日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

5251声 秋晴れ

2022年09月24日

今日予定されていた、奥四万にあるダムの階段を駆け上がろうイベント(参加費を払ってまでそんなことをしたいという人たちがいるのは僕にとっては驚き)は台風を見越して昨日のうちに中止が決定した。

 

実際当日を迎えてみれば、朝こそ天気が悪かったもののその後はピーカン的な快晴。関係者の皆さんはムズムズした気持ちも抱えたかもしれないが、県外からの参加者もいたイベントだったので英断だったと思う。

 

ということで、撮影予定だったのになしになってしまった。ふと、めっちゃ行きたかった「山形ビエンナーレ」に行くかとも数秒考えたが、往復8時間の道のりを考え、やるべき仕事も出来てしまったので大人しく仕事をすることにした。

 

しかし、すごい秋晴れ。

 

季節に対してすごく鈍感な方なので、ついさっきまで夏だった気がしたが、今日こんな過ごしやすい晴天を見てしまうと、いくらなんでも秋が来たことを認めざるを得ない。

 

8月からの独立は、やっている仕事が今までとほぼ変わりないということからも「生活が激変した!」というわけではないのだが(でも新しい仕事もしてみたいので、映像作りたいなーという稀な読者さんがいたら okayasu.eizo@gmail.com までご連絡ください/めっかった群馬で仕事の宣伝して良いのかな・・似たことは投稿してきたしまあいいか)、それでも季節まで変わってしまうといよいよ「人生が次の場面に移ったな」とも思わざるを得ない。がんばろ。

5250声 You are my hope, you are your hope

2022年09月23日

アーツ前橋の動画撮影を今も担当させていただいている。今現在展示されているのは中堅作家を紹介するシリーズ「Art Meets」の7回目。後藤朋美さんと田村尚子さんの作品を入場無料で観ることができる。

 

後藤朋美さんは、アーツ前橋が初期から続けていた「表現の森」プロジェクトで、のぞみの家という母子支援施設(夫からDVを受けた等の)と協働してのプロジェクトにも関わってきたアーティスト。自然に存在する氷や塩、植物なども使って作る作品はどれも「自然体の愛」に溢れていて、僕もとても好きなアーティストである。

 

田村尚子さんは、主に写真を使って人や場所、事象の存在を自身というフィルターを通して定着させるアーティスト。その作家活動の中ではドキュメンタリー界隈との接点も多く、たまたまお話した時に僕も関わった山形ドキュメンタリー映画祭や、映像作家のペドロ・コスタの名前が出てきてとても嬉しくなった。

 

そんな2人が8月に行った「あーつひろば」(アーティストが、子どもとともに何かを行う企画)の編集を続けている。田村さんは、子どもたちにポラロイドカメラを持たせ街歩き。撮った写真を並び替え言葉を添えることによって子どもたち自らに物語を作らせようという企画。スマホとは違い、自分が切り取った景色が物体として現れるポラロイドカメラ。子どもたちは興味津々で、文章で作るものとは違う物語作りの面白さに触れている気がした。

 

そして、後藤さんは自身の作品である球体型の、大人でも4~5人は入れる大きなドームを館内に組み立て、そのドームの中に親子を招き入れ作品を駆動させていた。金色にぴかぴか光る丸やハート形の紙。お父さんやお母さんがそれを頑張って集めて、ドーム内の機械の穴に入れる。すると、そのぴかぴか光る紙は筒内を風に押されてどんどん上昇。ドーム内に、まるでスノードームのおもちゃのように紙吹雪を降らせるという作品だ。一緒になって紙をかき集めていた子どもが上を見上げた時の顔、床に寝そべって降ってくるぴかぴかを眺めている顔。参加した子どもたちは(大人たちは)みないい顔をしていた。

 

その作品の名前は「You are my hope, you are your hope(あなたは私の希望、あなたはあなたの希望)」。良い。とても良い。動画は近いうちにアーツ前橋youtubeアカウントで公開予定。見てね。

5249声 赤飯の焼いたやつ

2022年09月22日

「秋、酒蔵にて」の展示に向けて、沼田市の大利根酒造さんに撮影に行った。撮影といっても、大利根酒造の宣伝を撮るわけではなく、どこかの広告媒体に出すわけでもなく、「日本酒をテーマに、展示に使用する映像を撮らせていただきたい」という非常にぼんやりした依頼。にも関わらず、阿部社長はいつもの外向きユニフォームでもある着物に着替えて、丁寧に話をしてくださった(阿部さんは、県内の有志酒蔵が集まって酒のPRをする「群馬SAKETSUGU」の主要メンバーであり、zoom越しに着物で日本酒を語る姿を僕も拝見していた))。

 

いろいろな話をお伺いしたのだが、1つだけおすそ分け。大利根酒造の「左大臣」は燗付けに向いた酒とのことで、それをぬる燗にした時に一番合うつまみは「赤飯を、油をひかない熱したフライパンに平たく伸ばし、両面をこんがり焼いて、それに粗塩を振ったやつ」なんだそうだ。うわーーものすごく合いそうじゃないか。みなさん、今月の鶴のひとこえは「ぬる燗+赤飯の焼いたやつ」だけ覚えていただけば、あとは忘れて大丈夫です!

 

(これを書いているのは数日後なのだが、この日に当然左大臣の燗のお勧めを1本購入し、中之条の「おてのくのぼ」で赤飯を購入、燗付けして赤飯を焼いて一緒に合わせたら、べらぼうに良かったです)

5248声 KNOCK KNOCK

2022年09月21日

中之条町で10/28から開催となる「秋、酒蔵にて」の広告を今年も担当させていただいた(このイベントの説明は毎回悩むのだが、陶芸やガラスなどの県内のものづくり作家たちが、ただものを売るのではなく、料理人たちも巻き込んで「場」を作り、顔を知った関係を築いていこうというイベントである)。

 

今年のテーマは「KNOCK KNOCK」。新しい扉を開ける意味で、アキサカ式3ピースセッション、参加作家が3人1組となって何かを作る。僕もちゃっかり、同展示で毎回日本酒の販売をしている井川さん、今回初参加で日本の生産品や酒などの海外流通を仕事としてきた西原さんと、3人1組で映像を作る事になっている(全員ものづくりじゃないけど、それでも良いのがアキサカ式)。

 

イベント、にもいろいろな種類があって、ただものを売るために用意も簡単にドーンとやってしまうイベントもあるし、著名人が宣伝に立って多額の資金を集めその後から内容が明らかになり?マークが浮かぶイベントもある(それは意図的な?とも思うけど)。「秋、酒蔵にて」は、規模こそ小さめでも作家主体で彼らの熱が非常に高い。前回か今回からは、代表に渋川市の若き陶芸家・閑野淳(deracine factory)、副代表に若きガラス作家・佐藤遥果(六箇山工房) が就いて、良い循環を促している。

 

めっかった群馬読者ともとても相性が良いイベントだと思うので、ぜひ中之条・旧廣盛酒造まで来ていただきたい。

 

○酒蔵展は今年から特にインスタを頑張っています。フォローよろしくね。

5247声 東京ひとりぼっち

2022年09月20日

早朝に新宿駅バスタに到着し、今日はのんびり電車で帰ることにした。そもそも中之条町から京都市だって6時間くらい車を走らせれば行くことができ(機材も積めるしさ)、バスを予約した後にちょっと後悔をしたが、台風下で自分で高速を運転するのも嫌だったし、結果としてこの時間をかけた移動は普段思わないことを色々思わせてくれた。

 

新宿まわりは昔から度々来て知ってはいるが、知り合いの店がある等はない。駅南も変わる部分はばっさりと変っていてちょっと不思議な気持ちになるが、「これだけたくさんの人がいるのに、知り合いがいない」という状況は地元ではあまり味わえず、僕はそのひとりぼっち感が寂しくもあり、嬉しくもある。誰もいないところに1人でいることの感覚とも違う、大勢の中にいる無名性というか。

 

この行き来最後の飯くらい店で食べるかと、新規開店したばかりっぽいらーめん屋に入る(未だになかなか、らーめん屋を選ぶ病が抜けません)。韓国の火鍋をらーめんで味わえるがコンセプトらしく、米粉のつるっとした麺に、超あっさりして辛いスープの組み合わせであった。店は若い女性でけっこう埋まっていたが、僕の口には合わなかった。食べ物や、買い物においても、「東京じゃなきゃダメ」ってことはどんどん少なくなってきているんじゃないかな、なんとなくだけど。そして群馬へ帰った。

5246声 点景

2022年09月19日

午前5時に京都駅に着いてしまったので、西島さんが車で駅周辺で時間をつぶす。台風による雨はなかったが、朝焼けの上空を流れる雲が早い。着いて早々に「なか卯」を発見し、カメラや三脚をカウンター下に押し込んで親子丼と小うどんのセットを食べる。長距離バスに乗っていたからか、食道を通っていくご飯や汁の温かさが心地よかった。

 

出て時間があるので、地下へ降りる幅広い階段の中央の座れるスペースに座っていた。本を1冊持参してきたが今は読む気にもなれずぼーっと空を見る。ふと、近くの歩道に1人、20代らしき若い女性がぺたんと座り込んでいる。徹夜で酒でも飲んでいたのだろうか。すぐに彼氏なのか友達なのかわからない同年代の男性が来て、彼女の両手をつかむと、ぐいと起こそうとする。女性はその手を払うようにして自分で立ち上がるとたたーっと駆けていった。が、僕が座る幅広い階段は若干遠くまで見渡せる場所だったので、駆けていった女性が先の通路でまた同じように座り込む様子が視界に入ってきた。しばらくして、また同じ男性がやれやれというような歩き方で女性に近寄っていき・・しばらくそのような追いかけっこを繰り返して、見えなくなった。

 

京都での撮影が無事終わり。予定通り今日のうちに深夜バスで帰ることにした。年がいもなく、深夜バス2連泊である。

 

帰りのバスを待つころには、台風は中国地方にいたのかな、雨風も強くなってきて、駅からバス停まではビニール傘をさして歩く必要があった。やや遅い昼食に豪華な中華料理をごちそうになってしまったので、夕食はごく簡単に済ませていた。ふと、バス停の正面に美味しそうな焼き肉屋がある。値段も良心的で外から見える店内の奥行のあるカウンターでは、美味しそうに一人焼肉を食べる人たちが見える。ちぇっ、どうせならここで食べても良かったかななどと思っていると、その焼き肉屋から髭面のアラブ系の男たちが3人、強い雨から逃れるように、バス停の軒下まで駆けて出てきた。3人で何語かわからない会話を機関銃のように続けている。とはいえにこやかな感じで話していたから、ここの焼肉は思ったより美味かったな、みたいなことを話していたのかもしれない。やや離れた距離からじっと3人を見ていたら、そのうちの1人が西を指さし、着ていた上着を頭にほっかむりにするような体制で、駆けて行ってしまった。残った2人は何か少し話した後で、東の方に同じような恰好で駆けて行ってしまった。観光ではなく、このあたりに住んでいる3人なのだろうか。

 

しばらくして、台風の影響もなく、深夜バスが到着した。

5245声 南南東へ、西へ

2022年09月18日

京都市で行われている「プレBIWAKOビエンナーレ」に出展している彫刻家・西島雄志さんの作品撮影のために、電車で新宿、夜行バスで京都へ向かう。まるではかったかのタイミングで大型台風が九州に上陸していた。西島さんと「こういうことはその時だけというタイミングもあるから、交通が動く限りは撮影を決行しましょう」というメッセージのやり取りをして、どしっとした機材を肩に担いで吾妻線に乗った。

 

電車に乗ったのはいつぶりだろうか・・思い出せない。遠くへ行くにも近くに行くにも車を使ってしまう。車内は、台風であることはそれほど関係ないようで、日曜日らしいのんびりとした雰囲気だった。こと、新宿駅から京都駅へ向かうバスについては満員。台風だから辞めておくか、が一人もいないというのは不思議な気持ちだった(ぼくもその一人であるが)。カーテンも基本閉めてくれという社内からは外の様子も見られず、度々「けつが痛い」と目が覚めたが、そのまま西へ向かった。

5244声 枝豆みるくジェラート

2022年09月17日

高山村に「たかやま未來センターさとのわ」がオープンした。場所は、道の駅中山盆地のすぐ隣。ここは、村の野菜などを使ったピザやジェラートが食べられるカフェのほか、WIFIをつないで作業ができるコワーキングスペースもある(有料の場所もあるが無料の場所もある)。料理教室や商品開発で使える調理ブースもあり、中央の階段を下るとその幅広い階段自体が絵本を読めるスペースになっており、階段を座席とする形でトークショーなども行うことができる。つまりは、ただの観光施設ではなく、人が集って学ぶ場、何かを造り出すコミュニティスペースとなっているのだ。人口3,500人ほどの小さな村にこのような施設が出来たのは、時代といったら時代だが、大きな挑戦でもある。

 

高山村との関わり、というか高山村で移住定住コーディネーターをしている木暮咲季さんとの関わりから、2年続けて村のポスターの制作に関わった。初年度は、高山きゅうりと農家、村の木であるナラの葉と林業、の2種のポスター、翌年は春夏秋冬様々な写真をコラージュし、聞いたり考えたりした言葉もちりばめたポスターを作成した。それらを通して感じたことは、「何もない村」の何もない部分の豊かさだった。それら豊かさはインスタグラム #たからのやまたかやま で検索してほしい。

 

オープンに合わせたトークで、村に移住してまこもだけ栽培をしている方が「この村の良さは小ささです。誰に話せば良いかがわかり、早く話が進む。」ということを話していた。それはとても同感する。顔が見えることと、実行できる環境は、今後ますます必要になることだと思う。

 

さとのわで買える枝豆みるくジェラートが美味だった。甘すぎない、小さくクラッシュされた枝豆の食感が良くきちんと枝豆の味がする。中之条町の「ふるさと交流センターつむじ」が立ち上がった後の大変さ(建物が今っぽいから地元の人が寄り付かないなど)を僕はある程度見てきたから、建物ができた後のこの場所の使われ方に勝手な心配もある。村一丸となってがんばってほしい。

5243声 草花を愛でる

2022年09月16日

人はなぜ年をとると草花を愛でるようになるのか。永遠の謎である。とある日本画家は「年老いて花鳥風月を描くようになったら終わりだ」と言った。なるほどと思う。若い時は自分や他人に目がいく。その頃から、自然豊かな地域に暮らしていた、人間が嫌いだった、親の影響等で草花を愛でる若者もいるとは思う。ただ僕は、僕の父親こそ山野草を愛しうちの庭も草花がいろいろあるが、まったく関心をもたずに今に至った。

 

「人間だけじゃないんだな」

 

ある程度年をとると、そう思う日が来る。それは、心の余裕ができてきたのかもしれないし、人とだけ付き合うことに疲れたのかもしれない。人によっては、子どもが成人を迎え家を出ていき、子育ての終わりを迎えた頃のことかもしれない。ふと目を落とすと、そこにけなげに草花がある。

 

多少は手がかかった方が良い。AIが入っていれば違うが、静物は反応を返さない。そこで犬や猫に向かうかもしれないが、水やりや日照程度を気にすれば良くて、それなりの愛情を注げばそれなりに元気な様子を見せてくれる草花に、人は関心を持つようになる。あとはある程度その関心を続ければ、やがて関心は愛に変わる。

 

・・そんな単純な話でもないと思うが、事務所開きでいくつかの鑑賞植物をいただき、実家に持ち帰るよりはここに置きたいなと、学生時に一人暮らしでほぼ枯れないであろう鉢植えを枯らして以来に、水やりをしている。今日は風がなく秋の日がよく射していたので事務所の玄関先に植物らを並べて水やりをした。それなりに、かわいい。

5242声 青春だ、は必要か

2022年09月15日

幾度か、映画撮影の終わりの瞬間に立ち会ってきた。昨日も、撮影は2日きりであったがドラマの撮影の終わりにいちスタッフとして立ち会った。どんなに大変な撮影であっても、いや、大変であれば大変であるほど、終わった時の高揚感は高い。それは1人1人の自主的な働きと連携が必要とされる撮影ならではの一体感とも言えるのだろう。

 

その高揚感が何かに似ているなと思ったら、それは「青春」だった。僕が20代の頃にそんな映画の現場を体験していたからかもしれないが、幾つになっても映画撮影の終わりには青春ぽい何かを感じる。基本、撮影ごとに集まるキャストやスタッフなので、高揚感だけではなく別れの寂しさもあるのかもしれないが、そのあたりも実に青春ぽい。

 

が、その一方でもはやそんな共有感の中にはいられない自分もいる。

 

映画をやっている人に言ったら怒られるかもしれないが、案外実際に行ったこと、完成した作品の出来、よりもそのようなスタッフワークによる充実が良くて映画の現場にいつづける人はいるのではないかと思う。それが悪いとも思わないし、仮に僕が映画学校を出て映画の現場にいる生活をしていたら、旅のように出会って仕事をして別れを続ける暮らしに居心地の良さを感じ、その仕事をつづけたかもしれない。

 

撮影の現場には幾つになっても参加できる青春がある。それは映画に限らず、例えば映画祭や芸術祭にスタッフとして参加し本番を終えた直後などにも同様の共有感がある。やはり、幾つになってもある程度は青春が必要だと思う。

5241声 変わりゆく温泉

2022年09月14日

中之条町でなぜ「中之条ビエンナーレ」のような芸術祭が続いているか?という問いに対して、僕はたまに持論として「四万温泉があったから」という話も持ち出すことがある。一見無関係のようにも思えるが、簡単に(乱暴に)言うと、昭和かそれ以前から四万という温泉地をもっていた中之条町には「外から町にやってきた人を労う気持ち」が潜在的にあるのではないか、という思いがある。それが、町外からやってきたアーティストや、ビエンナーレ目当てで来る観光客に対しての人当たりに関係しているのではないか・・

 

はともかく、僕の母親は昔、祖母と共に四万温泉の積善館に努めていて、亡き父は渋川から四万へ魚を運ぶ魚屋であったから、四万温泉がなければ僕も生まれておらず、四万温泉は幼い頃から不思議な愛着を感じている場所でもある。

 

その四万温泉も、近年大きく変わりつつある。昭和の面影残す落合通りの商店はずいぶん前から閉店も目立つが、館林から四万へきたイタリアン「ランゴリーノ」や東吾妻町から出店した「ジュピターズバーガー」、柏屋カフェの2号店的なピザの店「シマテラス」など新しい店がいくつかオープンし、コロナ過をきっかけにリニューアルした店や宿もある。こと、積善館も薬膳粥に続き日帰りで釜揚げうどんが食べられる店舗を館内にオープンさせ、映画『千と千尋の神隠し』のモチーフの1つになったという赤い橋は連日写真を撮る観光客で賑わっている。

 

ただし、母が務めていた少し後くらいまで続いていた関家(社長は代々、関善平と名乗っていた)の経営は終わり、現在は新たな経営会社が積善館の経営を行っている。コロナ過の影響以前に「団体旅行での宴会」というスタイルがなくなっていった近年において(今はカップル旅、一人旅を想定したプランを立てる宿が多い)、宿の経営は難しさの局面に立たされているのだろう。

 

 

父が昔、四万温泉について話していたことの中で、こんな話がやけに記憶に残っている。それは、そんな時代があったのかという驚きというよりは、直接的な金の話ではなく、人情や精神的な豊かさも感じる話だからかもしれない。こんな時代は、もう来ないだろう。

 

「昔はな、名だたる旅館の女将がバスに乗ってくると、乗車している地元の従業員に気前よくチップを配って回るんだ。どこの旅館てのは関係なくな。」

5240声 演技とは

2022年09月13日

近年では舞台の撮影をやらせてもらったり、映画祭やそれに関する映画撮影にも関わっているので、役者の演技はそれなりには見ているつもりだが、今回はまじまじとそれを考える機会となった。

 

いい役者の条件、は幾つか上げることができるだろうが、その中には「演技の許容範囲が広い」という事は大事な条件だと思う。

 

例えば、演技が出来ない僕は、「42歳の中年が酒場でちびちび酒を飲んでいる」という演技であれば、多少の実感くらいは込めて演じることはできそうだ。だが「42歳の中年が年がいもなくパーリーピーポー気分でアゲアゲに酒を飲んでいる」となると、まず、えーっと思い、それでも変わりがいないのであれば、どこかで見たアゲアゲなパーリーピーポーを雑にイメージしながら無理やりにテンションを上げてそれを演じることになる。そうした「無理をした演技」は現場でもお寒いが、映像に残しても見れたものではないだろう。

 

今回のドラマ撮影では、熟練の俳優たちが、無理やりテンションを上げるのではなく、自分のテリトリー内(それは、体の動きの許容量内であり、演じる気持ちの許容用内である)において、トーンと抜き出た演技をする様を何度も見た。それが現場でテスト段階から出来るということは、今まで演じてきた数限りない演技の中で(練習の中で)自分の演技の許容範囲を広げてきたからに違いない。それは、プロの役者として当たり前、とは片付けられない感動を覚えるものであった。

 

近年は、演劇を手法としたワークショップがここ群馬でもぽつぽつ行われている。演技の、というか自分の体や心の許容範囲を広げる努力は、役者に限らず必要なものなのだと思う。

5239声 放置ピーマン(灼熱)

2022年09月12日

今の事務所になり、よく料理を作っている。

 

前の会社では、流しはあったが電気ポットくらいしかなくて(ガス台はなかったし、携帯コンロを設置する頭もなかった)カップ麺やスーパーの弁当に明け暮れていた。でもほんとは僕、料理が好きなんです!ほんとです。というわけで、普通の平屋である今の事務所には普通に台所もあり、簡単なパスタや、レンチンご飯に適当な野菜を炒めて乗せて、それにレトルトカレーをかけたものなどを食べている。

 

パスタにしろ炒め野菜にしろ、youtubeのレシピきっかけでやるようになった放置ピーマン(灼熱)が美味い。別に誰かがそんな命名をしたわけでもなく、料理とも呼べないそれは「ピーマンはヘタだけとって適当に大き目に切る(種は食えるということを今頃知った)/フライパンに油少量を引き、ピーマンの皮目を乗せて、いくらか焦げるくらいまで放置する」ただそれだけである。この、焦げかかったピーマンがこんなに美味しいものだとは、あまり知らなかった。

 

仕事に余裕が出てきたら、事務所の台所でもっといろいろなものを作りたい。いっそ始めるか・・youtube・・嘘。

5238声 休みたい

2022年09月11日

仕事が趣味です。

 

みたいな生活をずっと続けてきた。それはよそから見たら、そういう楽しい仕事なのね羨ましい、とも思われるかもしれないが、それほど良いものでもない。単に、仕事と映画祭以外にやりたいことの選択肢が少なかっただけかもしれないし、仕事のオンオフがあまりになさすぎるので、それもどうかと未だ疑問でもある。

 

そういえば、近年になって若い人(30代前後)と仕事をする機会も増えてきたのだが、気持ちいいくらいに仕事のオンオフを使い分けている。「それは休み明けにチェックします」とわざわざ返してくれたり、土日はLINEに既読がつかなかったり。それは・・とても良いことだと思う。もちろん、「曜日や時間関係なく、即やりとりで即仕事を進める」という仕事も多くやってきてしまっているのでそのギャップにイラっとしてしまった頃もあったが、すぐに反省した。時代が変わったなどと大枠で言いたくはないが、「仕事だけに限らない、各々が大切だと思うものと向き合うようになった時代」なのかもしれない。それがスマホであったとしても。

 

そして、僕も昨年冬から彼女なるものができたことが一番の理由と思うが(ひゅーひゅー)、普通に「休みたい、遊びたい」と思うようになった。今日も、今月半ばの怒涛の仕事をやりきるために日曜日ながらに編集まみれになっているが、ほんとうは中之条町の「うた種」で行われている、アーティスト・関美来の展示を見に行きたかった。昨日だって、高崎の「REBEL BOOKS」で行われた絲山秋子さんご本人による本のイベントに行きたかった。さあ、声を大にして言おう

 

休みたい。

5237声 路地裏に置き忘れたものは

2022年09月10日

中之条町観光協会によるe-bike(電動自転車)の広告制作のため、今日は一日スチルカメラマンとして中之条を巡った。

 

あっという間に秋である。稲刈りは2~3週間前とのことで山間は行く先々で一面の黄金色だった。得に、「美しい村連合」にも選ばれている伊参地域の棚田は美しく、晴れ間も見えた今日、山を下ってきたそよ風に薄黄色の色がつくんじゃないかというくらいにそよそよと、稲の絨毯がゆらめいていた。とはいえ、その一部は田植えを辞めてしまったそうで、「この景色もあと何年見られるのかな」という(他人事っぽいので自分でも好きではない)そんな考えもよぎってしまった。

 

そのような山部と地続きに、中之条町つむじから駅の方へ下って行って、林昌寺あたりからUターンして川沿いを役場方面に登っていったりして、そういう町での撮影も楽しかった。特に路地は、僕が物心ついた時から歩いてきた道なので、感情のレイヤーが多層すぎてよくわからない気持ちになる。今日のメンバーに一人、町外から来た若めの女子がいたことも、それにより新しいレイヤーができる感じがして良かった。懐かしい人には懐かしく、はじめての人には新しい。当たり前だ。

 

この町で暮らしてきた年月を考えると、ずいぶんいすぎるなとも思う。多感な時期には泣きながら歩いた路地もあった。そんな路地裏に置き忘れてきたものがあるとしたら、なんとなく「誠実さ」である気もする。今が不誠実というわけでもない気がするが、なんとなく。

5236声 鳥居峠霧深く

2022年09月09日

ターミナルホテルの狭い部屋で目を覚まし、ホテル内の浴場でひとっぷろ浴びて、近くの吉野家で腹ごしらえ。天気は相変わらずぱっとしなかったが、必要があるので赤城山へ向かった。いつぶりかの赤城山では鳥居峠の売店先から山の稜線を撮影しようとカメラ三脚をもって歩いていった。雲、雲、雲。最初こそ遠くに晴れ間が見えたが、雲なのか霧なのか、どんどんとこちら側へ浸食してきて、しまいには真っ白になってしまうようだった。諦めてRECボタンを押し撮影を終える。

 

やあやあやあ、目の前は霧だらけ。今の自分みたいだなと思った。

5235声 新前橋の夜があったかいってほんとだった

2022年09月08日

新前橋駅前に、キンパ(韓国風海苔巻き)の名店「BENTO261」はある。中之条町で行われているものづくり作家と料理人の祭典「秋、酒蔵にて」でも、店主のカヤさんが毎年参加しているので、知っている方もいるのではないかと思う。とにかく、美味い。キンパに巻かれるそれぞれの具材のベストな調理をほどこし、それを最小限の力で巻く(とはいえ具材が多いのに食べてぼろっと崩れない)、そうして出来たキンパは、一口食べればずっと噛んでいたい味と歯ごたえのマリアージュ。カヤさんは写真や文章や、歌(これも有名)も上手くて、どうやったらこんな人間が出来上がるのか不思議なくらいだ。・・なんか褒めすぎた。

 

新前橋駅前は、僕が学生時はかろうじてドムドムバーガーが残っていただろうか、全然ぱっとしない場所だと思っていた。でも今はいい酒屋もあり、生パスタの店もあり、「BENTO261」もたまに夜の居酒屋営業をしていたりして、楽しい場所になっているようだ。そこで飲んだ友人は「新前橋あったけえ」みたいなことを言っており、そんなもんかなと思っていたのだが。

 

今日はカヤさんと僕と数人とで打合せがあり、そのまま店内飲み、さらには近所のカラオケスナックという夜の新前橋コースの1つを堪能した。カヤさんは相変わらず中森明菜とか、めっちゃ歌がうまい。僕も調子にのってしばらくぶりに歌う。こういう場所では懐かしい歌を選ぶ配慮をもつ僕が最後に歌ったのは「涙くんさよなら」だった。そのままターミナルホテルのカプセルホテルみたいな3000円プランで宿泊。新前橋の夜があったかいってほんとだった。

5234声 継続はぽわぽわなり

2022年09月07日

中之条ぽわぽわ、というyoutubeで見られるショートムービーがある。これは、中之条町観光協会が製作、よくある観光映像とは一線を画すものとして「温泉×地元俳優×映画スタッフによる制作」という枠組みで作られている映像となる。すでに沢渡編、六合編が公開されており、昨年1年の制作休止をはさんでいよいよ今月、最終作となる「四万編」の撮影が行われる。

 

中之条町の観光映像にはもうずいぶん前から関わっていて、中之条ぽわぽわも面識のあった前橋市出身の飯塚花笑監督(近年、商業映画『フタリノセカイ』が全国公開され、自主映画『世界は僕らに気づかない』が海外映画祭でも受賞を果たしている)が「なんか、温泉好きなんで温泉で映画作りたいんですよね・・」と呟いていたことをきっかけに、観光協会の原沢さんらと共に「中之条ぽわぽわ」を立ち上げた。昨日も、四万での最終ロケハンに同行。宿を訪ね回った。

 

映画(ショートムービーであっても)の撮影というのは簡単ではない。日本映画学校や伊参スタジオ映画祭を通じてそれは重々知っており、さらに近年の「動画の消費のされかたの速さ」が急速すぎるものだから、正直「こんなに時間やお金をかけて精魂込めて作る行為が、きちんと報われているのだろうか」と不安になることもある(とはいえ、僕は現場から一歩引いた場所で関わり当事者ではないのだけれど)。けれど・・けれど、映画は必要だ、と言い続ける責任と理由を、僕とて持ち続けていかねばならない。

 

中之条ぽわぽわ「四万編」完成の際には、何か今までにないアクションを起こそうという話も出ている。そして、中之条町出身俳優を貫いてきた本シリーズ。四万編の主演は・・・誰でしょうか。こうご期待。

 

中之条ぽわぽわ沢渡編

中之条ぽわぽわ六合編