日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

1315声 現代の粋

2011年08月07日

最後のチケットを切り終えると、会場から、早くも笑い声。
どうやら、前座さんが登場し、会場を沸かせている模様。
急いで、集計を済ませ、ホール脇からこそこそと自分の席へ潜り込んだ。

昨日、前橋テルサホールで、「第三回若手落語家選手権」が開催された。
出演は、古今亭菊六さん、三遊亭時松さん、三笑亭夢吉さん、
立川志の春さん、三遊亭鳳笑さんの五名。
観覧客からの投票でグランプリが決定すると言う、
観覧客参加型のホール寄席なのである。

接戦かつ激戦の結果、優勝は古今亭菊六さん。
準優勝は三笑亭夢吉さんと、相成った。
全員二つ目さんだが、恐るべき才能の煌めきを感じさせられた。
二つ目さん、と言うと、およそ三十代前後から三十代後半の方が多い。
ほぼ、自分と同世代。
しかしそこは、芸の道に生きる身。
その言葉、挙措のひとつひとつから、所謂人間的な「深み」を、体感させられた。

「心折れますよ」
その言葉が印象残っている。
「高座にいると、お客さんが良く見える。寝てるとか欠伸したとか、頭を掻いたとか、
そんな些細な事で、はじめのうちは、心折れる。五年、いや十年はかかるでしょうな、
まず心が折れなくなるまでに」
ビールジョッキを握りながら、その落語家さんはふと、真剣な顔になって、話してくれた。
その後は、ジョッキを飲み干して、清々しく破顔一笑。
さらりと言えるところが、粋だよな。

【天候】
日中、晴れて真夏日。
夕立が夜半まで降り続いた。

1314声 都市生活者と祭り

2011年08月06日

祭半纏の衆が引っ張って行く、華やかな山車が運行している中央銀座を通って、
俳句仲間のお店へ。
去年の高崎まつりは雨降りだったので、少しくらい曇っていても、
今年は天気に恵まれたと言うべきであろう。
人づてに聞いていたように、今年はやはり露店の数が少ない。
店内で浴衣を試着させてもらったり、ひとしきり雑談した後、
展示してあった木工作家吉沢さん製作の、ぐい飲みをひとつ買ってきた。
杉の木に紅い漆が塗られており、とても綺麗である。
今後、漆の色の経年変化が楽しみである。

友人知人のお店などを回って、帰路に着いた。
「焼き茄子みるくブルーベリーかき氷」
と言う、完全に「わるのり」な面白いかき氷を、すもの食堂で食べた。
そうやって、食を楽しみながら涼をとる。
かき氷ひとつで、「面白い」が得られるのだから、やはり、面白い。

祭りの時期になると、祭と共に生活がある、都市生活者が羨ましく思える。
郊外に住む私などは、高崎の祭りも花火も、いささか蚊帳の外に置かれている感がある。
地区の祭りはあり伝統は受け継がれているのだが、
やはり住んでいる市区町村最大規模の祭りに、参加したい気持ちはある。

いまは、夕暮時。
あと少しで夕立の来そうな厚い雲の裏に、かすかに茜色が見える。
これから、やはり郊外にある馴染みの店へ出掛け、麦酒でも飲んでこようと思う。
昨日が八木節祭りの熱狂の最中で飲んでいた酒だったので、
今日は、祭りの話を肴に、ゆっくりやるのもいいだろう。

色街に子供の遊ぶ祭りかな  (諒一)

と、こう言う光景が、郊外には無いんだ。

【天候】
終日、曇りがちなる晴れ。
夕立、ひとしきり。

1313声 八木節祭当日

2011年08月05日

ビルの上のビアガーデン。
その屋上から、夕暮の桐生の街を一望していた。
夜よりも深い色に染まって行く、山並み。
桐生競艇場の、煌々とした灯り。
駅から出てゆく、短い電車。
そして、真下に広がる街中。
目抜き通りである、本町通りでは交差点ごとに櫓を囲んで、
熱狂の八木節音頭。

高崎の仲間と合流し、屋上の夜風に吹かれつつ、麦酒で乾杯。
浴衣で立ち働く店員のお姉さんも、つまみも麦酒も、
そして、街に鳴り響いている八木節も、変わっていない。
昨年から、一年経っている事を踏まえて、そう感じた。
桐生の街に住む、お年寄りも子供も、共有している八木節は、
変わらないのであろう。

ひとしきり、飲んだところで、ビル屋上から降りて、本町五丁目の櫓へ。
踊りが、思い出せるかいささか不安だったが、15分も踊りの輪を見ていれば、
頭で考えるよりも、体が思い出した。
二時間くらいは、休み休みであるが、踊った。
仲間はみな、滝の汗。
麦酒を飲んで踊っては、また滝の汗。

いつもの事ながら、終電へ飛び乗り、帰路へと着いた。
スナックのママ、銭湯の親父さん、その他、知り合いの方々への挨拶も、
満足に出来ぬまま、電車は進む。

本町通りの人ごみの中で、偶然遭った、銭湯の親父さん。
一人で、黙々と、ゴミ拾いをしていらした。
ビニール袋に散らかされた缶ゴミを入れつつ、
縁石に腰掛けていた、金髪の青年三人に向かって言う。
「綺麗になるとさ、きもちいいだろ」
「そーっすよね」
大分酔っているらしい青年たちは、うすら笑いを浮かべつつ、
腰を上げて雑踏の流れへ向かった。
腰をかがめて黙々と、道路を歩いて行く親父さんの後姿を見ていて、
冷水を浴びせられた様に、胸に響いた。
親父さんの居る桐生の街は、素晴らしいと思った。

自分の血の中に、八木節の音頭が染み込んで行く、感覚。
その土地の湯へ浸かって、その土地の酒を飲んで、
その土地の音頭に身を委ねる。
理屈ではない、この面白味。

【天候】
終日、曇りがちなる晴れ。
各地域で、一部夕立。

1312声 八木節祭前夜

2011年08月05日

いまからもう、胸の奥底にある埋火が、チロチロと燃えている様な感がある。
明日の夜はおそらく、その火に八木節と言う音頭が放り込まれ、
業火となって燃えている。

明日の8月5日から三日間に亘って開催されるのが、「桐生八木節祭り」である。
今年で第48回を数える、伝統的な祭りであるが、その熱気は県内随一であろう。
目抜き通りの、「本町通り」に櫓を立てて、ひたすら八木節を輪になって踊る。
特に、午後7時からは、人出も熱気も最高潮に達し、まさにトランス状態となった大きな渦が、
八木節のステップを踏んでいると言う状況。
その輪の中へ、身を投ずる。
と言うのが、我が人生の一つの生きがいとなっている。

おばあちゃん、なのである、あるいはおじいちゃん、でもよい。
どこにでもいる様な、腰の曲がった人の良さそうな。
そのお年寄りが、祭りの半被にねじり鉢巻きをして、
覚束ない足取りで、撥を懐に、櫓に上がって来る。
音頭が始まると、太鼓を叩きながら調子を取って、マイクに向かって謡う。
「はぁ~あ~ぁ~あぁあ~あ~」と言う謡い出しで、胸の底がざわめく。
その節廻し、声量、声質、そして、醸し出ている堂々とした雰囲気。
その全てが、私を魅了する。

【天候】
終日、曇りがちなる晴れ。

1311声 三面鏡の天瓜粉

2011年08月03日

ベビーパウダー。
日本で言えば、天瓜粉(てんかふん)がそれに当たる。
俳句では夏の季題であるが、瓜の粉と書くくらいだから、
その原料は、やはり、黄烏瓜の澱粉を用いて製造されている。

あせも防止の為に、現在でも幼児のいる家庭では欠かせない物だろう。
先日も、知人宅へ行った際、風呂から上がった赤ちゃんに、パタパタとはたいていた。
それがベビーパウダーでなく、天瓜粉だと分かったのは、あの匂いの為。

あれは、小学校一年生くらいだろうか。
夏休みには必ず、祖父母の家へ泊まりに行った。
一日、遊び疲れて夕暮。
風呂から上がると、祖母はかならず、私を風通りの良い縁側へ連れて行き、
天瓜粉をはたいてくれた。
白い粉に包まれると同時に、あの天瓜粉の乾いた花のような香りに、包まれる。
脳裏に浮かぶその映像はいつも、日暮し蝉の鳴いている、晩夏の夜である。

その祖母はいま、病院で夏を過している。
あれから二十年以上経った今も、祖母の家の仏間には、
天瓜粉の入っていた三面鏡が置いてある。
夏が過ぎても、祖母は家に戻って来れなそう。
そんなことは、万に一つも無いのだけれど。
なんだか、あの三面鏡の引出しの中には、まだ。
あの天瓜粉の缶が、入っている気がしてならない。

【天候】
終日、曇り。
高崎市では雨は降らなかったが、
隣の埼玉県ではゲリラ豪雨があったらしい。

1310声 藁蒸せば牛肉

2011年08月02日

国産牛肉が、おぼついていない。
先日、放射性セシウムを含む稲わらを食べていた牛の肉から、
基準値を上回る、放射性セシウムが検出された。
これを受けて、いま東日本を中心とする各県では、 
放射性物質の全頭検査が進められている。

私などは疎いので、牛肉の産地など気にせずに、日々の食生活を送っている。
しかし、子供のいる家庭や食の安全性に過敏な方は、相当、衝撃を受けている様子。
幼子のいる友人の家庭でも、飲料水から野菜に始まり、今度は食肉と、
日々の食事に神経をすり減らしている。
いささか気の毒に思うが、子供の方が影響を受けやすい。
と言う一般常識に基づき、実直に、親としての勤めを果たしているのである。

百鬼園先生に「「養生訓」と言う随筆がある。
その中の一説に、こんな話がある。
体調が芳しくない百鬼園先生が、かかりつけである小林博士に、
日常の養生法を申し渡される。
その中、食べてはいけないものに、好物である牛肉が入っていた。
これが面白くなかった、百鬼園先生。
「牛は冬の間は藁しか食ってゐない。牛の本質は藁である。
藁を体内に入れて蒸すと牛肉になる。」
「藁が肝臓に悪いと言ふのは可笑しい」などと、独自の理論を展開。
家庭内で、牛肉のすき焼きの事を「藁鍋」と言う事に決めてしまって、
しきりに、牛肉、いや藁を食べてしまうと言うのである。

この偏屈っぷりが、百鬼園節なのだが、先日のこのセシウム牛の報道を目にして、
案外、この百鬼園理論は的を得ているかも知れないと、思い直した。
「藁を体内に入れて蒸すと牛肉になる。」
と言う表現のまま、藁に付着していた放射性セシウムが、肉になってしまったのだから。
食の安全性について、混迷を極めている、現在。
もし百鬼園先生だったら、この状況下で、どんな偏屈な理論を打ち立てて、
牛肉を食べようとしているであろうか。

【天候】
終日、曇り。
朝晩涼しく、過ごしやすい。

1309声 詩の現場

2011年08月01日

「詩の国」
などと言う大袈裟な表現も、確信を持って使えるくらい、その実感を得ている。
先月は、自分が定例で参加している句会に、突発的な句会。
そして、ジョウモウ大学の句会と、様々な場所と状況で、俳句に親しんだ。
どの場所でも、様々な方々と、俳句を通して触れ合う事が出来た。

そこで感じたのは、「なんと、詩人予備軍の多い事か」、と言う事。
例えば、先日、ジョウモウ大学の授業の一環で行った句会。
参加してくれた方々は、概ね全員、生まれて初めて「句会」と言う形式で俳句を発表した。
「有季定型」
と言う情報だけで、実に多彩な句が揃った。
中には、無意識に、「省略」や「切れ字」などの技巧が利いている句も見られ、
眠れる「詩」の才の片鱗が見られた。
初めて季語を捉える感性が、新鮮な句を沢山生んだ。

そして、一番最近では、昨日参加した、句会。
私は初めてお会いする方の句を、特選に頂いた。
その方は、主に「投句」だけの俳句活動をされているとおっしゃっていたが、
見事な写生句を作っていらした。

群馬県内の、都市部へ行こうが、どんな山深い村へ行こうが、
そこには必ず「詩」に親しんでいる方がいる。
小さな村の広報誌にも、俳句コーナーがあったりするのが、その顕著な例である。
群馬県に留まらず、日本全国津々浦々、遠い海の島へ行っても、
必ず、その土地の「詩」があるだろう。
この状況はもはや、詩の国と言っても過言ではない。
それらの詩を、何か大きな網で掬いあげたら、素晴らしいものが獲れそう。
例えば、昭和初期にあった虚子選の「日本新名勝俳句」みたいな。
その時の応募投句数は、十万句を越えた。
様々な後日談が言われているが、今なお語り継がれている、
所謂「名句」も多数生まれた。
それからかれこれ、約80年。
詩は今尚、生まれ続けている。

【天候】
終日、曇り。
朝晩は涼しく、過ごしやすい一日。
夜には、小さく虫の音。

1308声 蓮池の侵入者

2011年07月31日

目が覚めた。
とても、うるさくて。
ガリガリと、暗がりでらうるさく振動している物の方へ手を伸ばし、
その震源物を掴んで、ボタンを押す。
寝ぼけ眼で耳へ当てると、落ち着きを取り戻した携帯電話からは、聞き覚えのある声。
いい加減な返事を重ねて会話を終え、一息つく。
しばらくして、ようやく状況が呑み込めた。

今朝。
蓮の花でひとつ俳句でも、と言う句会があった事を思い出した。
「蓮の花」であるから、その咲き始めを見ようとすれば、当然、早朝と言う事になる。
句会の披講者いないので、「是非、来い」と、主催者に言われていたのであった。
早朝なので、気が重たく、参加の返事を伸ばし伸ばしにしていたら、今朝になってしまった。
しかし、いま起きてしまったらのだから、仕様が無い。
句帳と歳時記をポケットに押し込んで、しぶしぶドアを開けて一歩踏み出した。

早朝の道路は、すれ違う車など無く、かつまた、朝の涼しい空気が流れていて、とても心地好い。
窓を全開にして車を駆って行くと、徐々に、脳内も覚醒してきた。
前橋市の外れにある現地へ着いて、参加者一同に挨拶。
用水路と田の畔道を歩き、吟行地である一枚の蓮池へ到着した。
着くと、既に先生は到着していて、蓮池を前に腕を組んで立っていた。
朝の光と、蓮池の華やぎの中、なんだか仏教的な荘厳な印象であった。
それを句にすると怒られそうなので、仏像、いや、先生へ挨拶し、
蓮池の周りを小一時間ばかり吟行した。
蓮池を歩き回っている人間が、どうにも蓮の世界への侵入者の如く見えた。

主催の家へ戻り、朝食後に句会。
今回は、初めて俳句を詠む方や、初めて会う女流俳人の方も二人参加されており、
とても新鮮な句が見られた。
自分自身に於いても、早朝から句作する事など、泊りがけで吟行にでも行かない限り、
日常生活の中では、滅多に無い。
なので、清々しい朝の光の中で、俳句を作る事自体が、ちと新鮮だった。

句の出来はまずまずだったが、蓮池の中で朝の空気が吸えただけでも、
とても満たされた気持ちになった。
朝日に照らされて咲き初む蓮の花は、なんとも清浄な雰囲気を感じさせる、
綺麗な淡い色合いであった。
しぶしぶ家を出て来た気持ちを一転させ、帰る頃には、「吟行は朝に限る」なんて思っていた。
蓮の花が咲いて、浮世の街もどうやら今日の活動を始めた気配。

【天候】
朝より小雨混じりの曇り。
終日、曇りがちで過ごしやすい気候。

1307声 湯屋の納涼祭

2011年07月30日

納涼祭へ行ってきた。
それは、町内会や地元企業主催ものではなく、
一軒の銭湯が主催する納涼祭、なのである。

桐生市にある三吉湯では、ここ数年、納涼祭を開催し、
街の賑わいを創造している。
店先と往来の間に、テーブルとタラップを設置し、
そこでビールを飲んだり、食事を食べたりしながら、憩う。
食事処のある三吉湯なので、料理はいわゆる縁日のそれよりも、
遥かに本格的な品揃え。
地元の民謡に、地元出身の歌手の曲が、次々BGMとしてかかっているのも、
なんだか、微笑ましい。

その中で、やはり一際元気なのは、夏休みの子供達。
友達と連れ立って、みな自発的に手伝いをしたり、かき氷機を回したり、
その身体から楽しさが零れ落ちんばかりに、はつらつと活動していた。
お兄ちゃんは、妹にラムネを買ってあげたり、
弟はお姉ちゃんに、くじ引きをねだったり。
「この光景、何処かで見た事が…」
などと考えていたら、何の事は無い、昔、路地裏にあった駄菓子屋の光景なのである。

銭湯を中心として、街のみんなが集まる。
街の「みんな」が、なのである。
大人も子供も、御隠居さんも与太郎も、熊さんも八っつあんも。
この人間模様が、銭湯なんだと、子供たちと一緒にラムネを飲んでいて、改めて感じた。
あの子供たちは、きっと大きくなってから、また三吉湯に来るであろう。
学生になってからか、社会人になってからか、はたまた、自分の子供と一緒にか。
桐生の街には、そう言う、良い文化が残っている。
三吉湯を辞してから、周辺の何軒かの銭湯へ伺って、帰路へ着いた。
炎天下、汗だくになりながら、ランニングシャツ一枚で薪を燃している銭湯の親父さんたち。
湯船に浸かっていながら、本当に、頭が下がる。

【天候】
朝より一時強く降る雨。
午後には回復し、その後、雲多くも晴れ。

1306声 夏の終わりの色

2011年07月29日

午前零時の手前。
いま、夏の雨が降っている。
遠くに蛙が鳴いているが、吹き来る夜風は、
そこはかとなく秋の涼しさを感じさせる。
涼しさ、だけでなく、雨の匂いが、もう夏のものではない。

昨日の句会では、題詠の季題の中に、「秋近し」だとか、「晩夏」などがあり、
夏の終わりを否応なしに考えねばならなかった。
しかし、夏休みである巷の学生たちは、七月最終週の今時期は、
もう、有頂天の時期であろう。
まだ、これから来る八月の夏時間をたっぷり浪費できる、と言う、余裕と期待。
「夏惜しむ」
なんて気持は、胸の中のどこを探してもなかろう。

とは言っても、それは陰暦の事で、八月八日の立秋を過ぎても、
まだ日中は炎天が続いているので、実生活ではまだまだ、夏を感じている。
八月に入ってから、祭りや花火などの句を、これから大いに作るつもり。
そうなのである。
八月と言えば、祭りの時期ではないか。
第一週から口火を切り、日本列島では毎週、其処此処の街で、祭り囃子が鳴り響き、
花火が上がっていると言う季節。
一戸の家庭も然りで、夕涼みにバケツを出して、風鈴の音を聞きながら、
輪になって手花火をやっている家庭。
そんな純和風の模範になるような家庭が、まだあるだろうか。
夏の終わり。
に色があるならば、あの線香花火の淡い赤光が相応しいと思う。

【天候】
日中、曇りがちなる晴れ。
夕方は大雨洪水警報が出て、ゲリラ豪雨や夕立有り。
その後、断続的に夜半まで降り続く。

1305声 生活の韻律

2011年07月28日

「なんと心地好い事」
てぇのは、ふと、自由律で俳句を詠んでみたときに思う。
私は普段、概ね定型、即ち五・七・五と言う規則に則って、句作している。
「有季定型」と言う事を、俳句の入門書でも、俳句の教室でも、
口を酸っぱくして説いている。
私もそれに、大いに賛成し、その韻律の美しさに感動している。
だからこそ、この世界のあまねく光を、闇を、俳句にして見たいと思った。

則る事も素晴らしいが、則らない事もまた素晴らしい、と思う。
私の高校時分の友人に、無遅刻無欠席で一学年を終えた者と、
遅刻欠席常習の者とがいた。
当然、所謂、「評価」は前者の方に分があるのだが、
生活の魅力は、断然、後者の方にある。

「何してたの」
と思わず聞いてしまったのは、彼が五限の授業が終わってから、
つまり、もう一日の授業が終わってから登校して来たから。
その時間に来ても、当然、出席扱いにならず欠席と言う事になる。
それならば、いっそ、欠席した方が得策。
と言う事は、高校生にもなれば、誰でも分かりそうな事である。

「寝坊して、公園でパンを食って、昼寝してから来た」
その自由律な生活スタイルに、聞いていて呆れてしまったが、
「平日の昼間、公園で昼寝」と言う未知の世界に、大きく心を動かされた。
高校生活を定型で生活していた私は、それから一寸、
定型をはみ出して見たりした。
しかし、流石に昼寝の彼の様には行かなかった。

彼の見たであろう、平日の午後二時の、人気の無い公園の、風のきらめき。
教室の窓の景ではなく、たまに、そんな世界に足を踏み入れたって、良いじゃないか。
昼寝の彼だって、一緒に高校を卒業できた。
ふと彼を思いだして、もし彼が俳人だったら、自由律で詠んでいるだろうなと、思った。

【気候】
朝より曇りがちなる晴れ。
夕方より雨、夜半には上がる。

1304声 占い嫌い

2011年07月27日

占い。
と言うものが、社会生活を送る上で、意外と重要な位置を占めている。
そう感じたのは、社会人になってからである。

社会人。
と言うのは、概ね、労働時間帯が決まっている。
一日、24時間の中、20時間働いている人もなかろうと思う。
勤め人なら、出勤は朝。
と言う人が多かろう。
テレビ番組で各局が、朝刊紙面解説と天気予報の他に、
こぞって組んでくるのが占い、である。
血液型の局もあれば、星座占いの局もある。
テレビを付けていると、否が応でも、何らかの占いを見なければならない。

朝、テレビを見ない人でも、ラジオがある。
通勤途中の車の中で、あるいは、職場で、ラジオが流れている環境も多かろう。
ラジオ各局でも、朝の番組での占いは必須のようで、チャンネルを合わせると、
「今日の運勢は」
なんて事も、しばしば。

この占いが、どうしても、嫌いなのである。
極力、それが目に入らないように、毎日生活している。
テレビだったら、番組進行が占いになった途端に、チャンネルを一時換える。
ラジオでも然り。
とにかく、自分の今日の運勢なるものを、何ものにも決定づけて欲しくない。
嫌いな理由は明白で、当たらないから。

油断して、今朝は偶然、テレビ番組とラジオの占いを、聞いてしまった。
その結果は、私の星座であるおひつじ座は、今日の最高の運勢らしかった。
解説を聞けば、概ね、非の打ちどころが無く、特に恋愛運が良いらしい。
聞いてしまったからには、捨て置く事も出来ず、喉に骨がつかえているような心持で、
一日を過した。
過して見て、やはり、当たっていない。
どころか、今日ほど運勢のつき、が無い日もなかろうと言うくらい、おぼろげな一日だった。

朝から、体調は悪いは、忘れ物はするは。
用事を忘れるは、慌てて車は擦るはで、良い事なんか皆無である。
予定の句会には遅刻し、投句までの時間が無くなってしまい、
取り乱しつつ、曖昧模糊とした句を出す羽目になった。
蝉など鳴いていないのに、蝉時雨の句を出したって、句会で誰も採る訳きゃない。
句帳の端から引っ張り出した、以前作り溜めてあった句に、推敲を加えて出したものが、
幾つか、特選に入ったようだった。
しかし、それでは一向に句業の鍛錬にならない。

もう、ぼろぼろになって帰宅し、いま、自棄酒をやっている。
それにしても、腑に落ちないのが、特に最高得点の恋愛運、である。
我が人生の恋愛事情について、今日の出来事が何の作用をもたらすのか。
まさか、句会で句を採ってもらった、女性陣の方々と何か、であろうか。
とすると、あの方が私の母くらいで、あの方が私の母より少し上で。
だから、占いはヤダ。

【天候】
朝より、曇りがちなる晴れ。
蒸し暑く、夜半になってから、通り雨。

1303声 微熱と麦酒

2011年07月26日

ここ数日、夕立があるので、夜風が涼しくて助かっている。
夏バテと言うか夏風邪と言うか、昨日あたりから体調が芳しくない。
よって、今日一日などは、何だか地に足が付いていないような心持で過ごしていた。
おそらく、熱でもあるのだろうが、意識的に気にしない。

芳しいのか芳しくないのか、模糊とした体調の時。
その体調の悪さが顕在化する瞬間が、ある。
それは、酒が一口、舌の上を滑った時。
例えば、食欲もまずまずあり、風呂に入ってまずまず気分転換でき、
さて、風呂上がりにいつもの缶麦酒を、一口。
その一口が、どうしたことか、ちっとも美味くない、のである。
五臓六腑の側からも、入場拒否の声が聞こえて来る。

今週は、我がひと月のおぼろげな予定の中の俳句週で、
明日と明後日に、連続して句会がある。
調子が良ければ、こんなに贅沢な週はないのだが。
などと、大袈裟に弱っていては、いけない。
微熱くらいあるほうが、一部の神経が敏感になっているので、
いつもと違った句が出来るかもしれない。

【天候】
曇りがちなる晴れ。
夕立があり、夜風は涼し。
不安定な天気続く。

1302声 けだるい夏

2011年07月25日

やけに目に付く。
若者が、である。

昨日の晩も、近所の日帰り温泉へ出掛けた帰路。
田んぼの畦道にある、自動販売機の前。
その薄明かりの前に、自転車と共に、五、六人の中学生と思しき若者たち。
たむろしていて、何をするでもなさそうである。
ただ、時を持て余している感、は滲み出ていた。

そして、今日の昼。
田舎町のファミリーレストランへ入ると、様々な年代の若者たちがわんさか。
坊主頭の野球部の一団やら、親と来ている制服の高校生やら。
中でも、何某かの大学生サークルと思しき一団が、突出して騒々しい。
店内をぎこちない足取りで行き交う店員もまた、学生アルバイトの諸君。
幽体離脱的視点で、禁煙席の端っこに座っている自分を俯瞰すれば、
彼らの過す夏、と私の過す夏との、深い溝が見える。
大人でも子供でもない、若者の夏の、あのけだるさ。
と言うのは、夏時間特有のものであるよな。
彼らの放つ雰囲気が、そう感じさせた。

けだるい。
から、いいのであって、だるい。
てぇのは、色気が無い。
「けだるい午後」
「だるい午後」
こう並べて読むと、一目瞭然である。
彼らと私との間にある溝は、このけだるさがあるかどうか。
と言う、気がする。
私などは、毎日、単にだるい夏を過しているよな。

【天候】
朝より曇りがちな晴れ。
夕立があり、その後、夜風は清涼。

1301声 ジョウモウ大学伊勢崎句会

2011年07月24日

「じゃあ、授業開始の時刻になりました」
と言う事で、今回の教室である、ほのじ厨房から顔を出すと、
浴衣で満席の教室。
有り難い事に、定員の十五名から一名増えて、十六名での授業となった。

まずは簡単に、俳句の「取扱説明書」的な説明を述べて、
早速、吟行へ出掛けた。
参加者全員、今日が生まれて初めての句会。
と言う、新鮮な目を持った方々。
炎天下の伊勢崎市街地を、歴史散策しながら、歩いている最中、
「これ、季語になりますか」
と言う質問を、多く受けた。
夏木立、緑陰、夏の風、夏の空、入道雲。
そんな季語をメモ帳とペンを持って見つめているのは、
日傘に浴衣の、まさに歩く季語みたいな人たち。

街の文化遺産を見学しつつ、路地裏を歩く。
広瀬川で心地好い風を感じたり、道すがらの商店でかき氷を食べたり。
確かに吟行しているののだけれど、参加者みな、子供の様な無垢な笑顔を浮かべて、
仲間と一緒に、街歩きを楽しんでいる様子。

句会場の緑寿司に到着し、二階で句会。
投句は三句。
短冊を回して、句を清記して行く。
厳選された三句で勝負して来る方もあれば、
三句の中に遊びの一句を入れられるほど、余裕で楽しんでいる方もいる。
みなの選句を披講すると、なるほど、参加者の座で人気のある句が分かる。
多様な眼差しをもった、色彩豊かな句が沢山見られた。
俳句の垢がついていない、と言うか、無垢で新鮮な句ばかりが並んでおり、
一句づつ読んでいて、とても清々しい思いがした。
私が特選に頂いた句など、まさに、その調子。

初めて会う人とでも、句会をが終わる頃には、自己紹介など入らずに、
打ち解けられた心持になる。
あの妖艶かつ涼しげな浴衣と、かき氷と、伊勢崎の街なみと、
みんなの、少し恥ずかしげな笑顔が、いま鮮明に思いだされる。
それを持って、昨日のジョウモウ大学の授業は成功したと、私は自負する。

【天候】
終日、曇りがちなる晴れ。
午後から雲多し。

1300声 第1300声記念特別企画「鶴の手拭い恩返し」

2011年07月23日

大暑を過ぎて、いよいよ盛りを迎える、夏。
どうにかこうにか、この日刊「鶴のひとこえ」も、本日でめでたく、
第1300声の節目を迎えました。
そこで今回は、「鶴の手拭い恩返し」と題して、
クレインダンスより、読者の方へ、景品の手拭いをもって恩返しさせて頂きます。
夏場の御出掛に、手拭はとても便利です。
手拭い一本あれば、道すがら、汗を拭いつつ、
湯屋を見つけたら一寸、ひとっ風呂浴びて行けます。

クレインダンスの、堀澤、抜井が選りすぐった手拭いを、抽選で2名様に、
一品づつプレゼントさせて頂きます。
現世かつ公平な抽選をもって、当選を決定させて頂きます。
それでは、下記を参照したうえのご応募、お待ちしております。

■応募方法
送付先の「郵便番号」・「住所」・「氏名」を明記の上、
Topページにある【お問い合わせ】よりご応募下さい。

■応募締切
平成23年7月30日(土)

■当選発表
厳正な抽選のうえ、当選者には発送をもってかえさせて頂きます。

■アンケート
日刊「鶴のひとこえ」に対して、ご意見ご感想をご記入下さい。
※後日掲載させて頂く場合がございます。(無くても可)

※お一人様、メール一通のご応募とさせて頂きます。
応募に際し、頂いた個人情報は、当企画の目的にそった賞品送付等にのみ利用し、
他目的には利用しません。

【天候】
終日、夏日。

1299声 開校記念授業

2011年07月22日

明日は、ジョウモウ大学開校式の日。
と、書いている今は、一夜明けて、開校式当日の朝。
夏の眩しい日差しが注いでいるが、窓からはまだ、
早朝の清涼な風が吹きこんでいる。
今日も一日、炎天になりそうである。

電話が鳴って、起きた。
寝惚け眼でそれを耳に当てると、中から、ほのじ氏の声。
二日酔いの頭痛を感じつつ、今日行われる授業の確認を行う。
最終的に、授業参加の定員は埋まった。
と聞いて、一安心したが、句会で使用する用紙を、追加で作らねばならい。
電話を切ってから、早速、パソコンの前に座った。

ともあれ、他の授業に比べ、俳句に至っては、
紙とペンさえあれば出来てしまうので、楽。
「楽」と言っても、さて、もし今日初めて俳句に接する人がいて、
その人に、俳句の「楽しさ」を伝えられるか、と言ったら、これは「楽」ではない。
私は、今日、たまたま「先生」と言う立場で出席するが、
俳句の宗匠であるという気持ちは、まかり間違っても無い。
「若輩のお主が、俳句教室など笑止」
そんな事を、もし思っている人があれば、それは間違いである。
俳句と言う、この世界最短詩を楽しむ為に、年齢の如何は問題ではない。

問題は、今、出掛けねばならぬ時刻まで、
残された時間の余裕が無い、と言う事。
私が遅れたのでは、洒落にならない。
特に、俳句の座では、遅刻は禁物。
そう言えば、浴衣。
今日は、和装で参加と言うお達しが出ているので、
まず、箪笥から浴衣と帯を探さねばならない。
いよいよ、何かと切羽詰まって来た。

【天候】
朝より、快晴の夏日。

1298声 浸かるなら熱い湯

2011年07月21日

カラオケ店の脇を通りかかると、一瞬、釘づけになった。
入口脇に停めてある、夥しい数の自転車に、である。
この時期のカラオケ店と自転車、と言う事で、直ぐに気がついた。

「夏休み」
なのである、巷の学生諸氏は、昨日から。
休みの日でも制服を着ているのは、女子高生のみに顕著に見られる特徴である。
丁度、遅れて来たのだろうか、制服の女子高生が二人、カラオケ店の中へ入って行く。
一人の右手には、持ち込みの食料と思しき、パンパンに膨らんだコンビニ袋。
腕時計に目を移せば、まだ午前10時を回ったところ、である。
あのコンビニ袋の中には、おそらく、相当数の昼食も入っているのだろう。

その中の一人がどこからか手に入れて来た、安物の缶チューハイやらカクテルやらを、
回しの飲みしつつ、流行歌を片っ端から歌いまくりかつ踊りまくり、大いに騒ぐ。
おそらく、高校生の夏休みなど、そんな状況予想に反しないと思う。

そう言えば先日、熱湯が好きだと言うお爺ちゃんに、訪ねてみた事がある。
「どうして、そんなに熱い湯が好きなんですか」
すると、お爺ちゃん得意げに、
「熱いとさぁ、出た時が気持いいんだよ、風が爽快でさぁ」
そして、
「温い湯にだらだら入るより、熱い湯にさっと入って出る方が、気分がいい」
とも。
確かに、温い湯てぇのは、入り易いのだけれど、出た時の爽快感に欠ける。
その点、熱い湯は入る時こそ辛いが、肩まで浸かって直ぐ出れば、
驚くほど爽快感が得られる。
汗も、熱湯にさっと入浴した時の方が、直ぐに引いて、肌がさらっとした印象である。

こんな下手なレトリックのように、学生生活は単純ではないが、振り返って、自分。
もう少し、熱い湯に浸かっておけばよかったな、などと、時々思ったりしている。
ともあれ、湯水のように時間を使える、彼女等の青春は、まだ長い。

【天候】
朝より、小雨交じりの曇天。
台風6号も過ぎ、夕方より徐々に晴れ間。