日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

757声 新湯は身の毒心の徳

2010年01月26日

1月26日の今日は、一番風呂の日。
と言うのは、私が今し方、思いつきで作った記念日。
「新湯は身の毒」と言う諺もあるくらいで、医学的見地から言えば、
一番風呂は体に悪い、良いう事になっている。
湯温も高く、塩素の刺激が強いので、体に悪いと言う訳だ。
人が入れば、その不純物で湯が馴染む。
なので、二番煎じの風呂の方が、適温、適質の湯になるのである。
しかし、路地裏の夕方。
銭湯の暖簾が掛かるのを、今や遅しと待ち構えている、常連さんの列。
そんな光景が、未だにある。
市井の家庭ではどうだろう。
「お父さんの後はヤダ」
なんて言う具合にごねて、一番風呂に入っている中・高校生が、
大勢いるのではなかろうか。
そんな時は、ごねるのでなく、この「新湯は身の毒」と言う諺をチラつかせてみる。
そうすれば、すんなりと、むしろ好意的に一番風呂が頂けるかもしれない。
私も、路地裏の一番風呂争奪戦に、幾度か参加した事がある。
誰もいない浴室を撮影する、と言う目的があったが、
やはり一番風呂にも入りたかったのである。
体に毒だろうが何だろうが、そこはかとなく心持が良いではないか、一番ってのは。
何だか、徳をした様な、徳がありそうな、縁起物の気配をそこに感じる。
もしも私が父親で、息子や娘に「新湯は身の毒」と言い包められそうになったら、
「良薬口に苦し」で、徹底抗戦の構えをとるつもりである。

756声 笑顔で行こう

2010年01月25日

終演を迎えてから一夜。
先程、実行委員長から、最終観客動員数の集計を終えて報告が来た。
その詳細は記載しないが、昼席、夜席合わせて、999席。
この結果は、群馬県民会館小ホール、昼、夜、2回公演を満席にしたと言える。
偶発的な話から、突発的に参加させて頂く事になった、今回のコンサート。
自らのおぼろげな人生を、ふと振り返って見れば、
一番の大舞台だったのではなかろうかと思う。
「そう言えばそうか」
と、間が抜けた思考回路の隣で、昨日の舞台上から見た光景が、
スライドショーで流れている。
脳内のスクリーンに映しだされる、どの写真も、会場の人たちの笑顔。
芝居屋らいぶヨロコンデの十八番に、「笑顔」と言う曲がある。
つまりは、昨日のコンサートで、一番最後に演奏した曲。
その歌詞のサビには、こうある。
かなしいことが いっぱいあっても
うれしいことも たまにあるから
やっぱり生きて ゆこうと思う
やっぱり笑顔で 生きてゆきたいね
読者諸氏の中で、昨日来てくれた人、ほんとにありがとう。

755声 小さな朝

2010年01月24日

現在、NHKテレビ「小さな旅」を見ている。
珈琲を飲みながら、見ている。
集合時間には、遅刻。
しかし、遅刻常習の私は、たじろがない。
良くない、性格である。
遅刻も依存するものだ。

754声 二人をなだめて

2010年01月23日

悩んでいる。
油断大敵、と思うあまりに、優柔不断。
つまりは決めかねている。
明日使うギターを、である。
思わせぶりな書き出しだが、明日、私の出番などは全体の3割程度。
しかし、その3割が重要だったりする。
この「明日」ってのは、群馬県民会館小ホールで開催される、
「芝居屋らいぶヨロコンデ」のコンサート。
古い馴染みのオンボロギターにするか。
それとも、長い事ギターケースの中で眠らせておいた、ベテランギターにするか。
悩んでいるが、とどのつまりが、ギターなど道具ではないか。
道具として、使い勝手の良い方を選べば良いだけではないか。
なんだ、こんな簡単な事だったのか。
と、割り切れないのが、悪い癖。
そんな事ばかりに気を取られて、当日の進行が頭に入っていなかったりする。
この決着を明朝まで延期すると、これは完全に遅刻すると言う最悪のシナリオである。
「どっちにするか、決めなさいよ」
目の前に並んで立っているギターに、問い詰められている。
そのギターの名は、ジャズマスターとテレキャスター。
やはり私は、なんとか二人をなだめて、寝てしまうと言う腹を、決め込むとする。

753声 金曜日には花を

2010年01月22日

今日は金曜日。
つまり、「花金」である。
「はなきん」なんて私語を、墓場から掘り起こして使ってみたのだが、
どうにもやはり、花金なんて言葉を使う風潮は、現代の巷に無い。
その昔は、金曜日に花があった。
なんて書くと、「お前はいくつだ」と突っ込まれてしまいそうだが、
実体験としてそう感じている。
金曜の夜と言えば、街にも華があったものである。
記憶の根は芋づる式に繋がっていて、次々に思い出す。
そう言えば、金曜夜7時半には、「はなきんデータランド」なるテレビ番組を見ていた。
今頷いている読者諸氏は、若くない筈。
確か、「ミュージックステーション」の前に放映していた番組で、桂文珍さんが司会だった。
私は未だ小学生、中学生時分だったが、あの華やかな番組セットを見つつ、
明日に控える土曜日と、魅惑的な日曜日の待ち遠しさを噛み締めていた。
金曜日には、浮き立つような足取りで、学校から通学路を帰ったものだった。
年齢の為か世相の為か、あるいは懐具合の為か、金曜日と言えど、
感慨は薄くなってしまった。
街に出掛ける回数も、めっきり減ってしまった。
雪崩式に金曜日を転げ落ち、はっ、と気付けば土曜日の朝。
と言う具合だから、土曜日だって、満足な過ごし方が出来ない。
金曜日。
少しは、自ら摘んできた花を添えてみようかと思う。
そうすれば、私の週末が幾らかでも華やぐかも知れない。

752声 飛び級で御林住

2010年01月21日

「えーっ」
と先日も、驚かれてしまった。
年齢の話、なのである。
銭湯や俳句のイメージが影響しているのだろうが、
にしたって、少々、上に見られる事が多い。
「私、てっきり、少しお兄さんかと…」
と、30代前半の女性。
「いや、ずっと、30代後半くらいかと思ってたわ」
これは、40代後半の男性。
「確かに、20代後半です」
息巻いているのは、私。
五木寛之さんの「林住期」ではないが、古代インドでは人生を四つに分類すると言う。
学生期、家住期、林住期、遊行期が、それである。
学生期(がくしょうき)は、生まれてから24歳まで、家住期(かじゅうきは25から49歳、
林住期(りんじゅうき)は50歳から74歳、そして、遊行期は、75から90歳となる。
そして、この林住期には、社会的な務めを終え、輝かしい「第三の人生」が待っている。
と言う事になっているらしい。
家住期に入ったばかりの私ではあるが、
こうもことごとく年齢を上の見られるならば、早く林住期に行きたい心持である。
いっそ事、家住期は飛ばしてしまって、飛び級で事を進めたい。
そんな事を考えているから、いけない。
どうやら、学生期での道を誤った感がある。

751声 中将湯とバスクリン

2010年01月20日

「バスクリン」
で有名な、ツムラライフサイエンス株式会社がその社名を、
「株式会社バスクリン」に変更するらしい。
今年の6月に開催予定の定時株主総会以降なので、9月1日付での変更となる。
勿論、私も子供時分から、バスクリンは良く使っていた。
「森の香り」などを入れると、湯が緑色に染まり、はしゃいでいたのを記憶している。
大人になってからは、吝嗇根性を出して、規定量よりも少なめにして、使っていた。
このバスクリンってのは、その歴史を遡れば、日本初の入浴剤なのである。
入浴剤の元祖と言う訳だ。
1897(明治30)年、当時の社名で津村順天堂、が発売したのが、
「くすり湯浴剤中将湯」。
これは家庭用と言うよりは、銭湯向けの入浴剤として商品化されたらしい。
その後、この商品から、芳香浴剤「バスクリン」が生まれ、
高度成長期の内風呂付住宅の普及により、家庭用入浴剤として、飛躍的に浸透する。
元は、銭湯への誘客を見込む為の入浴剤が、今は、銭湯へ向かう客足を、
留める効果を生んでしまっている。
時代の移ろいは、ときに皮肉な結果を生む。
私も銭湯を巡るようになって、この「中将湯」の看板を目にした事がある。
中将姫と言うお姫さまが描かれた、華やかで豪奢な看板であった。
そして、発売から100年以上経った現在でも、現役で使用されているのだ。
今日は大寒。
この真冬、久しぶりに、バスクリンであったまろうと、思い立った。
のだが、気温、小春日和で温かいんでやんの。

750声 ツイッターとハサミは使いよう

2010年01月19日

最近よく見かける、「Twitter」と言う用語。
「ツイッター」と読むらしい。
最近では、今年の1日から内閣総理大臣である鳩山首相が、
ユーザー登録して利用を開始した事でも知られている。
そして先程、ニュースを見ていたら、今月18日、地震に見舞われたハイチの支援のため、
米赤十字社の本部を訪れた際、このツイッターを利用したとの事。
まずそもそも、このツイッターってのが、どう言うシステムであるか。
私は知らない。
システムか、ってぐらいだから、一応、新手のコミュニケーション・サービス。
ってな事は分かる。
ウィキペディアから引くと、つまりは、140文字以内で投稿する、
ブログとチャットを足して2で割ったようなシステムを持つもの、らしい。
ユーザーたちが、「つぶやき(ツイート)」を投稿するから、ツイッター。
確かに、機能を見れば素晴らしいと思う。
これが、災害時おける非難情報の提供など、リスク回避の面で活躍してくれれば良い。
しかし、反面、私には疑心暗鬼の感がある。
何だか「つぶやき」ってのは、リスクを誘発する気がしてならない。
日常生活で、余り良い事はつぶやいてない気がする。
むしろ、不平不満、つまり「ぼやき」の方が圧倒的に多い。
規制が無ければ、そんなぼやきが、サイト上に充満してしまうのではないだろうか。
思春期の学生などは、そう言う事に感覚的に敏感なので、
むしろこれを避けて通る気がする。
裏を返せば、大人が鈍感になっていると言える。
偉そうに書いている、私も。

749声 因果鷹揚

2010年01月18日

どうしてこうなったのだろうか。
因果が絡まりあっていて、解きほぐしてから、改めて考える気にもなれない。
こうなったらもう、この因果を鷹揚に受け止めるべきである。
ともあれ、大舞台なのだ。
来週、1月24日の県民会館小ホール。
芝居屋らいぶ「ヨロコンデ」のコンサートに、参加する事になった。
参加するっても、ステージに上がる演者として、である。
私はエレキギターでの参加で、勿論、脇役である。
脇役ながら、非常に、僭越かつ恐縮している。
しかし私は、もう、やらねばならないのだ。
やらなければ、来てくれる人の心は打てない。
もしもの時は、どうするか。
懐に忍ばせてある、脇差を抜いて懐紙で包み、逆手に持って一気に、腹。
読者諸氏、介錯を願い出るならば、来週の日曜日、県民会館にて。

748声 ひとこえリズム

2010年01月17日

役に立つ、事だってある。
毎日、こうやって一文の得にもならぬ文章を書いていも、である。
このサイト以外に、文章を書かねばならない時と言う事が、少ないながらある。
その媒体は、大きく分けて、紙かインターネットになる。
そんな時、書くテーマにもよるが、テストでヤマが当たった時の如く、
完成度はともかくとして、スルリ、と左程苦も無く書ける時がある。
「ひとこえの賜物」
だと思う。
毎日、こうやって更新している作業が、知らずに文章修業になっており、
自らの力になっていたのである。
しかし、その文字量と言えば、概ね400字〜800字くらいなので、
原稿用紙に換算すれば、1、2枚。
その1、2枚のリズムが、どうやら体に染み付いてしまっているようなのだ。
例えば、文字数を原稿用紙で5枚、つまり2,000文字の文章を書くとする。
そうすると、目測を誤ってしまう事が、多い。
1,500文字で終わってしまったり、2,500文字を超えても終わらなかったり。
リズムが掴めない。
掴めていないか、元からリズム感が悪いか、どちらかである。

747声 藪入りを、国民の休日に

2010年01月16日

今日は藪入り。
と言っても現代、その風習を目にするのは、時代小説か落語ぐらいなものだろう。
江戸の頃から、昭和の初めぐらい、と曖昧であるが、まぁ落語に出てくる時分である。
奉公人が休暇をもらって、親元へ帰ったり、休んだり、遊んだりする事が許される日。
それが、1月16日及び7月16日の藪入りの日、と言う訳である。
週休2日が当たり前の今時節。
藪入りの賑わいは、街に無い。
そう、商家が隆盛を極めていた江戸の時分、藪入りの日とあれば、
街はたいそう賑わった。
奉公人は主人から着物を新調してもらい、小遣いを貰って、街に繰り出す。
街では、商店や露店も軒を連ね、芝居小屋などは大盛況だった事だろう。
一週間単位で、のんべんだらりと日を送る、現代人。
「こちとら必死に働いてんだい」
と、腕まくりはしないで、どうぞひとつ穏便に。
言いたいのは、現代社会に、藪入りって制度は通用しないけれども、
藪入りってな、気質だけは受け継いでみたら、どうだろう。
つまり、定額給付金。
とまでは言わないけれども、着物を新調して街へ出て、映画でも見て美味い物を食おう。
ってな国民の休日を、一日作る。
日頃、街を歩いていると、そう言う気質が街に欲しいと、つくづく、思ってしまう。

746声 回遊魚

2010年01月15日

今日の夕方。
帰宅途中、ふらりと本屋へ寄った。
店内、そぞろに見ていると、奥の通路に、本が詰められた銀のラックが1体。
ラックに付いているポップには、「セール品」とマジックで書かれている。
本の背表紙を見るに、その大半が料理のレシピ本。
何気なし、手にとって頁を捲ると、良く出来ている。
分かり易く、デザインのセンスも良い。
奥付まで来ると、出版社名。
知らない。
ラックに本を戻すと、大半の本が、その見た事も聞いた事も無い出版社の本。
他にも、目にした事が無い出版社の本が並んでいる。
僅かに遅れて、察しがついた。
これ、皆、昨年、及び一昨年に、倒産してしまった出版社の本ではなかろうか。
値札を見ると、半額から6割7割引きの、もはや叩き売り状態。
昨今の出版不況を思い、いささか悲しくもあるが、購買心をくすぐられる。
そこに陳列されている本が、大半がレシピ本と言うのも、合点がいった。
料理のレシピなどは、主婦の方々、最近はインターネットで検索するのが常識らしい。
と、聞いた事がある。
確かに、各サイトやブログなどで閲覧すれば、無料なのだから、
本の売り上げも伸び悩む訳だ。
ラックに載っているのは、
掴みどころの無い顧客ニーズってやつを、掴み損ねた結果である。
湖にいる魚の群れは、常に回遊している。
一旦は、自分の垂れている釣り糸の下に留まって、餌を食べていたかと思えば、
回遊し、また別の釣り糸の餌を食べる。
その餌が、新鮮であるうちは留まっているが、鮮度が落ちてくれば、また回遊。
回遊魚のいるポイントを掴み、その湖に適した餌を用い、
餌が新鮮な間に釣り上げてしまう事が、重要だ。
その前に、糸がこんがらがってしまうのが、いつもの私の釣りである。

745声 あっしは冷たい足の持ち主

2010年01月14日

もう、冷たくなっていて、寝られない。
足の先が、である。
こうやって、毎晩書いている時は、机に向かって書いている。
机に向かっていると言う事は、椅子に座っており、足は机の下にある。
この足が、どうしても冷えてしまう。
靴下を履いているのだが、冷える。
何だが、女々しい悩みだが、冷えきっている。
そう言う状態で寝床に潜り込んでも、中々、寝付かれない。
足の先へ手を伸ばして触ってみると、アイスノンを巻いていたかの如し。
冷えの原因として、部屋の気温が低い事も挙げられるが、
体質もあるのではなかろうかと思う。
私は、所謂、冷え症と言った症状は過去に自覚した事は無いが、
現在は、冷え症体質を自覚している。
それに挙げられる、最たるものは、食生活。
要は、冷たい物を食べ過ぎ、あるいは、体を冷やすものを食べ過ぎなのである。
日頃食べている、回転寿司、もり蕎麦、もりうどん、アイス、生野菜、冷たい弁当
など、
体温よりも低い温度の食物がいけない。
こいつ等が、徐々に体温を奪って行き、冷え症体質を作っているのではあるまいか。
然らば、体温より高い温度の食物を摂取するように、心掛けねばならない。
それでも駄目なら、晩酌の麦酒を熱燗に変えてみようかしら。
確かに、体温よりも高い温度だが、胃の腑辺りから温度が高鳴ってきて、
余計寝付きが悪くなる。
それでも、冷たさに縮こまっているよりは、夢見心地で寝返りを打っている方がよい。

744声 ドーナツ・ストーブ・体育座り

2010年01月13日

まるで私の好きな、シュガーシロップでコーティングされたドーナツ。
を連想させる程、氷結している、自家用車のフロントガラス。
今朝、出勤するべく車に乗り込むと、前方視界は零、全く見えない。
白い息を吐きながら、エアコンの目盛りを目一杯回して、解けるのを待っていた。
今日は、西高東低の気圧配置が一層強まり、九州地方の平野部でも積雪したと言う。
此処、群馬県の平野部には雪の兆しは無かったが、赤城おろしの寒風が吹き荒れていた。
こう言う寒い日は、四肢間節の動きも悪いし、脳の動きも悪い。
したがって、思考も何だか覚束ない。
さっきから、ストーブの前で膝を抱え、体育座りをしている。
更新内容の着想を待っているのだが、こんな寒い日は、
これが中々、ゴールへ辿り着かない。
振り返ってみれば、去年の夏。
扇風機の前で膝を抱え、夜半に随分長い事、体育座りをしていた。
季節は移ろえど、我が行動様式に目立った差異は無い。
それひとえに、才が無いだけ。
ドーナツでも食いながら、気長に待つか。

743声 タラノハラ

2010年01月12日

またしても、気付けば、日付変更線の瀬戸際に立っている。
少々、出っ張った下っ腹をさすりつつ、さすりつつ、いや、待てよ。
いつから、こんな下っ腹が出しゃばって来たのか。
12月、マラソンをやった事もあって、細身な体系だった筈ではないか。
それが、何故、ってその原因は明白で、やはり、正月。
思い起こせば、しこたま飲んで、たらふく食って、あれで太らない訳はない。
正しく、鱈の腹みたいになってしまった。
しかし何だか、「タラノハラ」ってのは、力士っぽくもあるな。
間違いなく、弱そうだけど。
などと、下手なコメディ台本の様な文体になってしまった。
それもこれも、タラノハラの四股名を襲名する事が、
決定するか否かと言う瀬戸際の私が書いているので、仕様が無い。
これを読んでいる読者諸氏の中にも、もしやいるのではないだろうか、
正月の不摂生で、タラノハラになってる方々。

742声 女の目線を女は支持する

2010年01月11日

・シネマテークたかさきで「パンドラの匣」を観賞。
・一二三食堂で「ソースヒレカツ丼」を食事。
・藤守湯で一番風呂。
何だか三段落ちの如き、我が休日の過ごし方だが、
最後に赤提灯の暖簾をくぐれば、完成である。
今日は、その完成を待たずに、家路に着いてしまった。
生活雑事の羅列及び垂れ流し的日記風随筆形式。
早口言葉の様だが、平たく言えば、日報。
みたいな内容で更新する事が無いよう、心掛ける。
ってのが、私がこの日刊「鶴のひとこえ」を始めるにあたり、
自らに課した「執筆心得」である。
その執筆心得を遵守してきたつもりであるが、
本日此処に、高崎中心市街地での一つのコースを提案する意を込めて、羅列した。
上記の3つの施設。
いずれも、街の小さな、映画館と食堂と銭湯である。
しかしながら、いずれも、他の同業種と一線を画す点が垣間見える。
それは、「女性の支持」である。
まず、「シネマテークたかさき」。
ここは、市街地の小さなコミュニティシネマであるが、若い女性の独り客が多い。
今日も多く見受けられた。
私が観たのは太宰治原作のパンドラの匣であったので、
あるいは、太宰ファンの女性であるのかも知れない。
現代においても若い女性ファンを掴めるとは、などと、横道へ逸れる前に、次。
続いて、「一二三食堂」。
南銀座通りを城址の方へ一本、と言っても分かりづらいが、
ともかく、南銀座通りの裏である。
昭和3年から続く老舗食堂で、なんて私があえて説明するまでも無く、
雑誌や新聞に掲載された事がある有名店。
ネット検索すれば、情報に事欠かないだろう。
ここも、純和風の伝統的な食堂なのに、若いカップルや女性の独り客が多い。
しかも、その大半が、名物のソースカツ丼を食べて行くので、恐れ入る。
最後に、「藤守湯」。
ここは市街地からはちと離れている、大橋町に在る、銭湯。
本サイトのコンテンツ「とっておき探訪」に詳しい。
伝統的な横丁の風呂屋。
にも拘らず、ここでも、若い客を頻繁に見掛ける。
幼い息子娘と一緒に、家族で来店する若夫婦や、近くに高校があるだろうか、女学生たち。
浴室に、時折響き渡る嬌声は、相客にも程良い活気を与える。
この3店舗に共通するのは、所謂、「女性目線」を意識して経営していると言う事。
それがどう言う目線なのか、じっくりと述べたいのだが、丁度、時間となりました。

741声 左足の濡れ場

2010年01月10日

新成人であろうか。
私が先程までいた飲み屋内を、発狂せんばかりに走りまわっていた一団。
トイレでは、顔色の青い青年がうずくまっていた。
血気盛ん。
ではカタがつかん。
程に酔うた経験も無いではない。
ともかくも、落ち着け、そして、大志を抱け。
とは言うものの、私。
千鳥足で帰路に着く、夜道。
真っ暗やみの、田圃の畦道。
よろめいて、路の側溝に左足がはまってしまい、びしょ濡れ。
闇雲に、美女の濡れ場を妄想しつつ、心地の悪い足を引き摺って歩く。

740声 郷土の句

2010年01月09日

昨日の一文一句。
共鳴と言うか、共感と言うか。
ともかく、「良いじゃん」と言うお便りを頂いた。
確かに、日めくりカレンダー式で、「毎日一句」が見れるのも面白い。
しかしながら、今日みたいに穏やかな休日の青空の下、
駘蕩とした空気の中で考えているからであって、煩瑣な日々の生活の中でとなると難しい。
難しいのだが、やはり手間の掛かる事ってのは、きちんと面白い。
お便りには、郷土の句も添えられていた。
未だ、その投稿をどうこうすると言う事も出来ないが、好きなのを一句。
眺むれば冬の顔なる赤城山
おまけに一句。
冬の街朔太郎の猫現るる
その人の号、「草野」と申し候。