日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

「笑わせる 腕になるまで 泣く修行」 草々

2007年10月23日

やっぱりバカがええ

掃除日記〜中之条編〜

2007年10月22日

片さなくてはならないのは伊勢崎の家ばかりではありませんで。
こちらも負けず劣らず時代のついている中之条の家。
絶好の掃除日和となった本日、
行ってまいりました。
伊勢崎の家の何十年分のホコリを経験しているからか、
ちょっとやそっとの汚れには驚かなくなっているアタシ。
習うより慣れろというのはこういうこと。
伊勢崎では昭和初期の新聞やら雑誌に驚いていた。
なのでそのくらいの時代のものには驚かなくなっているアタシ。
慣れるというのはなんともオソロシイ。
それでも隅々まで物色していたら、
やっぱり出てきたお宝の山。
明治時代の借用書、戦時中の生活心得覚書、大正期の新聞、尺八、塗り物、古食器一揃え、などなど。
古物商でも始めろということか。
とにかくひとんちの掃除は楽しい。
助太刀屋の本領発揮である。

二兎を追う者は

2007年10月21日

一兎をも得ず!
三兎を追えば
一兎くらいはなんとかなる!!

「あんなにイヤやったおかぁちゃんの茶色い料理がいとしくて泣けてきた」喜代美

2007年10月20日

・・・アタシも泣けてきた

島岡酒造

2007年10月19日

群馬が誇る「山廃仕込み」の銘酒蔵、‘群馬泉’の島岡酒造へ。今の酒造りは通常、酵母を培養するときに市販の乳酸を入れて短期間で酵母の増殖を行うのですが、「山廃仕込み」というのは蔵内にある自然の乳酸菌を利用するので酒母ができるまでに手間も時間もかかる。そんな昔ながらの酒造りをかたくなに守り続けている島岡酒造。アタシはここの酒が大好きでして。‘群馬泉’に合う群馬の地料理を、ということで取材兼、見学兼、あわよくば試飲、ということで行ってまいりました。もう少ししましたらコチラ↓のサイトでご覧いただけると思います。

掃除日記〜その13〜

2007年10月18日

‘伊勢崎の家’復活プロジェクトもいよいよ佳境。
週明けに壁や天井をひっぺがします。
ついに、この家の全貌が明らかになる!

スーパーで

2007年10月17日

りんご酢を使った一品を考えていたら、
蕪のなますの料理が目にとまったり。
辛口のカレー粉を探していたら、
特売のかごの中にそれがあったり。

逆に、
お目当てのものがぜんぜん見つからなかったり、
手にした蛍光灯が割れていたり。

ソウイウコトの繰り返し。

今何をやればいいのか。
ヒントは向こうからやってくる。

‘気をつける’のが嫌い

2007年10月16日

この性格は何とかならないものか

小池さん

2007年10月15日

中之条町の広報に料理のレシピを寄せている縁でお付き合いさせていただいているおばぁちゃん。
私の料理の先生。
今日久しぶりにお会いしました。
お元気そうでなにより。

四万温泉生まれの小池さん。
いつも子供のころの話を聞かせてくれる。

「四万の三小は分校だからね、川原湯に曲がるところがあるでしょ、あそこに本校があったから運動会のときはそこまで歩いてくるの。遠いからね、朝4時起きして途中で休んでお握り食べたりして。そうするとついたころにはみんな疲れちゃってね。こっちの子とかけっこして、その子はゴールしてるのにあたしはまだ半分くらい。四万の子は運動が出来ないってバカにされましたよ。」

そんな話を、
お手製のかりんとうやら佃煮やらをつまみながら。

おじぃちゃんの方は、
まむし酒のつくり方。
張らないやさしい語り口で、
身振り手振りを交えながら。
「瓶の中にまむしと水を入れて一週間。体の中のものが出てくるんだよ。そしたら棒を入れて、・・・うまく下のほうでとぐろを巻かせて。空気に触れると腐るから。・・・」
おもむろに立ち上がってまむし酒を持ってきて、
おばぁちゃん、
「‘ながいも乃酒’って書いてあるの。」
ニコニコしながら二人。
「これで30年位かな。飲んでみるか?」
おちょこにほんの少し。
それでもすごいニオイ。
顔を見合わせ笑う二人。

「お茶飲みますか?」とおばぁちゃん。
軽くうなずくおじぃちゃん。

こういう時間は大切にしませんと。

陰性過多

2007年10月14日

右の肩を回して、
肩甲骨の脇の辺りが「コリッ、コリッ」っていうときは、
肝臓が疲れているとき。
大体が飲みすぎのとき。
唇がどうも乾くときは、
胃が疲れているとき。
大体が甘いものを食べ過ぎているとき。

掃除日記〜その12〜

2007年10月13日

ある日のこと、掃除を手伝ってくれているSくんが、「何か写ってますよ!」と持ってきたのがこの写真。2階の南西の部屋。これだと小さすぎてわからないのですが、左奥の棚のところに誰かが座っている、と。まぁそういわれればそう見えなくもないし、という程度。それでも、「いや、見えます!」と食い下がるSくん。確かめてみようと2階に上がってその場所を見てみたら、なんとそこから埃に埋もれたたくさんの写真が出てきた。ほうっておいたら解体屋に処分されてしまうところでした。

掃除日記〜その11〜

2007年10月12日

正真正銘、材料から加工までメイドインジャパンの下駄の数々。鼻緒をすげればすぐにでも履くことが出来ます。その数なんと、65足と片方。ほとんどの模様や細工が違う。見ているだけで楽しいです。こういうのに触れることが出来るというのはなんと言いますかこう、気持ちが豊かになります。ストーリーがあるんですね、モノに。語りはしないんですけれどもカタッテます。映画、落語、作家物、アート、街並み、手作り料理、野良仕事・・・モノガタリがあるから、人生は楽しい。

やせ我慢で強情、

2007年10月11日

それでいて軽い。

掃除日記〜その10〜

2007年10月10日

白黒の写真集。
なぜか表紙がない。
映っているのは外国の女性。
すべての写真に詩がついている。
その数54枚。

「果物も女に似て 成熟したときがうまいのではない 腐る一歩手前が 美味なのだ」

なぜか、
じーっと考えてしまう。
こういうエロ本、
でなくて、
ヌード写真集はあまりない。

「女が探すのは 男の中の男だという そのことをお床の中の男と言いかえてもよい」

・・・考えるのはよそう。

掃除日記〜その9〜

2007年10月09日

二階へ続く階段
夢へのアプローチ

隅々まで見たつもりでいても、毎日いろんなお宝が出てきます。蚊帳、ネズミ捕り、王貞治700号本塁打記念ポスター、昭和20年代の文芸雑誌、白黒ヌード写真集。カメラの調子が悪くて画像のアップがままなりませんが、少しずつお届けしたいと思います。いつか伊勢崎の名所になるんじゃないか、そんな気にさせられます。

谷根千(やねせん)

2007年10月08日

といえば、
東京は下町、
谷中、根津、千駄木のこと。
志ん生一家が暮らし、
談志師匠の別宅?がある、
いなせな町。
ネオン、ジャンズ高鳴る大東京にあって、
いまだに軽快な江戸弁が往来に響くこの町で、
『谷中芸工展』という催しが開催されております。

「谷中芸工展は谷中に暮らす普通の人々の日常の創作活動をとりあげ、まちの多くの人に興味を持ってもらい谷中の魅力を語り合ってもらう場、「日常の延長としての表現」を通して、まちの様々な人が互いの生活を理解し、認識を深めていく交流の場を目指して開かれています。」

とのこと。

100を超える企画が、
台東区、文京区、荒川区にまたがって、
あっちこっちで行われています。

その企画の多くは、
20代〜30代の若い人たちが中心となって。
それを大人たちがうまく支えて。
そういう具合に交流しているこの町の空気は、
しっかりと歴史に根ざしながら、
いつも鮮度がいい。

侘び町の あちらと こちらで 大交流
きっといつかは 大流行

ホームページはこちら↓

「てーっ!」

2007年10月07日

昨夜、 
年頃の独身男女5人で焼酎のトマトジュース割りを飲みながら、
「てーっ!」について小1時間(こいちじかん)。
正しい伊勢崎弁講座を2、3時間。

「(泥だらけで帰ってきた息子を見つけて)てーっ!そんなカッコで何してきたんだや!」

あってるか?

片品村は寒かった

2007年10月06日

尾瀬の森映画祭に参加。
日が暮れたとたんに予定を早めてイベントを終わらせるほどの冷え込み。
昼夜の寒暖差は優に10度を超えていたと思う。
これだけの温度差があるからおいしい野菜も育つ。

祭りというのは元来がその土地に住む神様や歴史を守ろうと行われてきたもの。
誰かに見てもらおうという性質はもともと薄い。
けれどもこの頃は全国的に新たな祭りを作り出そうという風潮である。
あくまで‘オラが町以外’に向けての情報発信という意味合いのものも多い。

ここ半年ほどそのような催しに関わってきて感じることは、
主催者と、出演者それから来場者との温度差。
あまりに自己完結しすぎてしまうと、
出演者あるいは来場者は疎外感を感じるということ。

この温度差をどうやって縮めてゆくのか。
いやいや本来が祭りというのは当事者達だけのものなのだから、
そんなことを考える必要はないのか。

自分の住む町に対する熱さは、
同時にそれを見ている人たちの寒さをも引き出す。
テレビでよくある楽屋ネタに、
視聴者がついていけないというのと少し似ている。
けれどもその温度差もまた、
地域づくりにはあってもいいのではという気持ちもある。
むしろ、
あるのが当たり前という思いのほうが強い。
なぜならこの時代の今の地域づくりというものは、
空っ風吹きすさぶ大地に火を灯すような気構えがなければとてもできるものではないから。

こういう書き方がまた、
温度差を生み出す。

そのくらいはわかっている。