眼科へは最後の通院となった。家に帰る途中、吉岡町の食の駅ぐんまに寄る。すぐ近くにツルヤも角上もビバホームの肉屋もあるが、いい地物野菜を買おうと思ったらここが良い。

母は、手術により視力はメガネが不用なくらい回復したが歩みはちょっと遅い。人参、里芋、こんにゃく、と「けんちん汁を作ろうと思って」と母。一緒にゆっくり買い物を済ませた。

5982声 光をあてる

2024年10月23日

いよいよ、「秋酒蔵にて2024」が始まる(11/4(月)まで)。この日は設営日初日。今では「中之条ビエンナーレ」や「なかっ蔵マルシェ」などのイベントでよく使われるようになった旧廣盛酒造に県内ものづくり作家たちが集まる。

例年は、広報のためのチラシやポスターを作り、映像もどこかで小さく流す、という関わりで会期中はそれほど行けはしなかったのだが、今回は僕からの提案で下仁田町の彫刻家・三輪途道さんに声掛けをして三輪さんの作品や三輪さんが(一社)メノキとして取り組んでいる立体かるたの展示を行う。であれば、改めて僕もきちんとこのイベントに参加せねばならない。会場設営から加わった。

三輪さんやサポートメンバーも早々に酒蔵入りし、二階の和室の手前、倉にもともと設備されていた棚にきれいにかるたが収まった。その場所であればあまり物を持ち込まずに展示ができると思っていたので、収まりを見て安心した。三輪さんたちが帰られた後に、かるたがより立体的に見えるように左右から照明を当てた。数えきれないくらい展示の撮影をしてきたが、こういった「作品の展示」そのものの行為は僕にとっては初チャレンジである。

スポットライトを当てると、お蚕さんを頭に乗せた猫、三輪さんの脱乾漆作品「蚕神猫様」が絶妙な面持ちになった。

5981声 山の子の歌

2024年10月22日

この日は、伊参スタジオ映画祭スタッフの諸角さんの提案で前橋市の生涯学習センターをはじめて訪れ、8ミリフィルムで「山の子の歌」という映画を鑑賞した。なぜ前橋まで行ってこの映画を見たかというと、この作品が1960年代に製作された中之条町六合で撮影された映画だから、という理由からだった。驚くべきことに準主役的な役回りで六合在住の関さん(六合は関さんばかりだが、今はその程度の情報に留めておく)が出演しているという。

諸角さん以外のスタッフも数人加わり、白黒フィルムの中に映される雄大な自然を見て「あれはあそこかね」みたいな話でも盛り上がった。今回はフィルム上映ということでセンターの担当者の方が映写機で映写もしてくださったのだが、普段でもライブラリーでは群馬県で過去撮影された映画やドキュメンタリーや情報番組などをビデオ、DVD、フィルムで鑑賞できるとのこと。奥のフィルム保管庫も見せていただいたのだが、その数の多さに驚いた。関心のある方はぜひ訪ねていただきたい。

来年は、旧六合村と旧中之条町の合併から15年の節目。伊参スタジオ映画祭でもそれにちなんだ何かをしたい、と、今からゆっくりと動いている。

5980声 ちいちゃんのかげおくり

2024年10月21日

この日は、会社に行き玄関前に置いたクーラーボックスを開いた。そこには手書きのメモで感謝の言葉が綴られていた。前日八ッ場ダムへ行ったので会社にいることができず、クーラーボックス経由でDVDをお渡ししたのだが、そのお礼が書かれたメモだった。

DVDの内容は、先日撮影し編集した吉岡中学校文芸部の発表の様子を収めたもの。昨年に続き今年も、顔見知りとなった先生から学校の文化祭で流す映像の制作を頼まれた。仕事の大小かまわず引き受けてそれでずるずる色々な仕事が終わらないのは悪い癖と思いつつも、先生のハートが熱く生徒たちのやる気もあるこの撮影は今年も引き受けた。

発表のメインは、中学生7人ほどによる「ちいちゃんのかげおくり」(あまんきみこ著)であった。僕も小学生の時に教科書で読んだ話で、これを読んでくれているあなたもきっと記憶にあるであろう有名は話。空襲により家族を失うちいちゃんが、過去家族でやったかげおくり(よく晴れた日に地面に映る影をまばたきせずにじっと見て、そのまま青空をみると影のシルエットが空に浮かぶ、という人体の不思議を使った遊び)を思い出すという悲しい話である。朗読のための練習時間はそれほどなかったかもしれないが、熱演だった。

それを撮影した後日、自分でも覚えていないぶりくらいにかげおくりをやってみた。両手を頭上で合わせ、「白鶴、まる」みたいなわっかを作る(それがわかる人は昭和を生きた人)。この話を読んだ小学生の頃も、同じポーズのかげを空に送った気がする。この男、成長がない。

5979声 八ッ場ダムを背景に、ヤギが草をはむ

2024年10月20日

この日は、先月長期に渡って撮影した「山形ビエンナーレ2024」で知り合った詩人の菅啓次郎さんとの約束の日。菅さんが活動を共にしている台湾のアーティスト・王虹凱さんが台湾や日本のダムをリサーチしており、その一環として長野原町の八ッ場ダムを菅さん、山形ビエン講座の受講生でもあった林さんと共に訪れるというので、その案内役をかって出た。

八ッ場ダムは、その完成時の4年前に長野原町の仕事として「ふるさと、八ッ場」という映像を作るために何度も通った場所である。今回、ダムを見るだけではなくそこに住む方たちの話を聞くのが良いだろうなと思い、過去の取材でお話を伺った大黒屋酒店の篠原ヒサさんと、川原湯温泉でやまた旅館を営む豊田拓司さんを事前に訪ね、話をしていただく手筈を整えていた。

ダム湖は、近年めっきり四万ブルーに近いような濃い青色になった。ダム内のエレベーターを下り、僕としてもはじめてダム南側の吾妻渓谷方面も見てみた(正直、完成したダムにはあまり興味が持てない)。ヒサさんは90歳も越えているのに記憶力がものすごくて、菅さんたちにダムによって移転する前の川原湯温泉のことを話してくれた。過去には芸者の駐在所もあったという話。僕は旧川原湯温泉が好きで人気がなくなった最後の頃によく露天風呂に入りに行っていたので、人の出入りも多く豊かだったころの旧川原湯温泉もなんとなくイメージできた。

拓司さんは、昔を語るではなく、宿の周囲を案内してくれた(ちなみに、風情がなく集客に苦労しているであろう現在の川原湯温泉地域において、拓司さんのやまた旅館は先まで予約が埋まっているそうだ。比較的安価な料金設定と、拓司さん自らが山に入り採ってくるきのこなどの料理が固定客を作るのだと推測できる)。お客さんが体験もできるという陶芸工房も良かったが、僕が強く印象に残ったのは、宿とそのちょっと先のダム湖(の先には八ッ場ダムも見える)の間にある草木の斜面で拓司さんが飼っているヤギが草をはむ光景であった。

聞けば、その斜面にある比較的若木は旧川原湯地区にあった木を移植したものだという。予定ではもっとたくさん移植するはずだったが政権が変わった際にそれも中断してしまったのだという。それでも、場所を移し成長していく木々はまぶしいものに思えた。何より、様々なことがあった巨大な人工物を前にして、ただヤギが生きている、その光景がとても良かった。

王さんは音を作るアーティストとのことで、その場においては映像ではなく、音声レコーダーでメエメエと鳴くヤギの声を録音していた。遠目にその様子を見ていて、そこからどう作品として立ち上がるのか、台湾まで見に行くのは大変だけど、見てみたいと思った。

5978声 コチュジャン

2024年10月19日

この日は、アーツ前橋「表現の森」(アーティストが前橋市内の各地へ赴きその場の人たちと協働する活動)からの流れである、中島佑太のWS撮影(現在はアーツ主催ではなく、企業からの協賛により活動をしている)。もう何度通ったか覚えていないくらいになった群馬朝鮮初中級学校を訪れた。

ハロウィンが近いということで、それにちなんだような絵本の読み聞かせが行われていた。ハングル語は未だに読み聞き全くわからないが小さな子どもたちは聞いたり聞かないではしゃいだりしていた。WSの内容は、段ボールを使って公園を作ってみようという提案。提案、と書いたのは必ずしもそうしなさいね、各自作ったものは展示してなぜ作ったか発表もしてみましょうね、というような押しつけが一切ないからだ。それはずっと変わらない中島佑太の作家性でもある。

傑作だったのは、段ボールを組み合わせて、Uの字の便座も貼り付けて、トイレを作った子がいた。それに向かって、青いテープ紐のようなものをズボンに押し当てた子がいた。公開疑似立ちションである。その発想の連鎖と自由性。素晴らしい。

学校の窓口になってくれている里香さんから、お昼に出されためちゃくちゃ美味いスープと、特製のコチュジャン、婦人会で作っているオンマの味という甘じょっぱい調味料をいただいた。そのコチュジャン、人生が変わってしまうようなコチュジャンであった。辛さではなく、うま味の玉手箱。つまようじでそれだけをちびちびつまみながらずっと酒が飲める。

以前、日本にある朝鮮学校が、その経営をすべて自分で行っていると聞き、よく考えると国や県はそういう態度かもなと思う一方で、ひどい話だとも思った。けれど、関係してみて感じるのは悲感ではなく、この学校やそれを支える家族の方たちの強さ、豊かさである。

WSで使われた段ボールは、そのまま校舎裏の置き場に貯められ、その回収資金が学校の運営に回される。そこまで計算しての中島佑太のWSなのだが、緩く、でも確かな関係性がここにはある。