日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

937声 虹の橋

2010年07月25日

巨大な光の輪が、地面に刺さって半分顔を出している。
その輪が放つ光彩は七色。
すなわち、虹である。
夕立が過ぎて、ふと窓を眺めると、曇天に弧を描いて輝く、虹。
庭先へ出て、その全景を眺めてみると、裾の方には寄りそって架かる、もう一つの虹。
つまり、二重になっていたのである。
一方は霞んで弧を描いていなかったが、山に沈み行く夕日が映写機の如く、
曇空の白いスクリーンに映し出す虹は、とても、幻想的な眺望だった。
裏の田んぼ。
犬を散歩している人は、足を止めて犬と一緒になって眺めているし、
わざわざ車で田圃までやって来て、眺めている夫婦もある。
眺める者のたましいは、虹の橋を渡って行く。

936声 狂気のストライキ

2010年07月24日

昨夜は、酔っ払って帰宅して、何だかもう雪崩式に寝てしまった。
と言う事が、おぼろがながら分かったのは、今朝起床した際に、
足の先が冷えていたから。
その原因は、クーラーのつけっ放し、である。
寝床から這い出して、クーラーのリモコンを探していると、
宿酔いが、こめかみの辺りでやかましくデモ行進を始める。
夏日の最中、これには閉口して、洗面台を抱きかかえながら、蛇口の水をがぶ飲み。
なんとかこれで、昨夜の事は水に流してしまおうと言う、算段。
当然ながら、その算段も四段目には足を踏み外し、
我が体内の労働組合はストライキを決行。
ストライキの最中、思い出した仕事が一つ。
知人宅のお引っ越し。
その援軍として、参上されたし。
と言う盟約を守るべく、ストライキをかいくぐって、部屋の外へ一歩。
押し寄せる熱波。
その暑さたるや、もはや狂気の沙汰である。
丁度、部屋に映るテレビニュースは、都内では4日連続の猛暑日を観測と言う報道。
今年の日本列島は、近年稀に見る、記録的猛暑らしい。
人口冷気に慣れ惰弱になった体に、鞭打ち気力も無く。
食欲も無く、もはや、外へ出て行動する意欲すら無く。
泣く泣く部屋のドアを閉め、クーラーのリモコンを押してしまう。

935声 夜風のコブラツイスト

2010年07月23日

街にはようやく黄昏が訪れ、幾らか気温も下がるだろう。
などと言う安直な考えは、大暑の今日には通じない様で、
夜半の現在でも夜風が依然として、生温い。
先程、高崎市街地から自宅へ帰って来た。
午前様にならなかったのは、飲んだ麦酒がすぐ汗となって出るので、
あまり酔わなかったのかも知れない。
街は相変わらず、熱帯夜に蠢き、さんざめいていた。
私は相変わらず、路地裏を歩き、飲んでくれていた。
夜風の攻撃がコブラツイストに転じて、生温くない。

934声 純粋な記事

2010年07月22日

毎朝、2紙、時々読む週刊や月間入れれば、3紙程、新聞を読む。
今朝は、その中の上毛新聞の記事に目を通しながら、思わずニヤリとしてしまった。
2面の社会頁にある、『昭和ノスタルジー』と言う連載コーナー。
第6回目の本日は、「銭湯」であった。
銭湯好きな私が、銭湯の記事を見付けたから、嬉しくなって、二ヤリ。
そんな簡単な事で無く、掲載されていた銭湯を見て、
「おぉ、やるではないか」と言う感嘆の二ヤリなのである。
では、何が感嘆に値したか。
焦点を当てた銭湯が、である。
佐波郡境町は、2005年1月に伊勢崎市と合併して、
現在は伊勢崎市境と言う地名になっている。
その旧境町に過去7軒在った中、残っている銭湯は、現在1軒。
その1軒である「さくら湯」が、今日も煙突からモクモクと煙を吐きながら、
常連客を迎えている筈。
このさくら湯に焦点を当て、「人情が触れ合う場所」として、
コーナーの銭湯に関する記事としてあった。
行った事がある人なら。
と言っても、私の思い当る中では、ほのじ氏ぐらいしかいないので、
極少数だと思われるが、行った事がある人なら、分かると思う。
味わい、がである。
さくら湯の味わいを説明するのは、ちと難しい。
伊勢崎市境、通り外れの住宅街に、さくら湯は朴訥として佇んでいる。
夜になれば辺りの灯は消え、犬の鳴き声とカレーの匂いだけが浮遊している様な、
いささか寂しい立地。
しかし、暖簾をくぐればそこに、浴室にペンキ絵を構える伝統的な湯屋がある。
このさくら湯は、私、その朴訥とした概観から、
「玄人向き」(銭湯に玄人素人も無いのだが、話の上で)の銭湯だと感じていた。
玄人向きと言うかマニア向けと言うか、つまり、その味わいの素晴らしさを、
万人に伝えるのが難しい。
その背景が瞬時に交錯し、今朝の二ヤリに繋がる。
銭湯を記事にする為には当然、選定したのだと思う。
その選定には、これも当然ながら、基準があると思う。
それを加味した結果が、「さくら湯」と言う所に、感嘆ないしは共鳴を感じる。
この結果には、「マーケティング感」が漂っていない。
それは、例え適当に選定したとしても同じ事で、マーケティング感が表に出ていない。
なので、とても純粋な記事である。
そう言う記事を読むのは、心地好い。

933声 プールカードと水着袋

2010年07月21日

38.9℃を観測。
昨日の最高気温を更新して、今年の最高気温記録保持市になったのは、館林である。
これが人間の体温なら、病院へ行って解熱剤注射の一本でも打っている事だろう。
しかしながら、お天道様に至っては、人間の打つ手が無い。
私たちに出来るのは、脳みそがうだってしまわぬよう、極力、炎天を避ける事くらいだ。
それでも、夏休みに入った子供たち。
元気に水着袋を振り回しながら、学校へ駆けて行く。
その光景に、プールカードと水着袋を持って学校へ向かう、
幼き頃の夏休みが思い出された。
その記憶映像には、何だか、暗欝な心持でとぼとぼと、
田の畦道を行く自分が映し出されている。
子供時分、プールが嫌いだった。
プールで仲間たちと泳ぐ事。
それ自体は好きだったのだが、プールの「授業」が堪らなく嫌だった。
ブーメランパンツを履いた体育教師が、首から下げた笛を、「ピッ」と鋭く吹くと、
横一列に並んだ私たちは、一斉に25mプールの向こう岸を目指して泳ぐ。
何だかそれは、調教師とイルカの様な、あるいは、将兵と兵卒の関係を彷彿とさせた。
つまり、服従させる者とする者。
その主従関係めいた形式が、プールを楽しむ私の子供心を、
たちまちに萎えさせたのである。
勿論、泳ぐのが遅いと、刺す様な怒声が飛んで来る。
しかし私は、先にも書いた様に、プールで仲間たちと泳ぐ事は好きなのだ。
夏休みはもっぱら、友達をそそのかして、近所の「町民プール」へ入り浸っていた。
入場料はかかるが、ここには、調教師も将兵もいない。
こちらの方が断然、自由闊達に泳げるし、そして何より、プールを楽しめる。
この日、私の部屋の勉強机上に放り投げてあるプールカードには、
私の下手くそな数字で、「38℃熱あり」と、記入してあるのだった。

932声 鰻の野望

2010年07月20日

殺人的。
と言うのが誇張でなくなる程、太陽が苛烈に照っていた。
伊勢崎市では今夏最高気温、38℃度を記録。
勿論、直射日光が照り返す、往来のアスファルト上の体感気温は、更に高い。
こう言う日は、「暑さに負けず」なんて精神こそ放擲して、
兎に角、暑さから逃げるのが得策と思われる。
でないと、新聞紙面に毎日の様に載っている、
「熱中症と見られる症状で死亡」
なんて事になりかねない。
陽炎揺らめく幹線道路。
沿道に店を構える牛丼チェーン店。
その店頭に貼ってあるのは、「鰻丼500円」と銘打たれた、野外ポスター。
釣られて入って、鰻丼を注文。
気付けば明日は、「土用の丑の日」ではないか。
知らぬ間に、この古典的キチャッチコピーが、意識内に刷り込まれており、
無意識の内に鰻を欲していたのだろうか。
思えば、ここ近年、私が食べる鰻は、決まって「丼」で、「重」の鰻なんて、
久しく食べていない。
落語の「居残り佐平次」では、貸座敷に居残った佐平次が、朝湯から上がって、
悠々と荒井屋の鰻で一杯やる、なんて場面がある。
そんな事を思い出すから、目の前の丼が、えらく情けなく思えて来た。
今夏は必ずや、蒲焼きで一杯。
と言う野望を胸に抱きつつ、炎天の路上に立つ。

931声 風のよろめき

2010年07月19日

今日は、まったくもっての、この炎天
逃げて、逃げて、逃げ惑って、それでも逃げて
逸れて
広瀬川の風がよろめいて
前橋文学館で朔太郎の足跡を見て
やはり
広瀬川の縁でよろめいて
朔太郎の足跡が
よろめいて

930声 自腹の芸に御座候

2010年07月18日

昨日、黄昏時の電車内は混んでいた。
浴衣を着たお嬢さんもいれば、スーツを来たお父さんも居る。
皆、目的へ向かっているのだろう。
夏祭りやら、花火大会やら、家族団欒やら。
「バタン」
三味線のハードケースを倒して、車内の視線に刺されている私も、
勿論、目的へ向かっている。
目的へ向かっているのだが、私の場合、行き場所が無いからその場所へ行くのである。
何だか、コーンスープに浮いている唐黍の粒のように、幾らスプーンでかき回しても、
スープに混ざれない様な心持ち。
行き場所が無い人たちが寄り集まって、演芸会が始まって。
高座、風のステージへ、若き乙女から妙齢の女性まで、入れ替わり立ち替わり。
と書くと華やかな印象だが、合間に出てくる男衆が、キチンと水を差している。
三味線に箏が鳴るってぇと、漫談、落語、小唄に端唄。
カシオトーンから歌謡曲まで飛び出して、会場を灯す和ろうそくも短くなった頃、
いよいよ真打ちプロミュージシャンの大登場。
なめらかなアルペジオの調べと、甘い歌声。
しんみりと聞いているのは、酔いも目も覚ました、座の御一同。
拍手喝采に気付くのは、自分に決定的に足りないもの。
才能である。
演芸会のなんと面白きこと。
自腹芸のなんと心地好きこと。

929声 演芸会で熱中症予防

2010年07月17日

平成22年7月の梅雨明け発表が、先程、気象庁から発表された。
現在時刻は正午過ぎだが、もう、酷暑。
冷麦を啜って、ちょいと昼寝をしていたのだが、今起きてみると、
倦怠感に頭痛のおまけが付いて来た。
熱中症の前触れではないかと思われる。
一刻も早く、頭及び体を冷やさなければならぬが、焦らないでも今日は、
涼める場所に出掛ける予定があるのだった。
今宵は、ほのじで演芸会があるので、そこで涼んで来ようと思っている。
なに、演芸会が始まって、2、3人も出てくれば、
丁度良い頃合いの「寒さ」になるだろう。
その中に、私が入って入る可能性は大、であるが。
私の場合においては、おそらく、冷汗三斗の思いなるだろう。
なんだか本格的に、頭を冷やす事態になるような気配を、そこはかとなく感じる。

928声 虫のいい話

2010年07月16日

我が部屋の中を見回すと、改めて、時候外れの野暮ったさを痛感する。
テレビの横、結婚式の引き出物の上に置いてあるのは、香典。
衣文掛けを見ると、アロハシャツの隣にコートがかけてあったりと、
冠婚葬祭春夏秋冬が混ぜこぜ状態になっているのである。
こんな部屋に居ながら、一応は花鳥風月に思いを馳せ、
毎日、俳句の一句でも捻ろうってんだから、虫のいい話である。
今宵、窓から雨上がりの夜風に乗って聞こえて来る、虫の声。
「リィィリィィリィィ」
と鳴いてるあの虫は、マツムシではなかろうか。
だとすると、梅雨明け前夜の今日では、出番がちと早い。
時候すら覚束かぬ時世だと言う事なのだろうか。
まぁ、虫なんてどうでもいい話。
なんて、大人は軽々しく言うが、そんな事を言ってられないのが子供連中である。
明日ないしは来週20日から夏休みに入る子供たちは、
しばらく、虫取りが仕事になるのだろう。
そして、宿題の絵日記には、虫のいい話が沢山記される事と思う。

927声 マッコリの去り際

2010年07月15日

先日更新された「名店のしきたり」の第26回。
今回の名店は、伊勢崎市の「韓国居酒屋J」である。
私も、記事の筆者に何度か連れて行ってもらった事があり、
本文にもあるような韓国家庭料理を堪能した。
その中、私の持つ印象を、新しく塗り替えた酒があった。
マッコリ、である。
マッコリは、飲んだ事が無いでもない。
この酒とは、その程度の付き合い方だった。
焼き肉や韓国居酒屋へ大勢で行って、誰かが頼めば飲む。
自ら進んで注文した記憶はない。
しかし、この店の自家製のマッコリは、美味かった。
マッコリってのは、韓国の大衆酒。
酒類で言えば醸造酒で、まぁ日本で言うどぶろくに似ている。
醸造酒なので、当然、酵母でアルコール発酵させて、そのまま飲む。
マッコリの場合は、雑菌の繁殖を抑える為に乳酸発酵させる。
なので、一見、強そうな酒に見えるが、アルコール度数が麦酒程度に弱く、
ほのかに酸味があるので、口当たりがとても良い。
のったりと白濁した液面を見ると、ヤクルトでカルピスを割ったような感がある。
美味い事は、確かに美味いのだが、印象を新しくしたのは、その残り方、なのである。
酒が残るってぇと、当然、碌な事が無い。
あるのは、二日酔いと自己嫌悪ぐらい。
そこがこのマッコリは、違った。
「明日苦しむ覚悟」を決めた。
と言いたい所だが、現実は酒と状況に押し流され、
次々に杯を重ねていたこの日は、日曜の夜であった。
麦酒を飲んでマッコリを飲んで、また、麦酒を飲んでと言う始末。
千鳥足で終列車へ潜り込んで、明朝、驚いた。
予想に反して軽い。
体が、である。
つまり、マッコリが残っていないのだ。
あのアヤシゲな白濁からは想像し得ない、見事な去り際。
蒸留酒の焼酎やウイスキーだと、その液面はスッキリと澄んでいるが、
去り際がなんともよろしくない。
いつまでも、居座って、昨夜の復讐に精を出す。
酒と人は、見た目で判断できない所がある。
などと、格言めいた締め括りをしようと思ったが、止めて、蛇足する。
もしかしたら、韓国料理とマッコリの相性が良かったのかもしれないと、
書きながら思った。
そう言えば、唐辛子や発酵食品が多い韓国料理は、
いかにも新陳代謝が活性化しそうである。

926声 人に食あり物語あり

2010年07月14日

私は食事に関して冒険しない性質である。
つまり、食に関する好奇心が薄いのだろうが、通っている食堂などへ行っても、
一度これと決めると、何年も同じ品物を注文をする。
食堂の大将に、「いつものね」なんて言われるタイプである。
相反して、好奇心旺盛な人も、勿論いる。
そう言う人と一緒に食堂などへ行き、メニューに変わった品を見つけると、
即決で「じゃあ、食べてみよう」と言う事になる。
私の身近では、ほのじ氏が、職業柄と言う事もあろうが、まさにそのタイプ。
俳句ingなどで訪れた、見知らぬ土地の一見居酒屋で、
メニューから何やら得体の知れぬ料理を見つけ出す。
(いつぞやは、ダチョウの刺身だったかタタキだったか)
すると、即座に店員を呼び、喜々とした眼差しで注文している光景を、
何度となく見た。
先日、そんな、食に暗い私が読んでも、とても面白く感じた食の本があった。
嵐山光三郎氏の『文人悪食』(新潮社刊)である。
漱石、鴎外から池波、三島まで、日本文学史に名を成した37名の文士たちの食卓事情、
ことにその「悪食」ぶりが、氏によって軽妙に描かれている。
アイスクリームとビスケットが好物の漱石。
饅頭をご飯の上に乗せて、煎茶をかけて食べるのが好きな鴎外。
群馬県に縁のある作家で言えば、ウイスキーをサカナに睡眠薬を常用していた安吾も、
「とも食い」と称してアンコウ鍋を好んで食べていた。
そして、洋食好きで知られる朔太郎も、東京の借家を転々としながら、
毎晩、酔っ払っては終列車に転がり込む毎日を送っていていた。
そんな折、夜中にただ独りで食う、母が作った握り飯の味に、悲哀を感じていたのだ。
文人の作家生活の中で「食」を照射する事により、有名文学作品が持つ、
裏舞台を見事に浮かび上がらせている。
元雑誌編集者であった氏は、壇一雄の担当編集者であり、
多くの文士と直に付き合っているので、内容も深く貴重なものが多い。
やはり、昨今「文豪」なんて言われる方々には、
その私生活にも、常人とは異なる「食物語」があるようだ。

925声 カンカン帽の娘

2010年07月13日

今日、勤めの帰りにショッピングセンターへ寄った。
この「センター」ってのはもう旧時代的で、巷では「モール」ってな事を言う。
今時のショッピングモールとやらは、何しろ入っているテナントの数が多い。
店内のパンフレットにて、確認すると、およそ170店舗らしい。
住み慣れた町で、私が地図を必要とするのは、この店内だけである。
ようやく、目当ての店を探し出して、足を止めた。
ここは帽子屋である。
手頃な「カンカン帽」を求めてやって来た。
今時は、そう昨年辺りから、若い女性の間で、このカンカン帽が、
爆発的な流行になっている模様。
雑誌を見ても巷を見ても、猫も杓子も、カンカン帽の娘だらけである。
然るに、この帽子屋で手ぐすね引いている若い女性店員も、被っているのである、
カンカン帽を。
そんな状況なので、どうにも邪推してしまう。
店員との噛み合わぬ会話を、である。
「こんにちは、今日はどんな帽子をお探しですか」
「へい、えぇ、カンカン帽を、ひとつ」
「カンカン帽ですね、こちらの品物などは、今夏流行の〜」
なんて言って、この店員が手にしているのは、明らかに女性用のカンカン帽。
「あぁ、いえ、プレゼント用ではなく、自分の、カンカン帽なのですが」
「えっ、お客様の、カンカン帽ですかぁ」
と言いつつ、訝しむ眼光を浴びて、たじろいでいる、自分。
そんな会話及び状況に怯えつつ、店員の目をかいくぐって、
店内の隅でこそこそと帽子を物色。
すると、商品陳列棚の上に、男性用と思しきカンカン帽がひとつ。
値札は、福沢諭吉に気を持った程度の価格。
「けっこう値が張るな」
などと、考えていたら、案の定、悪魔の囁き。
「こんにちは、何かお探しですか」
ギクリと狼狽しつつ、直ぐ前に陳列してある、洒落た中折れ帽子を手に取って答弁。
「えぇ、まぁ、良い帽子があれば」
「そうですか、良かったら、試してみて下さい」
差し出された鏡で、その帽子を被った自分の顔を映して見ると、
これがまた、似合わねぇでやんの。
「うぅん、まぁ、すこし、あれですな、そうかそうか」
煙に巻いて、そそくさと逃げ帰って来た始末。

924声 遊鄰座の大活辯上映会

2010年07月12日

昨日は桐生市で開催された、大活辯上映会へ行って来た。
主催は、遊鄰座で「活弁」実行委員会。
会場は、有鄰館の煉瓦蔵。
有鄰館に足を踏み入れるのは、この日が初めてだった。
蔵内の雰囲気に、成程、各種イベントスケジュールが数ケ月先まで埋まっている、
人気スポットたる所以を理解させられた。
チラホラ、立ち見が出る程の盛況ぶり。
演目は、澤田正二朗の国定忠次、ハロルド・ロイドの豪勇ロイド、
阪東妻三郎の坂本竜馬。
勿論、三本とも白黒の無声映画で、私は観た事がなかった。
それもその筈、前の2つは大正時代、最後の坂本龍馬でさえ、昭和3年の作品である。
活動写真弁士(活弁士)を務めるのは、
麻生八咫(あそう・やた)子八咫(こやた)親子。
映写するのは、桐生和紙を貼って作った大型スクリーン。
この味のあるスクリーンに映し出される映像に向かって、「語る」のである。
あらすじ、セリフ、効果音の全てを人力で映像に合わせるのだが、
その臨場感たるや、現代映画を凌ぐが如し。
弁士が語る事により、映像が見えなくとも楽しめる。
そう、録音で聞く落語みたいに。
「チントンシャン」
このオツな音色は、地元桐生の「山茶花の会」の方々が三味線と尺八で奏でるお囃子。
スクリーン一杯に映し出されるのは、ギラリと愛刀の小松五郎義兼を抜く国定忠次。
そこに響くのは、弁士の朗々とした語り。
「赤城の山も今宵を限り〜」
これを聞くと、生粋の桐生人は血が滾るのだろう。
私の隣に座っているおばちゃん、固く拳を握りながら、映像に喰い付いている。

923声 信州の香

2010年07月11日

台風一過を思わせる、夏空。
思い立って、午後3時。
向かったのは、北高崎駅。
部活帰りの高校生に紛れて、乗り込んだ電車は、信越線。
碓氷川沿いに広がる、水田と町。
その中、彼方の妙義山へ向かって進んで行く。
およそ30分走ると、列車は終点の横川駅へ到着。
ドアが開いて、一歩。
碓氷峠から吹き来る風は、そこはかとなく、信州の香。

922声 夜空の煌めき

2010年07月10日

昨夜の大雨暴風警報発令下に、自転車を漕いでいた。
雨はそうでもないが、手に負えないのは風。
まるで台風の如き暴風雨であった。
合羽を着ていなったので、目的地へ着くまでに、大分、濡れてしまった。
用事を済ませて帰る頃、雨はしとしと。
雨の日は、高崎中央銀座のようなガード商店街に批難する酔客が多い。
その為、昨夜も随分と人出があり、一時、かつての繁華が戻ってきたようであった。
そうこうするうちに雨もすっかり上がり、台風一過の様な清々しい夜空が現れた。
去り際に連れて行ってしまったのだろうか、どこを見ても月の姿が見当たらない。
繁華街から遠ざかるにつれ、星も瞬きを増してくる。
漕ぎ疲れて空を見上げれば、目の前に夏の星座がある。
空気も入れ替わった様に清浄で、自転車でのろのろと走行するのが、
とても心地好い。
榛名山と赤城山を隔てる町へ、灯りの無い郊外の夜道を北上して行く。
西の空に、強い輝きが一瞬。
あれは、流れ星。
それとも、電線から垂れ落ちて煌めいた、雨水一滴。

921声 味噌胡瓜

2010年07月09日

今日、行きつけの食堂のおばさんに、胡瓜を沢山頂いた。
何でも、プランターで自家栽培しているらしい。
成程、定食に付いてくる、茄子と胡瓜の糠漬けの味が、絶品であった。
早速、自宅へ持って帰って、水で洗いし、一本かじってみた。
味が、極めて濃厚である。
量販店で袋詰めして売っている胡瓜とは、やはり一線を画す。
こちらの方は、見た目から言って、野性感に溢れている。
その形は、捻り曲がっている無骨な頑固者と言った印象である。
コイツは畳の上で死ぬようなたまではあるまいと、
塩を擦り込んでバリバリと、手掴みで丸かじりした。
そう言えば2、3年前。
飛騨高山を訪れた際に、露店で売っている胡瓜を食べた。
その露店は、味噌蔵の実演販売。
買った胡瓜に名物の赤味噌を塗り付けて、丸かじりにする。
真夏の炎天の下、水で晒した胡瓜と赤味噌の味は、これまた、格別だった。
格別なのだが、赤味噌を塗った胡瓜の見た目と言うのは、どうにも解せないものがある。
味噌をどう塗っても、一向に美味そうな見た目に仕上がらない。
味噌を塗ったくられた胡瓜も、あの時ばかりは、
どこか恥ずかさの裏に、そこはかとない悲しさが見え隠れしていた。

920声 ネラレマセンカクマデハ

2010年07月08日

夜半に寝床でうとうとしていると、
何処からともなく、
声が聞こえる。
ネラレマセンカクマデハ
のそのそと寝床から這い出して、
パソコンの前に、
突っ伏している。
急かすんじゃねぇやい。
扇風機の分際で。