「ほんっと、疲れる」とこぼしながら、
焼酎の水割りを口に運ぶDさん。
なにが疲れるって、
酒ほどツカレルものはないと思うのですが・・・
2007年06月29日
商売をしていますと、それなりにお客さんがついてくださいます。
決していいとは言えないときもあるはずです。
それでもまた次においでくださる。
そのことの有り難さをいまさらながらに感じます。
学生時分の酒の席での話。
祖父と同じくらいの年の方とご一緒させていただいたときのこと。赤ちょうちんのカウンターで、そろそろおあいそというときにまだ注文したものが来ていなかったのですね。私がそれを口にしたらその方は何もなかったように、「忘れてしまったんでしょう」と。まだ出てきていない料理の分のお金も払って店を後にしました。
料理を出す。
お金を払う。
それだけの関係性ではわからないことがたくさんあります。
その関係性を超えたところにこそ、飲食店の醍醐味があると感じてきました。
その関係性を超えたところにしか、興味を持てなくなってしまいました。
2007年06月28日
怒りや悲しみややるせなさを超えられるものがあるとしたら、
笑いではないでしょうか。
それらを笑いにできる人に出会うと、
嬉しいというよりむしろ、ほっとする。
目くじら立てていた自分が、
なんだかとても恥ずかしくなる。
2007年06月26日
お腹一杯にしてしまうと、
それを消化するのにものすごいエネルギーを使うから、
結局疲労やダメージが残るのですね。
腹八分目というのは上手な生き方のひとつかもしれません。
ちょっと達人になると、腹六分目、なんて方もいる。
人と人との関係も、
お腹一杯にしようとすると、
それを消化するのにものすごいエネルギーを使うから、
結局疲労やダメージが残るのですね。
この、満たした八分目の残りの二分、そもそもここは、空にして残しておくべきところなのかもしれません。
それができりゃあねぇ。
2007年06月24日
どうしてこんなにも忙しいのかっていったら、
欲張りだからなのだと思う。
少しそれを抑えることができたなら、
こんなにも傷つけ合うことはないのかもしれない。
地球の深刻さも抑えられたのかもしれない。
欲張りなふうにしておいて、
欲張りな人間を懲らしめようとする神様は、
イジガワルイ。
2007年06月19日
「形あるものに心のよりどころを求めようとするが、そういうものが満たしてくれるものはほんの一部。目に見えないもの、風や光、誰かの思い、亡くなった人の面影とか…そういうものに心の支えを見つけたとき、たった一人でも立ってていられる。」
2007年06月18日
バカという。
不確定要素というのは、
楽しさの素であり、
嬉しさの素である。
もちろん、
悲しさの素でもあり、
腹立たしさの素でもある。
これ全部ひっくるめて、
’面白さの素’ってのはどうでしょう。
面白素(もと)の詰まった人は、
面白味(あじ)のする人。
面白味(み)のある人。
これは、
確定要素や予定調和では味わえない味ですな。
ダイナミックで繊細な味ですな。