日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

5241声 変わりゆく温泉

2022年09月14日

中之条町でなぜ「中之条ビエンナーレ」のような芸術祭が続いているか?という問いに対して、僕はたまに持論として「四万温泉があったから」という話も持ち出すことがある。一見無関係のようにも思えるが、簡単に(乱暴に)言うと、昭和かそれ以前から四万という温泉地をもっていた中之条町には「外から町にやってきた人を労う気持ち」が潜在的にあるのではないか、という思いがある。それが、町外からやってきたアーティストや、ビエンナーレ目当てで来る観光客に対しての人当たりに関係しているのではないか・・

 

はともかく、僕の母親は昔、祖母と共に四万温泉の積善館に努めていて、亡き父は渋川から四万へ魚を運ぶ魚屋であったから、四万温泉がなければ僕も生まれておらず、四万温泉は幼い頃から不思議な愛着を感じている場所でもある。

 

その四万温泉も、近年大きく変わりつつある。昭和の面影残す落合通りの商店はずいぶん前から閉店も目立つが、館林から四万へきたイタリアン「ランゴリーノ」や東吾妻町から出店した「ジュピターズバーガー」、柏屋カフェの2号店的なピザの店「シマテラス」など新しい店がいくつかオープンし、コロナ過をきっかけにリニューアルした店や宿もある。こと、積善館も薬膳粥に続き日帰りで釜揚げうどんが食べられる店舗を館内にオープンさせ、映画『千と千尋の神隠し』のモチーフの1つになったという赤い橋は連日写真を撮る観光客で賑わっている。

 

ただし、母が務めていた少し後くらいまで続いていた関家(社長は代々、関善平と名乗っていた)の経営は終わり、現在は新たな経営会社が積善館の経営を行っている。コロナ過の影響以前に「団体旅行での宴会」というスタイルがなくなっていった近年において(今はカップル旅、一人旅を想定したプランを立てる宿が多い)、宿の経営は難しさの局面に立たされているのだろう。

 

 

父が昔、四万温泉について話していたことの中で、こんな話がやけに記憶に残っている。それは、そんな時代があったのかという驚きというよりは、直接的な金の話ではなく、人情や精神的な豊かさも感じる話だからかもしれない。こんな時代は、もう来ないだろう。

 

「昔はな、名だたる旅館の女将がバスに乗ってくると、乗車している地元の従業員に気前よくチップを配って回るんだ。どこの旅館てのは関係なくな。」

5240声 演技とは

2022年09月13日

近年では舞台の撮影をやらせてもらったり、映画祭やそれに関する映画撮影にも関わっているので、役者の演技はそれなりには見ているつもりだが、今回はまじまじとそれを考える機会となった。

 

いい役者の条件、は幾つか上げることができるだろうが、その中には「演技の許容範囲が広い」という事は大事な条件だと思う。

 

例えば、演技が出来ない僕は、「42歳の中年が酒場でちびちび酒を飲んでいる」という演技であれば、多少の実感くらいは込めて演じることはできそうだ。だが「42歳の中年が年がいもなくパーリーピーポー気分でアゲアゲに酒を飲んでいる」となると、まず、えーっと思い、それでも変わりがいないのであれば、どこかで見たアゲアゲなパーリーピーポーを雑にイメージしながら無理やりにテンションを上げてそれを演じることになる。そうした「無理をした演技」は現場でもお寒いが、映像に残しても見れたものではないだろう。

 

今回のドラマ撮影では、熟練の俳優たちが、無理やりテンションを上げるのではなく、自分のテリトリー内(それは、体の動きの許容量内であり、演じる気持ちの許容用内である)において、トーンと抜き出た演技をする様を何度も見た。それが現場でテスト段階から出来るということは、今まで演じてきた数限りない演技の中で(練習の中で)自分の演技の許容範囲を広げてきたからに違いない。それは、プロの役者として当たり前、とは片付けられない感動を覚えるものであった。

 

近年は、演劇を手法としたワークショップがここ群馬でもぽつぽつ行われている。演技の、というか自分の体や心の許容範囲を広げる努力は、役者に限らず必要なものなのだと思う。

5239声 放置ピーマン(灼熱)

2022年09月12日

今の事務所になり、よく料理を作っている。

 

前の会社では、流しはあったが電気ポットくらいしかなくて(ガス台はなかったし、携帯コンロを設置する頭もなかった)カップ麺やスーパーの弁当に明け暮れていた。でもほんとは僕、料理が好きなんです!ほんとです。というわけで、普通の平屋である今の事務所には普通に台所もあり、簡単なパスタや、レンチンご飯に適当な野菜を炒めて乗せて、それにレトルトカレーをかけたものなどを食べている。

 

パスタにしろ炒め野菜にしろ、youtubeのレシピきっかけでやるようになった放置ピーマン(灼熱)が美味い。別に誰かがそんな命名をしたわけでもなく、料理とも呼べないそれは「ピーマンはヘタだけとって適当に大き目に切る(種は食えるということを今頃知った)/フライパンに油少量を引き、ピーマンの皮目を乗せて、いくらか焦げるくらいまで放置する」ただそれだけである。この、焦げかかったピーマンがこんなに美味しいものだとは、あまり知らなかった。

 

仕事に余裕が出てきたら、事務所の台所でもっといろいろなものを作りたい。いっそ始めるか・・youtube・・嘘。

5238声 休みたい

2022年09月11日

仕事が趣味です。

 

みたいな生活をずっと続けてきた。それはよそから見たら、そういう楽しい仕事なのね羨ましい、とも思われるかもしれないが、それほど良いものでもない。単に、仕事と映画祭以外にやりたいことの選択肢が少なかっただけかもしれないし、仕事のオンオフがあまりになさすぎるので、それもどうかと未だ疑問でもある。

 

そういえば、近年になって若い人(30代前後)と仕事をする機会も増えてきたのだが、気持ちいいくらいに仕事のオンオフを使い分けている。「それは休み明けにチェックします」とわざわざ返してくれたり、土日はLINEに既読がつかなかったり。それは・・とても良いことだと思う。もちろん、「曜日や時間関係なく、即やりとりで即仕事を進める」という仕事も多くやってきてしまっているのでそのギャップにイラっとしてしまった頃もあったが、すぐに反省した。時代が変わったなどと大枠で言いたくはないが、「仕事だけに限らない、各々が大切だと思うものと向き合うようになった時代」なのかもしれない。それがスマホであったとしても。

 

そして、僕も昨年冬から彼女なるものができたことが一番の理由と思うが(ひゅーひゅー)、普通に「休みたい、遊びたい」と思うようになった。今日も、今月半ばの怒涛の仕事をやりきるために日曜日ながらに編集まみれになっているが、ほんとうは中之条町の「うた種」で行われている、アーティスト・関美来の展示を見に行きたかった。昨日だって、高崎の「REBEL BOOKS」で行われた絲山秋子さんご本人による本のイベントに行きたかった。さあ、声を大にして言おう

 

休みたい。

5237声 路地裏に置き忘れたものは

2022年09月10日

中之条町観光協会によるe-bike(電動自転車)の広告制作のため、今日は一日スチルカメラマンとして中之条を巡った。

 

あっという間に秋である。稲刈りは2~3週間前とのことで山間は行く先々で一面の黄金色だった。得に、「美しい村連合」にも選ばれている伊参地域の棚田は美しく、晴れ間も見えた今日、山を下ってきたそよ風に薄黄色の色がつくんじゃないかというくらいにそよそよと、稲の絨毯がゆらめいていた。とはいえ、その一部は田植えを辞めてしまったそうで、「この景色もあと何年見られるのかな」という(他人事っぽいので自分でも好きではない)そんな考えもよぎってしまった。

 

そのような山部と地続きに、中之条町つむじから駅の方へ下って行って、林昌寺あたりからUターンして川沿いを役場方面に登っていったりして、そういう町での撮影も楽しかった。特に路地は、僕が物心ついた時から歩いてきた道なので、感情のレイヤーが多層すぎてよくわからない気持ちになる。今日のメンバーに一人、町外から来た若めの女子がいたことも、それにより新しいレイヤーができる感じがして良かった。懐かしい人には懐かしく、はじめての人には新しい。当たり前だ。

 

この町で暮らしてきた年月を考えると、ずいぶんいすぎるなとも思う。多感な時期には泣きながら歩いた路地もあった。そんな路地裏に置き忘れてきたものがあるとしたら、なんとなく「誠実さ」である気もする。今が不誠実というわけでもない気がするが、なんとなく。

5236声 鳥居峠霧深く

2022年09月09日

ターミナルホテルの狭い部屋で目を覚まし、ホテル内の浴場でひとっぷろ浴びて、近くの吉野家で腹ごしらえ。天気は相変わらずぱっとしなかったが、必要があるので赤城山へ向かった。いつぶりかの赤城山では鳥居峠の売店先から山の稜線を撮影しようとカメラ三脚をもって歩いていった。雲、雲、雲。最初こそ遠くに晴れ間が見えたが、雲なのか霧なのか、どんどんとこちら側へ浸食してきて、しまいには真っ白になってしまうようだった。諦めてRECボタンを押し撮影を終える。

 

やあやあやあ、目の前は霧だらけ。今の自分みたいだなと思った。

5235声 新前橋の夜があったかいってほんとだった

2022年09月08日

新前橋駅前に、キンパ(韓国風海苔巻き)の名店「BENTO261」はある。中之条町で行われているものづくり作家と料理人の祭典「秋、酒蔵にて」でも、店主のカヤさんが毎年参加しているので、知っている方もいるのではないかと思う。とにかく、美味い。キンパに巻かれるそれぞれの具材のベストな調理をほどこし、それを最小限の力で巻く(とはいえ具材が多いのに食べてぼろっと崩れない)、そうして出来たキンパは、一口食べればずっと噛んでいたい味と歯ごたえのマリアージュ。カヤさんは写真や文章や、歌(これも有名)も上手くて、どうやったらこんな人間が出来上がるのか不思議なくらいだ。・・なんか褒めすぎた。

 

新前橋駅前は、僕が学生時はかろうじてドムドムバーガーが残っていただろうか、全然ぱっとしない場所だと思っていた。でも今はいい酒屋もあり、生パスタの店もあり、「BENTO261」もたまに夜の居酒屋営業をしていたりして、楽しい場所になっているようだ。そこで飲んだ友人は「新前橋あったけえ」みたいなことを言っており、そんなもんかなと思っていたのだが。

 

今日はカヤさんと僕と数人とで打合せがあり、そのまま店内飲み、さらには近所のカラオケスナックという夜の新前橋コースの1つを堪能した。カヤさんは相変わらず中森明菜とか、めっちゃ歌がうまい。僕も調子にのってしばらくぶりに歌う。こういう場所では懐かしい歌を選ぶ配慮をもつ僕が最後に歌ったのは「涙くんさよなら」だった。そのままターミナルホテルのカプセルホテルみたいな3000円プランで宿泊。新前橋の夜があったかいってほんとだった。

5234声 継続はぽわぽわなり

2022年09月07日

中之条ぽわぽわ、というyoutubeで見られるショートムービーがある。これは、中之条町観光協会が製作、よくある観光映像とは一線を画すものとして「温泉×地元俳優×映画スタッフによる制作」という枠組みで作られている映像となる。すでに沢渡編、六合編が公開されており、昨年1年の制作休止をはさんでいよいよ今月、最終作となる「四万編」の撮影が行われる。

 

中之条町の観光映像にはもうずいぶん前から関わっていて、中之条ぽわぽわも面識のあった前橋市出身の飯塚花笑監督(近年、商業映画『フタリノセカイ』が全国公開され、自主映画『世界は僕らに気づかない』が海外映画祭でも受賞を果たしている)が「なんか、温泉好きなんで温泉で映画作りたいんですよね・・」と呟いていたことをきっかけに、観光協会の原沢さんらと共に「中之条ぽわぽわ」を立ち上げた。昨日も、四万での最終ロケハンに同行。宿を訪ね回った。

 

映画(ショートムービーであっても)の撮影というのは簡単ではない。日本映画学校や伊参スタジオ映画祭を通じてそれは重々知っており、さらに近年の「動画の消費のされかたの速さ」が急速すぎるものだから、正直「こんなに時間やお金をかけて精魂込めて作る行為が、きちんと報われているのだろうか」と不安になることもある(とはいえ、僕は現場から一歩引いた場所で関わり当事者ではないのだけれど)。けれど・・けれど、映画は必要だ、と言い続ける責任と理由を、僕とて持ち続けていかねばならない。

 

中之条ぽわぽわ「四万編」完成の際には、何か今までにないアクションを起こそうという話も出ている。そして、中之条町出身俳優を貫いてきた本シリーズ。四万編の主演は・・・誰でしょうか。こうご期待。

 

中之条ぽわぽわ沢渡編

中之条ぽわぽわ六合編

5233声 映える花火

2022年09月06日

今年の夏は、起業したのでいつもとは違う夏になるかな・・なとどは思っていなかったのだが、案の定それに伴うことは幾つもやったものの、自分の気持ちとしては思ったよりも特別感はなく、いつも通りあっという間に夏が終わった。

 

最後に何か夏の終わりのようなことがしたくて、スーパーで500円程度の「花火セット」を買って、いい大人2人で花火をした。事前にテレビで見ていたのだが、今は「煙の少ない花火」なるものが開発され、それ、目にも染みないしなかなか画期的ながらあまり売れずに、名前ひとつ変えただけで売れるようになったらしい。さあ、何でしょう?

 

正解は「スマホできれいに映せる花火」である。時代だなぁ。そういう用途でやりたかったわけじゃないけど、売っていたからそれを買った。結果として、その煙が少ない花火というのは似た火花が出る花火だった。線香花火のように円状に飛び散る火花だ。大半がそれなのでなんか昔と違うなと思っていて、わずかだけ前方にシュシューっと火花が出る花火があったので少し安心したら、それは煙が出るタイプの花火だった。これで良いじゃん、と思った。

 

最後に線香花火を残しておいたら、それは4本ともに赤い玉になった、これから小さく火花が散るぞ、というところでポテッと玉が落ちてしまった。4本あって4本とも。なんだかがっかりでもあったが、それはそれでなかなかに楽しい夜だった。

5232声 祭りの外

2022年09月05日

昨日は、高崎まつりと同時に、僕が住む中之条町でも2年の中止を経ての「伊勢町祇園祭」が開催された。中之条では大きな祭りとして8月の「中之条町祇園祭」と9月の「伊勢町祇園祭」があって、それはかねんての坂を下りた先の橋を境に開催される地域が2つに分かれている、ということなのだが、前者は今年も中止になったのに対し、後者は開催となった。詳しい理由は知らないが、僕は個人的に「中之条町(町名ではなく地域名の方)より、伊勢町の方が祭り好きが多い」ことなんだろうなと解釈している。実際、他の祭りもそんなものだが、参加する人の祭りに対する情熱は計り知れないものがある。

 

僕が生まれた西中之条は、そのどちらの祭り地域にも属さない。だから物心ついたころから祭りは僕の外で起きていることで、山車に乗って太鼓を叩くことはもちろん、はっぴやはかまで祭りの恰好をしたこともない。小学校の時などは、そうした格好で喜々としながら汗を流して太鼓を叩いている同級生が眩しくすらあった。が、根暗であったので、そういったものに参加する必要がないことは、ほっとする事でもあった。今でも、そんなちょっとの寂しさと関わらなくて良い変な安堵が心のどこかにある。

 

今年は、2年ぶりだというのに「伊勢町祇園祭」にはちょっとも顔を出さなかった。来年はきっと中之条町の方も行われると思うから、両まつりを歩いてみたいな(撮影もするかな)と思っている。

5231声 たこを抜いたたこ焼き

2022年09月04日

高崎まつり真っ最中であったが、高崎でひとつ用事があり、そのついでに高崎市内を歩いた。ふと調べたら高崎電器館で是枝裕和監督『ベイビーブローカー』上映最終日で、是枝作品はほとんど見てきたので観に行ってみた。この映画は韓国で撮影されておりキャストもオール韓国キャスト、主演のソン・ガンホがカンヌ男優賞を受賞したニュースを覚えている人もいるのではないか。捨てられた子どもを、子どもを欲する家族に高額で売る男たちが、捨てた女と共に旅をするロードムービーであり、結果として是枝作品っぽい「一般的には底辺と言われる人たちが、社会や現実と格闘しながらも、人生における大切なものに気付く」作品だった。個人的には、これをオール韓国作品と見ていたらただ良い映画だったと思ったかもしれないが、わかりやすい形での是枝作品として進んでいく事が気になってしまった。

 

映画の前には少し腹ごしらえと、昼を過ぎているのにまだ始まらない祭り屋台やイベントの脇を通り抜け、スズラン地下街へ行った。最近、体に良い弁当や総菜を売っている「だるまだるま」の話を知人としたばかりだったので、そこでイワシ煮が乗った弁当を買って、そばの立食黙食コーナーで肩を狭くして食べた。周囲には祭り特有の高揚した家族連れなどが多く、僕の隣では小学3年生くらいの男の子とその子の母親的な女性が立食で、総菜や弁当を食べていた。「スズラン来るのは初めて?」「うん」というやりとりをしているので、母子ではないのだろうなと思った。「私ちょっとあっち見てくるから」的なことを言って女性が離れる。僕は、なんとなくその男の子を見た。すると彼は【たこ焼きの長い楊枝を使って、少し不器用にたこ焼きからたこを抜き、たこが抜かれたたこ焼きだけを食べていた】。僕も彼くらい小さい時は固いたこが嫌いだった気もするし、特別な事ではないのだが、母親ではないっぽい人とデパ地下にいる子がそのようなことをしている様子が、記憶に残った。

 

今日を振り返るに、案外、そういう記憶から映画は作られるのかもしれない、と思った。乱暴な言い方だけど。

5230声 高校生が町をゆく

2022年09月03日

今日は、吾妻中央高校の撮影に向かった。この撮影も先々月からかな、はじまってもう6回目くらいになる。これは、中之条町伊勢町にある「睦会(むつみかい)」という商業者組合が、同町の高校とコラボして何かを作り出す、というプロジェクトである。それは単に、商品開発とか、店の広報のために学生がポスターを作る、といったものではない。キーパーソンとしてその間に、町内在住のアーティスト西岳拡貴くんが入ることにより、予想がつかない展開が続いている(僕の役割は、睦会と西岳くんを会わせたことと、来年まで続くこのプロジェクトの動画記録である)。

 

吾妻中央高校というと、前身となる中之条高校から続くあの恒例の活動を思い出す人もいるかもしれない。生物生産化(前・農業科)による、学生たちが作った野菜の学生自身による売り歩きと、環境工学科(前・土木科)による、町内の測量である。今日も、西岳くんと学生たちを乗せたバスは中之条駅前に停車。睦会の会員である「ほづみ」や「はやし屋」などの店 <<のある場所を測量>> した。GPSも使う最新の測量計を使い、経度や緯度、標高を計る。続いて教室に戻ると、それら測量値を自作の大きな地図に落とす。睦会の加盟店を通して、中之条町伊勢町の、ただ生活しているだけでは見えない形が見えてくる。そしてその形から <<型をとり>> まるで型紙を作り布にあててワンピースでも作るかのように、布にその型を置いていく・・・ね、予想がつかないでしょ。

 

今時の高校生は良くも悪くも良い子が多い。ヤンキーはどこか彼方へ消えてしまったらしい。学校帰りには、飲食店に立ち寄っての買い食いなどもほぼほぼしないそうだ。そんな中では当然、昔ながらの商店街は彼らにとってはただ通り道にあるものに過ぎず名前すら憶えていないものなんだと思う。今回のプロジェクトで、高校生たちが町の商店を歩き、なかには「こんにちは」と言い合う顔見知りもできているところにも、このプロジェクトの目的がある。どう展開していくか・・楽しみである。

5229声 蘇る勤労

2022年09月02日

先月から数回、県内の飲料工場の撮影をしている。広告代理店を通してそういう依頼があった時に、「僕実は群馬帰りたての時に別の飲料工場でバイトをしていて、それもあって興味あります」と答えていた。それは僕がまだ20代前半の頃のことであった。

 

不思議なことに、目にも止まらぬ速さで流れていく缶飲料やペットボトル、粉ミルクの香りが充満した配管ばかりの工場を歩くと、当時の記憶が蘇ってくる。当時はまだその先の人生に不安ばかりで、日勤夜勤が入れ替わる不規則なそのバイトの中で、僕はずっとこんな感じで働いて年老いていくんだろうな、と思っていた。そんな不安から逃げるために、1年くらいは続けたと思うが、僕はそのバイトを辞めた。

 

今撮影している工場は、働いている社員の平均年齢が若くて驚いた。僕が当時勤めていた工場のように威圧的な先輩もいないし、ルーティーンが多い工場だからこそ、みなが明るい雰囲気で働いている。高学歴の社員も多い。工場が違うからなのか、時代が変わったからなのか、働いている人たちの中に当時の僕のような顔をした人はいない。

 

夜勤、夜が明けて(僕が働いていた方の工場は窓があった)光が射す工場内で、まるで産湯を浴びた後のように湯気をまといながらわらわらと出てくるボトル飲料の光景を、今もなんとなく思い出すことができる。あと数時間で仕事が終わる、という気分もあったと思うが、その光景はなんだか美しくて、部分的に、良い思い出として残っている。

5228声 社名に名前を入れちゃう人

2022年09月01日

この夏から、長年お世話になった株式会社あがつま御縁屋を独立し、経理担当の竹内茂夫と共に「合同会社岡安映像デザイン」を立ち上げました。

 

事務所は、実家兼自宅のある群馬県中之条町の駅南から橋を一つ渡った東吾妻町植栗の、三件並んだ庶民的な平屋の一番奥。デスクの窓からは、中之条町のシンボルである嵩山(たけやま)がとても良く見えます。

 

何をする会社であるかは社名に入っています。自作のシンボルマークは、楕円の内に「必」の字。僕は、日本映画学校在学時に知った「内的必然性」という言葉を20年経った今も大事に思っているのですが、岡安映像デザインは、表立って見えるものを流行りに乗って誇張して見せる仕事ではなく、人の・物事の・集団の内側にある必然的なもの(本質的なもの)を、共に考え、映像とデザインと文章で見せていく仕事をしていきます。

 

まだ直接ご挨拶できていない方や、仕事案件で待たせてしまっている方には申し訳ないですが、環境は整ってきました。今までもこれからも、よろしくお願いします!

 

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という文章をFBに投稿した。とうとう、社名に名前を入れちゃう人になった。責任だけが人を大きくする。

5227声 まだ

2022年08月31日

南大東島付近に迫っている台風十一号の影響で、終日ぐずついた空模様であった。まだ猛威を振るっているコロナの影響で、九月の予定がひとつ中止になった。週末の高崎まつりは大丈夫だろうか。今月はまだコロナに罹らずに済んだ。そうなのだ、「まだ」という気がしており、いつか罹るものを先延ばしにしているような心持さえする。山間の町は秋が深まっているだろうか、九月からは岡安さんです。

5226声 不安定

2022年08月30日

小雨がち曇りで、秋のはじめらしい空模様。小中高生たちはおおむね明日が夏休み最終日であろう。何かと不安定な時期である。慎重に進みたいが、そわそわとあたふたとしている。

5225声 蟻の句

2022年08月29日

晴れ。三十度前後で暑さ和らぐ。発送したり、発送されたものを受け取れなかったり。昨日、ポストに句を寄稿した掲載誌が届いていた。十二句、全て蟻の句。どうかしている。

5224声 その日の出会い

2022年08月28日

降ったり止んだりの一日。このところ、夜は虫の音が高くなってきて、ぐっと秋めいてきた。一献傾ければ、牧水の白玉の一首のような風情であるが、目の前にある缶麦酒とパック寿司では大分風情に欠ける。日本酒なども分かるようになりたい。それはまず、良い店に出会わなければならない。堀澤さんのように、カウンター越しに厳選の一杯をさっと出せるようなことは重要なのだ。私で言えば、句会で厳選の一句をさっと紹介できるかどうか、といったところか。その人のその日の出会いとして、それが心に刺さるものであるか。