日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和7年度は4月(す)5月(堀)6月(坂)7月(ぬ)8月(岡)9月(す)10月(堀)11月(坂)12月(ぬ)1月(岡)2月(す)3月(堀)の順です。

6432声 非日常であり続けてほしい

2026年01月16日

六合入山の「おんべーや」も中之条町の特徴的な行事である。伝統行事のように見えるが、そうではないらしい。その昔、斜面が多く米が作りにくい六合では、蕎麦や穀物を作っていた。ある時、旅芸人の一座が訪れ、囃し立てたところ、作物が豊かに育ったという。そして旅芸人たちが来なくなった時に、村人自らが七福神に扮し、各家々を回る風習が出来た。ちなみに、おんべ、と呼ばれるのは日本最大級とも言われるどんど焼きのことで、家々を回り酒も振る舞われ、いい感じの意識になって神様となった村人たちは火柱を立てるどんど焼きの回りを回る。当人たちの中には「これは伝統芸能じゃない、飲み会だ」という人もいる。全国的に見ても稀な行事でもあるので、毎年僕以外のカメラマンも7〜8人くらい訪れている。

以上、聞いた話で部分的に間違っているかもしれないが、僕はこの祭りや参加している山本さん達(だいたいの人が山本姓なのだが)のことが好きで、仕事としてでもあるのだけど毎年撮影で参加している。初めて見た時の衝撃はすごかった。同じ町内でも旧中之条町の風土とは全く違う。そして今年ふと、おんべーやでさえもある程度の日常として見ている自分がいて驚いた。慣れ、というものは誰にもあるのかもしれないが、このおんべーやに関しては非日常であり続けてほしいと切に思った。そういうものが、1つ、2つは必要なのだ。

6431声 感性なのだと思う

2026年01月15日

鳥追い祭りで、驚くというか、そうだよなと思う事があった。

僕は46歳。同級生もいい年になった。今年の祭りでは僕が見た限り、同級生で法被を着た参加者は長谷川商店の長谷川だけだった。今でこそ子どもが減ったが、僕の年は小学校一学年で40人4クラスあった学年である。祭り参加の地区は限られているとはいえ、160人ほどいた同級生たちは、祭りの運営側はもちろんお客としても見かけることはなかった。

その一方で。「中之条ビエンナーレ」という2007年から始まった芸術祭は、アーティストの中之条町移住という経過をもたらした。昔はそうではなかったのだと思うが、近年は祭り参加者も減少傾向にあり、出たいと名乗り出て信用を得れば地区に関係なく参加ができる。今年、僕が見ただけでも法被を着たビエンナーレ関係者が4人いた。同級生の4倍である。楽しそうに太鼓を叩き、ネイティブ中之条の方たちともうまくやっていた。

そこに生まれ育った人が文化を守っている。けれど、それだけでは持たない時代がやってきた。そんな時にそれを補ってくれるのは、感性を持った人たちなのだと思う。その中心には、本物がなければならないのだが。

6430声 福の円環

2026年01月14日

中之条町の冬の風物詩、鳥追い祭りを撮影した。鳥追い太鼓と呼ばれる車輪のついた大きな太鼓を連ね歩き、町内の場所場所でドーン、ドーンと腹に響く音を奏でる。その際に歌う歌も特徴的で

追いもうせ
追いもうせ
唐土(とっと)の鳥を追いもうせ
さらばよって追いもうせ

害獣・害鳥駆除からの五穀豊穣、無病息災や商売繁盛の祭りと言われている。

ぼくんちはこの祭りの通りの近所であるにも関わらず、祭りを実行する側の地域ではなかった。であっても、一客として物心ついた頃からこの祭りに参加してきた。太鼓よりも客を楽しませている「みかん投げ」(町内各所でみかんをばらまく。その中には福みかんと呼ばれる宿泊券の紙が付いたみかんもある)が好きで、小学生の頃には両手のスーパーの袋いっぱいにみかんを拾ったこともある。

その昔は、この通りには今の倍数くらいの店が開いていた。鳥追い太鼓は1件1件に立ち止まり、商売繁盛を祈願して太鼓を叩いたという。福を受けた商店は、みかんを購入する。そしてその福が詰まったみかんを、お客さんに向かって投げる。お客さんはきっと、それをきっかけに商店に足を運ぶこともあっただろう。そうした、福の円環があった。今もそれに近いものが残っている。いい祭りだと思う。

6429声 蕎麦屋にて

2026年01月13日

職業柄、というものではない気がするが飲食店等に入っていて見ず知らずのお客さんたちが話す世間話にどうしても耳を立ててしまう。いい趣味ではないことはわかっている。

今日入った蕎麦屋では、スーツを着た男性が2人、先に蕎麦をすすっていた。挨拶回りがどうだこうだと言っているので、ノールックで銀行員かなと思った。あの人は挨拶がうまい、あのやり方はないんじゃないかという話をしている。

僕の天ざる蕎麦が運ばれてきた。美味しい。店主が、銀行員らしき男性に話しかけた。あ、それですぐにその男性2人が政治家であったことがわかった。それを知ると、今までの彼らの話も辻褄が合う。飲食店での何気ない会話には、素が出るな。

いい趣味ではないことはわかっている。

6428声 タトゥー

2026年01月12日

とある温泉に入ろうとしたところ、全身に刺青を入れたおじさんが入っていた。小さな浴場である。他にも数人のおじさんが入っている。一瞬、おっと思ってしまうが、僕も取り立てて気にするタイプではない。いつも通り、こんちはーと言って湯に浸かった。一人のおじさんが「そんだけばっちり入ってたらモテるでしょう」と話かけたら「いやーそんなことないですよ」と刺青のおじさん。まあ、普通の会話だ。

昨年、四万温泉柏屋旅館の外国人向けの映像を制作した。僕は制作サイドに回ったのだが、モデルも外人が良いとのことで、高崎にあるspectramに相談をした。その際にはむしろ柏屋さんの意を受けて「タトゥーのある方をお願いしたい」というお願いをした。柏屋旅館は四万温泉でダントツで外国人利用が多いのだが、それは「英語によるブログを何十年と続けてきたから」という地道な努力以外に「タトゥーOK、ヴィーガンメニューもあるから」という宿の特徴もある。撮影には、希望通りタトゥーのある男女、非常に明るくて礼儀正しくて、そもそもが県内の学校でアシスタントティーチャー経験者だという方たちが来てくれた。

自分がタトゥーを入れることは今後もないだろう。
一生身につけていたい言葉、絵なんてあるのだろうか。

6427声 酒が飲める像

2026年01月11日

若い時は何度目にしてもただ無視していたのに、今くらいの年になると足を止めてしまうものがある。道祖神など、道端の石像だ。

見たら見たで感動もできるが、お寺まで行って仏像を見たい、までの気持ちはない。でも有名ではない道端の石像に、何か惹かれる。全部に、というものではない。素通りする像もある。

足を止めてしまう石像の中には、ごく僅かに「酒が飲める像」も存在する。それを見ながら、酒が飲めるということである。例えば、高山村のいぶきの湯を出て、国道方面、やや南に進んだ場所にある墓地にある石仏の1つ、それが酒が飲める像である(具体的な場所までは示さないが、物好きな方がこれを読んでそれを探し当ててくれたら嬉しい)。庚申塔と書かれた石碑の左隣。その左腕は破壊されたのか何なのか失われている。右膝を立て、そこに右肘をついて頬を支えている。何がそこまで良いのか、はうまく言葉にできないが、わりとずっと見ていられる。そこに酒(日本酒が良いね)を持ち込んで飲んだことは、ない。

そういう話でいくと、昔姉の付き添いで行った吉岡町あたりの病院の、入口前にあった裸婦の石像も良かった。これは説明ができる。その裸のフォルムがとても好みだった。芸術の話ではない。すけべな話である。あれはきっと、ワインが合う。

6426声 コロッケの味

2026年01月10日

ぼくんちの母親の十八番料理はコロッケである。作り方はシンプル。じゃがいもとひき肉と玉ねぎが具材。まるくカラッと上がったコロッケには、ソースよりはマヨネーズと少々の塩が合う。揚げたてをつまみ食いさせてもらうと、すっと幼い頃にも戻れるような懐かしい味だった。

揚げはじめてすぐにピンポンが鳴り、近所の小菅さんの奥さんが自身で作った野菜をくれに来た。母親が、小菅さんにもお礼のコロッケを揚げるという。持っていくよと俺。てくてくと坂を降りてピンポンを鳴らし揚げたてのコロッケを小菅さんに手渡すと、ちょっと待っててと奥に引っ込み、自家製の白菜キムチをくれた。野菜をもらって自家製コロッケをくれて自家製キムチをもらう。そのキムチは辛さ控えめでニンニクが効いていてご飯が進むおいしさだった。きっと、十八番料理なのだと思う。

6425声 ブルーボーイ事件

2026年01月09日

飯塚花笑監督最新先の映画『ブルーボーイ事件』をシネマテークたかさきで観た。飯塚監督とはもうある程度長い付き合いとなった。中之条町観光協会製作の「中之条ぽわぽわ」という観光ドラマでは僕が制作に入り飯塚監督に脚本と監督をお願いした。昨年の伊参スタジオ映画祭ではその1本を上映しゲスト来場もしてもらい、『ブルーボーイ事件』の予告編も上映をした。

1960年代に実際に起きた事をもとに作られたこの作品。警察が風俗摘発をした際にブルーボーイ(性転換手術を受けた男性)を性別上逮捕できないことから、その施術をした医師を逮捕し裁判が行われたことがあったらしい。飯塚監督はこの事実をもとに現代にも通じる物語を編み上げた。飯塚監督は自身がトランスジェンダーであることを口外もしているが、この映画でもトランスジェンダー俳優が多数出演している。

法廷のシーンでは、男性として生まれたことへの葛藤、女性として生きていくための希望が問われる。主役を演じた中川未悠さんの演技が素晴らしい。演技ではあるが、中川さんの実人生が滲み出るような演技だった。何年、何十年と演技を重ねた俳優の良さというものはあるが、経験の差は関係なくその人がその一瞬でしか見せられない演技というものはある。この映画にはそれが確かに映っている。

シネマテークたかさきでは1/15(木)まで。まえばしシネマハウスでは1/10(土)から再上映がはじまる。ぜひ、劇場で観てほしい。

6424声 野菜炒めライス、餃子もね

2026年01月08日

沢渡温泉で長年営業していた「上州軒」が昨年末で店を閉めた。ここのタンメンがすごく好きだった(あっさりしていて、でも旨みのある清いスープだった)。

今日は中之条町の観光協会で打ち合わせ。はじめましてだと思っていた、今回仕事を共にする男性が、旧知の人だったことがわかり「一緒に昼飯でも食べますか?」と誘った。歩いて行ける距離にある「鈴蘭」へ。ここの野菜炒めライスがすごく好きだ。せっかくだからと餃子も頼む。誘った方も全く同じものを頼んだ。美味しいですねと言われて、自分が作ったわけでもないのに嬉しい。ここの野菜炒めは味がしっかりしていて(油も多めなのだが)実にご飯が進む。

昨日の散歩に続いておじさんあるあるだが、たくさん食べると仕事に支障をきたすなと感じるようになった。腹八分目でないとパフォーマンスが悪い。であっても、であってもである。こういう時は遠慮なく食べる。案の定、集中力が遅くまで続かず、今日はわりと早めに帰宅した。

6423声 散歩

2026年01月07日

若い時は、自分が散歩をする人になるとは思っていなかった。わずかだがジョギングをしていた頃はあった。いや歩くって、朝歩くって、なんでわざわざそんなことをするおじさんおばさんがいるのか、若い時は理解ができなかった。

今、散歩が大好きである。今のような寒さで凍みる時も、近所程度だが歩く。同じ朝がない。朝日に照らされて田んぼの霜がきらきら光る日もあるし、川辺の枯れた紫陽花が風に揺れる日もある。もしかしたら、自然はそれほど変わっていないのかもしれない。が、そこを歩く自分が昨日とは違う気がする。

散歩を終えてしまえば、いつも通りの仕事が待っている。僕は方々に撮影に出ることが多いので人に比べれば変化がある仕事かもしれないが、一日中パソコンで作業している日も多い。あっという間一日が終わる。そしてまた翌日、散歩に出る。

ここまで書いてみて、これが「ただおじさんになること」なのだと思った。今日、母親が近くのガソリンスタンドに灯油を買いに行って「おたくの息子さん、よく散歩してますね」と言われたらしい。悪い気はしない。

6422声 カムジャタンの思い出

2026年01月06日

ビビンバ、チヂミ、キンパ巻き・・韓国料理に美味しいもの数多くあれど、僕はカムジャタンに人一倍の思い入れがある。その料理名を初めて名を耳にする人もいるのではないか。

前橋の朝鮮学校の撮影で知り合った里香さんの「スペシャルなコチュジャン」(何度かいただいている。非売品。超おいしい)が少し残っていたので、ふと自分でカムジャタンを作ることを考えた。ググったら、豚のスペアリブで作れる。味のアクセントになるエゴマの葉っぱもスーパーで手に入れた。骨から出る旨みもあるのだろう、コチュジャンと味噌のスープがじゃがいもや大根に染みてとても美味しく作れた。

だがふと、あれは牛のテール肉ではなかったかと思い出しググると、そのパターンもあるらしい。あれ、とは、東京で食べたカムジャタンのことである。20歳過ぎの僕が「山形国際ドキュメンタリー映画祭」の事務局スタッフをしていた頃、その頃は東京事務局が河田町にあって、そこで事務仕事などをしていた。夕方の5時になると、映画祭の顔だった故・矢野和之さんが「岡安くん、ビール買ってきて」とお金をくれる。食材を買って小さなキッチンで僕がパスタを茹でみんなで食べたこともあった。そして時たま、歩いてすぐの場所にあった韓国料理屋(名前も覚えていない。まだあるのだろうか)で冬に何度か連れて行ってもらって食べたのが、牛のテール肉が入ったカムジャタンだったのだ。

初めて食べたカムジャタン。骨付きの肉をしゃぶるようにがっつき、じゃがいもがめちゃくちゃに美味しかった。そして味と同じくらい大切だったのは、矢野さんを始めとした尊敬する映画祭スタッフと共に囲んだ鍋だったことだ。同じ鍋を囲むことは、もうできない。

今回、残った汁がもったいなくて、冷凍うどんを入れて焼きうどんにした。焦がすくらいに焼き付けるとじゃがいもが溶けたものが焦げて麺に絡まってとても美味しい。これはこれで、美味しい味。

6421声 素の顔

2026年01月05日

仕事始めは太田市美術館・図書館の「原倫太郎+原游 バベルが見る夢」展の撮影だった。(〜1/18まで)

壁一面に絵画が飾られた部屋には、小さな球が縦横無尽に行き来している。CGなどではない。ピアノ線のような細い線を渡っていく球が、コンベアによって上方に運ばれ、また線を渡ってコロコロと壁向こうまで転がっていく。そういった仕掛けを含んだような作品が1階、2階、3階と続いていく。

大人から子どもまで楽しめる展示なので、今日の撮影では家族のモデルをお願いした。美術館勤務の方の家族も含めて3家族が集まってくれた。初めて来た方が多かったので、素のリアクションが欲しいなと思い「普通に見てもらってその様子を撮ります」と言ってはみたものの、素か演技はわからないが指で絵を指して美術館鑑賞をしている親子的な動きをされる方もいて、それはそれで良いので撮影したが素の顔を撮るのって難しいなと思ったり。

けれど、3階にある言葉の積み木の作品では、例えば「それでも地球は」「とろみがついたら」「ドンジャラホイ」みたいに言葉を積み上げて面白造語が作れる作品なのだが、子どもも大人も夢中。はい、演技お願いしますではない良い表情が撮れた気がする。いいよね、素の顔って。

6420声 お気楽俳句ing 2025

2026年01月04日

今日は「めっかった群馬」毎年恒例の「お気楽俳句ing」であった。翌日太田市で仕事があるので高崎に車を停め、大宮へ向かった。今年は大宮市の武蔵一宮氷川神社へ初詣に行く。・・と、その直前の駅で予期せず電車が停まってしまい、僕一人歩いて向かうことに。着いた頃には皆、詣を済ませていた。大行列を目の前にして並ぶ気にはならず、行列が向かう先に向かって手を合わせ詣を済ませた。

幾重もの邪気を脱ぐよな初詣

その後は、句会ができる美味しい酒場探し。ガード下のような地下道を行き、目的としていた店・・は正月休み。そのすぐ近くの炉端焼きの店に良い予感を感じ入店した。大正解。年が明けてからもビールや日本酒は飲んでいたが、ホッピーがたまらなく美味しい。参加メンバーはこの「鶴のひとこえ」の執筆メンバーで旧知のみだが、だいたい1年ぶりに一同を会する顔ぶれである。近況などを話して、酒を進ませ、ある程度進んだところで抜井さんが俳句を書くための短冊を配る。

初ホッピーソルベな馬刺し舌に溶け

その後は、歴史にめちゃんこ詳しい坂口さんの案内で来年の大河ドラマの主役、小栗上野介忠順の墓がある普門院を訪ねる。製鉄所建設や軍隊整備など、日本の近代化を推進した忠順、寺院内には大砲や錨も置かれている。人で賑わう駅周辺からは少し歩くこともあってか、来訪者は僕ら以外にはおらず、けれど大河ファンは根強いので、来年の今頃は多くの人が訪れているに違いない。群馬も、忠順が不幸な最後を遂げた倉渕も、盛り上がるのだろうか。

祝大河小栗巡りて初句会

その後も安くて早い中華料理屋に立ち寄り、酒を飲んで話して第二回プチ句会もして話して、会はお開きとなった。帰りの新幹線はすーさんらと一緒だったのだけど、重要な仕事を長年続け家族も大切にしている彼らの姿勢に未だ未熟な自分を反省しつつ、頑張んなきゃな、と思った。僕にとって一年に一度のとても貴重な会である。

6419声 楽しいバトン

2026年01月03日

アートディレクター・カメラマンの田淵章三さんが亡くなった。商業写真の第一線で働き、詩人の谷川俊太郎さんとも「子どもたちの遺言」「今日までそして明日から」という2冊の写真詩集を刊行。北軽井沢に居を移してからは、山まわりをまるっと仕事にしている会社、きたもっくのブランディングにも携わってきた。

僕は、長野原町がやんばダムの完成映像を作る際に、フリーペーパーきたかるのチームに混ざる形でその仕事に加わった。そのチームにいたのが、きたもっく代表の福嶋誠さんであり、田淵章三さんであった。クセの強いおじさんたちという第一印象であったが、すぐに彼らの仕事の深さを知り、映像制作にあたっては章三さんがディレクター、僕がカメラマンという役回りで仕事を進めた。シリアスになりがちなダムを巡る取材において、章三さんの提案は常にユニークで、ご自宅にも何度も泊まらせていただきながら(章三さんが好んでいた、醤油と砂糖だけで煮る格別に美味しくて格別に体に悪そうなすき焼きもごちそうになりながら)映像を完成させた。その仕事だけに限らず、公私に渡って大変お世話になった。僕は章三さんのことがとても好きだったし、章三さんも僕が行く度に「お前の顔は面白い!」と笑い、写真に限らない表現方法に関しても自身が知っていることは何一つ隠さず教えてくれた。言うのは勝手だから言うと、師匠だと思っていた。

本日、家族葬であったのに、娘の三菜さんが僕も行って良いと言ってくれたので、参列させていただいた。同席された誠さんが言っていたように僕も全くをもって気持ちの整理はつかないのだが、章三さんから色々を教わった身として(実際仕事として教わったことは多くはないが、それ以外の生き方や人間の在り方などを学んだ)これまた勝手に重いバトンを受け取った気でいたのだが、厳かな式の最中にも所々に章三さんのユニークさを思い出させるやり取りがあり、僕も、楽しいバトンを受け取ったのだと思い直した。章三さん、ありがとうございました。

6418声 築地はいま

2026年01月02日

この年末は、4年ぶりくらいに築地場外市場へ行った。10年前くらいには月に2度場内市場へ通い魚の仕入れの真似事をしていた。業者の仕入れの基本は豊洲へ移ったが、今も多分一般の人が買い物をするのは築地場外がしやすいのではないかと思う。

何年か来ない間に場外市場は様変わりしていた。簡単にいうと、インバウンド客などを目当てにした軽食、高級海鮮丼などの店が増えた。そして実際、外国人が多い。年末だから僕のようなお正月の品の買い出しの人も多くて、まさに人の大洪水。これを見ただけでも年末感は十分。そうした洪水の奥では、店構えも変わらない乾物屋や漬物屋などが今もしっかりと商いを続けていた。

仕入れの時はいつもと言って良いほど通っていた、場内市場にあった鯵フライやとんかつの名店「豊ちゃん」も市場ごとまるっとないので、駐車場に入るまでの渋滞の中で検索しておいた「築地本種(もとだね)」を初訪問。インバウンド客では見つけられないような路地裏にあって、開店してわりとすぐの時間に行ったが人が列をなしていた。常連客的な顔ぶれが多いので、食べる前から安心できる。実際、食べた丸ちらしは1,400円と安価ながらすべてのネタに生のねとっとした旨みがあり、非常に美味しかった。

年末ならではの光景も。常連と思われる客が「大将も飲んでよ」と言い、カウンターの大将のコップに瓶ビールを注ぐ。「いただきます」と言って大将はひと飲み。そしてすぐに仕事に戻る。また、戸が開いて女性が「混んでるからまた空いた時に来るね、今年もありがとう」と声だけかけてすぐに去っていく。良い店だなぁと思った。長年お世話になっていた「山治」を中心にものを買い揃え、ほくほくした顔で築地を出た。

6417声 元旦に見た顔

2026年01月01日

元旦のめっかった群馬に投稿する機会が過去あっただろうか・・僕の記憶では、ない、のだがもう何年も続けているので忘れているだけかもしれない。明けましておめでとうございます。今月は、まだ2026年という数字も打ち慣れていない岡安が担当します。

元旦の恒例行事がある。行事といってもごく個人的な習慣のようなものだ。やや離れた所に住む姉家族が実家であるうちを訪ね、皆で年始の挨拶とおせち食べを済ませ、恒例のカードゲームをしてくつろいでからわらわらと帰った後、僕は近くのコンビニまで歩いて出かける。飲酒をしているから歩くということもあるが、歩きたいのだ。そうして分厚い新聞を各紙買い集める。

以前は新聞販売店が母体の会社に勤めていた。元旦の新聞は分厚い。今年一年の予測や、社会の傾向、社長さんのたちの挨拶や景気の良い全面広告などがあり読み応えがある。うちは新聞を取らなくなって随分経つが、正月の新聞だけは読みたい。今年は出たのが遅かったせいか、朝日と読売が買えなかった。上毛、日経、東京を買い、うちに戻り上毛新聞を広げた。すると

視点オピニオン 榛名湖の結氷 故郷の変容季語で体感 俳人 抜井諒一(千葉県市川市)

見知った顔がふいに目に入った。赤城の大沼、榛名湖と、以前は氷上ワカサギ釣りができていた湖も、暖冬多い今では凍らず寂しい、が、それ以外にも目を凝らせば周囲に氷の世界が広がっているという内容だった。内容も良いが、なによりこの鶴のひとこえ抜井さんの投稿が元旦の新聞に掲載されているということが嬉しかった。

6416声 フライング

2025年12月31日

水曜日。晴れ。大晦日。二日酔い緩和のため、一人で吟行に行き、まとまった数の句を作る。近所の神社にフライングで初詣とはいわないのだろうが、詣でた。境内を見ていると、けっこうそういう人がいるものだ。さて、みなさま良いお年を。

6415声 名無し

2025年12月30日

火曜日。晴れ。小晦日。つい先ほど、慌てすぎて差出人である自分の名前を書かずに年賀状を投函していたことに気が付く。すみません。昨日から酒を飲み過ぎている。