日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

1458声 同類相憐れむ

2011年12月29日

年賀状を出し終えて、ひとつ胸のつかえが下ろせた。
私は特に年賀状に凝るタイプでもないので、
ちょっとしたポストカードに、郵便局の干支スタンプを押して済ましてしまう。
恐ろしく字が下手なのだが、一応、印刷ではなく手書きしている。
同類相憐れむ。
自分も、あまり上手でない、いやまわりくどい言い方はやめて、
へたっぴな字の年賀状を頂くと、とてもうれしく、安心する。

そして、毎年新年二日に開催している「新春俳句ing」の手配を、大方済ませた。
「手配」たって、今年は特に事前予約関連はないので、簡単だった。
事前予約が無いので、二日の当日でもこれを読んでいて思い付いた方は、
伊勢崎駅に十時に来てもらえれば、間に合う。
今回は、西新井大師に参拝して句会、と言う分かり易い初句会である。
ここ数年、二日のこの日は、雲一つない快晴になっていると言う、
とてもめでたいお日柄なので、是非。

【天候】
終日、冬日和。

1457声 荒れ模様

2011年12月28日

28日を終え、ようやく、一年も終わるような気がしてきた。
今日の空は、まるで新春の初空のようなまろやかさ且つ穏かさが、あった。
しかし、今朝の天気予報を見るに、大晦日から元旦にかけて、天候は荒れ模様らしい。
東北、北陸では大雪の懸念まであり、交通機関の乱れが心配である。
毎年、初日の出を見るため、登山をする人がいるが、警戒するべきであろう。 

家の中にはいま、何ひとつとして正月らしい雰囲気を醸し出すものがないが、
大晦日までの残り二日で、年越しの餅を買う予定である。
私などは独り身なので、「年越し」たって、別に何を用意するでもなく、気楽なものである。
独り身でない友人知人などは、帰省やら旅行やら、正月が一大イベントらしく、
暮れから忙しく奔走している。
大掃除の済んでいない私の部屋は、依然として荒れ模様。
転がっている句帖を開けば、書き散らかして整理していない句ばかり。
大きくため息をついて。
せめて、部屋の中だけでも、すっきりさせて、新年を迎えたいと思う。

【天候】
終日、冬日和。

1456声 寝ながら数え日

2011年12月27日

今日は12月27日である。
世間一般、と言ってもあやふやだが、明日の28日で仕事納め。
と言う勤め人が多いのであろう。
私は29日が仕事納めなので、まだ何もかも、納まりそうな気がしていない。

「数え日」
と言う、俳句の季題がある。
「もういくつ寝るとお正月」の唱歌の文句にもあるように、
正確にいく日から数えるのかが規定されていないが、概ねクリスマス明けからであろう。
まさに今時期で、ここから雪崩式に大晦日へ向かう。

数え日の例句として、富安風生の句が多くの歳時記にひかれているようである。

数へ日の欠かしもならぬ義理ひとつ  風生

数へ日の盆梅凛と二輪かな  風生

年の内に欠かしてはならぬ義理を、ひとつくらい胸に抱けるような。
そして、盆栽の梅に咲いた、清浄なる二輪の花を眺めて新春を感じれるような。
そういう心持で日を数えたいが、中々、そうもいかない。
そうもいかない、てぇのは、推測の域を出ないが、当時の風生も同じだと思う。
それを思うのは、昨日、俳句界一月号(文学の森刊)の鼎談を読んだからである。
その一節、「童子」の辻桃子主宰の発言をひく。

「力を入れないで寝ていて作るような俳句がいいって自分で思えるようになったら、
とっても楽になりました。」

「はっ」と思った。
自分の句は、「寝ながら」作っているような句ばかりだった。

【天候】
終日、冬日和。

1455声 一夜にして

2011年12月26日

自動ドアが空いて、驚いた。
一夜城だって、こんな鮮やかに構築されない。
と言うくらい一夜にして、新年の設えが構築されている、コンビニ店内。
昨夜の煌びやかな、クリスマス装飾から一転。
レジ横に小型鏡餅が陳列され、本棚には新年号の雑誌が並んでいる。
そして天井には、サンタクロースに代わり、来年の干支である辰の、
手作りPOPが吊ってある。

昨日まで、サンタクロースの衣装を着ていた店員さんも、
すっかり普段着に戻り、いささか疲労の色が顔に滲んでいる。
冬休みで、部活動の遠征に来たのか、中学生男子が店内に十名ほど。
皆、「郡山~」と背中に大きくプリントされたジャージを着ており、言わずもがな、元気である。
それに引き換え、店員さん然り、本棚の前で立ち読みしている私を含めたおっさん連中然り、
大人は例外無く、疲れ切った顔をしている。

コンビニの店先で、温かな缶珈琲で束の間の暖をとっていると、先程の中学生軍団が出て来た。
高崎市街地のビジネスホテルにでも帰るのか、皆、手にはペットボトルやらが入った、
ビニール袋を持っている。
寒風吹きすさんでいると言うのに、彼らはジャージ一枚で、元気に飛び跳ねながら日暮の街を行く。
ゴミ箱に空缶を捨てると、「コン」と、情けない金属音が暗闇の中にこだました。

【天候】
終日、冬日和。
連日の乾燥注意報。

1454声 夕方のモンブラン

2011年12月25日

「クリスマス寒波」
と言うのがまさしく的中し、クリスマスの今日、朝から冷え込みが強い。

マフラーをぐるぐる首に巻き付け、鼻水を垂らしながら、高崎駅周辺をうろついていた。
三連休最後の日曜日とあって、駅構内にはやはり、若いカップルが目立っていた。
駅を出て、往来の脇に、なにやら人だかりしている店を見つけた。
近づいて覗いてみると、洋菓子店、である。
クリスマスも夕方になって、クリスマス用ケーキのセールが開催されていた。

店頭に並んでいるケーキを見ると、確かに安い。
箱に入ったクリスマスケーキのホールなど、全品半額。
人だかりに入り込み、揉まれ、また往来にはじき出されると、
私は手に、大きなモンブランケーキを持っていた。
ポケットにねじ込んであるレシートには、500円と印字されている。
今日ばかりは、麦酒でなく何かインチキな洋酒でも買って帰ろうと思った。

【天候】
晴れて風強く、とっても寒い一日。

1453声 プレ大掃除

2011年12月24日

このままでは、年を越す前に肺炎になってしまう。
そう思い立って、師走も押し迫った今日、部屋のプレ大掃除をした。
本番は、大晦日前日くらいにやろうと思っている。

一番の敵は「埃」。
本棚に入りきらない本が、部屋の隅に積んである。
積んで、あればまだ良い方で、一部地帯では崩れたままに折り重なっている。
そこに、埃が層になって積もってしまっているのである。

マスクを掛け、埃まみれになりつつ、作業する事三時間。
結局、本は一冊も処分していない。
折り重なっている本を、作者別に整理する、と言う作業だけに終わってしまった。
それでも、本置き場と化していた机の上は、机が見えるまで片付けられた。
雑巾で埃を拭いて綺麗になると、随分と机の木目が新しく見えた。

これでなんとか、机で年賀状を書く事が出来る。
文章を書く作業の大半がパソコンに移行してから、机の上が片付かなくなってしまった。
これには、ペンで紙に文字を書く事が習慣になっていない事が、大きく起因していると思う。
来年は、なるべく日記形式で俳句など残して行こうかと、思っている。
思っているのだが、まず、年賀状を書き終えるまで綺麗になっているかが、問題である。

【天候】
終日、冬日和。
雲も風も無く、穏やか。

1452声 丘の風花

2011年12月23日

風花舞う一面のすすき原で、茅を刈っていた。
いや、正確に言えば、刈る係の人が刈った茅を束ねていた。
目の前の丘の先には、夕日差す榛名山。
ここは、中之条町の山奥である。

ほのじ氏が、茅葺屋根の家を建てようとしている。
その手伝いとして、茅を刈っている。
もう、一年ほど定期的に刈っている。
大人が幾人も集まって刈っているので、それほど、
膨大な量の茅が必要なのである。

丘の上には、一面。
金色の夕日に輝く枯れ芒。
その中を、風花が舞って行くと言う、俳句を作る構図としては最高であった。
作業の手を止めて、一、二句書こうとしたが、どうしても、
ボールペンのインクがかすれてしまう。
それほど、寒い。
日が沈むと、更に深刻な寒さを、風が連れて来た。

【天候】
終日、冬日和。

1451声 魂胆

2011年12月22日

「クリスマス寒波」
誰が呼んだか、知らぬ間にいま日本列島に訪れている寒波が、
耳する各メディアそう呼ばれていた。
その影響で、日本海側から東北にかけては大荒れ。
関東地方でも極寒は免れず、群馬県山間部は大雪。
こう寒いと、なんだか視野が狭まって行くような感覚を覚え、
全てのやる気をそがれる。

それでも、句会やら忘年会やらには、顔を出している。
今時期の句会に顔を出せば、「今年の詠み納め」となるが、
俳句を作っている「個」にとって、詠み納めは無い。
大晦日に句を作って、元旦も句も作る。
それは良いのだが、クリスマスまで句を作ろう。
てぇんだから、俳人という人種はおしなべて貪欲だと思う。
かく言う私も、もちろん、「クリスマス」やら「聖夜」で、昨年散々作った。
いま見返すと、どれも世間を斜めから見ているような句ばかりである。
それだけでも、自身のクリスマスに対する姿勢が顕著に出ている。
今年はせめて、真っ直ぐ見つめたいものだが、中々、難しそうである。

もしかしたら、クリスマスをも、ひとつの句にしようと言う魂胆が、
いけないのかも知れない。
しかしながら、俳句にでもしがみ付いていないと、
あのイルミネーション輝く街の雰囲気に飲み込まれてしまいそうである。

【天候】
日中、曇天で寒し。
夜半に雲晴れて、星がたくさん見えた。

1450声 チャンス

2011年12月21日

「冬至は22日ですよ」
昨日書いた「鶴のひとこえ」の中で、すっかり冬至を一日勘違いしていた。
読者から指摘を受けて、気が付いた次第。
まさにいま、師走のてんやわんやを露呈してしまった。

郊外のスーパー、である。
その駐車場の隅にある小屋の前。
寒風吹きすさぶ中、何やら列をなしている人。
見れば、小屋の屋根には、大きく派手な看板。

「チャンスセンター」
つまり、宝くじ売り場で、売り場の宣伝文句を読むと、
数年前にジャンボくじの一等前後賞が出た、ジンクスのある売り場らしい。
販売終了間近とあっての、掛け込み需要なのであろう。
並んでまで買う気がしないので、そのまま通り過ぎてしまった。

「えっ、すごい、いくら当たったの」
「いやいや、宝くじじゃなくて宝づか、が当たったんだよ」
その人先日、宝くじでなく、宝塚歌劇団の観覧券が当たったと言う由。

【天候】
終日、雲多くも冬日和。
冷たい風が吹く。

1449声 冬至のカピバラ

2011年12月20日

明日は冬至。
と言う事は、柚子湯である。
銭湯は勿論の事、各入浴施設や家庭のお風呂で、
柚子湯が楽しまれるのであろう。
楽しむのは人間のみならず、動物園のカピバラもまた、然りである。

「カピバラ」と言う動物を知らない人の為に、簡単に説明する。
ネズミの親分みたいな奴で、体長は中型犬くらい。
性格温厚で、ネズミとカバを足して二で割った様な顔をしている。

いま、過去の日刊「鶴のひとこえ」を調べたら、2009年11月29日の第699声で、
このカピバラの入浴の事について書いている。
一日のニュースの中で、カピバラの入浴と言うニュースだけが、心なごませてくれた。
と言う旨の内容だった。
丸二年を経て、どうやら我が生活の状況に、左程変化は無い様である。

おそらく明日は、冬至恒例の柚子湯のニュース。
しかも、動物園で柚子湯に入る、カピバラの映像も流れるであろう。
昨今は、緊張している朝鮮半島情勢のニュース一色なので、
是非、心なごむカピバラの映像が見たい。
いつか動物園に行って、直に見たいと思っているのだが、中々、機会が無い。
銭湯で、カピバラの様なおやっさんは、頻繁に見ているのだが。

【天候】
終日、冬日和。
冬型の気圧配置が徐々に。

1448声 冬枯

2011年12月19日

国道の脇。
向こう側に見える雑木林との間に、休耕田がある。
その一枚づつに、あまねく、冬の薄い日差しが当たっている。
見渡す限りの枯野になっていても、日差しに輝く力がある。

その枯野から、畝ひとつ隔てた民家へ目を映す。
小庭の芝生はすっかり枯れており、小さい犬小屋が一つ見える。
小屋の脇、だらりと伸びた鎖の先には、一匹の茶色い犬。
佇まいは老犬然としていて、日溜まりに伏せていて、動く気配は無い。
犬もまた、静かに冬枯れているのだと思った。

【天候】
終日、冬日和。
徐々に寒波が来ている模様。

1447声 寒風と熱湯

2011年12月18日

日が沈むと、いよいよ夜風が痛いくらいに凍てて行く。
こうなると、湯屋までの道のりがとても億劫になってしまう。
「億劫」と言っても、寒風に晒されながら歩く、と言うこともない。
私は郊外に住んでいるので、近隣の湯屋へ行くのにも、車を使う。
それでも、寒い車内に乗り込むには、ちと勇気がいる。

良く行く銭湯へ出掛けた。
「22日はゆず湯」
脱衣場に貼ってあるこのポスターを見ると、しみじみと年の瀬を実感する。
日曜日の夜、深い時間なので空いていた。
空いているので、ゆったりと湯船に浸かって一句ひねろう。
なんて悠長な事は、とてじゃないが、できない。
何故ならば、熱いのである、湯が。

普段もこの銭湯の湯は熱いのだが、冬場は殊に拍車が掛かる。
巷の銭湯はど大方、外気温が寒くなると、当然、湯も冷めるのが早くなってしまうので、
目一杯沸かして熱くする。
普段熱い湯を、さらに熱くなるのである。
それがどれくらいか。
銭湯へ行ったことの無い人には、中々伝わりづらいが、
私が巷でよく熱いと感じる湯に、足湯がある。
爪先を浸けるだけで「あちっ」と、反射的に避けてしまうくらいの。
あの足湯と同じ程度かと思う。

寒くて爪先の皮膚感覚がおぼろげになる。
と言うのはあるが、この銭湯の湯では熱くて爪先の皮膚感覚がおぼろげになる。
足の裏が白くふやける、と言うのはあるが、ここでは、赤くふやける。
しかし、これは修行が足りない私の感覚であって、
常連さんなどは、終始涼しい顔をしている。
何度も、湯船から入ったり出たりしながら、忙しい入浴を終えると、
帰る頃には辛かった寒風が、湯ざましに心地好かった。

【天候】
終日、雲多くも冬晴れ。

1446声 息をひそめて

2011年12月18日

「よいお年を」
別れ際に言われて、しみじみと年の瀬であることを実感した。
年に数回程度会っている人たちとは、確かに、この次会うのはまた来年。
と言う時節である。

今年も残すところあと二週間となったが、年賀状を筆頭として、
やり残している事ばかりである。
それでも、忘年会などには夜な夜な出掛けて行く。
自身の今年の忘年会の予定は、既に、大方終わっている。
忘年会の予定も無く、夜の街を歩いていると、
俄かに活気づいている街の喧騒が、とても疎ましい。
クリスマスと相まって、イルミネーションの波状攻撃が、
もう素面では歩けない心持にさせる。

「和」の部類の属するお店。
例えば、蕎麦屋とか食堂などは、クリスマスを飛ばして年越し蕎麦やおせち。
年末年始の案内など、もう正月の雰囲気である。

話は飛ぶが、私は正月ラベル麦酒が好きだ。
特に、瓶麦酒。
ラベルが、通常のそれでなく、「門松」とか「賀正」、「謹賀新年」。
などが金文字で印刷されている、正月仕様のめでたい瓶麦酒である。
おそらく中身の麦酒は通常と同じなのだが、あのラベルから注ぐとまた一興である。
新春のめでたい空気を、目から味わう事が出来るし、巷のその店へ行っても、
あのラベルが溢れている事がまた、正月らしくて嬉しい。
忘年会であたふたしている店の厨房の冷蔵庫には、あの正月ラベルがごっそり。
年明けの登場の時まで息をひそめていると思うと、忘年酒もなんだか、
落ち着かないのである。

【天候】
終日、冬日和。

1445声 走らぬ師

2011年12月16日

予定では、今年残すところあと2回となる句会に、今日出席してきた。
句会場は前橋市田口町の和食レストランで、食事後句会に雪崩れ込むと言う方式。
吟行地は前橋市だったが、時間の都合で私は行かれなかった。 

吟行してから句会。
となると、その場所で見た実景が勝負になってくるので、
吟行せずに句会に参加すると、句が浮いてしまう。
そこらの野辺で、独り吟行し、「冬枯」、「寒さ」、「冬の雲」、「冬の空」など、
どこにもありそうな、なるべく大づかみな季題で句を揃えてから向かった。

私の結果はまずまずだったが、皆の句を見ているだけで、吟行地の風光が感じられた。
「鷹」の句も数句出ており、聞けば、吟行地ではやはり、鷹が大空に滑空していたらしく、
とても羨ましい思いがした。

「師走」。
であるが、俳句の師は、日本酒で薄っすら顔を赤らめており、走っている様子は無かった。
そして皆、師走の忙しい家事や雑事そして仕事の合間を縫って、
万障繰り合わせて参加しているらしかった。
「俳句」と言う短詩系は、極めて土着性の強い文芸だと、改めて感じた。

【天候】
終日、雲多くも冬日和。

1444声 見慣れぬ句集

2011年12月15日

今日、ふらりと古本屋へ立ち寄った。
俳句関連の棚を見ると、見慣れぬ句集が大量に並んでいた。
この店には、月に一度くらいは訪れており、その都度、俳句関連書籍は、
変わり映えのせぬ品揃えだったので、いささか驚いた。
これは掘り出し物があるかも知れぬと、句集を端から一冊ずつ手に取り、
頁を捲って品定めした。

新しく入荷した句集は全て、とある俳句結社の俳人たちによるものだった。
俳句愛好者であれば、古本屋にこの手の句集が大量に出回る。
と言う事が、何を意味しているかは、大体、察しが付く。
つまり、ある俳句結社に属していた俳人が亡くなった、と言う事を暗示している。
遺品整理で、古本屋に出回って来た書籍ではなかろうか。
本棚に並んでいる句集を見ると、著者は全て同じ結社に属している俳人である事。
そして、その大半に、「著者謹丁」の折り紙が入っている事。
この二つの点から、私の予想はかなり手堅いものだと思う。

古本。
ましてや古書などになれば、四代、五代目の人の手に渡るなどと言う事はざらである。
店内に蛍の光が流れ始めたので、慌てて一冊購入して帰って来た。
その遺品句集と思しき品でなく、地元俳人の句集を買った。
著者の生まれ年は、昭和2年。
平成23年の今年、御健在ならば84歳である。
写真を見る様に、俳句にも「時」が描写されている。
したがって、一冊の句集を読んでいると、
その人の日記を読んでいる様な印象を受ける。
大袈裟に言えば、その人の人生がある。

【天候】
終日、いさかさ雲と風あるも、冬日和。

1443声 狸と寒桜

2011年12月14日

もう一週間ほど、冬日和が続いている。
里山では、冬の夕焼けに輝く枯野や、夜の色と混ざった青紫色の山並みが、
とても綺麗である。
朝焼けも、さぞかし綺麗だと思うが、早起きの苦手な私は、それを知り得ない。

今日の事。
夕焼けの中、山道を車で走っていたら、鴉が群れをなして路肩に何か突いていた。
瞬間、ビニール袋の生ゴミでも啄ばんでいるのかと思った。
そのまま近づいて行くと、鴉等が驚き、ささやかに羽ばたいて脇へ避けた。
群れの中心に現れたのは、横たわっている一匹の狸。
大きな尻尾を持つ狸で、全身の毛がまだ柔らかそうだったので、
息絶えてから、まだ時間が経っていないのだと思った。
その躯が見えたと思ったら、また直ぐに鴉等が戻り来て、
黒い羽根で覆い隠してしまった。

バックミラーごしに、遠くなって行く光景を眺めていた。
道は小高い丘になっており、坂道を登って行くと、日だまりに寒桜が咲いていた。
枝に淡く小さく綻んだ花、一輪一輪が、朝日に煌めいていた。

【天候】
明け方雲多くも、その後、終日、冬日和。

1442声 翌朝

2011年12月13日

椅子に座ること、小一時間。
懐手しながら、あれこれと今日書くべき内容を組み立てていた。
その内に、爪先から寒さが染み込んできて、どうにもならぬので、
寝床に入った。
寝床に入り、体温で蒲団の中が温まって来たところで、また椅子に戻り、
それから、先程組み立てた内容を書こうと思っていた。

寝床に入っても、中々、蒲団の中が温まって来ないし、
爪先はいつまでも冷えたままである。
これは、長期戦になると思い、手持無沙汰に転がっている文庫本を一冊取って、
詠み始めた。
頁を捲るごとに、だんだん蒲団が温まって来て、おまけに瞼も下がってきた。
これから、眠い目を擦ってまたあの冷たい椅子に座り、
せっかく温まった足を冷やすのが、とてもおそろしく思えて来た。
なので、翌朝起きてからやろうと思った。
しかし、実際に行動に移す気力は無いだろうと思いつつも、「翌朝起きてから」。
そう思うと、とても心地好く眠れそうな気がしたからである。
それでいま、また夜に冷たい爪先を擦りつつ、これを書いている。

【天候】
終日、冬日和

1441声 詠み継ぐと言うこと

2011年12月12日

昼が短くなった。
つまり、日の出が遅く日の入りが早くなってきている。
冬至が直ぐそこまで来ていると実感する。
巷の湯屋では、そろそろ柚子の準備をしているだろうか。

「絆」
それが、今日、京都の清水寺で発表された今年の漢字一字である。
「今年の漢字」は、毎年、その年の世相を表すものだが、たしかに。
この一字を見ていると、反射的に今年の、三月十一日以降の数ヵ月が思い起こされる。

今年は、大きな句会へ行くと、必ず震災の句を幾つか見かけた。
春の句から始まって、いまは冬の句。
つい先日出掛けた、浅草で開催された大きな句会でも、
やはり震災の句が作られていた。
春先はことに多く、私が出合った中では、桜の句が多かったように思う。
そして、いまは師走の句が多く生まれているのだろう。

四季を通して詩を詠む。
そして、これからも詠み継ぐこと。
見えないけれども、それが「絆」。

【天候】
終日、冬日和