日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

686声 冬の西日の上毛電鉄

2009年11月16日

1時間に2本。
と言う事を確認してから、切符を買った。
此処は中央前橋駅。
昨日の俳句ingで乗った、上州が誇るローカル線、「上毛電鉄」の始発駅である。
私は初めてこの上毛電鉄に乗車したのだが、
様々な点で新鮮な驚きを得た。
まず、改札で切符を切る事。
JRの様な自動改札は勿論無く、改札で切る切符は、御馴染の駅名と日付入りの判子ではなく、
「パチン」と先の丸い鉄の鋏で切るのだ。
私は、幼少の頃に、車掌さんセットか何かの玩具で見て以来である。
本物のあの鉄のペンチの様な器具で、切符を切られたのは初めてである。
そして、上毛電鉄はサイクルトレインを実施しているから、
電車内で自転車を押した乗客が、チラホラ見受けられる。
常連と思しき乗客が駅構内に、スーッと自転車で入って来て、
券売機の前でヒョイと降りて切符を買い、自転車を押しながら、列車に乗車して行く。
JRを主に利用している私の目には、これが非常に珍しく映る。
熟柿が実る田舎駅。
西日に照らされる列車内には、様々な人々。
自転車を押してる外国人。
アイスを食べてる女子高生。
俳句を書いてるワルノリ俳句ing御一行。
我々を包む車内の空気は、ゆったりかつまったりとしている。

685声 菊正宗とカツ丼

2009年11月15日

週末の雨天から一転、本日は穏やかな冬晴れ。
これから第11回ワルノリ俳句ingに出掛けるところだが、
まさに、ハイキング日和の気候である。
行程は、中央前橋駅から大胡駅まで、上信電鉄に乗って行き、
大胡駅から銭湯「東湯」まで歩いて行って湯に入って帰って来る。
と言う、今回は単純明快なものなのだ。
当然私などは、何処かの赤提灯で引っかかるのだがら、
家を出掛ける前に、本日の更新分を書いてしまおうと言う魂胆で書いている。
冬は、一杯ひっかけてからが、眠くなって仕様がない。
昨日もそうだった。
千葉県は市川市の、京成八幡駅。
京成電鉄の上野駅から、快速で4,5駅も行けば着く、東京都に程近い都市。
小岩から江戸川を越えた先。
と言った方が分かりやすいかもしれない。
昨日は其処へ行って来た。
勿論、目当ての場所があっての事。
其処は、駅のすぐ目の前にある、「大黒屋」と言う和食の店。
永井荷風が、最晩年に行きつけだった店で、
亡くなる前日まで食べていたと言う、店なのだ。
その店には、現在「荷風セット」なるメニューがあると言う事で、
早速食べに行って来たと言う次第なのである。
カツ丼に上新香と日本酒一合。
これが、永井荷風御用達である、荷風セットの内容。
店に入り、荷風セットを注文し、カツ丼をつまみに一献。
しばし、耽美的な時が流れる。
ぼんやりと、虚空を見つめていると、女将さんが声を掛けてくれた。
「先生はいつも、この角の席に座って、食べてらしたんですよ」
そう、私は偶然ながら、永井荷風の定位置に腰掛けて居たのである。
菊正宗の熱燗で赤身の差した顔。
ぽわーんとして、「お雪…」などと呟きつつ、店を辞す。
「荷風の散歩道」なるタペストリーが掛かった、界隈の商店街を歩いてから、
駅へと戻った。
商店街の古本屋を覗くと、やはり荷風作品が並べてあり、
断腸亭日乗などが埃を被ったまま、店頭に並んでた。

684声 ゼロの妻とヴィヨンの焦点

2009年11月14日

公開初日。
と言うのは、映画の事。
その映画とは、「ゼロの焦点」。
今日、早速観に行って来た。
ゼロの焦点とは、言わずもがな、松本清張原作。
今年は生誕百年と言う事もあって、
映画か含め、様々な関連作品が世に出ている。
太宰治もそうだが、同級生の両者、その生い立ちや、
経歴、作品を見ても対照的で非常に面白い。
ゼロの焦点の主演は、女優広末涼子。
少し前に公開された、
太宰治原作である「ヴィヨンの妻」にも出演していた、
広末涼子である。
私などは、アイドル時代の広末涼子のイメージが強いので、
この2作品での演技ぶりには、いささか驚いてしまった。
勿論、その名演に対してである。
2作の役どころを比較して観ると、より実感する。
観に行った、映画館も有楽町だった為か、
群馬で観る時とは、ちと趣が違った。
最後のシーンで、日比谷など界隈の映像が映るのである。
しかし、東京の人ってのはせっかち。
エンドロールが流れるや否や、席を立つ人が多数ある。
そして、映画批評には辛口な人が多いようだ。

683声 蛇口の水

2009年11月13日

唐突だが、水ではなかろうかと、密かに思っている。
健康のキーパーソンが、である。
先日の事、我家の水も随分と不味くなったな、と思った。
私は高崎市、厳密に言えば旧群馬町住まいだが、当然ながら水道水を飲んでいる。
首都圏でペットボトル生活をしている友人に言うと、驚く。
不味くなったと思ったのは、コップに汲んだ水道水を口に含んだ瞬間、
カルキ臭と言うか、何らかの薬品臭が鼻をついた。
以前にも、極稀にこう言う時があったのだが、浄水場から検査供給されて来る水なので、
自分の住んでいる地方都市は、首都圏よりも水環境が良いと言う固定観念も手伝って、
飲み水には盲目的と言える程、生活の中で注意を払っていない。
首都圏生活者は、集合住宅に住んでいる人が多いと言う事もあろうが、
水環境の理由から、その大半の人がペットボトルを飲料水としている。
水に対して、注意警戒を払うばかりに、そうならざるを得ないのだろが、
ペットボトルの殺菌された新鮮な水の、どこに危険な事があろうか問う。
これもいささか危険だと思う。
確かに、それ自体は危険な事は無く、むしろ安全であるが、
それを当たり前の様に飲む事によって、生ずる弊害が有るのでは。
と、素人考えではあるが、そう思う。
ペットボトルの水は、殺菌された限りなく無菌の水であるが、それを常用して飲むが余り、
菌に対しての抵抗力が無くなるのではないだろうか。
だから、お腹が弱くなったり、風邪を引きやすくなったりする。
つまりは、環境適応能力に乏しい体質になってしまう事が、この所で言う危険にあたる。
だからと言って、水道水も残留塩素なんてのがあって、
人体に無害では無いと言われているので、一概に水道水を常用すれば良いとも言えない。
世界の長寿地域は、硬水が湧いていて水環境が良い場所である、と言う統計も出ており、
やはり健康と水との関係は密接と言える。
そう言えば、夜店で釣って来た金魚を、その日に水道水を出してバケツに入れておいたら、
翌朝、横たわって浮いていた事がある。

682声 目で食べる

2009年11月12日

11月も中旬。
ともなるとチラホラ、どころでは無く、
巷は本格的に年の瀬の様相を呈してくる。
年賀状の販売、お歳暮の発送、おせちの予約。
小売店の年末商戦が勃発し、いよいよ激化してくる頃。
それに輪をかけて、クリスマスなんてのもあるから、
いよいよ戦況は泥沼化してくる模様。
先日、一寸した仕事で、ケーキの写真撮影をした。
撮ったケーキは12種類。
ロールケーキ有り、ショートケーキ有り、クリスマスケーキ有り。
私はとりわけ甘い物が好きでも無いのだが、
生クリームがたっぷり塗られた白く綺麗なケーキを目の前にすると、
思わず唾を飲む。
やはり、菓子と言えど一つの料理。
綺麗に細工が施され、旬の彩で飾られたケーキなどは、
目で食べさせる効果が多分にあるようだ。
それを実感したのは、随分前にも一度経験がある。
その時もケーキだった。
と或る洋菓子店の厨房。
パティシエの方と話をしていて、ロールケーキかなんかの切れ端を頂いた事がある。
ケーキを作る時、結構、スポンジの切れ端が出るのだ。
生クリームが付いたスポンジの切れ端は、形こそグチャグチャだったが、
味は美味しかった。
後日、その洋菓子店が卸している喫茶店で、
珈琲とそのロールケーキを食べる機会があったのだが、
味はやはり、切れ端の比では無く美味しかった、と記憶している。
撮影が終わり店を辞す時、お店の方にケーキを数種、御土産で頂いた。
チョコのケーキを一つ食べ、味は非常に美味しいのだが、
甘党でも無い私は一つが限界。
残りを全て、同行者に渡してしまった。
私の場合、ケーキは目で食べる事に限る様である。

681声 雨の交番

2009年11月11日

交番前の掲示板。
降りしきる雨の中。
傘もささずに警察官。
昨日捕まった指名手配犯のポスター。
剥がして丸めていた。

680声 ペンキ富嶽の一景

2009年11月10日

玄関を開けたら、雨。
夜半にしっとりと小雨。
踵を返し、マラソンの練習は取り止め。
冷蔵庫を開けたら、缶麦酒。
練習は止めたが、これは雨天決行。
走らずに、風呂に入ってからまた一杯。
いやいや、雨天も、結構結構。
椅子の上に胡坐をかいて、ぽつねんと眺めている。
部屋の隅にかけてある、富士山のペンキ絵をじっと。
風呂屋のペンキ絵ってのは、ベタもベタ。
快晴の空。
稜線の斜度がきつい富士山。
それを湖面に映す、川口湖畔。
ドリフのコント的であり、水戸黄門の時代劇的であると言える。
このベタに、何故か日本人は魅かれる様だ。
ベタの力強さに、安心さえ覚える。

679声 旋回して近づく

2009年11月09日

「籍を入れました」
なんて言うメールが、昨晩、携帯電話に届いた。
差出人は同級生。
最近多い。
籍を入れたり、式を挙げたり、それらを予定中だったり。
結婚という軸に対し、グルグルと旋回して近づいているとする。
20代も後半戦。
人生の中で、その一番近づく時期ってのが、彼らに来たのであろう。
一方私は、先日行われた座談会、
「ほのじ通信1周年記念特別企画〜ひとり者のしあわせ基準〜」
なんてのに参加している。
先日、発売になったのだが、私は未だ読んでないのだ。
ひとり者である事に、しあわせ基準を見出している様が、記載されている事と思う。
「ついに結婚か、そうかそうか、いや、おめでとう」
「あぁ、ありがとう。ところで、オマエの方はどうなの」
と聞かれて、このしあわせ基準。
まさかねぇ、述べる訳には、行きますまい。
路地裏の奥まった居酒屋の更に奥まった席で、背中を丸めながら語る話である。
そう言った意味で、恥ずかしながら、貴重な座談集なのではあるまいか。
「いやぁ、いろいろと有るようで無いような、それがまぁ、ははは、さっ行きましょか」

678声 猫と夜会う

2009年11月08日

「おっ、やってるね。いやしかし、何だいその足取りは」
「うっさい」
「お前さんは大体、運動不足なんだよ、昨日はどうしたんだい」
「昨晩は飲んでたから、走って無い」
「ほら見ろ。だからお前さんは駄目だってんだよ、しっかりやんなよ」
「昨日の分まで走りゃ良いんだろ、まったく」
「あらら、未だ2周目だってぇのに、もう息があがってるじゃないか」
「今日は、たまたま、調子が、悪いんだ、よ」
「ほらほら、腕が振れてないよ」
「そうやって、四六時中地べたに這いつくばってるあんた等に、
マラソンの大変さが分かってたまるか」
「随分と言ってくれるじゃないか。あたし等だってねぇ、夜ぴぃて走る事があるんだよ」
「へぇーそんな姿、見た事無いね。日向ぼっこのし過ぎで、夢でもみたんじゃないの」
「そりゃ、御前さんは見た事無いに決まってるよ。昔っから、
猫は人間に死に目を見せない為に、御前さん等が知らない様な、
そりゃあ遠い所まで走って行くんだからね」
週に何度か、自宅裏の田圃を夜、走っている。
その時に、出くわすのが、どこかの飼い猫なのだろうが、
鼻筋の綺麗に通った賢そうな白猫。
闇夜に映える白毛は、そこはかとなく気品が漂っている。
首を落として、上目使いに、横を走り去って行く私を覗き見ている様が、
いかにも物申したそうなのである。
おそらく、雌猫だと推察するが、いつも私と目が合う。
いつも、と言う事は、私が走り始めてから、夜に良く出くわすのだ。
目が合った瞬間、お互いに「ふん」と言う、種族を超えた意地の張り合いをしている。
今夜も私は猫と会う。

677声 Jazzと餃子の街は更け

2009年11月07日

先週に引き続き、今週も両毛線で栃木県。
栃木駅から東武線に乗り換え、今日の終着駅は東武宇都宮駅。
栃木駅の列車待ちで、2週続けて、同じ立ち食いうどん屋で、
同じ天ぷらうどんを食ってしまった。
栃木県も宇都宮まで来ると、流石に大都市と言った様相。
駅前に林立する商業ビルや人通りの多い商店街など、商都の賑わいがある。
徒歩で行ったりバスに乗ったりして、市内の銭湯を訪ね歩く。
しかし、今回は望んでいた成果と言うか、結果を得るに至らなかった。
巡り合わせの妙。
たまにはこう言う日もある。
そう言う日には、朝から何か予感めいたものがある。
その予感を実感した所で、早々と次回再訪への期待を託し、繁華街へ行く。
丁度今日、宇都宮市街地では「宇都宮餃子祭り」ってなイベントが開催されていた。
市内の会場には、餃子の名店が特設テントで露店を出しており、
一皿100円で販売されている。
中には有名店も有り、そう言う店にはやはり行列が出来ている。
私も早速、往来の椅子に腰掛け、買い集めた餃子と麦酒で一杯。
今日の芳しからぬ結果を埋める様に、麦酒の紙コップを重ねてゆく。
宇都宮餃子、中でも「みんみん」と言う店の物が美味かった。
やがて赤提灯が灯る頃になると、祭り酣を迎え、冷たい夜風が吹いて来た。
最終的に私、オリオン通りの焼鳥屋のカウンターに流れ着いており、
やや覚束つかぬ足取りで、改札をくぐる。

676声 良い餡が浮かばない

2009年11月06日

コンビニなどで、菓子パンを買う事がある。
今日買ったのは、100円位のあんぱん。
この手の菓子パンも、粗悪な物になると、
餡に到達するまで、二口も三口もかかる物がある。
つまりは、餡がパンの中央部に少ししか入っていない為なのだ。
あんぱんをを食べた時は、やはり一口目で餡に到達するべきである。
中々、主役の餡が出て来ず、味気無いパンだけ味わっているのは、空しい。
やっと餡が出て来たって、餡の部分を食べて終えば、また味気無い空しさと御対面。
だから、あんぱんは中身の餡が、外側一杯に均等に入っている物を、極力選んで買う。
こんなみみっちくて瑣末な内容で更新すると、
「アイツもとうとう、ヤキがまわって来た」
「アイツの頭の創造の泉は、枯渇寸前だよ」
何処かのこきたないおでん屋のカウンターの隅で、
噂する声が聞こえて来るようである。
しかし、その噂は的を得ている。
今日買ったあんぱんの如く、餡がちょこっとしか入っていないのが、私の頭。
それを半分に割って、餡の所ばかり食べてしまうから、
後に残るのは味気無いパン生地ばかり。
如何なのかしら、今日のパン生地の味は。

675声 寝姿遺伝論

2009年11月05日

私は夢を見ない人間だ。
と言うのは、別にリアリストである事の比喩では無く、
寝ている時に夢を見ないのである。
一年の間で全く見ない訳ではないのだが、人に話を聞くと、
私の場合は夢を観る回数が極端に少ないらしい。
見ているのだけど、朝起きて覚えていないのか。
それも、同じ事である。
夢を見ないのに、寝言は人一倍言っているらしい。
この「らしい」と言うのも、当然、私の場合は夢と寝言が連動していないので、
意味不明な寝言のみを言っている事になる。
女性と寝ている時に、別の女性の名を呼んでしまった。
など、少しは色っぽいエピソードが欲しいのだが、現実はそうもうまくいかない。
大抵は朝起きて、私の寝言の当事者かつ被害者に、「うなされてた」と言われる。
別にうなされている実感も、原因も見当たらないのだが、
兎も角、夜毎様々なうなされ方をしている。
実家では良く親に、「寝ながら謝ってた」と言われた事がある。
「すみません、あー、すみません」
と謝罪しているらしい。
外で寝る時に多いのが、断末魔の叫び系統の声である。
「あぁ〜うぅ〜ぐぅぁ〜」
針の筵に寝ているかの如く、呻いているらしい。
さて、原因は何だろな。
と考えるに、枕が合わない、ストレス、呪い。
等々挙げられるが、私自身、一番有力な線が、遺伝ではなかろうかと考えている。
私の親父が、これまた寝言を良く言うのである。
寝言だけでなく、寝ぞうも恐ろしく悪い。
例えば、深夜に「うぅ〜」と呻きながら、足をバタバタやっている。
エクソシスト状態なのだ。
寝ぞうも良く寝言を言わない母と、寝ぞうが悪く寝言を言う父。
足して二で割って、私には寝言が残った。
それでも、寝ぞうが悪いよりはマシだと思っている。

674声 立ち食いの美学

2009年11月04日

空気感が既に冬である。
冬は空気が澄んでいると言うが、成程、山間に沈む夕日の残照は宵闇の深い青に溶け、
彼方に見える街の灯は、煌びやかな宝石の如くに光っている。
山は四季を映す。
一気に寒くなったものだから、テレビや雑誌なんかも、
慌てて「鍋特集」なんて企画をこぞってやっている。
確かに鍋も良いが、今時期はうどんも良い。
「うどん」と言っても、旬はやはり、駅の立ち食いうどんであろう。
寒風吹くホームで啜る、かけうどん。
少しでも温まろうと、七味なんか多めにかけたりして、ズーズー言いながら手繰り込む。
電車の音やら雑踏の音やら、駅のホームは何かと慌ただしいので、
うどんがズーズー言ってようが、鼻がズーズー言ってようが、誰も気に止めないのである。
ズーッと汁を飲んで、コップの水をツーッと飲み干す。
すると、丁度乗る電車が入線して来る。
ってのが、立ち食いの美学、玄人の技。
いささか貧乏臭い玄人だが、これが素人となると貧乏どころか、けしからん。
かく言う私も、以前、電車待ちの時間が無いにも拘らず、立ち食いうどんを食べていた。
慌てに慌てて、「ズーズーッ、アチアチ、ズーズーッ、アチアチ」と、
熱くて食べる速度が鈍くなってしまう。
そうこうしている間に、電車が入線し、ドアが開く。
器の中には、うどんが未だ半分残っている。
うどんを取るか電車を取るか。
どちらにせよ、立ち食いうどん界における、けしからん結末となる。

673声 一日四回内銭湯三湯

2009年11月03日

朝日差し込む車窓。
秋晴れの青空の下、どっしりと構えている赤城山を眺望。
両毛線はゆったりと、桐生方面へと進んで行く。
ローカル線へ乗って、目的地まで行く。
人気も疎らな車内。
ゆったりと缶珈琲を飲みながら、車窓に広がる野趣風景を眺めている。
こう言う時などは、つくづく列車の旅は良いものだと感じる。
赤信号だの青信号だの、アクセルだのブレーキだのと、
せせこましく車を運転している人に、一寸同情なんかしてみる。
驚いたのが、赤城山。
頂上付近に粉糖をかけたかの如く、白くなっていた。
昨晩あたり、積雪したのであろう。
季節は着実に移ろって行くのだと、改めて感じた。
そして、下車したのは栃木駅。
目的は無論、銭湯。
市内、かなり歩き回って、銭湯情報を確認して行ったが、市内に残る銭湯は2軒。
「アルプス温泉」と「金魚湯(玉川の湯)」。
両方入浴、撮影、簡単な取材。
特に、金魚湯は衝撃的で、風呂に金魚が泳いでいるは、2階の宴会場では、
朝からカラオケ大宴会が繰り広げられているはで、大盛況。
活気ある、「攻め」の銭湯に初めて出会った。
栃木を後にして、一路、佐野駅を目指す。
下車し、寒風吹きすさぶ中、襟を立てて、市街地をくまなく歩く。
そして、完全に湯冷め状態で、鼻水を垂らしつつ、「おばな湯」へ入浴。
本日3軒目。
これが、湯が物凄い熱く、温まろうにも温まれない。
なんだか自棄になって、お湯を何度もひっかぶってから出た。
番台のおやっさんに話を聞くと、なんでも100年くらい前から建物自体は在ったとの事。
茹でダコ状態のふやけ顔で、帰宅し、さて一息と思ったら、最後の予定をすっかり忘れていた。
とある会合に遅れて行ったのだが、風呂に入り過ぎて、終始頭がぼーっとして、駄目。
夜半に帰宅し、漸く風呂に入って缶麦酒。
これで風呂に入った数は、一日四回内銭湯三湯。
自己新記録樹立して、慌ただしい男の一日は終了。

672声 朝の寝床に冬のハエ

2009年11月02日

冬将軍の軍勢も、とうとう西高東低の気圧配置に布陣したらしく、
今朝はこの冬一番の冷え込みである。
この冬ったって、まだ11月を一つ二つ出たばかり。
今年の冬は、全国的に冷え込む気配がある。
私も、今朝は流石に、慌てて押入れからストーブを引っ張り出し、
埃も払わぬままコンセントに繋いだ。
朝、部屋が冷えている時は、寝床が温かいので、布団から出るのが非常に億劫である。
子供の頃、大人になれば自然と、朝は億劫がらずに、
しっかりと起きられる様になるものだと思っていたが、
どうもそうではないらしい。
大人になった現在は、老年になれば、冬の朝でも自然と早起きできる。
などと、やはり朝、温かい寝床の中で愚図りながら考えている。
ストーブでやっと部屋が暖まった頃、部屋の気温が上がった為か、
冬のハエが一匹、どこからともなくヨロヨロと出て来た。
窓を開け、手で外へ追い払おうとしているのだが、コイツが中々、
出て行くそぶりを見せない。
さてはオマエも、温かい場所が恋しいのか。

671声 秋の粧い

2009年11月01日

本日、吾妻渓谷を通ったのだが、紅葉の盛り。
沿道に県外ナンバーの車を停めて、紅葉狩りを楽しむ人で込み合っていた。
皆、写真撮影に勤しんでおり、紅葉の渓谷のついでに、
建設途中の八ッ場ダムを撮影して行く。
自宅に帰って来て、夕方。
外から聞こえて来る、花火の音。
窓を開けて見ると、夜空に大輪の花。
そう言えば、本日が近所の専門学校で文化祭が開催される日だと、
先日回覧版で見たのだ。
しばし、季節外れの花火観賞。
昼の山並みに、夜の花火。
秋の粧いに出会えた、何気ない一日。

670声 南瓜祭

2009年10月31日

「ハロウィン」
ってのが、街ではすっかり秋の風物詩として定着している。
今年の街中を見ていると、どこへ行っても、南瓜の化物の飾り付け。
特に商店や百貨店などは、年末、クリスマスに次ぐ、大きな商戦として、
このハロウィン商戦を展開している。
数年前まで、ハロウィンなどは局地的な盛り上がりを見せるイベントと言う感があった。
それも、上州における私の私見なので、大海を知らないだけだったのかも知れない。
私の住んでいる地域には、あのジャック・オー・ランタンと言う、
南瓜の化物を作る習慣もなければ、軒先へ訪ねて来て、
「トリック・オア・トリート」と言う子等もいない。
私の持っている季語帳にも載っていない。
しかし、街中でここまで目にすると、自然と季語にとってしまう。
ハロウィン南瓜の顔が笑いけり

669声 私の意欲

2009年10月30日

一日は足早に過ぎ、気付けば夜半に酔眼朦朧。
日刊の更新をせねばと言う、私の意欲。
伝わらないであろう、この意欲。
這いつくばって帰って来て、茶漬けと一緒に啜る。
私の意欲。