「見たよ」
と言う声を、思わぬ人から掛けて頂いた一日だった。
先日刊行した、「群馬伝統銭湯大全」の事を、
今朝の朝刊に掲載して頂いたからである。
その声を大分すると、近い人に遠い人。
今、書いていて思ってのだが、この「大分」と言う言葉は、
果たして熟語として成立しているのだろうか。
勿論、九州にある「大分県」の「大分」とは関係ない。
「大きく分けて」と言う意味の熟語で、「大分」すると、使ったのだが、
もしかしたら、造語になってしまうかも知れない。
脱線する前に、本線へ戻す。
近い人、と言うのは、友人、知人、同僚、と言った仲間の類。
遠い人、と言うのは、音信の途絶えていた、あるいは消極的な交際になってしまった、
同級生や旧友、旧知の仲である人の類。
きっかけは何であれ、古い友人からの便りと言うのは、嬉しいものである。
そうなのだ、きっかけは何であれ、街には素晴らしい銭湯が在ると言う事を、
知ってもらえたら良い。
などと、なんで自分がそこまで群馬県の湯屋産業に肩入れしているのか、
動機が判然としないのだが、いつしか、そうなってしまった。
銭湯へ入った事の無い若い世代も、銭湯へ入っていたのが、遠い昔になった世代も、
入る銭湯は一緒である。
その銭湯、近年、廃業する速度に拍車が掛からない。
まずは、「keep on 銭湯」である。
文法が間違っている気がするが、ともかく、そう言う事なのだ。