世間は夏休みに入ったので、通勤の電車などは空いている。
と言うのも、路線によりけりで、観光地など停車駅に有している路線では、
朝から子供たちでごった返している。
この時期は、週末ともなれば祭囃子や花火の音が聞こえるので、
なんだか心がを保てず、そわそわしきりである。
2014年07月22日
世間は夏休みに入ったので、通勤の電車などは空いている。
と言うのも、路線によりけりで、観光地など停車駅に有している路線では、
朝から子供たちでごった返している。
この時期は、週末ともなれば祭囃子や花火の音が聞こえるので、
なんだか心がを保てず、そわそわしきりである。
2014年07月21日
昨晩の大雨が合図だったのか、 朝刊には関東地方は梅雨明けしたと出ていた。
榛名湖は随分と涼しく、朝霧の中にゆうすげの黄が浮かんでいた。
しかし、高崎へ降りると蝉のさんざめく炎天で、 途端に盛夏になってしまった。
夕方には千葉へ帰宅し、麦酒を冷やした。
2014年07月20日
夕方から伊香保温泉へ。
三連休の中日と言うこともあり、 石段は観光温泉地らしい賑わいがあった。
射的や土産など、四五年前より新しい店が随分増えていた。
旅館の人たちはハワイアンフェスティバルだとかで、 みなアロハシャツを着ていた。
伊香保神社から望む連山には夏霧が濃く、 時折、夕方の薄日を零していた。
夕方には雷雨があり、朝方まで雨が残っていた。
2014年07月19日
所要で高崎へ帰省。
白々とした風に広々とした青田が美しかった。
夕方からは局地的に大雨で、高崎も例外なくさっと雨雲が通過した。
隣町の花火大会の開催を案じながら、中央銀座を通ったら、
かすかに祭り太鼓の音が聞こえた。
高崎祭りの練習だろうか。
2014年07月18日
日頃からお世話になっている、俳句の先生の還暦祝いがこのあと赤坂である。
俳人の句境は単に年齢と比較できないが、ライフロールと言うか、 人生の四季の中で、
いよいよ落ち着いて物事に向うことのできる季節ではなかろうか。
俳人の集う祝いの席だと、かなり高い確率で句会ないしは、 祝句など書かねばならぬ状況になる。
それもまた、この短詩を愛好する者として、醍醐味のひとつである。
2014年07月17日
都会の街並みは綺麗である。
昨日、夕方の東京駅前に警官が数人しゃがんでいた。
その中に中年のやせた男性が横たわっていた。
鮮血、とまではいかないが頭部から顔面に至るまで、 べったりと血がついていた。
その一角を避けて、丸の内の雑踏は整然と絶え間なく流れてゆく。
程なくして救急車が来たようだったが、駅の中へ入ってしまったので、
その後はどうなったのか分からない。
都会は街並みは綺麗である。
2014年07月16日
花火でまとまった俳句の連作を作ってみたい。
とは、ここ二三年考えているが、どうにも数が揃わない。
花火大会の始まりと終わりと言うのでは、あまりにも定石すぎるし、
そんなことでは、類句類想の山を登るようなものである。
つまり、花火や蛍などは似たような過去の句が山積みになっている題材なので、
よほど気の利いた感覚を持っていないと、作れない。
作れないと言うのはもちろん、新鮮な作品を、である。
七月中旬の今週末を皮切りに、花火大会が各地で開催される。
群馬県の方では、まず玉村の花火大会がある。
周りが田んぼなので、とても見やすいし、個人的には都内の花火よりも、
田舎の花火のほうが好みである。
私の場合、観に行ったは良いものの始まる前に飲み過ぎてしまうことの方が、
俳句ができないことよりもこわい。
2014年07月15日
岡安さんと会う時は、大方は久しぶりなので、 毎回、「最近観た映画」を聞くことにしている。
前回聞いたのは、正月二日の吟行をしている時。
酔眼朦朧としつつ聞いたので間違っていたら恐ろしいが、聞いた中の一つに、
「パシフィックリム」があった気がする。
そんなことをふと思い出したので、先日、レンタルで観た。
ハリウッドが作ったロボット映画で、敵は怪獣(カイジュウと言う呼称の敵)である。
それ以上の内容は、人口に膾炙しているので、留めておく。
やりたいことをやっている作品と言うものに、魅かれる。
私が男だからか、ひねくれているからは分からぬが、 何にしてもそうである。
打算的に作られたいわゆる大作よりも、 作者の実感の伝わる作品のほうが、
作品の価値が大きい気がする。
岡安さんに、「最近の映画」を聞く機会が最近はないので、
この日刊「鶴のひとこえ」にそれを見つけるときが、ひそかな楽しみである。
2014年07月12日
吟行。
炎天の新宿御苑である。
草いきれの芝生の上で、レジャーシートを引いて談笑している、 大学生風の若者が多く居た。
その脇を句帳を持ってうろうろしていると、 不審人物と見なされかねないので、
離れの売店に腰掛け、氷菓をなめていた。
どうも心身とも暑さに慣れていないためか、 自身の俳句も精彩を欠いたものばかりだった。
吟行を終えた午後からは、定例の句会。
火事場の馬鹿力ではないが、過酷なる環境下では佳句が生まれるらしく、
私以外の面々の句にはみな、精彩があった。
2014年07月11日
今日の未明、台風8号がゆっくりとしかし甚大な爪痕をのこし関東地方を抜けて行った。
午後からは 台風一過で、晴れたが梅雨の晴れ間でくすんだような空の青であった。
こんなおそろしい台風の時でも、俳句を考えている人がいると思うと、
不謹慎だとは思いつつも親近感がわく。
2014年07月10日
一位らしいと言うことを知ったのはいつだったか忘れたが、
土地の醤油屋で醤油を買っていたときのような気もする。
千葉県は醤油の生産業者数が日本一位で、大手の工場もあるため、
生産高も一位のまさに醤油大国なのである。
たしかに、気の利いたコンビニなどでは土地の醤油つまり地醤油が、
陳列してある光景をよく見かける。
家の冷蔵庫にも3本ほど地醤油が入っているので、
味の紹介などできればよいのだか、味覚に自信がないため、自粛しておく。
九州や山陰へ行った時は、醤油が甘かったので驚いたが、
ここ千葉県は、群馬県と同じで濃口の辛いを好む人が多い風土だと感じている。
2014年07月09日
やはり多い。 そう感じるのは、都内のすし屋の数である。
ここで言うのは、大型チェーン店の回転するすしではなく、 その土地で暖簾を継いでいるお店である。
統計局の2011年の統計を見ると、人口10万人当たりのすし店数は山梨県が全国一位で、 東京都は三位。
やはり多いことには変わりないのだが、都内のすし屋の業務形態はバラエティに富んでいると感じる。
店舗型でもカウンターだけのお店や、回転レーンが一つだけのうなぎの寝床のような小さなお店。
宅配すしはピザ屋の如く活躍しているし、回転すし兼居酒屋と言うようなお店まで様々。
極めつけは、最近増えてきた立ち食いスタイルのお店である。
もっとも、江戸の時分の庶民が食べるすしは、屋台の立ち食いスタイルが一般的だったらしい。
先祖がえりしているこの傾向に拍車がかかり、都内ですし屋台なんてのも見られる日が来るだろうか。
屋台のすしで思い出すのは、志賀直哉の「小僧の神様」である。
屋台のすし屋のカウンターで、値段を聞いた小僧がそのまま食べずにそのすしを置いて帰ってしまう。
と言うあの冒頭の描写は、やはり「屋台」であるから活きるのだと、とりとめもなくそんなことを。
2014年07月08日
梅雨空の気圧の関係なのか、生活習慣なのか分からぬが、 四、五日前から頭痛が続いている。
それを押して、昨夜は生ビールを少なからず量、飲んでしまった。
今日の体調は、いささか覚悟していたものの、 予想に反して頭痛がすっきりと消え、倦怠感が残るのみであった。
梅雨の晴れ間の気圧の関係なのか、睡眠時間を多めにとったからなのか。
何が作用したのかは分からぬが、年に数回だがこう言う付き合いかたが、 できることがある。
2014年07月06日
江戸。
東京、というよりもやはり、「江戸」と表記する方がしっくりとくる。
東京での句会は多分に、この江戸風味と言うか所謂、俳諧的と言うか、
そう言う俳句出会う機会が多い。
極めて土臭いと言うか、素朴な作品しか作れぬ自分の句は、
江戸風味を趣向する人たちにとっては、なんとも人気がない。
「けっ」と思う反面、それが美を感じるまでに結晶された句に、
例えば渡辺水巴の句に見られるような、江戸ポエジーに出会うと、
瞬時に魅了されてしまう。
比べて、なんとも自分の句が間抜けに見えてくる。
しかしながら、そんなことは大した問題ではないのである。
上手に俳句を作っている俳人は、ごまんといる。
信念をもって俳句を作っている俳人は、ほんのひと握りではなかろうか。
無論、後者の俳人がいるから、そしてそう言う俳人の作品に魅了されるからこそ、
自分も続けている。
2014年07月05日
門前仲町。
耳にしたとこはあったが、今日、初めて降り立った。
俳句の用事だったので、朝から梅雨空の下、
駅前の参道や富岡八幡宮を付近を吟行した。
八幡宮へは、お宮参りに訪れる若夫婦が多く、
赤児を包んだおくるみの白が、夏の木々の中に映えていた。
句会の成績は芳しくなかったが、結社の句会の緊張を感じ、
結社にも入らずふらふらとしている身には、少なからず喝が入った。
二次会は駅前の「富水」と言うお店で句会となったが、
魚が抜き差しならぬくらい美味しかった。
ちなみに、このお店の生中は「琥珀ヱビス」なのである。
それだけでも、まさにこの土地の粋を体現している。
毎年恒例の新春俳句ingに、もってこいのお店かと思う。