日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

2319声 14才の君へ

2015年02月14日

14才。登校し、まあ下駄箱とか机のなかとかは漫画だよねと独り言を言い、休み時間にはそっけない顔で全方位に聞き耳を立て、授業が終わり、用もないのにクラスに残って同じ境遇の男子とテレビの話をし、廊下、下駄箱、校門付近ではスピードを緩め、帰宅し、母に板チョコを渡され、あぁと受けとり、夕飯後に自分の部屋、 今から呼び出しとかあったら・・・と独り妄想し、 板チョコをかじって、歯を磨き、風呂に入って瞼を閉じる。2月14日。

 

それでも大人になれた。だからあなたも生き抜いて。

2318声 らーめん馬鹿一代

2015年02月13日

学生時代、神奈川に越して一番にしたことは、
らーめん激戦区である相模原のらーめんマップを
作ることだった。らーめん好きを豪語する僕である。

 

僕が住む中之条町に「らーめんダイニング庵」という店
がある。ちょっと先のガソリンスタンドの店員だったにも
関わらず、らーめん好きが行き過ぎて、ちょっとへんぴな
場所なのにらーめん屋を初めてしまった角田さんの店だ。

 

ここの塩らーめんがうまい。開店当時の一杯目はスープが
ぬるくていらぬ心配もしたが、月を追うごとに勉強と味の変更を重ね、

個人的には群馬県でもトップレベルだと思う。

 

そんな角田さんが、全国規模のらーめんコンテストの
本戦に出場することとなった。テーマは「出汁」。
この店のファンの知人に誘っていただき、本戦で出す
らーめんの試食会におよばれした。驚いたことに、
前橋高崎はもちろん、県外からもらーめん好きが来ていた。

 

今回のためだけの「ホンビノス貝香る塩らーめん」を
いただく。はまぐりより小ぶりなこの貝は、たいした
価値もつかず注目されないが、いい出汁が出るのだそうだ。
貝の出汁と、いつもの鳥出汁がせめぎ合い、調和する。
うまいなーうまいなーと最後まで飲み干した。

 

「まだ調整が効くんで、ズバズバ言ってください」
と角田さん。すると出るわ出るわ皆さんから、
「チー油が強すぎる。というかいらないかも」
「らーめんの顔が貧相。貝の数をもっと増やした方がいい」
「貝を蒸す時の酒の味が邪魔をしている」
「麺はもっと固めに上げて、個性を出してもいいのでは」
・・・角田さんはそれを、嬉しそうに聞いている。

 

レンゲをわなわなさせ、僕は自分に対し思った。
何がらーめん好きだ・・・井の中の蛙ではないか。
やっぱ一日一食はらーめん食べないとな!仕方ないな!

 

・・・そういう馬鹿は置いといて、
角田さんにはらーめん馬鹿一代を貫いて欲しい。

2317声 笑い袋とブーブークッション

2015年02月12日

家の中から、ケタケタケタとものすごい
子どもの声が聞こえてきた。
壁越しにこの音量とは、よほどの笑いだ。
笑い袋の声みたいだな、と思った。

 

自分が笑い袋くらいの大笑いをした最後は
いつだったかと考えたけど、浮かばなかった。
たまにはyoutubeでお笑いも見るし、
友達と楽しく飯を囲むこともある。
けれど、ケタケタケタとは笑えていない。

 

最近、物事を詰め込みすぎで、
自ら進んでアップアップになっている。
そういう時期なのだと開き直ってはいる。
そういう生活は、笑いを遠ざけるのではないか。

 

ブーブークッションは、中に隙間がないと音はしない。
座って、ブーッってなって、やられたって人だって、
心の余裕がなければ怒る。その場に笑いは起きない。

 

あなたは今でも、ケタケタケタと笑えますか?

2316声 忍者の墓

2015年02月11日

いざ参らん、忍者アドベンチャー!

 

5月17日、中之条町にて「中之条真田忍者ウォーク」というイベントが開催される。そのチラシとポスターのデザインを担当した。その際ふと思いついたキャッチコピーがこれである。

 

三谷幸喜脚本の大河ドラマ「真田丸」を前にして、真田の歴史残る吾妻や沼田等では真田ブームがきている、らしい。僕もスタッフとして加わり昨年開催された東吾妻町「岩櫃城 忍びの乱」もしかり、この忍者ウォークもそれに乗っかる形ではあるのだろう。

 

道の駅にもなっている、中之条町にそびえる嵩山(たけやま)には室町時代、嵩山城という城があり、斎藤氏が治めていた。そこに南西から攻め入り打ち破ったのが真田の軍勢。また、山のふもとの五反田という地区には、真田幸村にもつかえたというこの土地出身の忍者の墓も現存している。

 

忍者ウォークは、その歴史にちなみ、花の駅美野原から嵩山までの往復の道9キロを、手裏剣投げや俵かつぎなどの難関を潜り抜けながら歩ききろう、というまさに忍者アドベンチャーなイベント。出場者みな「忍者コスプレ」が参加条件というぶっとび感も楽しい。みんな参加してね!

 

五反田にある真田忍者、田村佐次右衛門の墓は、細い山道の先にあった。いわゆる羊羹のような墓石ではなく、腰の高さほどの石を立て文字を掘った佐次右衛門の墓石は妙な説得力を帯びていて、付近には藁で作った紙垂のようなものが点在していた。

 

ちょっと寒気がしたので、木の幹がぺらっと剥がれて現われし忍者の手裏剣が僕のおでこにサクッと刺さるその前に、墓を後にした。

 

中之条真田忍者ウォーク

2315声 光と影

2015年02月10日

写真は奥が深い。
ビデオカメラによる撮影は20才のころからだけど、
カメラについては、もっと覚えよう・・のまま今に至る。

 

若い頃は、自分で写真がうまいと思っていた。
露出、シャッタースピードはオートである。
構図とタイミングだけで、いい線いってる気がしていた。
・・・茶番である。

 

「写真の醍醐味は、光と影を捉えることにある」
そう思うようになったのは、いつからだったろうか。
やはり写真も、映画から入った気がする。

 

佐藤真作『self and others』の牛腸茂雄が映す、
この世とあの世の境界のようなモノクロの世界。
是枝裕和作『誰も知らない』で川内倫子が映す、
白とびしているようで生々しく美しい世界。

 

人間の目は、暗くても明るくてもある程度見えてしまう。
限りなく優秀なオート機能がついているのだ。
だけど、ただの機械であるカメラが対象を捉える時、
肉眼では気づかない光や影を纏った世界を映すことがある。
その一瞬に、シャッターを合わせられるか、否か。

 

今日、障害をもった方とスタッフが共に力を合わせ、
パンを作っている工房を訪ねた。パンフレットを作るためだ。
写真を担当してもらったのは、近年知り合った上原さん。
彼女は、光や影と仲良くできる方のフォトグラファー。

 

上がってきた食パンの写真を見て、
あの時あの場所にはこんな光が射していたのかと感心する。
写真は奥が深い。

2314声 雪かき

2015年02月09日

一年前の今日は、前橋に大雪が降っていた。
中央商店街でミニドラマの撮影をしていて、
すってんころりんカメラがグシャ、
にならないようにとビクビクしたのを覚えている。

 

その1週間後には、記憶に新しい大豪雪。
玄関開けたら胸の高さまで雪が積もっていて、
雪の中から車を出すだけでも2日かかった。

 

僕が暮らす町内班は、誰かのうちで不幸があれば
皆で行ってお通夜の手伝いをするほどの仲なのだが、
小さな道一本先のアパートの住民のことはほぼ知らない。
朝会っても挨拶をかわす程度。

 

あの2月の豪雪時は、どの地域もそうだったと思うが、
僕の家の周りでも住民一丸となっての除雪が行われた。
何本ものスコップで雪を角田さんちの軽トラに積み、
先の畑にその雪を下すの繰り返し。
カチカチになった路面は、誰かが鶴嘴を持ってきて砕く。
途中ちょっと交代したが、キツイ作業。

 

そんな中、慣れた手つきで雪を捌くおじさんがいる。
トツーン、トツーンと鶴嘴使いも上手い。

 

「俺、実家は青森なんだよ。慣れたもんさ」

 

とおじさんは言った。アパートに住む人のようだった。
顔を見るのも初めてな気がしたし、そもそもすぐ近所に
そんな人がいることを知らなかった。格好良かった。

 

ある程度を済ませた皆の顔には、連帯感が生まれていた。
こういう状況になれば、人は、関わるのだと思った。

 

日が経ち月が経ち、雪は溶けてまた雪の季節になった。
青森出身のおじさんとは、それ以来会っておらず、
今もまだそこに住んでいるのかさえ、知らない。

2313声 場所に誇り

2015年02月08日

生活圏内は、中之条町と東吾妻町。
週に1度か2度は、高崎か前橋に出る。
なかなかそれ以外は足を運ばない。

 

めっかった群馬に書いているから
めっちゃ群馬愛に溢れている、ことはないけど
やはり県内で幾つか気になる場所はある。

 

館林市。

 

鶴舞う形のくちばしの所。茂林寺位しか知らない。
市内の「コト」という家具のセレクトショップで、
中之条ビエンナーレ出展作家の大和由佳さんが
2/17まで個展を行っているので、出かけてみた。

 

太田桐生ICを下りた後は、全方位が平野。
畑の中の道を行く。近くに山がないと落ち着かない。
市内に入ると、どこにでもある系列店が並ぶ。
その中にあって「コト」は、
かわいらしい佇まいでそこに建っていた。

 

そこで働く、いつもほがらかな石山さんと、
この日来ていた館林の建築家の中村さんとは、
以前他の場所で行われた大和さんの展示で出会った。
何をわかったわけではないけれど、
吾妻、前橋、高崎に住む人とは違う雰囲気がある。
市内のやや古くて見落とされそうな建物を、

写真に納めるワークショップも行っているそうで、
僕の頭の中には館林=そのお二人、と認識されている。
「コト」における大和さんの展示も素晴らしかった。

 

今日めくった本の中に、
「自分の場所に誇りを持つ人間が好きだ」
という言葉があった。リンカーンの言葉らしい。
そうか、僕はどこかへ行きたいのではなくて、
その場所を愛している人に会いに行きたいのだと思う。

 

館林へはまた、足を運ぶことになりそうだ。

2312声 鼻と口

2015年02月07日

この時期に薄い布団1枚で寝て、
ジャンパーとかを着こんだのだけれど、寒い。
寝たとおもったら小刻みに目が覚め、
薄布団の先を足で伸ばそうと思ったら、
足をつった。

 

そして迎えた奥歯震えるような朝に、
前橋の天神の湯に駆けこんだ。
ここは夜は簡易的に泊まることもできて、
朝6時からは普通料金で入湯ができる。

 

内湯である程度体の芯を温めた後で、
露天風呂に浸かる。尻を水面に浮かべ、
うつぶせの姿勢でのべーっと温まる。
頭蓋骨まで冷えた気がして、鼻の下ぎりぎりまで
湯船に浸かった。あごの周りも温かい。極楽。

 

ふと、鼻と口別々に穴があるのは素晴らしいことだなぁ。
と思った。だってこんな姿勢で湯に浸かれるのだから!
水面ギリギリで鼻をふんがふんがし興奮する僕を、
隣のおじさんが怪訝そうな顔で見ていた。

 

それをあたかも世紀の大発見的に思ってしまったのは、
脳みその芯まで冷え切っていたからかしらん。

2311声 世界

2015年02月06日

ドキュメンタリーとは、
映像表現による現実批判である。
それは、世界のあり方を批判的に
受け止めるための映像表現である。
そのためには、映像作家の主体性が
確立されなければならない

 

日本映画学校では、ドキュメンタリーを学んだ。
始めに書いたこれは、『阿賀に生きる』などの
作品で知られる故・佐藤真監督の言葉だ。

 

この頃から、「世界」という言葉が頭にあった。
文字通り、日本以外も含めた世界中というよりも、
我を取り巻く環境、自分以外の全て、という解釈だった。

 

映像には、撮る人の意思以外に、ありのままの景色や
ありのままの人が映るから、撮影者の意図を越えた
ざらっとしたものが映ることがある。
そのざらっとしたものを削り、単純化させるではなく、
複雑な世界をより多面的に映像として残したい・・・
佐藤監督の思考はより深くまで下りていくのだけれど、
それはここには書かないとして。

 

僕は多分我が強く、ほおっておくと一人の世界に
入りがちだから時々、「世界を意識しないとね」、
と自分に言い聞かせる。見落としている9割は何だ?と。

 

「弱さ」「力の源」ときて、今月は「世界」について。
と言っても、海の向こうの国の話はひとつもなくて、
極めてちいさなちいさな「世界」についての話である。

それは多分、いつも通りの投稿ということだ(笑)。

2310声 人ごみ

2015年02月05日

列をなし手をすり合うは福袋

 

早朝の高崎。吾妻線は終電が早いため、
車で高崎まで行き、駅へ向かう正月二日。
高島屋の前は、福袋を求める人の列。

 

2305声に抜井さんも書いていたが、
この日、抜井さん堀澤さん鈴木さんと共に
俳句ingの旅に出た。今年は大塚・池袋方面。

 

初めて立ち寄った池袋演芸場では噺家さんが、
「昔は正月なんてこのあたり誰も歩いてないが
今は正月からたくさんの人が歩いてらあね」
みたいなことを言っていた。

 

確かに多くの人が行き交う東京ではあるが、
だれかれもどことなくのんびりとしていて、
ほろ酔い気分でその中の一員になることで
正月がじんわりと身体に染み込むようだった。

 

親子連れ歩調合いたるお正月

 

自分とばかり向き合う日が続くと、
人ごみの中に紛れることで癒される事がある。

2309声 平和

2015年02月04日

部屋で一人。プッと放屁して、

「わー臭いな、いつもより臭いな」

と喜んでいるうちは、世界は平和。

2308声 女のいない男たち

2015年02月03日

村上春樹の新刊を読んだ。

 

妻に先立たれた俳優、宿命的な彼女との別れを選んだ男、

裕福な暮らしをし深い恋に落ち敗れ衰弱しきって死んだ男、など

まさに「女のいない男たち」の短編集であり、

男と女は、容姿や性欲や損得や建前などよりもっと深い、

人生を揺るがすものとしての関係である、と言わんばかりの小説だった。

 

やれやれ・・・僕は今までそんな、人生を揺るがすほどの恋愛

とは遠い生き方をしてきたけれど、ふと思い出したことがあった。

学生が終わってわりとすぐの頃、女の子を映画に誘った。

2人できちんと会うのは初めてだった。不忍の池のあたりだったかな。

彼女は、「友達に借りてきたの」とネックレスをしていた。

「映画さ、昔の映画なんだけどすごくいいんだ。『道』って言って」と僕。

僕はとても緊張していて、特集上映の古い映画を観て、歩いて、別れた。

その後は自分の引っ越しだのなんだので、会うこともなく、

その、ただ一度東京を歩いた、というだけで、終わった。

 

今ふと思うのは、映画のことなんか二の次にして、

その日のために友人に借りてまでしてくれたネックレスのことを、

一度でも褒めれば良かったな、という事。見た目じゃなくて、気持ちをね。

・・・まあ、昔のそんな事を気にする男は、往々にしてもてない男であり、

人生を揺るがすどころか、木々の葉も揺れないようなか弱い話だけど。

馬鹿なんだろうね、いくつになっても。

2307声 朝のリレー

2015年02月02日

大道の老人が 蚕の夢を見ている時
伊勢町のお母さんは 子供のお弁当を作る
西中之条の学生が 朝ランを終える時
美野原の牛は モーッと湯気を上げる
赤岩のおじさんが コーヒーをすする時
入山の蕎麦屋は ざくっと蕎麦に手を入れる
僕らは朝をリレーするのだ 緯度から緯度へと
そうしていわば交代で 中之条を守る
眠る前のひととき 耳をすますと
六合の山奥で きりんという名のヤギが鳴いている
それはあなたの送った朝を
誰かがあんじゃねーと受け止めた 証拠なのだ

 

高崎市も倉渕を越えて軽井沢の一歩前まで広がり
東西の幅がどーんと広いけれど、
僕が住む中之条町も六合との合併により、
広さを感じる町になった。暮坂峠を越えると、
文化が違うんじゃないかとさえ思う。

 

大字ってやつは面白くて、
中之条町には赤坂も青山も五反田もあり、

「小雨」という情緒感じる土地名もある。

 

夜明けすぐ、東から西へ車を走らせていて
浮かんだのがこの詩であった。無論、盗作。

2306声 ターニングポイント

2015年02月01日

2015年2月1日の朝は、ひどく不穏なニュースで始まった。彼岸の火事と高をくくっていた「戦争」の二文字は今後、僕たちにも歩み寄ってくるのだろうか。背中がじりじりした。

 

これは今起こったことではなく、1991年の湾岸戦争が原因という人もいる。遡ればもっと前の、ある日誰かの行動が、今を創っているのだと思う。

 

「自分にとってのターニングポイントはいつだったのか?」

 

中之条町のtsumuji。今に続く友人、尊敬できる人に会った日々か、

いい年して無職。日課の犬の散歩中に、映画の撮影隊を見た瞬間か、

学校の図書館。映画『カッコーの巣の上で』で号泣した20歳の時か、

 

案外、小学6年生。卒業文集を開き、田中の思い出欄の中に「3年生の時は、先生が岡安くんをひいきして問題になりました」という一文を目にした瞬間なのではないかと思ったりもする。背中がじりじりするのがわかった。今思えば気にすることでもないが、小学6年の僕にとっては「身の周りには僕に敵意をもつ人もいて、その人によってクラス皆の僕への態度が変わるかもしれない」という恐怖だった。大げさに言えば「はじめて、自分以外の“世界”を意識するようになった瞬間」だったのかもしれない。

 

その解決策は単純なことだった。二十歳を越えるまでという長い時間がかかったが、田中と心の底からの友人になったのだ。「なんでそんなことをするんだ?」とわからないからの恐怖であり、本人を知れば、その恐怖は消えていった。

 

今朝、報道番組に映画監督の是枝裕和氏が出ていて、「報道や皆の意識として、人質を殺害した彼らは理解不能な悪だ、と決めつけ思考停止に陥るのは良くない。同じ人間として知ろうとすることをやめてはいけない」というようなことを言っていた。

 

今日は、いつかのターニングポイントになる。

その先が、少しでも明るい方向へ向かう事を願ってやまない。

2305声 鯨の刺身

2015年01月31日

明日からは二月、書き手は私から岡安氏に交代となる。
正月二日に開催した俳句ingの行程にて、池袋演芸場へ入場する手前で、
付近の赤提灯へ寄った。
生麦酒中ジョッキを片手に、各々、壁に貼られたメニューを注文して行くのだが、
岡安氏が「鯨の刺身」を選んだことを、一行目を書いた、今、思い出した。
私などはどうもそのあたりのセンスに乏しく、青年時分から今まで、
どんな酒場へ行っても、同じものを注文してしまう。
から揚げだとか、トマトスライスだとか、その手の王道から逸れない。
結果、その店の鯨の刺身はたっぷりとしたおろしにんにくとの愛称が良く、
とても美味しかった。
小さな感動をかみ締めつつ、麦酒を流し込んだのだが、普段の私ならばその扉、
つまり未知の扉を開ける好奇心を押し殺していたに違いない。
さて、鯨の棲家からは遠く、群馬県中之条町から岡安氏の登場である。

2304声 雪山

2015年01月30日

朝から雪であった。
私の住んでいるのは千葉県市川市と言うところで、
東京都に江戸川を挟んで隣接する都市である。
最寄駅から乗車する際には薄っすらと降り積もっていた雪も、
列車が東京都に差し掛かる頃には霙になっていた。
このあたりは山など無く、土地も出水になるくらい低いのだが、
川を挟んで、気温の差が幾分かあるようである。
もっとも、こちらで「山」と言えば、
山頂に神社などある小高い丘を差す場合が多い。
そうすると私は、随分と山の方に住んでいることになる。

2303声 待雪

2015年01月29日

雪。

降るなと、口に出す言葉。

降れと、口に出さぬ言葉。

ふたつ自分の中に、ある。

2302声 魚眼

2015年01月28日

鯉と目が合う。
鯉の側はこちらの目を見ているわけではないのだろうが、
そう言う感覚になる時がある。
冬の間はじっとしてあまり動かない鯉も、小春日などは、
随分と活発に動く。
しかし、小春の鯉と早春の鯉とでは、あきらかに違うのである。
その動きと言うよりも、目に精気が宿るとでも言うのか。
眼光が、たしかに違う。