日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

64声 心境が同化して神経が老化

2008年03月04日

昨日は、至る学校で卒業式が行われていた様。
夕暮時間のレストランやらカラオケに、学校の鑑札ステッカーを貼った自転車が、
駐輪場におびただしく止まっている光景を目にした。

おそらく、卒業式後の送別会だろう。
自分にも経験があるが、友達と別れる寂しさ、新しい環境への期待と不安など、
様々な気持ちが交錯し、複雑な心境で参加していた事を思い出す。

「また絶対連絡するから」
と言って、それっきりになってしまったり。
「またいつの日か会おう」
と言って、翌日にバッタリ会って遊んだり。

そして、若者達はカラオケなどに行って卒業関連ソングを熱唱するのだろうか。
そんでもって、思いで話に花を咲かせる為、ちょこっとアルコールなんぞを飲んでみるのだろうか。
自転車のペダルを漕いで、青春に向って加速して行くのだろうか。

夕焼けが差し込む廊下。
を思い出すのだろうか。
考えつつまた一つ老化。

63声 摂氏十度の冷視線

2008年03月03日

私はこれでも社会人の端くれだと思っている。
ホントに社会人なのだが、まぁそんな訳で、社会人に有るまじき日常行為に対しては敏感なのである。
その上位に位置している、「昼間っから酒」と言う行為を先日、
公衆の面前で恥ずかしげも無くやってしまった。

場所は土曜日の鈍行列車内。
同じ電車でも、新幹線、特急などでは、「特急料金」なるものを免罪符の様にかざした方々が、
昼間っから酒を飲んでいる光景が良く見られる。
しかし、こと鈍行列車ともなると話は違う。
昼間っから酒なんて、余程の地方線にでも行かない限り、日常的には見られない光景である。
そんな日常色の濃い鈍行列車内、しかも四人掛けのBOXシートでは無くて、横長シートで、
陽の高い内から飲酒。
向いに座っている、部活に向うのであろうジャージ女子高生の視線を、
出来る限り無視しながら缶ビールを開ける。

早春の朝時間、伊勢崎駅構内の気温は10度
電車に即乗車、ビール渇望症状は既に重度
缶ビール開け、頭を倒して飲む角度は10℃
人々がチラ見、向けられる視線は摂氏十度
知らん振りで、頭の中流れてるのはHeyJude

するってぇと、一缶飲み干す頃にはもう、罪悪感は電車の揺れと曖昧に中和。
隣に座ってる、お母さんに抱っこされている赤ちゃんと不意に眼が合う。
まん丸の眼だ。

62声 第二回ワルノリ俳句ing結果報告

2008年03月02日

3月1日に開催された、第二回ワルノリ俳句ing。
今日は結果をばひとつ。
特選、ワルノリ賞とも私の詠んだワルノリ俳句が獲得。
詳細はまた「クレインダンス情報」にもUpされるのだが、うかれついでにちょこっと紹介。

・特選
水が無い
俳句も出ない
遊水地

・ワルノリ賞
井上や
眉毛書かずに
俳句書け

9時56分、缶ビール片手に伊勢崎駅を出発。
栃木を経由して、昼には板倉東洋大前駅へ到着。
駅からトボトボ歩き、渡良瀬遊水地まで俳句ing。
昼食は駅前スーパーの休憩コーナーで、慌しく済ませる。

以降、風の吹くまま気の向くまま流れ着いたのは夕方、大田駅前のベトナム料理屋。
生ビールと生春巻きなどを摂取しながらの俳句発表と言う、節操の無い連中。
ガランとした店内に響く五・七・五。
レジの奥から向けられる、ベトナム人ウエイトレスの警戒的視線が刺さる。
しかし一同、朝から世間の方々の警戒的視線を一身に受けてきたので、既に麻痺。

マヒっているのか、マイっているのか、人としておぼろげな状態になりつつ岐路へ着く。
伊勢崎駅に着き、構内にある立ち食いうどん屋でこしの無い麺を鼻水と一緒に啜る。
しょっぱさがやけにうまく感じ、しみじみと温まってきたトコロで閉会、解散と相成り。

61声 したたかにしたたかに

2008年03月01日

明日、起きられるか心配である。
と言う事は、コレを書いているのは現在は29日。
今回は前日収録編。

三寒四温、日々春に近づいている事を実感する毎日。
などと、天気の話から導入する辺りから、内容が軽薄である事が如実に現れている。

毎日、禅問答の様な話を書き綴っては、ビールを飲んで月に吠える。
と、そんな生活を細々と営んでいる。
そして、脈絡も突拍子もなく大雑把な話は始まって行く。

初めて会った時は、目玉焼きしか焼けない人だと思った。
しかし、その予想は外れる事になる。
付き合って行くにつれ、厚焼き玉子やスクランブルエッグ、はたまたオムレツまで焼けるではないか。
実は、「焼けない」のではなくて「焼かない」人だったのだ。
あらゆる調理方法を、誰よりも知っているに違いない。
その人は、したたかに装っている。

とまぁ、こんな風に比喩表現をグルグル巻きにして書くから分かりづらい。
でも、こんな人に共通する特徴は、「必ず面白い」と言う事。
一方私は、したたかに酔っている。

60声 ワルノリ俳句ing直前情報

2008年02月29日

明日の3月1日(土)は第2回ワルノリ俳句ing開催日。

参加希望者の方々は、伊勢崎駅改札口にam9:45までに缶ビールとつまみを携えジャージ着用で集合。
am9:56伊勢崎発下り列車に乗車し、向かう先は群馬の最東南端「板倉町」。

「ジャージ着用で」ってな所からして、既にワルノリ感が伺えるこの企画。
しかも、行く先は板倉町。
電車で行くと結構遠いのである。

少ないながらもチラホラと、「ジャージじゃなきゃだめなのかコノヤロウ」とか、
「缶ビールは好かん、ワシはワンカップなんじゃバカモノ」と言った温かい質問を頂いた。
「結構毛だらけ猫灰だらけ、ケツの周りはクソだらけ」
と、私も丁重に返答。

「お好きなようにしなしゃんせ」
ってのが、「ワルノリ」の良い所でもある。
したがって、お好きなように。

そうだ、お好きなようにしちゃぁならねぇ事が二つだけ、
切符を買う為に、某かの銭は持って来なくちゃいけねぇよ。
そんで車で来る人、アルコールを摂取したら運転しちゃあいけねぇよ。

そんじゃ、明日に向って寝ましょうかね。

59声 六畳一間の戒厳令

2008年02月28日

先程から、いささか迫り出してきた自分の下っ腹を見つめている。
決断の時が、刻一刻とにじり寄って来る様な感覚に捕われているのだ。

そして、背中を丸めて座っている男は決断を下す。
二月二十七日午前零時。
群馬県は高崎市の隅っこにある家の六畳一間に、戒厳令はしかれたのだった。
そもそも、何でこの様な未曾有の事態に陥ってしまったのか。

上州は赤城山と榛名山の麓、丁度真ん中辺りの小さな町に…
ってな具合に、折り目正しく述べている余裕は無い。
戒厳令下の現状において、一刻も早くこの文章にオチを付けて終息に導く必要がある。

私の下っ腹が迫り出してきた、重大な要因は「ビール」にあると言う結論に達した。
これは、「そりゃ、あんたビールっ腹じゃねぇのー」と言う、私の周りの的確な助言により決定された結果である。

この様な状況を鑑みて、自らに麦酒戒厳令をしき、
日々の晩酌によって引き起こされた下っ腹クーデターの沈静を試みる。

しかし現在。
「ビール」やら「麦酒」やらと言う文字を、キーボードで打っているだけで、呻吟。
嗚呼、「ゼロカロリー」だったらまぁ良しとしよう。そうしよう。
などと、じわりじわりとハードルを下げる。
発令より24時間。
儚くも泡と共に消えて行く、六畳一間の戒厳令。

58声 功すれば罪 その後

2008年02月27日

テクノロジーの悪い所を思い出しちまったんで、引き続いて述べている。

まったく、月に向って吠えたってな件でスッキリ文章を終わりにしとけば良いのだが、
ダラダラと間延びさせてしまう。
これは私の悪い癖で、まぁ無くて七癖あって四十八癖と言う位だから…、
とますます悪化の一途を辿る気配。
気配を感じたので、今なら戻れる。

テクノロジーの悪い所と言うか、使う人間にとって具合の悪い所は、その「依存性」である。
つまり、使っている内にドンドン「依存癖」が付いてしまう。
コレが良くない。

例えば、ペンで紙に文章を書いていて、分からない漢字が出て来たとする。
その漢字をどうやって調べるか。
大半の人がまず、携帯電話の機能で調べるか、近くにパソコンが起動していれば、それで調べる。
分厚い辞書を出して、頁をパラパラなんてやっている人は少ない。
職業的に文章作成をする人や、一般公開型の文章作成をする人等の手の込んだ文章作成家は除くとして、
大半の人が使えるテクノロジーを使うだろう。

この様に、テクノロジーの術中にハマった現代人各位は、
「アタイもう、テクノロジー無しじゃ生きていかれないの…」
と、夜な夜なか細い声で囁くのだろう。

ペンで文書作成する機会の減少は、必ずしも現代人の漢字記憶力の減退に比例しないが、
テクノロジーを使用する機会の増加は、現代人の便利依存性の進行に比例していると感じている。
そして、「この話のオチ部分だけ妙に真面目腐ってしまったなぁ」とも感じている。

57声 功すれば罪

2008年02月26日

そうは思わない事がある。

パソコンや、携帯電話のメール等で文章を作成する機会が増えたので、漢字を覚えなくなった。
つまりは、ペンを使って字を書く機会が減ったから。
ってな事を言っている人が、良くいる。

コレに対して私は、もっともだと思う。
と言ったら話が始まらないので、そうは思わないと言っておく。
まぁ、本当にそうは思わないのである。

その方々の言い分はと言うと。
パソコンや携帯電話等で文章を作成する場合、
その機械の機能が打ち込んだ文章を漢字に変換してくれるので、
自分はそれを選ぶだけだから漢字を覚えなくなると言う。

キッパリと言おう、そんな事は無い。
むしろ、この変換機能で、逆に文章を覚えるとさえ思う。

だって、「更新」(まだ引っ張っている)の場合。
「こうしん」と打ち込んで変換キーを押すと、「更新」やら「行進」やら「交信」やら、数多出てくる。
その中から自分で選び決定するのである。
これは、覚えなくなるリスクよりも、逆に様々な同音異義語を覚えるキッカケが生まれ、
漢字のボキャブラリーが豊富になるのではと思えてならない。
パソコンなどに至っては、その言葉の意味まで出てくる事もある。

そして、パソコンや携帯電話の普及によって、
現代人は以前よりも圧倒的に文章を作成する機会は増えている筈である。

「テクノロジーは悪くないんだぞ!」

こんな事を月に向って吠えているってぇと、一つだけ悪い所を思い出した。
しかしそりゃまぁ、明日にしましょうや。

56声 振りてしゾロ目の更新人生

2008年02月25日

未だ引っ張るけれど、「更新」の事。
寝て起きて、一日を更新しながら生きて行く我々。
しかし、キチンと更新出来ているんかいってな一抹の不安もある。

特に、昨日の事が今日の事を侵食してくる様な場合。
現在書いているこの内容も、昨日の因果によって、今日も昨日と同じ様な事を書いている。
キチンと更新出来ていないが為の因果関係。

まぁ、それが出来れば人生苦労はしない。
サイコロ振ったって、時にはゾロ目が出るではないか。
そしたら、明日に向ってまた振れば良い。

そう言えば、と話は変わる様で変わらないけれど。
先日、同級生に久しぶりにバッタリ出くわした。
自分内の「同級生と出くわすと決まって言われる言葉ランキング」で、
高い位置にランキングされている言葉が、「変わって無いねぇ〜」だ。
非常に高い確率で言われる。
これはつまり、鼻たれ小僧時分から現在の大人になるまで、キチンと更新が成されていないのではないか。

いやいや、私もそれなり人並みに毎日を更新してきたつもりである。
時には厳しい局面で、祈るようにして人生のサイコロを振ってきた。
ただ一つ言える事は、もしかしたら、ゾロ目が出っぱなしだったかもね。

55声 更新生活

2008年02月24日

この時期、様々な「更新」が重なる。
現に、私の机の上にはそれを知らせる葉書が散乱。
え〜、「レンタルビデオ保障更新のお知らせ」やら「自動車保険更新のお知らせ」、
「運転免許更新のお知らせ」などなど。
おまけに、「携帯電話料金ご入金のお願い」なんてモノまである。

それはさておいて、「更新」である。
考えてみれば、このコンテンツも毎日「更新」しているし、自身のブログやら、その他多数。
まさに、「更新」づくめの「更新生活」を営んでいると言うわけだ。

なんだか恐ろしくなってきた。
よし、早めに寝ちまおう。
いや待てよ、この日々「寝る」ってのも、一日を「更新」するって事だ。
そうかそうか。
先程飲んだビールが拍車をかけて、どうやら早めに「今日更新のお知らせ」が届いたようだ。
さてさて、更新は早めにするに限る。

54声 ビバノンノン

2008年02月23日

顔は寒みぃし、湯は温りぃし。
背中越しの女湯からは、ババアの上州弁しか聞こえてこねぇし。
混んでて岩は空いてねぇし。

などとぼやきつつ、先程まで日帰り温泉の露天風呂に入っていた。
お気に入りの岩ってのは、露天風呂の縁に設置されている岩の事で、
体をもたれ掛けるのに丁度良い具合の岩が、たまたま空いていなかったのである。
岩が空いていないと、風呂の中で座っていてもなんだか具合が悪い。

風呂の中で体育座りをしていると、斜め横のおやっさんが立ち上がったので、
すかさず岩位置を確保。
体をもたれ掛け湯に浸かっていると、しだいに「のほほ〜ん」としてきた。
これは非常に描写が難しいのだけれど、ともかく「のほほ〜ん」状態。

岩にもたれかかって目を閉じて浸かっている。
すると、顔が寒くて湯が温いのも、だんだん気持ち良くなって来た。
背中越しの女湯から聞こえてくる声も、良く聞けば若々しく艶かしいではないか。
何事もうまく運んでいるのだ。
ババンババンバンバン、ハァ〜ビバノンノン♪

風呂から上がると、背中が若干痛かった。
打たせ湯に打たれすぎたのかなぁ。

53声 懐古的焦燥映画

2008年02月22日

現在、私の部屋にあるテレビでは金曜ロードショー「耳をすませば」を放映中。

レンタルビデオ店で借りた映画や、テレビのロードショーで観た映画と言うのは、
映画の内容は覚えているが、それがいつどんな状況で観たのかは覚えていない。
しかし、映画館で見た映画と言うのは、大抵どんな状況で観たのか覚えているものである。
自分が何歳の時、誰と、何処でなど。
感銘を受けた映画なら尚更の事。

そして現在、私はそれを思い出している。
1995年夏、友人と高崎中央銀座通り商店街の映画館で観た。
私は当時、中学2年生。

はい、そこのアナタ指を折って数えなくてもよろしい。

ともかく、だるんだるんに中だるみしていた中二の夏休み。
その時分は郊外に大型店舗もそれほど出来ておらず、商店街には人手が多く、
特に夏休み期間はいつも映画館は満員だった。
そんな折、この高純度青春ジブリアニメ映画である「耳をすませば」を大入りの映画館で観終え、
不純な中学生は高崎市中心商店街の路上に呆然と立ち尽くしていた。
蝉時雨を浴びながら、「このままではイカン」と焦燥。

その後、商店街の甘味処でカルピス味のかき氷を突付きつつ、
さっきから頭内に流れている「カントリーロード」に、ぼんやりと耳を傾けていた。
入り口の外、藍色の暖簾がダルそうに揺れていた。

52声 ポテチの前には埋まらぬ溝

2008年02月21日

子供時分、友達の家に遊びに行っておやつを食べていた。
テレビゲームをしながら、ポテトチップスを二人でつついていたのだけれど、
私だけつつくペースが早いのである。
友達は、テレビゲームの合間に「パクッ」
一方私は、テレビゲームそっちのけで「パクパクパクパクッ」
友達は一枚ずつチップスを取るのに、私は三枚取りである。
「育ち」と言う埋まらない溝を、薄っすら感じていた。

青年時分になってからは気を配る事を覚え、
遠慮がちにセーブしながら食べる事もしばしば。
しかし、胸中ではいつも三枚取りを渇望していた。

そんな事を思い出して、書いている現在。
ここまで書き進めるまで、結構時間を費やしてしまった。
それは、ポテトチップスを食べながら書いているから。
三枚取りで、一心不乱に「パクッ」
未だに溝は埋まらず。

51声 第二回ワルノリ俳句ing 開催決定!

2008年02月20日

「あ〜あ〜日本のどこかに〜私を〜待ってる〜人がいる〜♪」
と言う誇大妄想に、たびたび取り付かれる私。

「日本のどこかに、この日刊鶴のひとこえの更新を心待ちにしている人がいるんだ」
と言う自己暗示を、たびたび自分にかける私。

旅から旅へと言う、浮雲思想に憧れている私。

さぁ、旅立ちの日は来る3月1日(土)。
「第二回ワルノリ俳句ing」開催決定なのである。
詳しい内容はまた後日、このサイトのコンテンツ「クレインダンス情報」やら、ココにアップ予定。

それでも、ちょこっと言っておこう。
第二回と言う事は、もちろん第一回があったこの「ワルノリ俳句ing」。
2007年8月の事、それも「クレインダンス情報」から閲覧可能。

電車に乗って県内各地のどっかに行って、(もはや川柳に近い)ワルノリ俳句を詠みまって帰って来る。
ただそんだけの会。
「旅の恥は書き捨て」と「旅は道ずれ世は情け」を足して二で割ってない様な会。

誰でも参加可なので、気が向いた方がいらしたら。

しかし、なんでそんなしょうもない事をやらなければならないのだろう。
人生において何の役に立つんだろう。
まぁきっと、その答えを探す気も無い様な連中がやっているのだろう。

50声 さて、何の「プッ」

2008年02月19日

巷では、車の運転が荒いと言われている群馬県人。
確かに、私も毎日運転しているのだが、そう感じる節はある。

追い越し禁止車線で追い抜く車。
方向指示器を出さずに曲がる車。
片手に携帯電話で運転してる車。
やぶれかぶれで飛ばしている車。
などなど、挙げればきりが無い。

しかし、不思議とクラクションを鳴らす車があまりいないと感じている。
もうだいぶ前のことになるが、私は以前東京で毎日運転していた経験もあり、
その時と比べてそう感じるのである。

東京都心部で運転していて感じた事は、「クラクションを鳴らす」車が多い事。
それは、車線に入れさせてくれて「ありがとう」と言う「お礼クラクション」や、
あっ知り合いだ「おーい」と言う「呼びクラクション」では無い。
十分過ぎる程本来の意味に沿った、「警告クラクション」がよく鳴っている。

追い越し禁止で追い抜こうものなら「ブーッ」
方向指示器を出さずに曲がろうものなら「ブーッ」
むしゃくしゃしたら「ブーッ」
競馬が外れたら「ブーッ」
腹が減ったら「ブーッ」

たいぶ言いすぎだけど、とにかく至る所で怒りの「ブーッ」が聞こえる。
そんなにいきり立たなくても、と心配してしまう程。
それに比べて地方都市はどうか。

前の車がなかなか進まなかったら「プッ」
車線に入れさせてくれたら「プッ」
知り合いがいたら「プッ」
相手と別れ際に「プッ」
腹が減ったら「プッ」

やはり地方都市は、いくら運転が荒いと言われても平和である。
それじゃあ今日はこの辺で、「プッ」

49声 収拾がつかないジタイ

2008年02月18日

毎夜、ビールと私は共闘条約を締結。
疲労や眠気率いる怠惰連合と死闘を繰り広げている、日付変更最前線。
何としても、日付が変わる前に決着を付けたい。

しかし、闘いは毎度泥沼化の様相を呈する。
そしていつしか、条約に基づいて奮闘していたビールに不穏な動きが現れる。
それを止める術も無く、遂にビールが寝返った怠惰連合は一挙に勢い付く。
私は目を半開きにして孤軍奮闘。

悪化の一途を辿る事態。

頭をよぎる言葉は辞退。

眼の前に並ぶ同じ字体。

状況の原因は自分自体。

これはもはや非常事態。

鍔際で思い止まる辞退。

いよいよ見飽きた字体。

良くやったと感じたい。

48声 唱えて止まぬ自責念仏

2008年02月17日

昨夜の記憶がめっかんないまま起床。
深酒は頭痛でもって過剰摂取を申告。
脱水症状は抜き差しなら無い程深刻。
おでこを擦りながら、自責念仏を唱えつつ厨房の方へヨロヨロ。

厨房と言う事はもちろん、和のカルチャースクール「ほのじ」で昨日は就寝。
そして今朝、眼の前にはランチの用意で大忙しの厨房。
片隅で背中を丸めて片隅に座っている、万年二日酔い男。
そんな男の前に出てくる、モーニングコーヒー。

持って来てくれた女性に、「あ〜救世主さま救世主さま」と合唱してお礼。
一口コーヒーを啜るたびに、飲酒自主規制法の施行を本格的に検討。
もう昼飯時間なので、ほのじの「菜菜ランチ」を食ってく事にした。
待ってる間に読む本は、持って来た太宰治著「人間失格」。

依然として、頭の中で果てし無くループしている自責念仏。
家に帰り、風呂に入って一息付く。
風呂上りには、また冷えたビールに手を伸ばしてしまう。
ここまでの所業を今書きつつ、深い溜息がゆっくりとひとつ。

47声 焼きまんフリークが集う焼きまんじゅうサミット

2008年02月16日

今日は、群馬県庁で行われた「焼きまんじゅうサミット」を見に行った。
群馬県庁県民広場に、県内各地の焼きまんじゅう販売店14店が集結して行われるこのイベント。

「サミット」って言っても、「主要国首脳会議」みたいな仰々しいモノではない。
ともかくいっぱい焼きまんじゅう焼いて、どぉーんといっぱい食べましょ。
ってなイベント。
まぁ、「サミット」って言うよりは「祭り」。
むしろ、イベントが終わった後に県庁界隈の居酒屋で夜な夜な開かれるのが、
本当の「焼きまんじゅうサミット」ではなかろうか。
まぁ、それはともかくとして。

開催日の今日、会場大込み。
列をなして焼きまんじゅうが焼けるのを待つ、焼きまんフリーク達。
みんな、鼻水を垂らしつつ、口の周りを味噌ダレだらけにして、
一心不乱に焼きまんじゅうにガッツク姿は異様。
いやいや、それでイイのよぅ。

私はと言うと、列に並びそこね、焼きまんじゅうを買いそびれてしまった。
焼きまんじゅうジェラートと言う、今日のお目当てのご当地ジェラートを頬張りつつ会場をしばし眺める。

どっかのテレビの女子レポーターが会場をレポートしていた。
あの女子レポーターは、焼き立ての焼きまんじゅうを「カブリ」と、
口の周りを味噌ダレだらけにして頬張れるのかなぁと考えていた。