日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

1437声 それぞれの時差

2011年12月08日

今朝は厚い雲が垂れこめいていて、ことに冷え込んだ。
起床するのが億劫だった。
日の出も分からぬので、体内時計が狂って時差が発生し、
遅刻者が多くなるのは、こんな日であろう。
終日どんよりと曇っていて、昼だか夜だか分からぬ天気。
午後四時頃から、目盛りをゆっくりと回す様に空が暗くなり、夜になって行った。

お天道様を目にしない日と言うのは、何だか心身ともに調子が出ず、
心中にも雲が垂れこめているようである。
しかし、私の高校時分の友人であったU君は、違った。
梅雨時期の曇天や、雪模様の曇天の日。
教室全体がどんよりとなっている時に、彼だけは目に見えて元気なのである。
聞けば、お天道様が燦々と照っている日よりも、薄暗い曇天の方が、
活力溢れる体質らしい。

同じ様な例で、同級生の友人であるS君は、最近、夜勤の仕事をやり始めた。
日が高い間は寝ていて、日が沈むと起床し通勤。
そして、夜中働いて朝陽が昇る頃に帰る。
曰く、日勤よりも夜勤の方が、心身ともに調子が良いと言う。
夜が弱い私などは、全く未知の世界である。
人とそれぞれ、時計の針の動き方は違うようで、
やはり、「時差」があって当然なのである。
それでは、遅刻の言い訳にならないだろうが、そう言うこともある。

【天候】
朝から曇り。
日が沈んでから、霧雨。

1436声 キムチの種

2011年12月07日

行きつけにしている近所の居酒屋が、近年、「お持ち帰り用キムチ」なるものを売り始めた。
以前から、この店のメニューに於いて、キムチに至っては、一目置いていた。
行けば必ず注文し、麦酒に良く合った。
世間の居酒屋によくあるような、酸味のあるしょうゆ漬けと言う様な和風なキムチで無く、
いわゆる「本格的」な味わいのキムチなのである。
説明が漠然としているが、私は本場韓国のキムチを食べた経験がないので、致し方ない。

数ヵ月前。
夏場に酔った勢いで、このお持ち帰り用を一つ買ってみた。
これが、中々良い。
価格は380円で、瓶の中に内容量700gも入っている。
これは、市場価格で見ても、かなり安価な部類に入るだろう。
それよりなにより、味が良い。
夏場のキムチは、大抵、酸味が出てきてしまうが、そんなこともなかった。
食べ終えるまで味の劣化も少なく、大いに麦酒が進んだ。

とても良い買い物をしたと、喜んでいたのだが、ただ一つだけ、
心の中に引っ掛かっている事がある。
店でキムチを注文すると、小鉢にほんのひと盛りで、280円している。
なんだか、手品の種を見てしまったような、あっけらかんとした心持であるが、
これからもキムチを注文し、かつ、お持ち帰りしてくるだろう。

【天候】
終日、冬日和。

1435声 舌ダイエット

2011年12月06日

貧乏なくせにここ数年で舌が肥えきているので、困っている。
それは、こと酒に限定される。

親しい知人などは、私が無類の麦酒好きと知っており、
お土産や贈答で、各地の美味しい麦酒をもらう事がある。
自分でも、「せめて麦酒くらいは」と言う気持ちがあるので、
好きな銘柄の麦酒が置いてある酒場を選んで、出掛ける事もしばしばある。
量販店で買う時も、薄い財布を更に薄くして、発泡酒で無く麦酒を買う。
それなので、舌が美味い麦酒の味を覚えている。
あやしげな店であやしげな麦酒が出て来た時は、すぐに舌と鼻が、
そのあやしい匂いを嗅ぎわけてしまう。

反面、他の酒類、例えば日本酒に関してなど、全くの無知。
安酒場で、「酒」と注文して、徳利に入っている日本酒がどんなものか、
全く嗅ぎわけることができないし、当然、良し悪しも分からない。
純米大吟醸でも、自動販売機のワンカップでも、私にとっては大差ない。
と言うのが、数年前までも私であった。
しかし、いまは違う。

近しい人。
例えば、ほのじ氏だったり俳句の先生だったりが、無類の日本酒党である。
なので、どこそこの酒蔵の何某と言う酒、つまりは逸品を口にする機会が多くあった。
一緒に酒場などへ行っても、日本酒の銘柄が少ないと、直ぐに眉間が曇ってくるが分かる。
数年前には、日本酒愛好者(と言う名の周辺に蔓延っている飲んだくれ)たちでバスをチャーターし、
新潟で開催されている「酒の陣」へ行って来た。
酒の陣では、新潟の酒蔵が一斉に介するので、様々な銘柄の酒を一網打尽で飲める。
そんな事を繰り返しているうちに、どうやら、僅かながら舌が肥えて来てしまった。

具体的には、安酒場で熱燗など飲んで、「まぁ、こんなもんか」などと、自らを納得させている。
麦酒だけならまだしも、麦酒も酒も、ではいくらなんでも、懐の具合が悪い。
それならば、懐の具合を潤沢にし、好きなもの飲んだら良い思うが、これから年末にかけて、
ますますそうも行きそうにない。
したがって、肥えた舌をダイエットさせるべく、最近、もっぱら安酒を飲むようにしている。

【天候】
終日、冬日和。
冷え込み強し。

1434声 ぽかぽか

2011年12月05日

身に沁みて。
本当に、「身」に「沁みて」と鍵括弧に入れたいくらいに、感じる。
温まる、と言う事を。

それは、銭湯のあの大きな湯船と、自宅の足を折り曲げて入らねばならぬ、
狭っ苦しい風呂との違い。
体の温まり方が、どうしてこうも違うのか、いつも感じる。
自宅の風呂では、体が芯まで温まる感じがしないからである。

銭湯でのひとっ風呂は、湯の温度が熱いと言うこともあろうが、
滝のように汗が流れる。
吹いても吹いても止まらぬほど流れ、やっと落ち着いたら、
体内に温かな血液が駆け巡っている事が分かる程、体が温まっている。
そして、その「ぽかぽか」が、長時間続く。

銭湯も自宅も、お湯に入浴剤を入れている事は同じ。
然らば、湯温を熱くして入れば、あの「ぽかぽか」を手に入れる事が出来る。
そう目論んで、入浴剤を溶かし、湯船からこぼれるほど張った湯を沸かし、
長時間入浴しても、どう言う訳か、駄目なのである。
銭湯での、滝のような汗もなければ、長時間のぽかぽか感もなく、
すぐに爪先から湯冷めしてきてしまう。

こと、師走からの寒い時期。
銭湯の大きな湯船がとても恋しくなる。
恋しいのだが、銭湯への道のりが四季の中で一番億劫に感じるのが、
この寒い時期。
空っ風吹きすさぶ暗い路地を、湯上がりの体で歩くかねばらなぬ帰り路。
あの時の寒風もまた、身に沁みる。

【天候】
終日、冬日和。

1433声 朝の境内

2011年12月04日

早起きした訳ではないのだが、昨夜の雨から一転。
カーテンを開けると、青空が窓一杯に広がっていたので、
朝の散歩をしてみようと思い立った。

散歩。
と言っても、当然、ポケットに句帖とペンを突っ込んでいる。
玄関の戸を開けると、早朝にも関わらず、空っ風が音をたてて吹いている。
そのせいで、随分と寒く感じる。
昨夜の、あの息が白くなるような、じんわりとした底冷えの寒さ。
ではなく、烈風に当たっている耳と鼻の先から冷えてゆく、乾いた寒さである。
どちらも寒いのは嫌だが、後者の乾いた寒さの方がまだ、耐えられそうに感じる。

首をすくめながら、朝の小径をゆく。
故郷に居る時には旅人の目で、旅に居る時には故郷に居る目で、「もの」を見る。
昭和に活躍した俳人が、句作する心構えをそのような旨で説いていた。
中々簡単にはいかぬが、そう思うと確かにささやかなる発見がある。

他所の家の庭先の花。
落葉の溜まっている溝。
冬でも青々としている竹藪。
裏の神社の境内に、昨夜降り来た銀杏の落葉を、捨てに来る人。
おそらく、神社の裏に住むこの家人における、この時期の毎朝の日課なのだろう。

「ガサッ」
大きな袋から、銀杏の大木の根に落葉を返すおばさん。
そして、出て来た裏木戸からまた、家へ戻って行った。
おばさんが去ると、神社は満ちてゆく朝日と木枯らしの音ばかり。
一二句作って、神社の鳥居を出ようとすると、ジョギング中の若い女性とすれ違った。
女性はそのまま境内を進んで、社殿の前でぴたりと止まり、
賽銭箱に賽銭を投げてお祈りしていた。
お祈りが終わってから、どちらの方に去ったのかまでは、見ていない。
鳥居の方には、戻ってこなかったようであった。

【天候】
終日、冬晴れ。
朝から風甚だ強し。

1432声 整理と作文

2011年12月03日

寒い。
と言う感覚には滅法弱くて、寒いだけで気分がげんなりしてしまう。
雨降りの今日は、ひねもす家に籠っていた。
溜まっていた俳句の整理と、俳句関連の文章を書いて、終わってしまった。

溜まっていた俳句の整理。
それは、句帖やノートのそこここに書き散らかしてある俳句を、
パソコンの中に書き写しておく、と言う事である。
それでも、判読不能な文字や、紙の切れ端などにメモした句などは、手元に残らない。
手元に残らない句は、それだけの句だと思い、あまり執着せずに捨てる。
部屋は中々片付けられないが、せめて、自分の俳句くらいは綺麗に片付けたい。
まぁ、現実にはそれさえもままならぬ状況だが。

俳句関連の文章。
私は特定の俳誌に所属している訳でもなければ、俳句の批評が得意な訳でもない。
その為、俳句との関りは、文章を書よりも句を作る方が圧倒的割合を占めている。
しかし、「この間の吟行会ことを書きなさい」と言う話があったので、それを書いていた。
おそらく、会報か何かに掲載されるのだろう。
当日は愉しかったので、感想文を書くにも、それほど苦労はしなかった。
むしろ当日は、句労の方であった。
そんなことで、いま、随分前の葬儀の際にもらって来たワンカップを開けている。

【天候】
夕方まで、雨降りの寒い日。

1431声 紛失の安らぎ

2011年12月02日

携帯電話が無い。
厳密に言うと、スマートフォン。
そう言えば、先日の句会の折、回ってきた清規用紙に列記してある句の中に、
「スマホ操るなんたら」と言う句があって、思わず吹き出してしまった。
確か、冬の公園で、ベンチに座っている女性が颯爽とスマートフォンを操っている景。
だと思ったが、随分と、冒険している句だと感じ、採らなかったのだが、
一気に緊張がほぐれる思いがした。

脱線した話を戻すと、さて、無くなったスマホである。
以前の携帯電話の様に、ポケットにすっぽり入れば良いのだが、
このスマホにしてから、サイズが大きくなったため、容易にポケットに入らない。
液晶画面がむき出しなので、無理にジーンズのバックポケットなどに入れていると、
座った拍子に壊れてしまいそうなので、ポケットには入れていない。
なので、出掛ける際はバックに入れるか、ジャケットがあれば、
その大きいポケットに収納している。

なので、よく紛失する。
体から離しているので、置いた場所入れた場所が分からない、は日常茶飯事。
そこに、この師走である。
うっかり何処かへ忘れたまま、帰宅してしまった。
今夜はもう晩酌をしてしまったし、殊に冷え込んでいる事だし、
探しに行くのは明日にしようと思う。
意外と、いま、スマホ(電話)が無い生活の方が落ち着く心持である。
それには、この何か急かれる師走の雰囲気が多大に影響しているのであろう。

【天候】
終日、小雨交じりの曇天。
強い寒気が入り込み、山間部では雪、平野部でも霙が降る。

1430声 丸まり癖

2011年12月01日

氾濫。
と言う比喩が当てはまるくらい、巷はクリスマス一色になって来た。

今日から師走。
来年のカレンダーなどが、出回って来る時期である。
カレンダーなど買った事は無く、どこそこから頂いたカレンダーを使っている。
来年は俳句のカレンダーを使う予定だが、これも頂きもの。
年末に、まだ丸まり癖の付いているカレンダーを掛ける。
生活に追われつつ、カレンダーを一枚一枚捲って行くうちに、
いつの間にか癖がとれ、のっぺりとしてる。
あの、丸まり癖が、なんだか初々しく思え、すこし懐かしく思ったりする。

【天候】
朝より曇り。
夕方から、霧雨。

1429声 フーテンハイク

2011年11月30日

11月29日の昨日であった。
寅さんの誕生日が、である。

「寅さん」
と言うのは、もちろん、「男はつらいよ」シリーズの主役、「車寅次郎」である。
寅さんにおける、誕生日などの出生は、明確には決まっていない。
しかし、第26作の劇中、寅さんが履歴書を提出するくだりがあり、
その生年月日の欄に、1940(昭和15)年11月29日と記載されている。

寅次郎を演じた渥美清さんは、「フーテンの寅」にちなみ、
「風天」と号して俳句に親しんでいた。
と言うのは、男はつらいよフリーク、いや、渥美さんフリークなら周知のことであろう。
風天俳句に関する著作もあるし、インターネットでも句を読めるので、
この誕生日をきっかけとして、すこし風天を見てみようと思った。

以下、抜き書きの俳句、作、風天。

赤とんぼじっとしたまま明日どうする

村の子がくれた林檎ひとつ旅いそぐ

貸しぶとん運ぶ踊り子悲しい

ゆうべの台風どこにいたちょうちょ

お遍路が一列に行く虹の中

寅さんにも渥美さんも、やはり心の中にはいつも「旅」があったのだ。
それは、みんなでわいわい行く観光の旅ではなく、
一人で孤独を背負って行く、まさに寅さんのような旅。
渥美さんは、尾崎放哉が好きだったと言う。
寅さんフリークとしては、寅さんと尾崎放哉が出遭ったら。
と言う、筋書きを想像してしまう。

【天候】
終日、冬日和。

1428声  西日暮里俳話

2011年11月29日

「どうですか、このあと」
句会が終わってから二次会に誘って頂いたので、
お邪魔させてもらうことにした。
東京、のみならず都市部での句会は、句会の後に酒場。
と言うコースが一般的なのであろう。
主に私の参加している郷里の句会では、その殆どの参加者が車なので、
「じゃあ一杯」と言うのが難しい。

西日暮里駅近くの居酒屋。
土曜日ながら、早い時間なので店内は空いていた。
座での酒の肴は、当然ながら俳句の話。
都内の現役大学生たちと、群馬の片田舎から出て来た私と、
共通の話題など俳句くらいしかない。
先程の句会でお世話になった先生が、進行役なので、
会話に窮する事はなかった。

熱燗の杯が空くごとに、話も俄かに熱を帯びて来る。
句会で出合った俳句を振り返り、褒めたり貶したりするのは、
俳句愛好者にとって至福の時間である。
話題は俳句の「動き」に至り、
「どこの結社のたれそれが、最近、勢いがある」
「あの先生の句は、最近ますます良くなってきた」
など、やはり耳にする俳句情報は、群馬県在住者には新鮮なものばかりであった。

夜も深くなる前に解散となり、西日暮里駅の改札口で別れた。
雑踏の中に消えてゆく、若き俳人たちの背を見送り、
マフラーを巻き直してから、一歩づつ階段を昇った。

【天候】
終日、冬日和。

1427声 こども俳句カレンダー

2011年11月28日

昨日頂いて来た、伝統俳句協会のカレンダーの封を解いてみると、
中に、「こども俳句カレンダー」なるカレンダーが同封されていた。
広げて、掲載されている句を読んでみると、これが中々面白い。

掲載されている中から、小学校に上がる前の子にしぼり、
最年少俳人の句から抜いてみよう。

以下四才。

おつきさまゆうやけぐもにはいってる (たけさだはるすみ)

綺麗な「写生句」です。

以下五才。

ジャイアンをみずてっぽうでやっつけろ (こじまりんのすけ)

そうだそうだ。でも、仕返しがこわい。

あめやんでにじのトンネルくぐりたい (みのゆうき)

心はもう、虹のトンネルをくぐっています。

だいすきだめっちゃおいしいきなこもち (ふじわらいおり)

なかなか渋い趣味ですねぇ。

たんぽぽはわたげになればたびをする (すずきみゆう)

壮大な旅は、いま始まったばかり。

ちょうちょはねなんでとべるのかるいから (しみずみゆ)

すでに自然科学の目をお持ちです。

以下六才。

みずあそびいわのうえからとびこんだ (あさかちか)

山深い渓流。気持好さそうです。

【天候】
やや曇りがちなるも、概ね晴れ。

1426声 ワインのジンクス

2011年11月27日

新宿駅を出て、高島屋の地下でお弁当を買ってから、新宿御苑を目指す。
歩く事およそ15分で、御苑入口の門へ到着したが、すでにワインの酔いで、
私たちの数名は、ほろほろと好い気分になっている。

「卯浪俳句会、卯浪俳句教室合同吟行句会」
今日はその為に、吟行地である新宿御苑に、前橋教室の仲間と先生と一緒に来た。
前橋から出て来ると言う事も有り、我が一団は、小旅行的賑わいである。
私自身、新宿御苑へは初めて訪れたが、都心とは思えぬ豊富な自然に、いささか驚いた。
あまねく午後の日の満ちた、冬の苑内は、芝生全体が大きく日向ぼこしていた。
池に浮く鴨の絵を描いている人、紅葉の写真を撮っている人。
レジャーシートに寝ている人、そして、ぼーっと突っ立って俳句を作っている人。
様々な人間模様が見られたが、風景全体が、ゆったりと流れていた。

そうこうしている間に、句会の時間が迫り、句会場まではタクシーで行く事にした。
歌舞伎町の真中あたりで降車し、スマートフォンのナビを便りに路地を何本も間違えつつ、
何とか句会場へ到着。
冷や汗かきながら句を選別、投句し、どうにか句会に参加する事が出来た。

関東地区の仲間が参加していたのだが、私が末席に籍を置く前橋教室は、
概ね好成績なようであった。
私は、運よく当日の大特選を頂く事ができ、選者先生の揮毫色紙や、
伝統俳句協会のカレンダーを頂けた。

帰路。
ささやかなる「お疲会」で杯を開け、更に缶麦酒を買って列車へ乗り込んだ。
ワインを飲んでから作った句が、特選に入っていたので、
何だか変なジンクスめいたものが、自分の胸の中に出来てしまった。
しかし、吟行のたびに、ワインを飲んでから句を作っていたら、
俳句以外に中毒しそうである。
これから、晩酌は麦酒でなくワインに変えようかしら。

【天候】
終日、冬麗。

1425声 土曜の午後の教室

2011年11月26日

慌ただしく電車からホームへ飛び出して、西日暮里駅を出て向かったのは、「開成高校」。
勿論、学業の用事ではなく、俳句の用事である。

鋭くも爽やかな、剣道部の声を聞きながら、校舎の階段を昇り、
句会場である教室の扉を開ける。
教室には、俳句部員であろう詰襟の高校生が数人おり、
二、三のかたまりになって談笑していた。
私服の私は、服装のみならず、年格好全てにおいて浮いていたが、
一先ずは席へついて大人しくしていた。
他の俳句部員や俳句部OBである大学生、そして先生がみえて、今日の参加者が揃った。
これから始まるのは、当然ながら、句会である。

「石田波郷俳句大会」の縁で、開成高校で開かれている月例の句会に誘っていただいた。
開成高校は俳句甲子園でも御馴染の、強豪校である。
自分よりも年下、それも年齢の半分くらいの俳人と句会をするのは、初めての経験であった。
とても新鮮で、良い刺激をもらってきた。
「新鮮」なのは、勿論、俳句もそうだし句会自体もそう。
「大きな声で、はっきりと返事をする」
句会の際に、そんな単純な事が出来ていない大人が多い。
教室に響く、彼らの、清々しい声を聞いていてそう感じた。

大人の私は、果たして、大きな声ではっきりと返事が出来るかどうか。
気をもんでいたのだが、いらぬ心配だったらしい。
なぜなら、あまり句が選ばれなかったからである。

【天候】
終日、冬麗。

1424声 忘年の効用

2011年11月25日

「さて」
こうやって、大袈裟に気合いを入れなければ書き出せないのには、理由がある。
この文章を本来書くべき日は、金曜日。
書いている、いまは、月曜日。
つまり、週末に書くべき三声(三日分)が休止していたである。
それを補う為の労力を考えれば、一つとならずため息も漏れ、
大袈裟な気合の一つも入れたくなる。

「勤め先の忘年会」
まず、休止していた金曜日は、そう言う単純明快な理由だった。
「伊香保温泉一泊二日」
と言う、群馬県西毛地域ではごく一般的なコースであった。
紅葉の映えている露天風呂に浸かり、御膳の夕食をつまみながら、
冷えた麦酒など味わっていると、社会的な自分の位置が、もう「若者」側にいない。
と言う事を、しみじみ感じた。

宿泊した旅館の露天風呂には、楓の木が数本あり、薄く紅葉していた。
伊香保温泉の紅葉は、もう散り始めている筈なのに、温泉熱による為か、
綺麗な紅葉が見られた。
これも、温泉の効用のひとつであろう。

この景色で、ひとつ俳句など。
そう言う気持は、起こらなかった。
明日、明後日と、俳句の用事で東京に出掛ける事を思うと、
少しでも脳を休めておこうと思った。

【天候】
終日、冬晴れ。

1423声 土の中の無名

2011年11月24日

「天明の浅間山噴火」
と言えば、群馬県で義務教育を受けた人ならば、知っている人も多い。
天明三(1783)年、浅間山が大噴火し、火砕流などの火山災害によって、
多くの人が命を落とした史実。
群馬学リサーチフェローの中には、この事を研究している方が居り、
先日、その中間報告を聞く機会があった。
その中で、当時の資料として、地中に埋まっていた石垣の写真があった。
場所は、現在の長野原町役場付近。
道路工事の為に掘り返していたら、地中から、石塔やら石垣やらが出て来た。
直ぐリサーチフェローの方に連絡が入り、現地へ行って調べて見ると、
どうやら、天明の噴火で流れて来た火砕流で埋まったしまったものらしい。
その写真をみるに、地中にある石垣などは、およそ二百年以上も火砕流に飲まれ、
地中に埋まっていたにも関わらず、堅牢な姿を留めていた。

国内の旧所名跡に現存している、城壁や石垣など、時代を経てもびくともしない。
その堅牢な造りがほぼ、無名の石工たちの仕事である事が、すごい。
この長野原の地中から出て来た石垣を築いたのも、おそらくそうであろう。
「秀作」と「名前」
と言うものを、もう一度、天秤にかけてみよう。
写真の中の、あの泥だらけになりながらも、しっかりと、
そして二百年以上も地中に建っていた、あの石垣を見て、ふとそう感じた。

【天候】
終日、穏やかな冬晴れ。

1422声 勤芸感謝

2011年11月23日

「傍を楽にする」
つまり、「働く」とは、傍に居る人を楽にすること。
なんて、言えて妙な記事を読んだ事がある。

今日は勤労感謝の日。
などと言う書き出しが、「傍楽」の引用でいささか胡散臭くなっているが、
勤労感謝の日なので、ひとつ、大目に見てほしい。

そして、いま、速報で報じられているのは、立川流家元の訃報。
窓の外。
冬空に満つるあまねき日を眺めながら、噺家としての働きを、思っている。

【天候】
夕方まで晴れ。
夕方より雲多く夜半まで一時雨。

1421声 湯屋と拍子木

2011年11月22日

湧き出るように、二日酔いに効く胃腸薬のCMがテレビに増えて来た。
忘年会シーズンの序盤戦、胃腸薬の飛ぶように売れる時節なのであろう。
胃腸薬のCMならいいが、増えてもらっては困るのが、火災、である。

冬季。
特に年末から年始にかけては、火災が増える。
と言う話を、聞いた事がある。
実際の統計を確認した訳ではないのだが、この時期。
下町の銭湯などに浸かっていると、夜道の路地から、
拍子木を打つ音などが聞こえて来るので、やはり、火災が多いのであろう。

郊外の方では、「火の用心」の啓発に、鐘を打ち鳴らしながら消防車が巡回している。
「カーンカーンカーン」
この音の方が馴染み深い。
しかし、俳句などをやっている身からすれば、やはり、湯屋と拍子木。
てぇ組み合わせに、オツを感じ、詩情をくすぐられる。
いま、群馬県内で、この組み合わせが成立する地域が、果たしてあるのだろうか。

【天候】
終日、冬晴れ。

1420声 風雲

2011年11月21日

一雨来たら、急速に冬の空気に入れ替わり、朝晩の冷え込みがいっそう辛い。
青紫色の山並みに、じっとして動かぬ雲。
すっかり、冬の空になってしまった。
朝起きて、赤城山に千切れ雲の塊、所謂「風雲」を見つけると、
午後から吹き荒れる空っ風を思い、一寸、ため息が出る。

群馬県山間部では、既に降雪が珍しく無くなってきた。
来月の冬至まで、丁度、一月を数える。
すでに、クリスマスやら何やら、巷もいよいよ落ち着かないが、
冬至を過ぎる頃には落ち着いていたい。

風雲の少しく遊ぶ冬至かな(石田波郷)

今年こそは、こんな心境で迎えたいものである。

【天候】
終日、冬晴れ。