日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

1359声 路線橋の風景

2011年09月20日

新前橋駅西口にある路線橋からは、構内が一望できる。
ホームの脇には、いつくものレールがあり、いつも長い貨物列車などが停車していた。
天気の良い日には、左に榛名山、右に赤城山を望むことができ、からっ風さえなければ、爽快である。
そこから望む夜景は、寂しげな地方都市の灯と、構内の灯が貨物列車の車体に鈍く反射して揺れ、
そこはかとなく、幻想的な印象であった。
秋気澄む時期から、しんしんと冷え込む冬の時期までは、闇が濃く光りは冴え、
硬質な美しさを感じた。
酒に酔いつつ最終電車で帰って来て、この夜景を眺めると、宇宙的な美を感じる。
酒が醒め始発電車で帰って来て、朝靄に白んだ構内を眺めると、
目の前のつまらぬ殺風景に、いたたまれぬ思いを感じる。

【天候】
終日、台風の影響で雨。

1358声 ブルーブラックのミミズ

2011年09月19日

文字を書くのが苦手、である。
子供時分から、字が滅法下手で、今日でも日々ミミズ文字を量産している。

世代的な事もあろうが、左程、不自由や恥ずかしさを感じる場面が無かった。
大人になる直前、上手い具合に、携帯電話やインターネットが普及しはじめたからである。
必要書類はパソコンで作成し、手紙や葉書は電子メールで済ませてきた。
苦労したのは履歴書を書く時くらいなもので、社会に出てからは、
私の読みづらい字で迷惑している人は沢山いるだろうが、当の本人は知らん顔している。

そんな折、文字の事を意識する機会が、訪れた。
それは、数年前に始めた俳句に起因する。
俳句仲間と句会をする際、短冊に文字を認める。
サラサラと万年筆を走らせる方もいれば、私の様に、
そこら辺で拾ってきたようなボールペンで、書いている者もいる。
句会ではその後、この短冊を参加者みなが、用紙に清書してゆくのである。
誰の作品か分からなくするため、均等に分けられた短冊の句を、自分で書き写す。
自分の文字を意識するのは、その瞬間。

短冊にブルーブラックの美しいインクで流麗に書かれていた句が、
私が用紙に書き写すと、たちまちに色褪せて精彩を欠いた句に見える。
安っぽいボールペンの筆跡が綴る、ミミズ文字。
いつも、なんだか、俳句作者に対して申し訳ない様な心持になる。
他人が書いた自分の句を見て、やはり綺麗な文字で書いてある方が、
その句が映えて見える。
なので、私の手元に来た句は、不幸だと思う。

最近は使用しているペンのせいにして、書きやすいボールペンなど探している。
探したり調べたりしている内に、徐々に、ペンの奥深い世界に触れ始めた。
元来凝り性なので、その世界に足を踏み入れたらまずいと思い、
一先ず、安価なボールペンを買う予定を立てて、生まれ始めた物欲を誤魔化している。
しかし、私の文字がブルーブラックのインクで書かれたとしても、やはり、
ブルーブラックのミミズが、のたくっているだけだろう。

【天候】
朝より晴れ。
その後、午後にかけて下り坂で、夕方から雨。
台風が急遽進路を変え、明日、本州に上陸の予定。

1357声 ねずみのハイキング

2011年09月18日

確実は、町や里山、各地で運動会が開催されていた。
小学校には万国旗が張りめぐらされ、大勢の人たちで活気づいていた。
ひとつの小学校の裏を通った際、露店のかき氷屋が出ていて、
子供たちで盛況だった。
9月半ばとは言え、まだまだ、かき氷がよく売れる。

そんなどこか懐かしい運動会の光景を、頬杖ついて思い浮かべている私は、部屋の中。
窓の向こうには、青空と千切れ雲。
絶好の行楽日和だが、不健康にも終日、家の中に居る。
徐々に紅葉が始まって来ている山の方へ、行きたい。
例えば、JR吾妻線にでも揺られて、吾妻渓谷や川原湯温泉など、美しい時期だろう。

そんな旅情を思う浮かべていると、机の下に置いてある、古びた紙包が目に入った。
表紙には「ねずみのハイキング」と、黒マジックで書かれている。
紙包みの中身は、古い絵本で、随分と昔の事なので、どう言った経緯で、
この絵本を手にしたかは定かでないが、兎も角も、自分で買った品である。
一回くらい実演したか、どうか、それも定かではない。
ハイキングに行かれないので、せめて、ねずみのハイキングの物語でも読もう。

ざっと読んで、作品のこうである。
ハイキング日和に出掛けたネズミは、天敵であるネコに遭遇してしまう。
ネコ追いかけられるネズミは、道中でブルドッグに出遭い、
今度はネコが、そのブルドッグに追いかけられる羽目に。
逃げて行くネコの前にヒョウが現れ、ブルドッグがヒョウに追いかけられる。
ヒョウがブルドッグを追いかけていると、向こうの山が動き出す。
それは山でなく、ゾウだった。
これにはヒョウも参って、一目散に逃げ出してしまう。
なんとか、重なる偶然によって難を逃れたネズミは、ゾウの背中で一息つく。
すると、寝ていたゾウはネズミの走る音で、ろくろく眠れなくなってしまう。
そこで、ゾウの鼻先まで降りて来たネズミが、言うのである。
「えっへん、わがはいは、動物の王さまであるぞ」
そして次の日、ゾウの鼻先に乗っかって、大威張りで、ネズミは望み通りに、
ハイキングに出掛ける事ができました。
チャンチャン。

紙芝居の裏の解説に、「弱肉強食の人間社会を風刺し、」だとか、
「官憲に抵抗する力をなに一つ持たなかった自由主義者が、」なんて書いているので、
大人は、ネズミが象徴するもの、を考えてしまうであろう。
ネズミがずる賢い気が、しないでもない。
道中で、ネコとブルドッグとヒョウも、この日のハイキングに誘ってあげて欲しい。
そう思った。

【天候】
秋晴れで、残暑厳しい一日。

1356声 田舎美人の曼珠沙華

2011年09月17日

忽然と、と言う表現が誇張ではなく、
或る朝、忽然と彼岸花が咲いていた。
その名の通り、丁度、秋の彼岸の時期に申し合わせたように咲いてくる。
「彼岸花」、の他、「曼珠沙華」までは良いが、「毒花」、「墓花」。
さらには、「死人花」、「地獄花」、「幽霊花」なんて別名があり、古来から巷の人たちには、
不気味な花として見られてきたのであろう。

秋口になると、球根から育った花茎が、葉の無い状態で地上に出てくる。
その花茎の先端に、紅い六花弁を放射状に咲かせるので、「忽然」と、言った印象を受ける。
では、葉はどうするのかと言うと、花が咲き終わった後に、土から地上に顔を出す。
繁殖力が強く、痩せた田の畦には、群生している姿をよく見かける。
秋から冬にかけて、地上に出て来た葉が光合成しているのだと言う。
「田舎の美人」
そんな具合であうか、あの鮮烈な紅色が、目に止まる。
そして、とても魅力的な花である。

俳句では、「曼珠沙華」と言う呼び名がよく使われる。
おそらく、句作の上で使いやすいからであろう。
「彼岸花」だとか、「死人花」なんて言うと、イメージが固まってしまい易い。
そして、とても人気のある季語の一つである。

咲く前の姿幼し曼珠沙華  古賀まり子

咲く前のあの「つるん」とした花茎は、どこか「幼い」印象。

四方より馳せくる畦の曼珠沙華  中村汀女

畦の交差点に立って、ふと四方の畦を見渡すと、馳せて来るように群生している。

つきぬけて天上の紺曼珠沙華  山口誓子

鮮烈な紅が、空の紺をいっそう際立たせる。この天空は、高く広い。

曼珠沙華散るや赤きに耐へかねて  野見山朱鳥

落花して散るはずのない花に、もし、散る理由があったなら。

曼珠沙華消えたる茎のならびけり  後藤夜半

作者の透徹した眼の前には、残された花茎の群れがあるばかり。

【天候】
終日、秋晴れの残暑。

1355声 庭の鈴虫

2011年09月16日

今朝、この日刊「鶴のひとこえ」を更新しようと、パソコンの前に座っていた。
まだ、太陽が昇りきっておらず、窓からは清涼な秋風が吹きこんでくる。
風に乗って来るのは、鳥の声、そして虫の声。
その声に、おそらく一匹だけであるが、鈴虫の声を聞いた。

鈴虫は、亡くなった祖母が好きで、毎年飼っていた。
野生の鈴虫は珍しいらしく、確かに、野を歩いていてあまり鈴虫の音を聞かない。
この窓辺に座っていても、夜はコオロギだとかクツワムシだとか、他の虫の声が高い為か、
鈴虫の声など聞こえて事が無かった。
それが今、あの鈴を鳴らす様な涼しげな音色が、聞こえている。

「リーンリーンリーン」
と言う鈴虫の声を聞くと、晩夏の祖母の家が思い出される。
切った茄子を楊枝に刺して、鈴虫の虫籠に入れたり、朝になると霧吹きで吹いてあげたり。
丁寧に飼育すると、とてもいい音色で鳴いてくれた。
太陽が高くなって、風も止んで、いつも間にか鈴虫の音も無くなって、いつもの残暑の朝が来た。

【天候】
終日、秋晴れの残暑。

1354声 居待月俳句会

2011年09月15日

今回もまた、俳句の話であるが、
それが現在の私の生活色なので、仕様が無い。

今日は、前橋市田口町の知人が不定期で開催している句会に、参加して来た。
「月見句会」
なんて、今回は随分とオツな句会であると、聞いていた。
十五夜を過ぎて、「居待月」でも眺めながら、句をひねろう。
てぇんで、集合場所の駐車場へ着き、主催者に案内されたのが、鬱蒼とした山林。
昼間に見れば、野趣あふれるキャップ場と言った風情だろうが、
なにしろ、現在時刻は夜である。
野営しているゲリラ部隊と言った雰囲気で、参加者は皆、木製の机に着いている。

このジャングル、じゃなかった、この闇深い森の中で、取り合えず、夕食を済ませる。
懐中電灯の下で、絶え間ない虫の音を聞きながら、
句作するのだが、肝心の月が見えない。
「じゃあ」
と声を上げたの俳句の先生で、皆で車を乗り合わせ、高台まで移動。
するとどうであろう、見事な居待月が、澄んだ夜空に浮かんでいるではないか。
一面の田の畝を照らす月光は、とても清かで、吹き来る風も和やか。
あの魔の森の事など皆忘れて、一心に俳句を書き留めてゆく。

後ろ髪を引かれつつ、戻る場所はやはりあの森。
野営の本陣まで戻り、早速、句会開始。
懐中電灯で照らしながら、皆、目を細めて短冊に描かれた文字を読んでいる。
句の情景は、あの高台で見た月を詠んだ物が圧倒的に多く、
また、佳作も月の句に集中していた。

句会が終わり、皆、虫刺されの跡を掻きながら解散となった。
虫に翻弄されていた為か、満足の行く自作は少なかったが、
道端に寝転んで、大地の熱を感じながら星月夜を眺めたこと。
その星月夜に、流れ星を見たこと。
そして、あの清かな居待月を見たことは、当日の句と共に、
私にとって忘れ得ない思い出となった。

【天候】
終日、秋晴れで残暑。
夜は澄んで、居待月も清かに昇った。

1353声 句風と工夫

2011年09月14日

9月も、もう半ばだと言うのに、日中から寝る寸前まで、
まだ冷房の厄介になっている。
「冷房がなきゃ暮らせねぇなんてのは、駄目なんだよ」
私の俳句の先生が、良く言っていた。
子持山の麓にある先生の自宅は、なるほど、冷房など無く扇風機で夏を過ごしている。
ひと夏を冷房と共に過ごしてきた私は、暑さをやり過ごす工夫も忘れて、
残暑になっても、安直に冷房のリモコンに手を伸ばしている。
その差が、句風に表れるのは当然かも知れぬ。
少しくらい暑くても、窓を開け、吹き来る秋の夜風と虫の音で、涼を感じることにしよう。
そうすれば、いくらかでも、マシな俳句が詠めるかもしれない。

先日、電話があった。
桐生で懇意させて頂いている、銭湯の親父さんから、である。
先日発刊した「群馬伝統銭湯地図」を、桐生地域の関係諸団体に配布して下さる。
と言う旨だったので、翌日には、数百部郵送しておいた。
各銭湯全てに配布はさせて頂いたが、設置場所や配布地域などは、
まだことごとく手薄である。
とても計画性の無い事業だが、計画を綿密に練っていたら、おそらく発刊していないだろう。
それでも、銭湯で手にした人が、別の地域の銭湯へ足を運ぶきっかけとなれば、
と言う、当初から考えていた本筋は、今のところ曲がっていない。

「我慢して入ってみろ、騙されたと思って」
その言葉をかけてくれたのは、見知らぬおやっさんである。
街の銭湯に行き始めた頃の私は、あの熱い湯に、どうしても涼しい顔して浸かれなかった。
「熱い熱い」と、苦悶表情を浮かべ、湯船の中で握り拳を作って中腰になるのが精一杯。
蛇口まで逃げて行き、水で埋めて、部分的に温度の低くなった湯に浸かっていた。
そんな折にこの言葉を受け、清水の舞台から、と言うほどでもないが、「えいっ」と、
やけっぱちになって肩まで浸かってみた。
案の定、ものの数十秒でギブアップ、逃げるように浴室から出て、体を拭いた。

すると、どうであろう。
風も心地好く、汗も直ぐに引いて、肌触りもよろしい。
温い湯に長時間浸かるよりも、熱い湯に短時間浸かったほうが、爽快な場合がある。
特に夏場は、と言う事を身を持って体感できた。
これもまた、暑い時期を涼しく過ごす、工夫である。
今日の様な残暑の夜は、銭湯の熱い湯に、サッと入って出たら、さぞや爽快だろうと思う。
その方が、蒸し暑い様な私の句風も、いくらか爽快になるやも知れぬ。

【天候】
終日、秋晴れ。
残暑厳しい日が続く。

1352声 十六夜の月

2011年09月13日

十六夜の月が、綺麗に出ている。
今年は、十五夜、十六夜共に、清かなる月夜になった。

そう言えば、その昔、「月光浴をしなさい」と、助言を受けた事があった。
満月の夜に外に出て、然るべき方法で月光を浴びると、
心身共にバランスを保て、尚且つ、月の力を得られるのだと言う。
その時は、聞き流してしまったが、後から考えなおし、そうかも知れぬ。
と思っている。
特に、この仲秋の頃は、月光も清かで、夜風も心地好く、
何だか月光を浴びたくなる。
「お月見」
なんてのは、まさにこの月光を浴びる行為で、何の事は無い、
古来から先祖たちは「月光浴」を楽しんでいたのである。

因みに、「十六夜」と書いて「いざよい」と読むのであるが、この、
いざよいと言う言葉は、なかなか良いと感じている。
満月の次晩は、月の出が、若干であるが遅くなる。
その情景を、月がためらっていると見立て、進もうとして進まない事の意で、
この言葉は使われる。

日々の生活。
いや、自らの人生には、いざよいな事ばかり。
しかし、今宵の月のように、風流な進み方をしない事が、さびしい。

【天候】
終日秋晴れで、「秋暑し」と言えるほど。

1351声 やさしいすすき

2011年09月12日

今宵は十五夜。
中秋の名月、である。

昼間、街の和菓子屋から出て来たおばちゃんが、手にすすきの穂を携えていた。
おそらく、お月見団子を買ったら、店の粋な派ならいですすきをくれたのだろう。
この現代社会の家庭で、お月見を祝っている家庭がどれほどあろうかと、ふと思った。
バレンタインデーやクリスマスなどには目を向けているのに、十五夜などの伝統行事となると、
どこか他人事になっている傾向がある。

清かなる月を愛でながら、虫の音響く縁側で、十五個積まれた団子を食べる。
自分の記憶を振り返り、その行事をきちんと執り行った事も無ければ、参加した事も無い。
小学生時分に、授業で教わった覚え、のみがある。
名月の後の、「十六夜」、「立待月」、「居待月」、「寝待月」、「更待月」。
月の満ち欠けに応じてその呼び名の変わる、日本人の繊細な季節感覚を知ったのは、
大人になってから。

私も俳句などやっていなかったら、今日の名月など気にも留めなかっただろう。
昨日、俳句を詠みに行った、中之条町のふるさと交流センター「つむじ」に、すすきが活けてあった。
その銀色に輝いている穂に、手の甲で触れてみたら、少し温かみある、なんとも、やさしい感触だった。
十五夜と言うのは、なんと繊細で、なんとやさしい感覚の、祭事であろうか。

【天候】
日中は、秋晴れで甚だ蒸し暑し。
夜は十五夜で、風、幾分か爽やか。

1350声 中之条俳句ing

2011年09月11日

曇りがちな空。
だが、日差しが強くなくて、案外好天かも知れない。
吟行に出掛けるには。

今日は、久しぶりとなる「わるのり俳句ing」の日。
行く先は、吾妻郡の中之条町である。
「中之条ビエンナーレ」
と言う名のアートイベント開催中で、県内外から多くのお客さんが見えている。
街全体が展示会場になっており、裏山の田圃だとか、商店街の一角など、
地元の人たちの日常生活圏である場所に、アート作品が展示されている。
作品を観たい方もあろうし、俳句を詠みたい方もあろうし。
と言う事で、今回は句会場集合と言う形式。

私もぼちぼち出掛けねば、句を作る時間が無くなってしまう。
句会場集合形式だと、参加者の人数が把握できないので、
期待、反面不安も多くある。
それよりも、中之条の里山でゆっくりと句を作れる事が、楽しみ。
珈琲を飲み終えたら、出掛けるとしよう。

【天候】
曇りがちなるも、残暑で蒸し暑い一日。

1349声 無心の結果

2011年09月10日

炎天。
と言う程でもないが、それにしても暑い。
そのたくましい日差しの下で、靴と車を洗った。
それで、午前中が終了した。

30℃を越える残暑とは言え、庭の芝生に足を踏み入れると、
バッタなどが吃驚して逃げてゆく。
一足進めば、バッタも一足飛ぶので、どんどん追いかけてしまう。

稲刈りの進めば進む蝗かな (鷹羽狩行)

と言う句があるが、作者の「俳句一念」(角川書店)と言うエッセイには、
「この一句の入選がなければ、今日まで俳句をつづけていなかっただろう。
十五歳の時の文字通り処女作」
とある。
作者の本名時代、昭和二十一年の作品である。
平明な写生句だが、こう言う句が「残る句」だと思う。

精霊飛蝗や精霊蜻蛉が飛び交う中、ホースから水を出して、車を洗う。
車には頓着しない性質なので、洗車機に入れても良いのだが、
運動がてら、手で洗うことにした。
泡の付いたスポンジで、車体を擦ってゆく。
次第にその作業に没頭してゆき、途中からはほとんど無心になって手を動かしている。

休日には決まってパチンコに出掛ける。
と言う人から聞いたのだが、その人は、玉が出ても出なくとも、
左程問題ではないのだと言う。
では、何の為にお金を払ってパチンコ台の前に座るのか。
それは、「無心」になるため。
パチンコ台の前で流れゆく玉を見ている間は、思考が何も作動していない、
無心の状態になれるらしい。
その時間を得る事で、とても気分転換できると言うのである。

汗だくで仕上げのワックスをかけ終わった頃には、もう熱中症の一歩手前。
シャワーを浴びてから、コーラを飲んで一息つく。
無心で作業した結果、気分転換どころか暑気にあたって、気分が悪い。
おまけに、疲労困憊で体も動かず、午後の分の体力まで使いこんでしまったよう。
ひと眠りしたら、麦酒でも飲もうと思う。

【天候】
終日、秋晴れ。
気温30℃を越える。

1348声 夢枕

2011年09月09日

現在時刻、午前零時付近だが、甚だ、蒸し暑い。
暑さ寒さも彼岸までと言うから、
この残暑も、今月20日頃までは続くのだろう。

明日からは週末である。
「さて、どこへ出掛けようか」
などと言う気分にもなれず、取り合えずはゆっくり寝ていようと思っている。
寝ていようとは思うが、最近は20代前半の頃の様に、
昼過ぎまで寝ている事ができない。
遅く寝て(大体、午前2時3時だろうか)も、8時9時には一旦、目が覚めてしまう。
「歳のせい」
と言うことになるのだろうが、それでも、寝ている間に依然として、
夢だけは一向に見ない。
見ているのだろうが、覚えていない。
それも同じ事で、兎に角、就寝したらもう翌朝なのである。

「夢枕に立つ」
故人が夢の中に会いに来てくれる現象を言うのであるが、実際にあるようである。
と言うのも、昨晩、私の母親の夢枕に、祖母が立ったらしい。
詳細を聞くと、こんな風。
玄関の開く音がしたので、母が玄関に向かうと、そこには、
若かりし頃の祖母が立っているではないか。
母が吃驚して、その顔をまじまじと見ていると、祖母はそのまま声を発するでもなく、
只、その場所にしばし佇んで、母の顔を眺めている。
一時が経ち、そのまま祖母は玄関を開けて出て行ってしまった。
そして、母は目を覚ましたらしい。

その話しを聞いた時、少し、気味の悪い感じもしたが、祖母ならば怖くは無い。
とても蒸し暑く、寝苦しい今晩は、何だか夢見の悪い私でも、
祖母と会えそうな気がしないでもない。

【天候】
終日、秋晴れ。
気温30℃を越える、蒸し暑い一日。

1347声 祖母のこと

2011年09月08日

三本目の麦酒を飲み干して、既に、相当酔いが回っている。
張り詰めていた気がほぐれたのか、今日は、随分と酔いの回りが早い気がする。

これを書いている今日は、9月8日である。
二十四節気では、草花が露をたくわえ、秋の気配が深まる「白露」の時節。
そんな、秋気澄む清々しい朝に、祖母が逝ってしまった。
命日は6日。
享年86(満85歳)であった。
葬儀を済ませて、今、虫の音が聞こえる自宅の窓辺で、
麦酒を飲みながら一息付いている。

6日は、ばあちゃんの家で寝た。
私と、じいちゃんとばあちゃんの3人。
まるで、子供時分の夏休みの様に、久しぶりに3人で寝た。
あの頃は、ばあちゃんの飼っている鈴虫が鳴き始めると、
それが夏休みが終了の合図の様で、あの声が嫌だったっけ。
ばあちゃんも、久しぶりに病院から家に帰って来て、
虫の音を聞きながら、ゆっくりと寝れたみたいであった。

そして、私のばあちゃんは、もうこの世にいない。
この世に肉体がいるか、いないかなど、ささいな問題である。
この空の下に、光の中に、私もばあちゃんも、いる。
「たましい」と呼んでいるそれは、いる。
しかし、そのささいな問題の為に、私はもうばあちゃんに会う事が出来ない。
会って話したり、笑ったり、手を握ったりが、もう出来ない。
こればかりはどうしようもないので、この世にいる私は、ばあちゃんのたましいに向かって、
目を閉じ手を合わせ祈っている。

そうすると、感じる。
白露の一滴に、虫の音の響きに、この世界のあまねく光に。
ばあちゃんを感じる事ができる。

【天候】
終日、穏やかな秋晴れ。

1346声 美しく寂しい夕焼け

2011年09月07日

遠く榛名山の後に薄づく夕焼けの紫色が、夜の色と混ざり始めた。
細く棚引く秋の雲は、シルエットになって映っている。
その色合いが、とても美しいと感じる。
と同時に、とても寂しく感じている。
これから、この秋の夕焼けの色合いを見るたびに、思い出すのだろう。
そんな事を思いつつ、裏の田圃をほっつき歩いていた。

【天候】
日中は日差し強いながらも、終日、秋晴れの一日。

1345声 チョイと御待ちを

2011年09月06日

のっぴきならない事情により、今日明日くらいの更新をお休みします。

チョイと、お待ち下さいな。

抜井 諒一より

1344声 車輪との相性

2011年09月05日

「ほっ」
と、胸を撫で下ろしたのは、差し出された伝票の金額が、
想像の範疇を出ていなかったから。
それでも、寂しい懐から出すのは、とても辛い額。
酒場のレジでは、いつもこの思いを味わっているが、今回は酒場ではなく、
カーディーラー、なのである。

最近、車で頻繁に失敗をしている。
自転車を含めれば、電柱に激突して怪我をしたり、
先月は、出掛けた先でバッテリーが上がってしまった。
そして今回は、左のドアミラーを割ってしまったのである。

そこは、見知らぬ土地の、駅前通りから続く、細い路地だった。
雨が降っており、待ち合わせの時間もあったので、気が急いていた。
すれ違う対向車の強いライトの輝きが、一瞬視界を奪って行く。
すれ違って、走る。
すれ違って、走る。
すれ違って、「ゴチッ」。
何かを裂くような音。
その方向へ視線を移すと、街の灯を反射させる左のドアミラーが見えた。
屈折しているその光の角度は、明らかに、割れていると思われた。
バックミラーで確認すると、過ぎ去る夜景には、車道へ出しゃばった、
電柱の影が一本見えた。

車を停めて確認すると、やはり、ミラーの鏡面に亀裂が入っており、破損していた。
運転席へ戻って、ボタンを押して見ると、電動格納装置は作動しているので、
故障はしていない模様。
一瞬にして気を腐らせて帰り、一夜明けた今日、車を購入したカーディーラへ行って来た。

整備士の方によると、部品交換で修復は可能との事。
直ぐ様、部品の取り寄せだとか、金額の支払いだとか、
諸手続きを済ませ、店舗を後にした。
車輪の付いた乗り物とは、今年、ことに相性が悪い。
つまりは、「碌な事がない」のである。
来年の初詣では、交通安全のお守りを買おうと思っている。

【天候】
台風は去ったが、依然としてその余波は残っている。
終日、断続的な雨。

1343声 同居虫

2011年09月04日

「ツツツツーッ」
9行目から10行目を越えて、11行目へと、行間を縫って走って行く。
その白い体の横についている小さい足が、忙しく動く様が、確認できる。
指で止めを刺すのも忍びないので、
「フッ」
と、ひと息吹きかけると、呆気なく、吹き飛んで行ってしまった。
吹き飛ばしてから、
「あいつが、今度は私が寝てる間に体を這いまわっていたら」
などと思って、なんだか体の痒みと後悔に襲われる破目になってしまった。

「あいつ」と言うのは、今時期に良く見かける、「本の虫」の事である。
この場合の本の虫、と言うのは読書家の意でなく、「紙魚」と言われる、実際の生きた虫。
読書家にとっては、馴染み深い虫であろう。
馴染み深いと言っても、本を食べてしまう虫なので、
歓迎される虫でなく、「害虫」と区分される事が多い。
原始的な虫らしく、古くから人家に住んで、障子や本などに棲みついている、
体調は米粒の半分程くらいの小さな虫である。

この紙魚、俳句では夏の季題になっており、古くから句に詠まれてきている。

紙魚食うてこころもとなき和綴本  (片岡片々子)

私も、いま、40年くらい前の俳句の本の頁を捲っていて、この紙魚と出遭った。
古本で買った本なのだが、長らくハードカバーから出される事が無かったのであろう、
黴やシミなどが頁に見られるので、紙魚が棲みついていてもおかしくは無い。
しかし、無数に蔓延っているこいらと一緒に暮らすと考えると、
なんだかむず痒い思いがする。
私の部屋には、古い本、例えば戦前に発行された本なども少なからずあるので、
1匹2匹では、当然済まないだろう。
いま、この位置から見える本棚の2段目と3段目を占領している、
焦げ茶色に日焼けした「荷風全集」など、ハードカバーの中身を想像しただけで、おそろしい。
これから、読書の秋。
すこしは、ケースから出して、天日で虫干ししてみようかしら。
そう言えば、「虫干し」もまた夏の季題。
つくづく、日本人と言うのは細やかな季節感の中で生きていると、思う。
あー、痒い痒い。

【天候】
終日、降ったり止んだり、台風による不安定な天気。

1342声 カジュアルな庭

2011年09月03日

いま、台風が高知に上陸している模様。
四国は高知県沖にあっても、北関東群馬県に突風や豪雨をもたらすのだから、
相当、勢力範囲が広いと言う事であろう。
土曜日の本日は、県内各地、のみならず列島各地で開催される予定の秋のイベントが、
のきなみ中止になっている。
まだ9月になったところだが、今年の日本は、自然災害に翻弄された一年であると言える。

その影響だろうか、今年は庭木の果樹もあまり期待は出来なそうである。
食べごろであった山帽子の実は、先日からの風雨でほとんど落ちてしまったし、
未だ青い柿の実も、この後の風雨を絶えしのげるかどうか。
その横の、ビックリグミは、ここ何年も実っていないし、
向こうのブルーベリーは、葉が落ちてしまってなんだか元気が無い。

ビックリグミなどは、私が小学校を卒業する時に、
「創業記念樹」として学校から購入したのもなので、かれこれ、20年選手である。
古株ともなると、機嫌の波があるようで、ここ数年、実を付けてくれない。
もっとも、買う際の説明文に、育て方の難しい果樹だと書いてあった。
今年の秋は、この果樹の木々たちが色とりどりの実を付け、カジュアルな庭になるだろうか。
諸君、語呂合わせによる駄洒落で締め括る事を、許したまえ。

【天候】
台風の影響により、雨風ともに強し。