梅雨の晴れ間で、真夏日の一日となった。献本の句集を読み始める。依然としてネットでの句会が多く、ちらほらと句を見繕う。週末の句会の予定を考える。去年は小岩菖蒲園に吟行に行ったが、今年は流石に難しいだろう。近場で涼しげなところで予定を組む。酔眼朦朧として、やるべき校正を進められず。
2020年06月17日
梅雨の晴れ間で、真夏日の一日となった。献本の句集を読み始める。依然としてネットでの句会が多く、ちらほらと句を見繕う。週末の句会の予定を考える。去年は小岩菖蒲園に吟行に行ったが、今年は流石に難しいだろう。近場で涼しげなところで予定を組む。酔眼朦朧として、やるべき校正を進められず。
2020年06月16日
掌から砂が零れるような一日であった。ここ数日は帰宅してから気が抜けてしまい、麦酒を飲んで無為に過ごす。寝つきも悪く、眠りも浅い。ここ最近はくだらない句ばかり作っている気がする。原因はわかっている。実際の自然から発露を得ていないからである。いろいろと引き締めないといかん。腹回りとか。
2020年06月15日
先ほど、都内の路地を歩いていると、夜の闇の向こうから、香ばしい匂いが漂って来た。匂いにつられて角を曲がってみると、灯の下、脚の長いコンロで、おやじが焼き鳥を焼いていた。傍らのテーブルにはグラス片手に、煙を見つめつつ、話しつつ、立っている人たちがいる。この店は、以前カレー屋だったはずと、店内を覗いてみると、なるほどカレーを食べている人がいる。カレー屋の店主が軒先にて焼き鳥と立ち呑み、この店の雰囲気に合わせ当世風にいうなら、「スタンディングバー」を始めたのであろう。新型コロナウイルスの影響下で、飲食業の生態系も変化しているのだ。
2020年06月14日
引き続き、雨。太陽が出ないと、なんだか気持ちもすっきりせず、いまいち調子が出ない。原稿に取り掛かるも、三分の一も書けず。外の激しい雨音に触発され、「七人の侍」を久しぶりに観る。三度も見たのに、初見の如く三時間以上ものめり込んで観てしまった。これで半日潰れたが、そこはかとなくすっきりした。観る前と後では、五月雨の音が違って聞こえた。
2020年06月13日
梅雨らしく朝からひねもす雨。軽い二日酔いで目覚め悪し。飲みすぎか安酒だったからか、その両方だと思うが、家で飲んでいてこんな状態だと世話ぁない。まだ締め切りが先の重たい原稿に手をつけられぬまま。「俳句との出会い」式のお題は、どうしても億劫になってしまう。これまで、を見つめなおす良い機会ではあるのだが。昨日付けで定額給付金が振り込まれていた。残高がマイナスのような預貯金なので、何に使うと言うよりもマイナスの補填に消えてゆくのだろう。
2020年06月12日
終日、梅雨らしく蒸し暑かった。六月から最寄り駅の駅ビルの短縮されていた営業時間が元通りになり、午後六時閉店ではなくなったため、ちょっとした買い物ができるようになったのでありがたい。とんかつを買って帰った。そして今しがた、部屋に小さな蜘蛛が出た。蠅などを捕獲してくれるとは分っていながらも、見つけた場合は捕っている。ティッシュで「さっ」とやろうとしたのだが、異常に動きが素早く、逃げられてしまった。部屋が暑かったためか、身のこなしがひと月くらい前と比べ、飛躍的に素早くなっている。スパイダ―マンよろしく、糸を使ったアクロバティックな動きで机の脇の暗がりに入ってしまった。
2020年06月11日
九州北部から東北南部まで、今日、列島広く梅雨入りした。都内は午後から天気が崩れ、夕方は一時土砂降りであった。巷の紫陽花もだいぶ色づいてきたので、本格的な雨の時期に入ったようである。ぐったりと疲れが抜けないのも、この気候と関係があるのだろう。俳句関係はひと段落で、しばらく選句や句会の予定はない。朝日文庫の「現代俳句の世界」をぱらぱらめくっていると、「森澄雄集」の序文を島尾敏雄が書いており、小さな発見に小さく驚いた。九州帝国大学時代の同級生との由。
2020年06月10日
じりじりとした日差しの真夏日であった。朝、水やりをしていると花壇に植えてあるサルビアがずいぶんと弱っていた。花の赤みが失せ、ほろほろと散っている。土の栄養が足りないか、水が十分でないか。おそらくその両方のような気がする。明朝、少し切り戻してみようと思う。その脇のおそらく秋桜らしき茎は、近頃になってぐんぐん伸びてきた。植物も日々一進一退である。なんだかご隠居の日記のような内容になってしまった。しかし、そこに小さな感動があったので、書かずに居れない。あの鮮やかさ、には目が覚める思いがした。サルビアの脇にはパンジーが植えてあり、パンジーの白い花に黒い毛足の長い毛虫がよじ登ろうとしていた。その体はほぼ漆黒だが、地肌の部分に橙色の一閃があった。白い花の上に乗った毛虫の波打つ毛並み、その色の鮮やかさ。あの造形の神秘をどう表現すればよいか。まぁ気持ち悪いのだが、魅力的である。
2020年06月09日
所用でほぼ終日病院。新型コロナの影響で、人数制限や入口にはサーモグラフィがあったりと、厳戒態勢であった。いままでも感染症対策は各医療機関で為されていたであろうが、2020年春のコロナ以前以降で、間違いなく意識が変わっている。病院には中庭があって、今の時期は青葉や紫陽花が見ごろであった。澄んだ窓硝子越しに瑞々しい緑を眺めつつ、売店で買ったカツサンドで昼食。しかし、ベンチには間隔を開けるように張り紙がしてあったり、中庭に続く入口や窓は「封鎖」の張り紙、どこも張り紙だらけ。致し方ないが、人より張り紙の方が多い。涼しい病院を後にして、気温三十度越えの真夏日の街へ帰ってきた。
2020年06月08日
雲多く、終日、じめりとした暑さが続く。最近、Wifiの完備されているカフェなどで、モバイルPCの画面に向かって、一生懸命話しかけている人を良く見かける。オンラインでの打ち合わせなのだろう。桜の頃より前は、見られなかった光景である。夜、来週末の句会のもろもろの算段をして、滞っていたインタビュー形式の原稿に手を付けるが、またすぐに滞る。
2020年06月07日
朝は夏らしく曇っていたが、日が高くなるにつれ快晴になった。外に出ると汗ばむほどであったが、からっとして心地よかった。何をするでもない一日であったが、シャワーを浴びて夕風に吹かれつつ飲む麦酒は格別であった。アテは味噌を付けたきゅうり。心の疲弊はいかにして癒せばよいか、それを考えつつまた缶麦酒を注ぐ。担当の選句、同人誌の作品入稿を済ませる。
2020年06月06日
緊急事態宣言が解除されたが、まだ各地では人が大勢集まるイベントなどご法度となっている。夏祭り関連、花火大会関連はことごとく中止になり、いささか寂しい夏になりそうである。ちょうどいま、蛍の時期を迎えようとしているが、各地の自然公園では蛍狩りイベントが中止になっている。その中、俳句関連ももちろん大きな句会関係など、ことごとく中止になっている。自身も9月に開催される西の方の俳句関連の依頼があり、楽しみにしていたので、どうなることやらと気をもんでいる。俳人と会わず、俳句を作る日々が続いている。こんな時期だからこそ、初心に帰ろうと思う。そう書くのはたやすいが、果たしてそれができるか。現在、真夜中だが激しい雷雨が窓硝子を叩いている。
2020年06月05日
今週は、昼飯に日高屋によく行っていた。その前は吉野家など、「屋」とか「家」のつくところにどうも足が向いてしまう。つまりは芸がないのである。しかし、そんな店も嫌いではない。近頃はどこへ行くにもだれと会うにもマスクをつけているので、平気だろうとタカをくくって、においなど気にせずW餃子定食などを平然と食べている。今日も日高屋で餃子などつまんでいたら、斜向かいの席の三十路がらみの営業と思しき男女が来て着席した。少し経って運ばれてきたのは、餃子と麦酒ジョッキである。ぐいぐい麦酒を空けていく二人に、平日の昼日中から呑めるとは、どんな仕事なのだろうと興味がわいた。よれよれの服を着ている私とは対照的に、スーツ姿の洗練された容姿である。そんな光景を見ていて、先日、堀澤さんが4417声の「雰囲気」を思い出した。該作の中に、「例えば、なぜ高崎には昼飲みの飲食店が根づいていかないかの理由も同じだろう。きっと、雰囲気だ。」という一節がある。都内の繁華街には高崎の雰囲気とは逆に、とくに夏場などは昼から呑める雰囲気が根づいている。物見遊山の観光客なども多いためであろう。緊急事態宣言の発令で、そんな雰囲気も絶えていたが、徐々にその雰囲気が戻ってきているようである。二人が二杯目のハイボールを注文している姿を横目に、店を後にした。
2020年06月04日
曇天ながら蒸し暑い一日だった。五月に入稿した俳句の雑誌関係のゲラが、今週一挙に返ってきた。重なる時は重なるものだが、どれも短文なので、さほど労はなかった。それよりも、修正点を見つけるたびに自身の確認能力の無さに、我ながらあきれてしまった。今年から担当する会報誌の選句を終えた。よく練られた句に接すると、気が引き締まる思いがする。刀に向き合ったときにような鋭角な感覚。「真剣」という言葉はよくできていると思った。対象に真剣に向き合っている作品は光る。
2020年06月03日
入梅前であるが、終日、曇ったり晴れたり。夕方に飯田橋駅付近を歩いていると、前方にパトカー数台の赤色灯が回っていた。近くまで来ると、どうやら事故で、警官の奥にレッカー車に載るひしゃげたバイクが見えた。それよりも、交差点にはペンキ缶を倒したように血が残っており、そちらの方に気が取られた。用事を終えた帰り道、先ほどの事故現場を通ると、まだ黄色い規制線が張られており、警官がところどころに居たが、レッカー車などはなく、パトカーの数もだいぶ減っていた。交差点に目を向けると、若い警官が柄の長い箒で、ざりっざりっと血を掃いていた。洗剤のようなものを入れたのか、掃くたびに泡立っていた。彼はうつむき加減で、めんどくさそうに手を動かしていた。まるで、一人でプール掃除をやらされている学生のように。
2020年06月02日
東京都で新型コロナウイルスの新規感染が新たに34人確認されたとの発表があり、感染の第二波への危機感が強まっている。今朝のテレビニュースではリーマンショック時よりもさらに厳しい経済情勢になるなんて涼し気な顔で言っており、いささか滅入った。ネット句会の選句を終え、募集句の選句に取り掛かる。
2020年06月01日
今日から水無月。担当は(ぬ)です。そして、県をまたぐ移動の自粛要請がようやく解除された、東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、北海道を除いて。つまり、私はまだ自粛が要請されていることになる。しかしながら、今朝からは爆発的に人出が増えた。通勤時間帯はバスも列車も密であった。苦しいくらいの「密」である。今月の19日以降は往来の制約がなくなるとのお達しだが、それまで持ちこたえることができるのか、不安になるほど。入梅前の明るい季節だが、人々の顔は暗い。そう見えるのは私の心が暗いからだろうか。
2020年05月31日
5月も今日で終わり。5月はあっという間に過ぎていきました。今の状況に慣れてきたのだろうけれど、変化する日々にやるべきことが噛み合っていかなければ落ち着かない。運良くコロナの速度が落ちてきて、こっちの達成度がそこに追いついてきたのだと思う。外の状況にこちらの行動が噛み合うことが増えれば、1日を予測して過ごすことができる。予測して過ごすことができると、時間は短く感じられる。4月は長かった。日々変わる出来事が初めての出来事ばかりで。まったく対応できている感覚を持てなかった。6月はどうなるのか?このまま引き続き、慣れてきたと感じられるのか?